エリア11を足がかりに領土と擁す人民を増やした合衆国連合は、今やブリタニア帝国と世界を二分する巨大な連邦国家に成長した。極東の小さな島国で始まったテロリズムはいつしか主権国家の確立を目指す独立戦争と名を変え、隣国中華連邦と和平協定を結び、同盟を発足させ、非ブリタニア国家の緩やかな結束は武力ではなく交渉と書面によりなされていった。指導者であった仮面の男、ゼロは、初代大統領に選出され、もとより抜きん出ていた外交手腕は惜しむことなく揮われている。しかし、未だその素顔は隠されたまま。国家元首は「ゼロ」という記号と奇怪な仮面によって、その偶像化を貫いている。イコールで結ぶつもりだろうか。次代の元首もゼロを名乗るのだろうかと、もはや伝説と化した男に世界は常の道理を曲げざるを得なかった。しかしゼロが類稀な指導者であることは事実なのであり、後の世には偉人と記されるべきカリスマである。誰もが認める。誰もがゼロの奇跡に縋り、ゼロのもたらす安定のもとで日々を過ごし、一日でも長くこの平穏が続くようにと祈るのだ。
だから、ゼロは死んではならない。
接続された男
ナナリー皇女の遅い結婚が決まった。本国に領地を構える公爵家の嫡子の隣に並ぶ彼女は幸福そうで、慶事は大掛かりに行うブリタニアのこと、もう十年近くも補佐を務めた枢木スザクは準備のために多忙を極めていた。皇帝直属の専任騎士でもある彼は、少し前までナイトメアフレームに乗ることが職務の大半であったのだけれど、今では執務室に篭って紙とペンと判が相棒である。人工シナプスを介して人間がコンピューターの演算速度を体験する時代になっても、人はアナログな部分を日常に残さずにはいられないらしい。いつの間にか慣れてしまった書類仕事に、彼が今日も精を出しているとき、一通のメールが受信された。差出人の名はルルーシュとある。スザクはしばらく無言になった。十、出力された文字列をなぞっておもむろに立ち上がる。
「時期としては、妥当なところか」
ルルーシュはスザクの友人である。二十年来の幼馴染。しかしルルーシュはゼロであったから、語りきれない確執があったし殺し合いも騙し合いも経験した。それも結局は落ち着くところに落ち着いて、個人の名前を捨てた彼をルルーシュと呼ぶのはもうスザクを含めて数えるほどもいないだろう。最愛の妹の前から姿を消してからは、建国の父として私を捨て完全なる公人として生きているらしかった。戦場であいまみえることのなくなった今、スザクは公の場でしかルルーシュと出会うことはなく、私的なやり取りは皆無である。互いに連絡を取り合おうとも思わない。それが二人の距離だった。
「――確認しました。乗ってください」
合衆国内の指定された場所でスザクを待っていたのは、驚いたことにかつてルルーシュの弟を演じていたブリタニア軍人のロロだった。寝返ったことは知っていたし、ナイトメアで戦ったこともある。優秀な人間だった。今はもう歳を重ねて、少女のようだった面立ちは青年の鋭角な線を備え、上背はスザクと並んでいる。バイオメトリクスでスザクを本人と確認し、ごく普通の乗用車に乗り込む姿は大人のものだった。
スザクが驚いたのは、ロロがまだ達者であったことと、彼が自分を迎えに来たことである。ゼロが外交の場に出て来る際、いつもそばに付き添っていたのが彼である。紅月カレンも背後を固めていたが、実際秘書の役目を務めていたのはブリタニアから合衆国に亡命した形になるロロだった。信頼していたのだろう。ゼロ一人の求心力で興ったような国なのだから、彼一人が失われれば容易く瓦解しただろう。彼を守る人間は多かったが、最後の砦として最も近くに置いた者が、ロロだった。そのロロが、いつの頃からかまったく姿を見せなくなった。スザクは考えたのだ。ロロは役目を果たしたのだろうと。
違うのだろうか。
「これから見るすべての事を、他言無用願います」
黙考していたスザクに、淡々としたロロの声が届く。本当に驚いたことに、ロロ自身が車を運転している。
「僕は友人としてルルーシュに会いに来ているんだ」
それだけを返す。今は私服だ。騎士章は身につけているけれど、外部とつながる通信機は大人しく手放した。位置を特定する発信機の類もつけてはいない。集音器など、用意もしなかった。
「信用します。兄さんはあなたと会えることをとても楽しみにしている」
言いながら、ロロは窓にシャドウをかけた。外界の景色が真っ黒に塗りつぶされる。運転席にのみ取り付けられたヘッドアップディスプレイで、ロロはハンドルを握っているらしい。
「ここまでの進路は記憶している。目的地まで迂回したとしても誤差半径100メートル以内で特定できるよ」
「わかっています。だから足を代えます」
スザクは唸った。ここまでこの自動車のエンジン音や走行の癖は掴んだ。景色が見えなくても右折、左折の数、体感から走行距離から通った道も目的地も特定できるはずだった。訓練を積んだ軍人なら誰でもできる。ロロも特殊部隊の所属だったのだから、無駄なことはよせというつもりで言ったのだ。おそらく水族館があったと記憶している場所でガクン、と車体が揺れたと思えばロロがエンジンを切り、そのまま潜水可能な船でフェリーされているらしい。さすがに水中は無理だ。
「凝ったことをするね。ルルーシュは身を隠してでもいるのかな」
「そうです」
「いつも?」
「そうです」
「一昨日、インターメディアで元気な姿を見たけれど」
「あれは兄さんじゃありません」
「…それこそ国家機密だな」
スザクは呟いて、あっさりとゼロの中身がルルーシュでないことを明かした意味を考える。
「もしかして、ルルーシュはゼロじゃなかったんだろうか」
「いいえ。あなたが戦ったゼロは間違いなくルルーシュです」
「それでは場に応じて影武者を立てているのか」
以前、学生時代の彼は素顔を晒した学園内ですら別人を自分の代わりに動かしていたのだ。仮面を被り、個人の同定がより困難な「ゼロ」ならば、いくらも代わりが利くだろう。
「ええ」
短いいらえに眉を顰める。ロロは事務的で愛想のない口調をしている。けれど今の応えには、感情を押し殺したような響きを感じた。
「ルルーシュは、元気かい?」
スザクは探るように訊ねた。一番最初に言うべきだったかもしれない。
「会ってください。僕に出来ることは、あなたを兄のもとへ連れて行くことだけだ」
嫌な予感がした。
予感は当った。
「ルルーシュ…お前、元気か…?」
スザクは自分の台詞に舌打ちをしそうになった。元気か、だと?
『生きてはいる。久しぶりだなぁ、スザク』
合成された音声だ。まるきりルルーシュの声である。彼が親しい者に向ける、男にしてはやや高めの通る声。だが抑揚に欠ける。
『十年前の本土上陸戦で負傷してな。その時の怪我自体は完治したんだが、治療に使った薬品が身体に合わなかったらしい。無茶もしたよ。臓器の半分は人工物に置き換えた。スザク?どうした、目はもうないが、耳は聞こえているぞ』
免疫力が落ちているからと、このいずこともしれない施設に到着してすぐ、スザクは風呂に入れられた。そして全身を徹底的に消毒されて、同じように準備を整えたロロに案内されて対面したのだ。
ほぼ全身を管が這い、長大な機械に接続された瀕死の男に。
『瀕死とは失敬だな。視神経は死んでいない。会話も出来る。仕事はちゃんとしているさ。連合へ加盟申請しているブリタニア領内の自治区、あの三区はこちら側に引き込んでやる』
面白げな響きを再現しようとしたのか、挿管されて声の出せないらしいルルーシュは、どうしたものか機械を通じて弾んだ音をスザクに寄越した。
スザクはすぐには返せなかった。吐き気を必死に堪えていた。消毒薬のにおいが充満する室内で、明かりは人工的な蛍光灯。窓はなく病的なほど清潔に保たれた室内で、一人の男が身体を横たえている。腐り落ちたのだという眼窩には黒いモデムが埋め込まれ、それは辿ると一対の光ファイバーによって複数のカメラに繋がっているようだった。
視線を察知したのか、可動式のカメラアイがかすかな音を立ててレンズを回転させ、近づき、スザクの顔をアップで捉える。
『気味が悪いか?』
ルルーシュが直截な言葉で訊ねた。頷くことができたら楽だろう。細くしなやかだったルルーシュの胴体は不自然に膨張し、脚のあった場所は灰色のプラスチックの蓋で覆われ、左腕の手首から下は軸索接続具と一体化している。おそらくそこから神経インパルスが目の前の大きなコンピューターに入力し、意思を伝えることが可能であるのだ。幼馴染は、醜悪な肉塊に成り果てた。
「君は、ルルーシュ……君は。そうまでして、生きたいのか?」
およそ素直なスザクの疑問だった。
こんな醜い身体になってまで、お前は生きたいのか、ルルーシュ。
『おかしなことを言う』
ルルーシュはまた、抑揚のない音で言った。とても機械的な音だった。寝台のすぐそばに腰掛けてスザクを見るロロの目が、ひどく冷たい。ふとその手元を見れば、枝のように細った青白い手を、ロロの骨ばったてのひらが握りしめていた。感心する。この様子なら、ロロは始終ルルーシュのかたわらで過ごしているのだろう。付ききりで看病し、こうして彼の私的な望みをかなえてやりながら、ずっと……おぞましい肉体とともに暮らしている。
「枢木卿、あなたはいま、僕と兄さんを侮辱しはしませんでしたか」
気が狂いはしないだろうかと考えたところで、ロロがここへ来てからはじめて口を開いた。ぴくりとルルーシュの無事な右腕が動く。それをロロが宥めるように撫でる。
「僕は兄さんと一緒にいられて幸せです。まだ兄さんが元気だった頃は、あちこち、それこそ国境なんてないかのように飛び回っていて、僕は留守を預かりながら、いつも不安に苛まれていた。戦闘で意識不明の重体に陥ったと聞いた時は心臓が止まりましたよ。ようやく合衆国が形になって、兄さんが大統領に選ばれてからは近くに置いてもらえるようになって、とても安堵しました。これでいつでも僕が兄さんを守って上げられると。でもそれも長くは続きませんでした。兄さんの目が使い物にならなくなったのは八年前です。ブリタニアとの和平協定を締結したすぐ後ですよ。それから下半身から胴部にかけて神経と主要な器官が機能しなくなった。置換手術の半年後にはもう立ち上がることも、話すこともできなくなった。」
真っ直ぐにスザクの目を見て言うロロの言葉を、それだけ自由に操れるらしいカメラアイが遮った。まるで命があるように、そっとロロの額に触れたのだ。ルルーシュの本物の腕は上らないらしい。
「……七年です」
それでも、ロロは囁くように言葉を続けた。
「七年間、兄さんはこの状態で生きてきた。僕は、兄さんが何処へも行けないことを、喜んでいる」
懺悔するように、ロロはそう締めくくる。
スザクは考えた。ロロが言わんとしたことを。
「ルルーシュ。君は、ロロのために生き長らえているのか」
その問いに、ルルーシュは声を立てて笑った。『ハハハハハ』と、虚しい音が響き渡る。
『確かにロロは俺のことを本当の兄以上に慕ってくれているし、俺もナナリーと同じくらいにこの血の繋がらない弟をいとしく思うようになった。何があってもそばにいてくれたんだ。こんな身体になっても嫌悪の一つも見せやしな、い……』
不自然に音声が途絶えた。
機械の不具合だろうかとスザクは待ったが、ハッと顔を上げたロロがおもむろに立ち上がり、ルルーシュの痩せ細った肩を寝台に押さえつけた。どうしたんだと訊ねるまでもなかった。ルルーシュがガクガクと痙攣し始めたのだ。ぴくりとも動かなかった身体が不規則に震える。びくびくと顎が上り、口いっぱいに詰め込まれた管の隙間から唾液がツゥと零れ落ちる。意味を成さない呻きが喉奥から漏れ聞こえ、青褪めた額に汗が浮かぶ。
発作です、と簡潔に教えてくれたロロは、無表情に兄の顔を見つめていた。口だけがきつく引き結ばれている。スザクは顔を背けようとして、やめた。
長いと感じたが、二分も経ってはいないだろう。
ルルーシュの身体は波が引くように震えをやめて、それを確認したロロが酸素濃度を上げた。バイタルを取って素早く記録をパネルに打ち込む。控えていたらしい医療スタッフが棒のような腕に注射を打った。
しばらく、無言の時間が過ぎた後に、沈黙を破ったのはルルーシュだった。
『――見苦しいところを見せた。時間をずらしたはずだったのだが、どうもこの身体は俺のいうことを聞く気がないらしい』
スザクは苦笑う気配を感じてルルーシュのそばに寄った。訝るようにカメラアイが左右に揺れる。ロロが警戒するようにスザクを見た。
「ロロ、その場所、代わってもらえないだろうか」
「……どうぞ」
躊躇って譲られたルルーシュの隣で、スザクは細いほそいてのひらを自分のそれで包み込んだ。あたたかかった。ほんの少し汗ばんだ肌は、手を繋いで駆け回った子どもの頃の記憶を蘇らせる。スザクは寝台に肘を着いて俯き、ルルーシュの指を自分の額に当てた。目が熱い。
「ルルーシュ。さっきの、話の続きは?」
レンズがキュゥンと音を立ててズームになる。そのまましばらく機械を通した視線を感じていると、ほんの少し高い音が言葉を紡いだ。
『――そうまでして生きたいのかと、お前は言った』
「ああ、そうだ」
『生きたいか、生きたくないかは、問題じゃない』
平坦な声だがかすかな震えをスザクは聞いた。精巧な機械だ。これはルルーシュが冷静さを演じようとしている時の声だと思う。
『生きなくちゃならないんだ。それが義務だ。してきたことへの責任だ。
人は育つだろう。いずれ俺よりも優れた人間がこの国を導いてくれるに違うない。俺よりずっと賢いやり方で、この国に暮らす人々を守ってくれるに違いない。でもそれまではだめだ。自惚れでもなんでもない。俺の後を任せられる人材が育つまで』
「それまで、君は死ねないと?」
『そうだ』
「無理だとは思わなかったのかい?投げ出したくなったことは?」
『ある。けれど知った。弱さは罪だ。ああ、そうだ。俺ははじめて父の言葉を理解した。強さが正義だ。弱さは罪だ。世界を変えようとするならば』
「ルルーシュ」
『許されないんだよ。失敗したからと言って、力が及ばなかったからと言って、途中で諦めることは許されないんだ。脆弱な人間は愚かしくさえある。投げ出すくらいならはじめから蹲って生きるべきなんだ。人を、世界を変えようとするならば、弱い自分を捨てる覚悟を持たねばならない。揺らいではならない。はじめたからにはやり遂げなければならない、最後まで。貫く。そのことを確かに父は理解していた。そうやって生きていた。いま、俺ははじめてあの人の気持ちがわかる気がする』
「ルルーシュ。僕は今、とても忙しいんだ。本当だったら国外へ出られる状況じゃない。それでも無理を押してここへ来たのは、伝えることがあったからなんだよ。先代の皇帝陛下、君のお父上は、『よくやった』と。おっしゃっておられた」
『……大きなことを言っていても、この様だ。悪かったよ。ナナリーの婚儀が終わった後に呼ぶつもりだったんだが、その時間も残されていないらしい』
スザクはここで顔を上げてルルーシュを見た。こけた頬には生気がない。
『あと少しだ。神楽耶も、頑張ってくれている。中華連邦の若者にも見所のある奴はたくさんいた。引継ぎは最終段階なんだ。あと一ヶ月で俺の任期が切れる。大統領選には出馬しない。十年前には強力に、強引にみなを率いるリーダーシップが求められたが、今は違う。争い、奪い、創造する段階はもう過ぎた。これからはこの国を豊かにするための人間が必要なんだ。ゼロは強すぎる。舞台を降りる時がもうすぐ、来る』
ここまで一息に言ったルルーシュは、ロロを呼んだ。頷いたロロは色とりどりの千羽鶴を持って立っていた。
『ナナリーに渡してほしい』
本当に千羽あるらしい。抱えるほど大きな折り紙のオブジェは、どの鶴も丁寧に織り込まれてうつくしかった。
『ロロが折ってくれた。俺よりもよほど手先が器用だ』
「兄さん手の方が、なんでもできたよ」
『そうでもないさ。本当はウェディングケーキを焼きたかったんだ。昔、ナナリーと約束した。彼女の結婚式には俺の手作りのケーキを焼いてやると。でも皇女殿下の婚儀に素人の手は必要ない。俺の手はもう動かない。どうだ、ナナリーは元気にしているか?』
スザクは淡々と言うルルーシュに、これは機械のおかげだろうと考えた。本当は泣きたい気持ちに違いない。だから笑って答えてやる。
「とてもね。幸せそうだよ。そして君のことを忘れていない。結婚式には駆けつけてくれるはずだと言って聞かないんだ。バージンロードは君と歩くのだと言う。当日は、僕が務める」
『ふむ。まあ認めてやらないこともない』
「この機械、よくできているな」
『うちの技術顧問の腕は最高さ』
「飄々と…いいさ。ナナリーに伝えることは?」
『あの子はもう俺の腕の外に出た。嬉しいと、伝えてくれ。結婚を喜んでいると』
「…君の言葉だって信じてくれるかな」
『それはお前の信用次第だ』
澄ました声で応えるルルーシュに肩を竦めて、スザクは帰路に着いた。
一月後、新大統領の就任とともに、ゼロの死が報じられた。
END.