Trick , and trick !

 枢木家の隣には、ランペルージ一家が住んでいる。
 四人家族で二人兄妹。三つ年の離れた兄と妹は二人揃って天使のようにかわいらしく、礼儀も正しいとご近所でも評判だった。兄のルルーシュは、十歳というまだ声変わりもしていない年齢のせいか、母親譲りの線の細い面立ちが少女と見まがう、とても美しい少年だった。将来が楽しみねぇと目元を緩めて話す母親に、スザクも特に異論はない。異論はないが、それだけだった。大きくなっても所詮は男だ。結婚できるわけでもなし、いくら目をかけ手をかけて、日本が世界に誇る恋愛古典の主人公を真似てみようと残るものは何もない。子どもの相手は疲れるだけだ。スザクはルルーシュがどうして自分を慕うのか不思議に思いながら、同時に煩わしく思っていた。

 今日も階下の玄関に響いた声に顔を顰める。あらルル君いらっしゃい、スザクはいま部屋にいるから上ってちょうだい。母親の機嫌のよい声に溜め息をつく。ぱたぱたと階段を駆け上がってくる足音に、開いていた本をぱたりと閉じて振り返った。
「スザク!今度のハロウィ」
「僕は今忙しい。ルルーシュは学校のお友達と遊んでいなさい。リヴァル君とか、暇なんじゃないの?」
 にこにこと頬を紅潮させて何事か言おうとしたルルーシュに、スザクは素気無く言葉を遮った。子どもは子ども同士で遊ぶものです。
「リヴァルは五年生のミレイちゃんとハロウィンの準備をするんだって。だから僕、スザクと一緒に仮装パーティーの衣装を決めようと思って、」
「ナナリーちゃんと一緒にマリアンヌさんと決めなさい。なんで僕のところに来るの。」
「だって僕、スザクと一緒にトリック・オア・トリートするんだもん!」
ぴくりと眉が動く。スザクは椅子の背に顎を預けながら、一緒にお菓子をもらいに行こう!と、もう気分はハロウィンなのかはしゃいで答えるルルーシュに眼鏡越しの視線を送る。
「いいかいルルーシュ。訊かれたことには、訊かれたことを答えるんだ。僕は君に、僕を子どものお遊びに付き合わせようとする理由を訊ねた。君の答えは、まだ承諾してもいないご近所めぐりの付き添いに、僕を指名したいという希望だけ。言葉は筋道立てて使いなさい。」
 言ってくるりと背を向ける。お隣のルルーシュはばかではないが、子どもにありがちな文脈を無視した話し方をする。どうして山に登るのか、そこに山があるからだのやり取りは義務願望その他論理的志向性を欠いた屁理屈としか思えないスザクにとって、ハロウィンの準備に付き合わされる理由が、自分とトリック・オア・トリーターになるのだという予定どころか既にルルーシュの中では決定事項なのだろう宣言であってはならないのだ。『山があるから(登らずにはいられないくらい山が好きなのだ)』との人情を読み取る努力をあえて放棄している彼は基本的に融通が利かない。ルルーシュ少年が『当日一緒に回るのなら準備も一緒に!』と当たり前のように思っていても、そもそも『当日一緒』の前提が成り立たないなら相手をする意味はないと考える。満面の笑みで駆け込んできた子どもを相手に大人気ないと思うかもしれないが、これがこの小学生と大学生の普段のやり取りだった。ルルーシュはこれくらいでは諦めない。子どものお守りを回避するにはスザクはもう一頑張り必要なのだ。
「ナナリーがね、母さんと一緒にティンカーベルの衣装を作っているんだ。」
「うん、それで?」
 冷たいスザクの態度に拗ねるでもなく、ルルーシュは話し始めた。仕方がないから先を促す。
「そして一緒にご近所を回ろうと言っている。僕は約束をしていない。」
「うんと言って一緒に回りなさい。今からでも遅くないでしょう。」
「でもそれじゃあだめなんだ。」
「どうして?」
「ナナリーがティンカーベルなら、僕はピーター・パンになっちゃうでしょ?」
「それのどこがいけないっていうんだい。」
 また理由になっていない理由を。
 ルルーシュが永遠の子どもの仮装をしてはいけないという、何らかの理由が存在してそれが自分との間で既知であるならまだしもと、思うスザクは頭が固い。だが決して意地が悪いわけでもないから、訥々と話すルルーシュに根気強く付き合っている。
「僕はピーター・パンが嫌なんだ。」
「あの緑のタイツが?」
 根気ついでにちょっと想像力もはたらかせてやる。中々に真剣な顔をして嫌だと言ったルルーシュの気持ちを汲み取ってやったつもりであるが、このしごく無難で面白みのない台詞にルルーシュ少年は首を振る。
「僕は『ピーター・パンが』嫌だと言ったんだ。格好のことじゃない。」
 じっと見つめてくる眼差しは先ほどのスザクの言葉を意識してのことだろう。言葉は正しくロジカルに。スザクは目を細めて警戒態勢に入った。ルルーシュはばかじゃない。これまでにも丸め込まれて(時には泣き落としなんて否応のない手段も使われたが)遊び相手にされている。さすがにもううるうる泣き出すようなことはないが、年々知恵をつけていくお隣の男の子に、某有名大学に通う今になってもスザクは気を抜けないでいた。冒頭の素っ気無い態度は、ルルーシュに纏わりつかれて十年近く、『できれば空気を読んで諦めて』の無言のメッセージなのだ。子どものお守りは勘弁してくれ。会話だって面倒なのだ。
「子どものままが、嫌なんだ。僕は早く大人になりたい。」
 真っ直ぐに見つめられてふうんと思う。その気持ちはわからないでもないが、さてどちらで対応しようか。
 @衣装を身につけただけでピーター・パンになるわきゃない。
 A兄妹そろって同じ設定を選ぶ必要はそもそもない。
 (Aだな。こっちの方が話の進みが速い。)
 スザクは言った。そろそろルルーシュの負けが見えてきたと思ったので少しばかり優しく。
「ルルーシュ。だったらマリアンヌさんに言ってごらん。僕は他の仮装がしたいんだって。まだ準備していないんだったら、マリアンヌさんが無理を言うはずは」
 言いかけて、ふと視界に入ったものに嫌な予感がした。ルルーシュが手に持っているもの。
「うん。母さんはきっと何でもいいって言うと思う。でもね、僕、スザクに選んでほしかったから母さんに言ったんだ。」
「…なんて?」
 しまったと、思った時には遅かった。にっこりと手渡された蓋つきの器に負けを認めよう。ルルーシュが眼鏡を外して米神を揉んでいるスザクに嬉しそうに笑った。
「ね、スザク。ここまでの話じゃ全然『ろんりてき』じゃないけど、説明したほうがいい?」
「いや、いいよ。何を隠しているのかと思っていたら。覚えておくんだ、ルルーシュ。事後承諾は社会に出たら通用しません。」
 はぁと一つ溜め息を付いて器の中に鎮座しているものを口に放り込む。ついでにスザクもまだもらとりあむだから通用するんだよねと、どこまでわかって言っているのか怪しいルルーシュの口にも差し入れてやったらちろりと、一瞬。指にルルーシュの舌が触れた。
「っ えっと、マリアンヌさんによくお礼を言っておいて。ご馳走様でしたって。」
「『こちらこそルルーシュの衣装選びにご近所めぐりに付き合ってくれて、どうもありがとう』って、母さん言うだろうから先に代わって言っておくね。」
 つまるところ賄賂である。マリアンヌのお手製季節のお菓子。栗の鬼皮向きから始まりワインでことこと煮込んだ栗の渋皮煮だ。家の外に仕事を持っているマリアンヌが思い立って簡単に作れるものではなく、いつもは茹でて楽しむだけのものに、手を加えてくれたところにスザクの敗因があった。つまりこれはスザクの好物なのだ。早とちりをしてはいけない。いくら好物と言ってもたかがお菓子につられて、疲れる子どもの相手をしてやるほどスザクは単純な頭をしていない。それはルルーシュもわかっていたから先回りをしたのだ。
―ルルーシュ、ハロウィンの仮装とパーティーはどうするの?
―えっとね、スザクが一緒にしてくれるって!
―まあそれはどうもありがとうってお礼を言うのよ。それじゃあ母さんはスザク君の好きなお菓子を作るから持っていってちょうだいね。
 こんな会話が一昨日のランペルージ家の居間で交わされたわけで、正確にその状況を思い当てたスザクはもう予定が合わなくてとは言い出しにくいこともわかっていたのだ。自分の母親とルルーシュの母親の仲が非常によいことは知っている。もう単位も取りきって授業に出る必要のないスザクの生活など、全て筒抜け。『お隣の天使ルルーシュ君』の味方である母親はスザクの敵だ。部屋にばっかりこもっていないで、たまには外に出かけなさいと、いい笑顔でたたき出すに違いない。理論武装とまでは言えないけれど、手土産を差し出すタイミングといいこれは立派な政治屋になれるのではないかとぼんやり思う。statesmanじゃなくてpoliticianの方だとつけなくともよい注釈を頭の中で呟きながら、スザクは指に付いた甘いワインを舐め取るべきかふき取るべきか悩んでいた。枢木スザクはばかではない。頭は固いが明晰だ。だから無駄にあれこれ悩みもするし、固い分常識ばかりは無駄に染み付いているおよろしい頭で考える。そしてほとんどの場合方向性を見失うのだ。
 (別に舐めたっていいんだ。汚いとは思わない。ルルーシュは健康な小学生だしちょっと舌が触れたぐらい何を気にする。回し飲みだって普通にするだろ、キスなんて驚くほどのことじゃない。でもルルーシュは男の子で僕も男で、女じゃない。ここで明らかに間接キスなんてことを仕出かそうものならルルーシュが気にするんじゃないか?いや待て、本当にちょっとだったから指に舌が触れたことに気づいていないかもしれない。なら僕がここで手に付いた砂糖とワインを舐め取ったとして何ら問題はないはずだ。多少行儀の云々があるとは言えいいとこのおぼっちゃんおじょうちゃんじゃあるまいし普通の大学生なんてこんなもんだ。女の子だって指くらい舐めるだろう。ティッシュでふき取るにしてもべたついて洗わなければならなくなる。いっそ水で洗ってくるか?いやそれは不自然だ。なぜ今拭くか舐めるかで悩んでいるのかと言えばそれが明らかに大げさでもしかしたらルルーシュを傷付けてしまわないかと危ぶんだためで、そうか、ならもう一粒口に入れてそのまま舐め取ってしまえばごくごく自然にこの場は収まる僕がルルーシュとの、すなわち同性で十一歳年下の子どもとの間接キスを厭わないというのなら…いや、厭わないの僕?それもどうなんだほんとに嫌じゃないのか、これが同い年の野郎だったらどうだ?薄ら寒い。絶対しない。いやそもそも悩まないな、食べさせてやることがなくそのつもりもないから問題自体が発生しない。ならなぜルルーシュにはそうしてやったんだ、それはこの子も甘いものが好きなことを知っていたからで…いやこれは理由にならない関係ない。そう、まず追及すべきなのは動機だ。僕がなぜルルーシュ・ランペルージに栗をつまんでやったか。物ほしそうな顔は、していなかった。食べさせろとも、言われなかった。そうだ、きっと自分だけ食べているのが居心地悪かったからなんだ、そうに違いない。お礼を言うからには可能な場合ちょっと一口食べてみておいしかったよと云うのが礼儀であって、さっきはその可能な場合に該当している。食べるしかなかったんだ。そしてあくまでもついでに、すぐそばにいたルルーシュの口に手ずからお菓子を放り込んでやった。…そうだろ僕?器ごと勧めればよかったなんて、何も直接食べさせてやる必要がなかったなんて、あの時は思い浮かばなかっただ)
「…ルルーシュ、いま、舐めた?」
 思考を中断、させられてじっと自分の指を見る。いや、もともと見ていたが頭は他のことに占められていた。
「だってスザク、どうしようかすごく悩んでいたみたいだったから。」
 あっけらかんとルルーシュが言う。そう、悩んでいた。自分がホモかショタの気があるのではないかと。
「あるよね?」
「なっなにがっ?」
 思わず声が裏返る。何があるって!?まさかお前はエスパーかッ!?心を読んだかのような絶妙なタイミングで声をかけてきたルルーシュに、スザクは素早く身構えた。
「ほら、猫とかが子どもの顔を舐めてきれいにしてくれることとか。スザクって頭固いから何か余計なことを考えてトリップしちゃったのかと思って。」
 だから代わりに舐めてあげたんだけどどうかした?
 にっこりと笑ったルルーシュはまさに天使の笑顔だった。無邪気でかわいらしい子どもの顔。何の含みも企みもない、十歳児にそんなものがあってたまるか。(先ほどの罠は置いておく。ちょっと頭が回るだけのことだと、スザクはこの時そう片付けた。)
「そ、そうだよな。いやごめん、ちょっとびっくりしただけだから。」
 そうだ。相手は子どもだ。指を舐めるくらいなんでもないのだろう。無駄にあれこれ考えてしまった自分の方がよっぽどおかしい。気を取り直して話題を変える。
「それじゃあルルーシュ、何の格好をするか考えようか。あんまり日もないし…希望はあるの?」
「うーんと、特にない。だから一緒に考えてって言ったのに。」
「あ、そう。じゃあ店を回りながら決めようか。」
 ルルーシュの格好を確めてさっさと立ち上がる。ルルーシュも黙って後に続いた。まさかマリアンヌもスザクに布から子どもの服を作れとは言わないだろう。もしかしたらナナリーの衣装を作るだけで手一杯なのかもしれない。ルルーシュが下げていた小さな鞄を見るに、ルルーシュの衣装はスザクお兄ちゃんと一緒に買ってきなさいということなのだと思う。今の季節は、この日本でも少しずつ浸透してきた欧米のお祭り騒ぎにどこも商戦を繰り広げている。選択肢には困らないだろう。

「ドラキュラ、ウルフマン、フランケンシュタイン、ミイラ男…」
「スザクは狼男がいいかな。」
「僕はしません。ルルーシュの保護者だろ。」
「えー。いじわる!一緒に仮装しようよぅ。」
「あのね、僕はもう二十歳過ぎてるの。ハロウィンは子どものお祭り。」
 むぅ、とふくれっつらなルルーシュの頭に手を載せて言い聞かせる。目の前のディスプレイにはいかにもアメリカンといったチープなパッケージに、黒を基調としたコスプレ道具が並んでいた。ルルーシュにはどれが似合うだろうか。ぱっと思いついたのは黒猫なのだが男の子にそれもどうだと思う。
 (…というより、思いつく自分もどうだって話だよな。)
 ふーんだ!と拗ねるように目をきょろきょろさせながら傍を離れてしまったルルーシュを眺めて思う。まだなよなよとして胴や頭に比重のくる子ども体型とは言え、すんなり伸びた手足に色白の肌。美少女と言ってしまって差し支えのない中世的な相貌に、何より雰囲気そのものが猫なのだ。人懐こく纏わり付いてくるけれどもいつもそうなのかと言われればそんなことはなく。あれと首を傾げるようなところでするっと離れて距離を取る気まぐれな様子は、スザクが可愛がりたいのに可愛がらせてくれない猫によく似ている。ふと黒猫の、全身タイツ、猫耳付きのパッケージが目に付いたから手に取って 眺める。
 (尻尾…凝ってるな、針金入りか。手も肉球つき、耳の毛の手触りもいいし、これでルルーシュが『トリック・オア・トリートだにゃん!』とか言ったらかわいいだろうな。)
「……。」
 自分の思考に、思考が止まった。
「スザク、どうして固まっているんだ?」
 ガタガタッドサッ---
「…ほんとに、どうした?ほら、お店のもの踏んじゃだめだよ。」
 いつの間にかすぐ傍に来ていたルルーシュが、先ほどの拗ねた様子はもう欠片もないいつもの調子で、うっかり驚きのまま後ずさってしまったスザクを見下ろし困ったように首を傾げた。そのまま床に落としてしまった商品を拾って元に戻している。ただの一枚布のシーツにしか見えないお化けにミイラ男の包帯、ウルフマンの毛むくじゃらの着ぐるみに、ああさようなら猫の耳…
 



 ※このあたりまで書き掛けて終わりが見えなくなったのでやめました。本編のルルーシュ並みに頭の中でぐるぐるするスザクさんを書きたかったんです…(平伏)