「いやあ、あの時は失礼いたしました。」
 デスクに腰を落ち着けて、せわしなくキーボードを鳴らす青年に苦笑を返す男がいた。
「構わんよ。私も確かにかなり怪しかった。その縁で有能な部下をもてたことだしね。」
 個人プレス業を営むディートハルト・リートは、七年前にアシスタントとして迎え入れた枢木スザクにそう答えた。  

Trick , and trick !(お菓子をくれてもいたずらするぞ!)



「ルルーシュ君は元気かね?」
「出張に出しておいてなに言ってるんですか。会うのは二週間ぶりですよ。この記事上げたらオフに入らせてもらうんで。」
 PCにかじりつきつつにやけた顔を見せるただ一人の部下に、国内の主に社会政治を扱うディートハルトは、わかったよと肩を竦めた。八年前の10月31日。ルルーシュ・ランペルージと枢木スザクに出会った。
「まったく、まだ何もしていないうちに殴りかかるとは君も物騒だね。」
「あの後何かする気だったんじゃないですか。ルルーシュが震えているのを見たときは血の気が引きましたよ。」
 血が上ったの間違いじゃないかとディートハルトは思ったが黙っていた。あの夜、随分かわいらしい女の子もいたものだと、思わず熱を入れた取材に出ようとした自分は駆けつけた枢木スザクに殴られたのだ。確かにルルーシュには少しぎらついた態度で接してしまったから、普通の女の子であれば怯えて泣き出してしまってもおかしくはなかったのだが。
「まさか男の子とはねぇ。いや却って素晴らしいとは思うけれど。君たちがくっつくことになるとは思いも…いや、少しは勘繰っていたがね。どう見ても手堅く道を選んできた君が同性を恋人にした上に、プレスなんて不安定で体力勝負な職業につくとは思わなかった。」
 スザクはキャリアの道はやめて、知り合ったディートハルトの元で記者業に落ち着いた。プレス証を首から提げて走り回る日々である。オフの日は親元を離れて借りたアパートでルルーシュと過ごす。学生時代の彼なら考えられなかった。
「僕、たぶん退屈していたんですよ。当たり前だと思って無難で間違いのないように思えた選択ばかりしてきました。『普通の』生き方に惹かれないわけじゃありませんけど、今の方が楽しい。なんか、ハロウィンの夜に新しい世界が開けちゃった気がするんですよねぇ。」
 ちょっとの間画面から顔を上げてしみじみ言ったスザクの言葉は本心だった。堅実で地味な生活は悪くはないが、自分を騙し騙し生きるのは窮屈だ。少しずつ膨らんでいった気持ちも、時が経てばやがて溢れ出す。ルルーシュは俺のものだと、深く考えずに口をついた言葉は、あの当時は我に帰って固まった。きょとんと目を丸くしたルルーシュに居た堪れなくなり、顔を合わせないよう乱暴に手を取ってそそくさとその場を後にした(※ディートハルトは興味を持ったので自力で二人を見つけ出して現在もこっそり観察中です)。小さく「ありがとう」と礼を言ったルルーシュとは、しばらく会わない日が続いた。だがスザクの前に世界は開けていた。答えは出ていた。自分はルルーシュが好きである。
 それが恋かどうかはわからなかった。気の迷いかもしれなかった。だからスザクは家を出て、ルルーシュと距離を置いて考えた。オフィス・ディートハルト(※薄ら寒いネーミングで失礼いたします)に就職して一年目。ルルーシュ不足に陥った。思えば特に会話はなくともほぼ毎日互いを見かけていた二人である。視界に馴染んだ姿がないことは抑えようのない寂寥感を生んだ。二年目。小学校の卒業式にこっそり足を向ければ、少し大人びた顔をして背も伸びたルルーシュが、卒業証書を手に駆け寄ってきた。昔と変わらない嬉しそうな笑顔を浮べて。三年目。たまに帰る実家で、スザクの部屋に電気がともるのを見るとルルーシュがこんばんはと訪ねてきた。学校のことや仕事のことなど、以前よりはやわらかな態度で話せたと思う。四年目。スザクの誕生日にルルーシュがアパートに押しかけてきた。片付けられないわけではないが男の一人暮らしで雑然とした部屋を文句を言いながら掃除して、夕食を一緒に食べてから家まで送った。五年目。ルルーシュの誕生日にキスをした。ルルーシュは高校受験を控えていたからそれでおしまい。六年目。アパートに戻ると部屋がぴかぴかになっていることがままあった。礼の電話をかけるようになった。(それまでメールのやりとりしかしていなかった。ちなみにルルーシュの携帯には『Dear』と一言、登録されていたのを見て締まりなくにやけたスザクである。異世界真っ只中。)そして七年目。週末はルルーシュが遊びに来る。今日は金曜でハロウィンだ。
「今日君が戻ることは言ってあるからね、そっちも連絡は取っているのだろうが、学校が終わったらここに寄ると言っていた。もうすぐ…ほら。噂をすれば。」
 オフィスの入り口に目を向ければ、学生服のままのルルーシュがこんにちはと笑顔を向けていた。すらりと背が伸びて顔立ちも童顔のスザクよりも大人びている。だが細い身体の線は彼がまだ少年であることを示してディートハルトの目を引いた。
「スザク、おかえり!今日は家に帰れそうか?」
「ただいま。ルルーシュ。一つ残っているのを外に出て片付けてくるけど、夜にはね。
Trick or treat!」
 にっこりと返したスザクが、悪戯っぽくルルーシュに言った。きょとんと瞬きをしたルルーシュが困ったように目を細める。
「子どもの遊びなんじゃなかったっけ?俺、お菓子なんて持っていないよ。」
「ふふん。それなら悪戯だね。今日は泊まって行ける?」
「え、あ…ああ///」
 言葉の含みに薄っすらと頬を染めたルルーシュがしどろもどろにこくんと頷く。じゃあちょっと出てきますと、機嫌よく席を立ったスザクを見送って、ディートハルトはルルーシュに言った。
「『トリック・オア・トリート』?」
「どうぞ。」
 ふっとスザクに向けていた笑みとは違う余裕のそれを浮べて、ルルーシュは鞄からクッキーの包みを取り出した。手作りらしいが、先ほどお菓子は持っていないと彼は言ったはずではなかったか。ディートハルトはにやりと口元を吊り上げながら一 つつまんで口に入れた。
「君の手作りかい?」
「ええ。初等部の子どもたちがこっちまでお菓子をねだりに来るので。今は物騒な世の中ですからね、俺たちの頃にも大分ルールがうるさかったけど、今年は昼間にハロウィンパーティーをするんです。」
「上手なものだねぇ。スザク君にも食べさせてあげればいいものを。」
 含んだ表情を向けられて、ルルーシュはスイと猫のように目を細めた。
「だって、いたずらされたいじゃないですか。」
「彼なら喜んで『いたずら』してくれるんじゃないのかい?」
「さあ。スザクってかなり奥手ですよ。あなたが何を想像しようと構いませんが、余計なことは言わないように。」
 スザクの前にいるときとは別人だった。はにかむ様子も困った様子も見られない。くすりと笑って腕を組んだルルーシュは、けれどディートハルトにとっては出会った頃そのままの印象だった。







 八年前のハロウィンの夜。

 ディートハルトは魔女の仮装をしたかわいらしい女の子を見つけた。目を引く稀な美少女だった。時折肩に乗せた(よく大人しく乗っているものだと思ったが。)黒猫をよいしょとずり落ちてくるのを直してやりながら、所在なさげに一人で歩いていた。保護者とはぐれてしまったのだろうか。都合がいい。
「お嬢ちゃん、お菓子をあげるからちょっと付き合ってくれないかな?」
「いいよ。」
 警戒することもなくにっこりと返事をした少女を連れて人ごみを抜ける。別に疚しいことをするつもりはなかったのだが、ディートハルトは少々変わった趣味を持った男だった。彼は子どもが好きである。綺麗なものはなんでも好きだが、綺麗な子どもは大好きだった。これは絶対にテープに残しておかなくては。
 人気のないクラブハウスの裏に魔女っ子少女を連れて行き、ジーとカメラを回す。ぐるりぐるりとアングルを変えながら少女の姿を映し、うっかり夢中になっているところでパシャリ!と音がした。白くて細い太もものあたりをカメラに収めている間に取り出したのだろう携帯から発せられた音だろう。
「一体何を撮ったんだい?」
「ひみつ。ねぇ、いつまでこのポーズをしていなくちゃならないの?」
 少女はコトリと首を傾げて言った。
「そうだな。じゃあその魔法の杖を振りながら『お菓子をくれなきゃいたずらするぞ!』と言ってみてくれたまえ。」
 
※実にマニアックなディート氏になってしまい申し訳ないのですが、あと少しですのでお許しくださいませ(平伏)

「Trick and trick!」
「…ん?違うよ、オア・トリートって」
 少女の言った言葉を訂正しようと言いかけたディートハルトの耳に、誰かが走ってくる音が聞えた。不意に少女がぽいと携帯を放り出してぺたりと地面に座り込む。
「ルルーシュ!無事か!?」
 さすがにちょっとやばいかなと思った。保護者の許可も得ず子どもの映像をなになアングル含めて取り捲り、できれば顔を合わせずじゃあねバイバイと立ち去りたかったところであるが、突然態度を変えた少女が涙目で駆けつけた青年の名前を呼ぶ。頭を下げて済ませたいところだが、先ほどまでにこにこしていたあの少女の豹変は何事か。
 胸倉をつかまれて弱ったディートハルトはちらりと少女に視線をやった。
 (っ!!)
 
にっこりと笑みを浮べていた。ごめんねと、赤い舌を出して形の良い唇が声をなさずに呟く。

 おかしをくれてもいたずらするよ?







Fin.