僕はその日、知らない父さんの顔を見た。


ある日のパパ  

 休日だった。学生の僕は当然。父さんも月に一度の休みだったはずなのに何事か問題が生じたらしく、登庁を余儀なくされてがっかりしていた。肩を落として普段着から公務服に着替えるため自室に戻る。僕は一頻りいつものように「やだやだ」とだだを捏ねる父さんを宥めて溜め息をついた。
「スザク様、お迎えが来るまでの間ルルーシュ様とお話して差し上げてください」
 執事のハンスが苦笑を浮かべながら言う。父さんが本国の本邸から連れてきた古参の使用人頭で、ここエリア11では父さんの子どもの頃のことを知る唯一の人物だ。どうしようもなく甘ったれな父さんと毎日大声を上げて口論になる僕の味方をしてくれる。でも時折こうして父さんの肩を持つようなことを言うのだ。
「でも半刻もないでしょう?」
「充分ですよ。ここのところお忙しくて夜もお戻りが遅うございました」
「政庁の官舎に泊まればいいのに」
「スザク様のお顔をご覧になりたいのですよ」
「…別に、通信だって」
「朝か、夜。どちらか一つでもご一緒に食卓を囲みたいとおっしゃっておられました。ルルーシュ様はご家族の団欒と云うものに憧れてらした」
 そう言われてしまうと弱い。
 父さんが育った家庭は少々特殊で、父さんの父親、僕の義祖父様にあたる人物は没して久しく、母親であるマリアンヌ義祖母様は現役のラウンズの一人で世界中を飛び回っている。エリア統合によって総督業を持たない数少ないラウンズだ。父さんは子どもの頃からそれはもう…厳しく育てられたようで、毎日がサバイバルだったと遠い目をして言うのを聞いた僕はさもありなんと思ったものだ。中身はどうあれ身のこなしだけは洗練された宮廷武人の父さんは、たぶん皆が言うとおり帝国最強の騎士の一人なんだろう。ふとした仕草が人とは違う。何をしていても滑らかに優雅でありながらおよそ隙というものがない。そりゃあ夜僕のベッドに潜り込んでくるなんて常識外れなこともしてくれるが、朝になって気がつくことの多い僕はその度ひそかにぞっとするのだ。所詮は素人の手習いといえど僕だって武道を嗜んでいるしまさか隣に人がいて気がつかないなんてどうかしている。疲れていたって気配は感じる。それなのに父さんだけは読めないのだ。ベッドが広いのもいけない。大きな子どものような父さんでもさすが良家の嫡男で、寝相は良いの一言に尽きる。寝息も静かでまるで死んでいるように見えるものだから、はじめて父さんに夜這い(笑ってください。)をかけられた翌朝は、驚いてハンスを呼ぶより先に父さんの呼吸を確めたものだ。疲れていたのか寝汚いのか知らないが、起しても中々起きない父さんはぐずるようにシーツに顔を埋めていたけれど、たぶん頭の一部は覚醒していたはずだ。若々しくあどけない寝顔に見入ってしまったのは内緒だけれど、当代最強の騎士様がああやって無防備に眠ることなんてないはずだと僕は考えている。できればそれが僕の期待に過ぎないなんてことにならないよう祈るばかりだ。

 話が逸れてしまったが、少なくとも僕の父さんは子どもの頃から少しも気の抜けないスリリングな生活を送ってきたのであり、親子の語らいなんてものに憧れを抱くような、ほんの少しかわいそうな人なのである。育ててもらった恩もある、厭われるよりは好かれたい。僕の正直な気持ちとしては、べたべた構ってくる父さんに優しくしてあげたい。ただ素直にそうできないほどには僕も子どもの域を出ているし、照れくささが先にたつ。だから、ハンスの含めるような言葉に渋々頷く形で父さんの部屋のドアをノックするのだ。

「父さん、入るよ。ハンスさんが出がけのお茶をって」
 ああ、と返事があったので開閉スイッチを押す。シュンッと空気の抜ける音がして父さんの書斎のドアが開く。着替えは終わったのか衣装室にはいなかったのでこちらに来た。この部屋は職務上の機密が持ち込まれている場合があるから決して無断で入ってはいけないよ。そう父さんに言われたとき、ほんの少しだけ寂しくなったがそれ以上に安堵した。出会ってから十年間、密かに憧れてきた父の顔がそこにあったから。
「父さん?…ああ、そっちにいたんだ」
 一瞬どこにいるのかわからなくて探してしまった。広い屋敷の三階、その半分を占める書斎はほとんどが書籍に埋まっていてちょっとした図書館のようだ。小さい頃はまだ父さんが本国にいたから、僕はここに忍び込んで立派な装丁の古書を眺めていたものだ。ブリタニア語ははじめから話せたが父さんやこの屋敷の人間が話すようなキングスイングリッシュには程遠い。亜流のブリタニア語であったから、数々の古典をひっくり返しては言葉の矯正に務めた。必死だったように思う。見ず知らずの養父さんを失望させたくなかったし、みんなが僕に注目した。ブリタニア屈指の大貴族、そして最も目立つ公人の一人がナンバーズの子どもを養子に選んだことは一時期センセーションを巻き起こしたようで、当時はまだ幼く世間のことなどわかっていなかった僕も、街に出れば視線が寄越され、友人たちはみんな父さんのことを聞きたがるものなのだから、自然に『ルルーシュ・ランペルージの息子』としての顔を作るようになった。数年後に対面する父には僕を選んだことを後悔させないようにしたいと思っていたのだ。
 実際のところ、父さんは決して堅苦しい人ではなかったし少しどうかと思うほど砕けた振る舞いをする人で、僕は父さんが帰ってきてからは昔よりもむしろ気を抜いた日々を過ごしている。確かにメディアを含め周囲はこれまで以上に僕に注目するようになったが(だって父さんが僕に構うものだから必然的に巻き込まれてしまうのだ。)、僕に耳目が集まる理由の父さんがあれなので、僕一人が行儀よくしているのも馬鹿馬鹿しい。実に庶民的なところのある人なのだ。
 
 一つ例を挙げよう。
 街に出て買い物をしてみたかったらしい父さんのお供で(引き摺られるように)出かけた僕は、ぽやぽやとあちこち歩き回る大人のお守りに苦労した。やはり名のあるブリタニア貴族のご子息様と云うか、料理なんて実用的で庶民的な趣味を持つ父さんなのだけれど、キャッシュで買い物をした経験に乏しいらしくはしゃいでしまって見ているこっちが恥ずかしかった。市井の暮らしを体験したいのならと、常日開店している屋台のクレープやコーンに盛られたアイスクリームを買ってあげた(いや小遣いは父さんからもらっているわけなのだけど。)。公園のベンチに座って、ちらちら寄越される視線に気づかない振りをしながら食べ始めた僕を見て、父さんはきょとんと首を傾げた。
『どうしたの?甘いもの苦手だった?』
『いや』
 大丈夫だよと答えた父さんは何かを一人で納得したようでちろちろダブルのアイスを舐め始めたのだが、僕はしばらくして考えて奇妙な間の意味に思い当たり言葉に詰まった。あの時父さんはスプーンがないことに戸惑っていたのだ。小振りなアイスだったので断ったのだが、舌を見せながら人前でクリームを舐め取るということに抵抗があったのだろう。「お行儀悪いぞ!」と、父さんに窘められたことはないのだが、この時ちょっとした葛藤があったらしい。そして慣れていないせいか食べ終わるのも遅い。一足先にアイスの部分を食べ終わった僕がコーンを齧り始めたのを見てまた目を丸くする。
『た、食べるの?』
『だってこのワッフルコーンがおいしいんだよ。評判なんだ』
『(カリ)…面白いね』
 試しに端っこを齧ってみた父さんは、知らなかったことにえへへと照れた笑みを向けてきたのだが、こういうところでお貴族様だなぁと実感する。決して身分に驕り威張るような人じゃないのだけれど、はっきり言うなら世間知らずだ。ごく限られた分野で覗く父さんの一面を僕は密かに面白く思う。いつもゴーイングマイウェイに振り回してくれる父さんが、珍しく困った表情を浮かべているのを見るのが楽しくて仕方がない。いまさら生まれが違うのだと卑屈になっても仕方がないし、僕が所詮は孤児だったからと自分を卑下しようものならきっと父さんは泣いてしまうのだろう。
 だから『お坊ちゃまめ』と揶揄してあげた。ついでに自動販売機に興味津々だった父さんのレポートもあるのだが、それはまたの機会にお届けする。

 話が逸れてしまったが、僕は書斎の一角に父さんを見つけて歩み寄った。
 壁の一面は通信機器が占拠している。ドアに背を向ける形で団欒スペースがありそこに革張りのソファが置いてある。背の高い父さんを見失うはずはないのだが、この時は腰掛けていたせいで見落としてしまったのだった。
「はい。アールグレイだって。父さん香りの強いお茶が好きだよね」
「ああ、香りで掻き消した方が飲みやすかったから、癖だな」
 僕はこの時の父さんの言葉の意味がわかりかねた。もっと後になって知ることになるのだが、今はありがとうと言ってソーサーごと受取った父さんの様子に気を取られた。
 きっちりと銀白の公務服を着込んでマントだけを外した姿は総督閣下として申し分ないのだが、姿勢が悪い。三人掛けのソファに斜めに背を預け脚を組み、手袋をした片腕で頭を支えていた。声をかけるまで何か考え事でもしていたのか一点を見つめて顔を僅かに俯けて。どきりとした。いつもの甘ったれた笑みはどこにもなく、不思議な色味の目は眇められて感情が読めない。腹に一物抱えている顔。どことなく不機嫌そうな、醒めた表情。

 …空いている一方で一度ソーサーをテーブルに置き、ティカップを口に運ぶ。長い脚は組まれたまま。頭も無造作に傾いだまま。
 マナー違反だ。
「父さん行儀悪いよ」
「ハハ、怒られた」
「怒られたって…父さん?」
 抱きついてみたり引き摺られてみたり、常日頃から総督としてというよりはむしろ大人としてどうかと思うだらしないところを見せる人だが、基本的な動作は優雅なものだ。さすが宮廷に十年間伺候していただけはある洗練された居ずまいで父さんは日々を過ごしていた。家の中での服装だって見苦しくはないし食事中の所作だってマナー教本に載っていてもおかしくない。姿勢を崩して寛ぐにしても限度を弁えているし生活のどこを切り取っても人様にお見せできる。(起き抜けは別だ。あれは人に見せられない。)なのにこれはないだろうと思って注意した。会話の一端のつもりで軽く。
 だから別に、僕よりもずっと礼儀作法に通じているはずの父さんを窘めるつもりだったわけじゃないのだけど、面白そうに笑うだけで姿勢を正そうともしないことにおかしいなと思う。ソファに肘を突いたまま紅茶を啜ってくすくすと僕に目を細める。いつものだらしなさとは質が違う。ほんとうに行儀が悪い。らしくない。
「どうしたの。また叱られたいの?」
 困ったことに息子に『ばかおやじ!』と一喝されて喜ぶ人なので、僕はいつも息を切らして怒声を上げる羽目になるのだが(自分の突っ込み体質をなんとかしたい…遠い目)、この時もそうなのだろうかと先回りそして訊いてみた。冷ややかに見下ろしてみる。
「カレンみたいだな。うん、今は違うかなぁ」
 なのにのんびりと返事をする父さんはちっとも堪えていないようで、半分ほど残したティカップを置いてうんと伸びをした。たぶん迎えの車が到着したのだろう。僕の耳には何も聞えなかったが頃合だ。立ち上がって紫藍の片肩マントを羽織る父さんを黙って見つめていると、楽だ、と声が聞えた。
「『らく』?」
「誰も見ていない。咎めないし、勘繰らない。人の目がないっていうのは、楽でいい」
 独り言のように言われて戸惑う。いつもの父さんじゃない。あそこでは、と、言い差して窓の外に視線を逃がしたのに何と返せばよいのか迷う。それでも訳はわかった。『あそこ』とは本国の皇宮を指すのだろう。十年間父さんが閉じ込められていた場所。窮屈だったんだろうと今更ながらに思い知る。『勘繰る』という言葉が重く滲みた。ナイト・オブ・イレヴンはいつだって足元を掬われないよう気を張っていたに違いないのだから。たぶん今しがたの振る舞いはわざとだ。わざと行儀悪くしてみただけ。本当に、妙なところで子どもっぽい。
「…『誰も』って言うけど、僕は見ているし怒るよ。父さん行儀が悪い、って」
 迷った挙句、僕はこう返した。肩の止め具をパチンと音を立てて整えていた父さんはそれにくるりと振り返る。
 …嫌な予感がした。
 違うから、と話が続く。
「だってスザクは」
 にっこりと、いつもの父さんらしいと僕が思う笑みを浮かべて父さんが近づいてくる。
「うん?」
 後ずさりながら僕は頬を引き攣らせた。来る、これは来る。だって父さん今すっごく嬉しそうだ。
「家族だもんな!」
 やっぱり!
 いつものハグだ。熱烈な。がばっと抱きつかれてもみくちゃにされる。特別だもんなと言いながら頭を撫でられてどうしたらよいのかわからなくなる。スキンシップの激しい人だが機嫌が良いと(まあ父さんはいつでもご機嫌な人なのだが。)拍車がかかる。チュ、と音を立てて頬にキスされたと気がついた時にはもう父さんはドアに足を向けていて、行って来ますと手を振っていた。相変わらず素早い。遠慮はないが引きはあっさりしたものだ。
「行ってらっしゃい」
 まったく、まだまだわからない部分のある人だ。  







fin.




 

頂いたイラストをにまにましながら眺めていて、お花畑な頭でぽちぽちしていました。醒めた表情で髪を掻き揚げているラウンズルルにたまらんかったです(方向性のある呟き)。次は政庁で素の顔を見せるパパをもうそうするのだ。もわもわ。
あと上のパパ、宮廷では結構苦労していたので(別話)ふと感慨に耽っていたんです。たぶん本編並みの監視下で過ごしていたんですよ(ケケ…)視線がないのはいいなぁと。お仕事ルックでお行儀悪くしてみてこっそりささやかに鬱憤晴らし。スザク少年に叱られるのが最近のマイブームです。
お読みくださりありがとうございました(深々)。