「回りすぎですね。もう少し回転を抑えて。」
「 っと、よし、できた!」
11.5−閑話
スザクはゼロと一緒に総督府へ帰還した。機密局の所在は軍のエリア本部ではなく総督府の地下の一角であるが、十人もいない仲間の誰が迎えてくれるわけでもなく、そこはシンと静まり返っている。
「夜間組は皆出払っているのさ。待機要員を置く余裕はない。」
「最近一人補充されたようですが、まだまだ人員不足は否めませんね。」
被っていた帽子をくるくると指で回しながら言ったゼロに、スザクは襟元を緩めながら返した。
「無闇に増やすわけにはいかないからなぁ。半年に二人も増員できたらいい方だよ。」
「あなたが直々に選んでいるのですよね?面接までは行っていないようですが。」
少し不思議に思っていたのだ。自分は機密局に配属されるまで一度もゼロと話をしたことがない。エリア11に派遣される前にコンタクトを取った人間の中にそれらしいものがあったかどうかもよくよく思い返してみたがそれらしいものは見つけられなかった。軍人としての能力値はアカデミーの卒業成績やシュミレーションデータ、実践成績である程度の評価を推し量ることが出来るが、その対象の人と為りは実際に接してみないとわからないものだ。信頼を前提に成立する部署であるから、特に重視してよいものだと思うのだが。自分は名誉ブリタニア人である。皇族に絶対の忠誠を誓う純血派との接触は皆無でもある。
「やってるよ?俺の変装レパートリーは両手に余るんだ。候補の素性と身辺については可能な限り遡って四親等先まで洗ってあるしな。」
「え、僕もじゃああなたに会っているんですか?」
「もちろん。」
バイザーの奥で、ゼロが目元を和らげた、ような気がした。さりげなく距離を詰めてよく覗き込もうとしたところではぐらかされる。ゼロは不意に声を弾ませて話し出した。
「それよりスザク、さっきやった跳び蹴りをもう一度見せてくれないか?」
「はい?さっきって、あいつらを相手にしたときのですか?」
頭の中で記憶を辿る。確かにやった。ちょうど弾切れしたので素手で倒すことにしたのだった。一度高く飛び上がってその勢いで一回転したあと相手の首を蹴り飛ばす。余裕があったから偶にはと思い、必ずしもそこまでのオーバーアクションは必要ではないのだが試しに。ゼロが自分の背後を守っていると思うと不思議なほど不安は感じなかった。彼とは妙に戦闘中の呼吸が合う。パワーは足りないがその分を速さとテクニックで補うスタイルはどちらかというと女性が収めるものであるが、基本の動作や思い切ったように遊びを利かせるアクションは、軍隊に入る前の癖が中々抜けない自分の型と似ているような気がした。
「そう。格好良いよなあれ!初めて見たよ、あんな長く空中に止まっていられるやつ。俺もできるようになりたい。」
心なしか白皙の頬が上気しているように見える。幼いようにも思える言葉はまだ彼が19歳の少年とも青年ともつかない歳の頃に在ることを伝えるようで、スザクは口元を綻ばせて頷いた。
「いいですよ。でも、できるかな。跳躍は十分いけると思うんですけど、あなたは少しばかり錘が足りない。 離れていてくださいね。」
五メートルの距離を取って、二、三歩の助走をつけて飛び上がる。勢いを殺さないように身を丸めて回転運動に摩り替える。ぶつかるものがなかったから脚を捻り下げて着地を決めて、スザクはゼロを振り返った。
「完全に一回転しているんだな…垂直に衝き込むよりは回転途中で蹴り倒したほうが効果が高い…うん、わかった。」
ぶつぶつ何事かを呟いた後、ゼロは軽く脚を慣らして避けるよう手を振った。そしてしなやかな身体を宙に躍らせた。黒い鞭のような影が空気を切る。
「っ、あ、あれ?」
トトッ、と軽い靴音を立ててゼロが殺しきれなかった回転エネルギーを押さえ込もうとたたらを踏んだ。転びはしなかったが着地した場所にしゃがみこんで黙り込む。じっと考え込むように唇に指をやったのを見て、スザクは苦笑しながら近寄った。
「空気抵抗が小さかったんですね。勢いの不足分以上に回転数を上げてしまったようだ。一回転半していましたよ。」
「…もう少しゆっくり回らないといけないのか。もう一回。」
言われたアドバイスを飲み込んでコクンと頷いたゼロは、もう一度飛び上がった。そして今度は実に綺麗に回し蹴りを決めて見せた。内心驚きの声を上げながら、スザクはお見事と手を叩いた。本能的に身体の動かし方を知っている。筋がいいのだろう。彼の母親も武芸に秀でた女性だったということだし。だがゼロはやや憮然とした顔でスザクの賞賛に頷いただけだった。
「これじゃわざわざ回る意味がない。軸足を地面につけて体重を乗せたほうが効果があるんじゃないかな。…残念。もうちょっと筋肉がつけばいいんだけど、俺ここ一年ほとんど体重変わっていないんだよな。」
ゼロはきゅっと引き締まった薄い腹を撫でながらぼやくように言った。身体が軽いと当て身の威力は小さくなる。蹴りぬく、あるいは振りぬく腕の勢いで補っているようだが、宙に浮いている間は無防備になる今の蹴りを繰り出す必要性はそもそもあまりあるとは言えない。長いコンパスを惜しみなく利用しての足技の多いゼロは、もしかしたら好奇心と純粋な憧れでもち技に加えたかったようだが実用性に鑑みて溜め息をついた。
「身長は伸びているんですか?」
「うん。嬉しいけど縦にばっかり伸びても困るんだよなぁ。」
スザクは肩を竦めた上官の頭を見下ろした。自分は日本人にしてはかなり長身の部類に入る。がたいのいいブリタニア人と並んでも遜色ない。ゼロもまだ伸びるだろうが、もやしのように高さばかりを稼ぐのは不健康だ。肌の白さも線の細さも、お行儀のいい皇子様と夜の活動が主な日の当らない生活のせいばかりとも思えないので、時刻を確認したスザクは早く休ませるべきだったと子どもに夜更かしを許してしまった親の心境で口を開いた。
「ゼロ。あなたには絶対的に休息の時間が足りていないと思います。成長期は過ぎたようですが、日に三、四時間の睡眠だけで動き回るのは身体によくありませんよ。僕より拘束時間が長いのですから、休めるときはさっさとベッドに入ってください。あと朝食に固形物を摂るように。夜も遅いのにおなか空かないんですか。…申し訳ありません。出すぎたことを。」
あ、やばい。言い過ぎた。
少々小言が過ぎてしまったような気がして、言ってしまってからしまったと思い頭を下げるが、ゼロはきょとんと見上げてくすくす笑い出した。
「あ、ははっ、お前意外と口うるさいんだな。大丈夫だよ、俺は居眠りの達人だから。謁見の時間や退屈な形だけの会議なんてみんな寝て過ごしてるんだ。朝は…夜が遅いから入らないんじゃないか。でも休憩の時にシャーリーが気を使ってくれるし必要な分は食べているよ。」
「え、あれ寝ていたんですか?うそ?」
自分はあまり表に出ないために、公務に就くルルーシュを目にしたのは数えるほどであるのだが、無造作なるようにも見えるが実に優雅に腕を組んで頭を支え、目を閉じて議論に聞き入るルルーシュ皇子の姿はそれだけで絵になるようで、まさか眠っていたとは思わなかった。礼を欠いた問いを返してしまったが、気にした風もなくゼロはそうだと答える。
「本当。得意なんだ。聞いていても時間の無駄だし。」
「はあ。器用なことで…」
「ゼロ!お帰りなさい!」
悪びれる様子もなく言ったゼロに、思わず呆れた顔を向けてしまったが続く言葉を選ぶ前に明るい声が耳に届いた。笑顔で駆け寄ってきたのはルルーシュ皇子の騎士の一人であるシャーリーだった。先ほどもごく自然に名前が出てきた少女であるが、彼女はルルーシュととても仲がいいらしい。皇子様を相手に親しい友人という表現は些か似つかわしくないように思うが、では淡い恋心かその曇りのない笑みを作らせるものは。
「ご無事で何よりです。そのご様子ですと、うまく事が進んでいるのですね?」
シャーリーは安堵の滲み出た声で無事の帰還を喜び、スザクに軽く会釈を寄越してすぐにゼロに向き直った。そういえば、ギネヴィアの変装一切をアシストしたのは彼女だと聞いている。
「ばっちりさ。サワサキの奴は最後までこちらを信用しなかったけど、あれは長いものに巻かれる小悪党の典型だよ。確信したね。三日後には俺の足元に跪かせてやる。」
そう言ってにやりと笑った顔は、確信というよりは自信に満ちている。
「一種の面接ですか?まさか仲間にとか、」
「それはない。俺は背中を預ける同僚を部下だとは思っているけど奴隷だとは思っていない。」
サワサキは奴隷か…。ゼロが自らスパイの真似事をしてみせたのは対象の性格その他の器量を測るためだったのだろう。狡猾で頭も回る男だったが、上から指示を与えられて初めて動くことの出来る人間だというのが、スザクのサワサキに対する評価だった。ゼロの意見とそう隔たりはないだろう。ちらりと窺うように寄越された上官の視線は、それを確認するためのものであったように思われた。信用されているという喜びと、どうしてそこまでという不可解な思いが頭の隅に燻るけれど、おいおい知る機会に恵まれることを信じて待つしかない。訊いても答えてはくれないのだろう。
ふと、今日は久々にゼロに会ったのだということを思い出してスザクはそっと目を細めた。一人で任務についていたこともあるだろうし、公務が忙しかったこともあるのだろう。半月後に迫ったオーレリア王子の公式訪問の表立っての準備はルルーシュ皇子が取り仕切っている。戦場に出なくとも会議で目立った意見を述べなくとも、ささやかな気遣いを潜ませて人を動かすそれは器量の現われであると思うのだけれど、人は陰ながらの仕事には然したる注意を払わない。ルルーシュ皇子が細々と総督府の迎賓館を客人に合わせて誂えていく様は、まるで女性のように気が利いていると、それだけの評価しか受けなかった。とまれ忙しかった彼がほんの少しはしゃぐように自分に話しかけてきた先ほどのやり取りを思いだすと、尊敬する上官そして仕えるべき主に対する感情よりも、形のない純粋な好意の方が膨らむような気がする。面白い人だとは、いつも思うことだった。
「ではゼロ、お部屋までお送りいたします、の前に。ちゃんとマニキュアとペディキュア落としました?朝になってメイドが困ってしまいますよ。」
シャーリーがゼロのグローブに覆われた手に視線を注ぎながら言った。あ、と小さく呟いて素手を引き抜いたゼロははぁ、と溜め息をついてひらひらと赤い指先を振った。よく見るときらきらした飾りも付いている。凝ったことをするものだと、女性の装いには一定程度の知識があれば十分だとネイルアートの類までは馴染みのないスザクは感心の眼差しを向けた。
「忘れてた。こっちもだなぁ…シャーリー、液持ってる?」
ゼロは爪先をとんとんと蹴り上げながら少女に問いかけた。
「だろうと思って用意してまいりました。手を。 スザクさん、足の方お願いできますか?ゆっくりしている時間はありませんから。」
そう言ってシャーリーは除光液をしみ込ませたコットンを手渡した。先ほどがみがみ(と云うほどのものではないが)言ってしまったお詫びもかねてそろりとブーツを脱がせて本当に真白な足先を手に取ると、片手をシャーリーに取られたゼロがすまなそうに首を傾げた。
「二人とも悪いな。着替える前までは頭にあったんだけど…」
「お疲れなのですよ。本当は今日のお出かけはお止めするつもりでした。でも空けられないとおっしゃるし。どうでした?いつもお顔をお見かけしているスザクさんでもそうは簡単に見破れなかったでしょう。」
「お恥ずかしいことに。どこの美女かと思いました。上背はあるから日本人の間でのナンパはうまく行かないかとも思いますが。」
「ああ、だからサワサキは落とせなかったのか。あいつちっちゃいもんなぁ。まあいざそうなって困るのは俺だしあれでよかったと思うけどさ。 せっかく綺麗に塗ってくれたのにもったいないな…」
誰に言うともなしに相槌を打っていたゼロは、右手が終わり左手を預ける前に、丁寧に装飾の施された指先をまじまじと見つめて呟いた。女装癖があるわけでもないだろうが、それはスザクも思ったことだった。足のつめは小指に何事か書き込まれていただけであったが、こんなところまで隙無く整った男の爪に丁寧にペディキュアを塗っていった少女の気持ちはどんなものだったのだろう。手際よく、スザクよりも早く作業を終えたシャーリーに、ゼロも同じ事を思ったのかそれとももっと含むところあってのことか、離れていく彼女の指先を取って言った。
「飾り気が無いな。短いし。」
「…華美にする必要はありません。伸ばしても邪魔になるだけです。」
スザクは赤くなったコットンをゴミ箱に放り込んで見るとはなしに二人の様子を窺っていた。立ち去った方がよいのか、このまま見守っていた方がよいのか。この二人は付き合いが長いらしく、いつも生真面目な態度を崩さないカレン・シュタットフェルトよりも砕けた言葉で会話をする。最低限の礼儀は崩さないが、シャーリーはゼロの手に顔に、躊躇いも無く触れて悪巧みの手伝いをしている。シュタットフェルト公爵家はブリタニアの貴族年鑑に探すことが出来たが、フェネット家は貴族位を持たない中流階級の出であり、そうするとルルーシュ皇子との接点はどこにあったのだろうと不思議に思わずにはいられない。軍人には不向きだろう長い髪をしている可愛らしい少女の姿を見るにつけ、彼女が心底ブリタニア皇家に忠誠を誓いそのために銃器を肌身離さず携帯するような生活に足を踏み入れたのだとは思えないのだ。騎士の誓いは無機的な契約ではない。その後の一生を全て一人定めた主に捧げ、主が任を解かない限り自らその位を返上することは許されない。そもそも引き返すことを望むような曖昧な気持ちで騎士になろうと思う者は始めから資格持たず、当然にして結婚も認められない。例外は現皇帝の騎士を務めたマリアンヌ皇妃であるが、これは例外中の例外だ。それともシャーリーとルルーシュ皇子は恋仲なのだろうか。
(違うだろうな。皇子の方はすまなく思っているだけ、彼女の方は…探るだけ野暮というものだろうが。)
薄っすらと頬を染めて手を引っ込めようとするシャーリーにまるで気づかない風に、ゼロは銃を扱うために硬くなった親指と小指の付け根と人差し指を
見つめていた。そこに性的な色は一切見つけられず、それは当人達にとっても互いに知るところのものであるらしく、口を噤んだままの少年に少女の方が行動に出た。同じくらいに色が白く、だがほっそりしているというよりは彼女にとっては骨ばっていると言う方がしっくりくるのだろうてのひらをきゅっと握り返す。
「ゼロ?私は自分の手が好きですよ。そこらへんのティーカップしか持てないようなお上品な手なんていりません。大切な人を自分で守ることの出来る手が誇らしいんです。それに、あなたの手に直に触れることができる人間なんて、数えるほどもいないのですから。」
ゼロもルルーシュも、黒と白の違いはあるが常に手袋で素肌を覆っている。大人しい皇子様がまさかガンオイルの匂いの染み付いた硬い指でご婦人方の手を取るわけにもいかず、それはナナリー皇女に対しても一貫していた。茶目っ気を見せて笑ったシャーリーに、ゼロはきょとんとしてから口元を緩める。
「それもそうだ。好きに化粧を塗りたくってくるのもシャーリーだけだしな。カレンはいつも逃げるから。」
「恥ずかしいんですよ。あんまり近い距離で見つめ合うとどうしたらいいかわからなくなると言っていましたから。内緒ですよ?」
「了解。今度からかってみるよ。」
解っていないじゃないですか!叫んだシャーリーに飄々と肩を竦めたゼロはスザクにお休みと一声かけて出て行った。もう空も白み始めている。
「楽しそうじゃないか。大人が口を出す歳でもないんだろうな。」
カレンとの出会いは書くか未定ですが、シャーリーとルルーシュ皇子の出会いはちゃっかり捏造いたします。