【母の日シリーズ:ママが台所で遊んでいました。】
価値観の相違と云うには大げさな
僕の父さんは海辺の町で育った人なので、食卓に魚介類が並ぶと嬉しそうな顔をします。川魚でも喜ぶのでただ単に魚っぽいものが好きなのだと思うのですが、残念なことに僕の母さんは父さんの好きなある料理を作れません。作ろうという意識が無いものと思われます。食文化の違いだろうと思うのですが、お刺身が食べられないのとは少し違います。
貝の話です。アサリとか、ハマグリとか、しじみとか。
母さんのルーツであるフランスでも二枚貝の一種を食べないということはありません。ムール貝などはヨーロッパ中でメジャーな魚介類の一つでしょう。だから母さんも出されればちゃんと食べますし特に首を傾げることもないのですが、いかんせん日本ではマイナーな食材の一つです。日本と言えば上記の貝をよく食べますが、母さんにはどうも馴染みが薄いようで、料理には凝る人なのにも関わらず今まで家の食卓に彼らが登場したことはありません。母さんは日本で生まれて日本で育っているはずなのですが、それ以上に個人的な不思議のせいで今日も魚売り場のアサリの前を素通りしてしまいました。そろそろ寒くなってきたし(季節は秋口だと思ってください)、貧血にもいいという新鮮なアサリが目に留まったので、おなかが大きくなってきた母さんのためにも今日は酒蒸を作りたいと思います。父さんも帰ってくるのでお気に入りの日本酒の肴にでも出してあげたら喜ぶと思うのです。いつも思うのですが僕は出来た息子だと思います。
と、思っていたのですが。
…困りました。
「母さん?何してるの?」
夜の間に砂を吐かせておこうと、僕は海水と同じ3パーセント強の塩水に買ってきたアサリたちをつけておきました。元気がいいので、吹き上げた潮水が飛ばないようにシンクに下ろして置いておきました。明日には砂もしっかり出ていることでしょう。特に気にも留めず風呂上りにミネラルウォーターを飲もうと、僕はキッチンに足を向けたのです。そこで、なぜか椅子をもちこんで座り込んでいる母さんに出くわしました。細い体には心配になるほど膨らんだおなかを抱えて流しの前にちょこんと座り込んでいたんです。誰だって何をしているか気になるでしょう。当然僕は訊ねました。
「うん、のびのびしているなぁと思って。えい。」
母さんはバットの中で寛いでいる、明日の夜には食卓に上るであろうアサリたちを覗き込んで、のびのびと伸ばされている彼らの足をつついて遊んでおりました。
「だめだよ、いじめちゃ。」
僕は止めました。アサリが緊張して殻に閉じこもってしまったら困るからです。砂はしっかり吐かせないとおいしい貝料理は作れません。それにピューと噴出した潮が母さんの目に入ったりしたら大変です。
「でもおもしろくて。お、こいつ元気いなぁ。えい、えい。」
なのに母さんは指先でちょいちょいつついてやめようとしません。あ、危ない目に入るッ
「 と、だからだめだって。」
寸でのところでてのひらを割り込ませてガードしました。手を洗うようタオルを差し出すと、ようやく母さんはアサリで遊ぶのをやめてくれましたが、今度は困ったことを言い出しました。
「なぁアズマ。ペットがほしかったのか?」
「へ?何で突然…」
「うん、私は犬が好きなんだが。スザクは猫が好きみたいなんだが、」
それはなんとなくわかるような気がします。母さんによく似ている生き物だと思うのです、猫。気まぐれで素っ気無いくせに、構ってくれないと擦り寄ってくるツンデレ属性。よもや母親でこんな分類をする日が来るとは思いませんでしたが、僕の母さんはまさにツンデレの見本のような人です。父さんは実に幸せ者です。基本的に母さんのデレの部分を堪能できるのは父さんだけなのです。
話が逸れてしまいました。
「うん。それは知ってるんだけど、なんで今ペットの話?」
アサリの話をしていたのだと記憶しているのですが、母さんはたまに話が飛ぶので付いていくのが大変です。このときもそうなのだと思って説明されるのを待っていたのですが、どうやらちゃんとアサリの話の続きのようです。
「だって、この子たちを飼うつもりなんだろう?」
「…は?」
「元気もいいし、よくみるとかわいいし。私は構わないんだけど、ちゃんとスザクにいいか訊いた?こんなにたくさんいると一匹一匹見分けるの大変だよなぁ…。」
そう言ってまたアサリたち(くどいようですが食用です。ちなみにアサリは「一粒二粒」と数えます。)を覗き込んだ母さんに、僕は躊躇いながらも明日の夕飯のメニューを話しました。
*******
「で、ああなってるわけか。」
父さんが帰ってきました。母さんはリビングの隅でなにやら縮こまっております。かわいがっていたアサリたちの末路にショックを受けた模様です。
「料理しているところは見せないようにしたんだけど…。」
「大丈夫じゃない?行儀はいいから出されたらちゃんと食べると思うよ。アズマがルルのために作ってくれたんだろう。」
「万年貧血気味な人だからねぇ。父さんも好きだろアサリの酒蒸し。」
「うん。優しい息子で嬉しいよ。」
父さんはにこにこ笑っていますが僕はちょっと心配でした。お酒もくせのないものを選んで、柚子唐辛子も利かせ過ぎないように注意して拵えた一品ですが、母さんが涙ながらに口にするくらいなら全部父さんの胃袋に押し込んでしまったほうが僕としては心苦しくありません。が、意外とその心配は杞憂に終わりました。
「あ、カニ。ちっちゃいの、ほら。」
母さんが、アサリをつついて(調理済みのものです)おそらくアサリが食べたのだろう小さな小さなカニを取り出しました。
「肉食だからねぇ。あ、こっちにも。」
父さんと母さんは仲良くアサリの食生活について語っています。ちんまりとしたカニを最後にどうするつもりなのか知りませんが、貝と云う代物はよくよく見るとけっこうグロテスクな生き物だと思うのです。それをまじまじと眺めながら口に運ぶことができるあたり、母さんは神経が太いのかもしれません。
「ご馳走様でした。」
「お粗末さまでした。おいしかった?」
僕は訊ねました。だってやはり気になります。
「ああ。ありがとう。でも、私は作らないからな。」
貝料理は僕の担当になりそうです。母さんはいい笑顔で言いました。
「飼いたくなっちゃうもん。」
洒落であることを祈るばかりです。
fin.