パパの帰還【本番編】
『父さん待ってるぞぉー!』
の、熱烈なご招待を受けて引き攣った顔をクラスメイトに目撃されたスザクはしかし、しごくまともにそして無難に、自宅で父の帰宅を待つことにした。政庁に迎えに来るよう偉い人に言われたわけでもないし、ランペルージ家を取り仕切る執事のハンスも「今日は旦那様がお戻りになりますから、寄り道しないでお帰り下さいね」と、スザクの携帯電話に連絡をよこしたのだ。朝、登校前に言われたのではない。今日父が本国から帰還するのだとどうして知らせてくれなかったのかと。電話口でなじるスザクに苦笑しながら初老の執事が答えることには、お達しでございましたからと一言で。現総督代理にすら事前の知らせはなかったのだと声を潜めるように教えてくれたハンスの言葉で、聡いスザクは口を噤んだ。あくまで相対的にという意味だが、父はラウンズの中では親イレヴン、親ナンバーズの筆頭だという。各自与えられているエリアの統治形態にはある程度の裁量が認められ、ナンバーズの待遇はエリア総督の意思が反映される。純粋な日本人であるスザクを養子にとったことがその証であり、十年前ブリタニア宮へ出向する時点で後継選択の余地は既に本国総務省に移っていたというから、父の留守を守るべく送り込まれた純血派のカラレス総督代理はイレヴンとブリタニア人の間の格差是正に心血を注いだ若きラウンズの努力を泡と掻き消して何ら心痛まぬのだった。ブリタニアは皇帝をトップに据える中央集権国家であって、ラウンズと呼ばれる時代によって頭数の流動的な実力者を地方に送り込むのは決して分権制度のはしりではない。よもや帝政の根幹を揺るがすほど総督と帝国の筆頭騎士を兼任する彼らに権力を与えるわけには行かないのだ。それゆえに与えられたはずのエリアを十年単位で留守にしその間一度たりとて治世に関わることができないのは、場合に寄れば帝国宰相以上に権限を発揮することもある彼らを牽制するためである。エリアは自治領ではない。女王とその皇子に心を捧げる忠義を強いることこそが矛盾。自然と備えていて然るべきそれを、外圧を加えて飾り立てる意味はない。……父ルルーシュがこの地を任されて一年にも満たぬ間に総督の椅子を取り上げられたのにはそれなりの理由があるのだと、そういうことだった。軍人であり政治家。二足の草鞋を履いて立ち回り、上からの制約と折り合いをつける。ラウンズにとって武力はあって当たり前のものであり、求められるのはむしろ政治能力である。それは事実だ。
つまり、ナイト・オブ・イレヴンは此度の帰還において少々の無理を押して時期を早めたということなのだろう。それが必要であるから。無駄のある行動は彼らを死地に追いやる。自由は獲得したものか。十年の間に皇宮において足場を築いたか、女王陛下を味方につけたか。
どちらにしろ一臣民であるスザクの考えの及ばぬところではあるが、彼の目から見ても現総督代理のイレヴンに対する処遇には目に余るものがあった。十年前に一度大幅な増加を記録してから、名誉ブリタニア人の増加率は低下の一途を辿る。申請者がいないのか審査を通らないのか。それでいてイレヴンの人口増加は必ずしも右肩を下げていないのだから、政府が関知していないイレヴンがゲットーか、あるいはアンダーグラウンドに流れているとはさすがにただの学生であるスザクの知るところではなかったけれど。全体像を知る者はごく限られている。そこにこそ総督帰還の理由があることをスザクが知ることはない。ルルーシュ・ランペルージはしたたかだった。自分を本国に縛り付ける理由を二つばかり的を絞って考察した結果、一つには苦笑を洩らし受け入れて、もう一つには代理の権限では触れることのできない立法措置を残してこの地を去った。すなわち受け入れた名誉ブリタニア人の絶対的な人権の保護。一度名誉として登録されてしまえば社会保障も公的扶助、セーフティネットもブリタニア人同様に保証する。課税措置は最長五年間の控除。取り込むことを優先に、搦め手だと批難するには長引く戦後に些かくたびれていた日本人はこの総督の下ならと、当時こぞって統治政府に走ったのだ。そして現状が示すのは総督不在の間、結局入り口の段階で制限をかけるほかは総督代理の恣意を通す余地はなかったということ。どちらにしろ素人にもわかる単純な図式として、屈し譲る者には寛容であるべきブリタニアが名誉ブリタニア人制度の趣旨を曲げてまで受け入れを拒む理由は本来ならばどこにもないのである。だから、何かある。既に二十年前に戦争は終わっている。日本を知らない日本人は年々増えているというのに。スザクとてその一人であり、戦後に生まれた彼が日本語を話し多少なりとも日本の文化を吸収して育ったことがこのエリアの混乱を如実に物語る。七つの年まであちらこちらに身を寄せながら生きてきたスザクは、だからブラックリベリオンをその目で見、前後で目まぐるしく変化したエリア11の在り様を体験してきたマージンの世代に当るのだ。
――そこまで考えて、スザクは昼間の光景に失望するのは些か妥当性を欠くことなのではないかと思い直した。カラレス総督代理がイレヴンに対して矯正エリア並みの圧制を敷いていることは周知の事実であり、水面下ではイレヴンの不穏な動きも出ているとはまだ深夜の冴えないコメンテーターが熱弁を振るうに留まるが、確かに租界外延部ではイレヴンとブリタニア人の小競り合いが頻発している。ここ最近のことだ。幸い死者は出ていないものの外傷沙汰には発展していて機が熟せば小競り合いがテロと報じられる日も来るだろう。少なくとも務めて中立の視点でスザクが観察する限りにおいてはここエリア11は衛星エリアと呼ぶには些かきな臭く不安定だ。ブリタニア人は租界を出ない。新たな租界の建設は延期の方向に流れている。つまり。
「ルルーシュ・ランペルージは必要に迫られて帰って来たということだ」
間違ってもスザクに早く会いたくて無茶をしたわけではない。パフォーマンスだ。わざわざ学園に潜り込んで、中流以上のすなわちこのエリア11の主要な役職に就く親を持つ生徒たちに子煩悩と云うには過ぎた振る舞いを見せ付けて。油断を誘う算段に違いない。少なくとも、史上最年少で円卓に名を連ねたあの人が、あんなふざけた人物であるはずがないのだ。カラレス総督代理の意表をつくためか、あるいはもう何がしかの準備は終えたということか。
「…俺もちょっと、映画の見すぎかもしれないな」
スザクは間違いなく国家の機密を扱う立場にある父を目にしたことで、好奇心と期待に胸を弾ませている自分に苦笑した。
と、まあ息子が自分に対する評価をぐぐっと上げて、そういうことなら付き合ってあげてもいいからねと寛容な気持ちで帰宅を待っているとも知らず、パパは副官にくどくどくどくど説教をされていた。
「わざわざ戻りを一月早めた理由をおわかりですか!閣下がおっしゃったのですよ!カラレス代理にも秘密裏にエリア入りするのがどれほど困難だったか。それもアッシュフォードの制服など一体いつの間に、」
「理事長にね」
「ばれないと思ったのですか」
「カラレスは徹底して私の情報を遮断したらしいな」
「三十路男が高校生を騙ることですよ」
「…まだ二十七だ」
カレンはひくりと頬を引き攣らせて訂正を入れた上官に少しばかり溜飲を下げた。年のことを言われるのはやはり面白くないらしい。まあこの男がやたら若く見えるのは理由がある。血筋もある。彼の母親もラウンズの一人で親子二代皇帝の騎士。実の母子だ。ルルーシュを生んだ後、『閃光』の二つ名を頂いたナイトオブラウンズ、マリアンヌ。当代最強と言われるルルーシュ・ランペルージを育て上げた女傑は息災だろうか。
「話は変わりますが、カラレス代理から再三面会の申請が来ておりますが」
カレンの言葉に上官は目を細めた。気を引き締める。おふざけはここまでだ。
「シュタットフェルト、最優先で私に報告を上げるべき事柄だと思うが」
「あくまでも非公式の要請でしたので」
早朝関東軍管区の軍用ポートから総督が帰還したことを知るや否や、蒼白な顔で『閣下にお目通りを!』と懇願していたカラレスの様子を思い出す。カレンはあっという間に姿をくらました上官の行方を正確には推察し得なかったのであるが、学園という選択肢はあった。確認も午前の内に取れたし、引きずり出すのを午後まで待つ必要はどこにもなかった。学生のテリトリーというものは意外に死角になるものなのだなと考える。
そもそもカラレスの必死の要求を取り次ぐ気がなかったのだ。誰から見ても突飛で、副官のカレンにすら予測不可能と思わせる行動はルルーシュ・ランペルージの計算されたシナリオの一つ。
「明日の朝、会おう」
「イエス・マイロード。そのように。」
「ところでカレン」
…パパはパパで、確かに息子がハリウッドばりにスリル満点で想像していた任務も念頭に置いた上で懐かしいエリア11の地を踏んだのだけれど、昼間のあれは演技じゃない。息子には悪いが百パーセント本気である。『できる男』の顔が息子の盲目を誘い少々無理のある納得を促しただけ。今カレンの前で苦笑しながら一人称にも表れる通り公人の立場を意識しているから大人しく説教まがいの説明を受けているだけである。今夜のTV取材。『十年間離れ離れだった親子の再会!』と銘打った今晩のニュースのトップである。既に総督帰還の報は流れているから人々は久方ぶりに見る帝国の誇り強さの象徴であるナイト・オブ・ラウンズの姿を一目見ようと視聴率はなんと八割を見込んでいる。正式な会見は明日に予定されているが一先ず家族の再会をメディアに載せる意味は、殊勝に己の役割を飲み込んだスザク少年の想像の通りではあるのだけれど。カレンが思うにこの上官は好意も悪意も利害が一致するなら心置きなく利用する。それが打算の欠片もなく懐に入れて慈しんでいる息子であっても変わりはない。彼女がおそろしいと思うのは彼の優先順位が戦場という極限状態におけるそれだということだ。死ななければそれでいい。最低限度の生命線。零れ落ちてゆく大切なものに彼の思考がひどく即物的になることを知っているカレンは、今でもその片鱗を覗かせる言動に内心の動揺を押し隠すのだ。
ただ、今はぽやぽやとうまい具合に父親の顔と総督の顔を取り混ぜた様子でいるのであるから、不安になるのは間違いと云うものだろう。
ころっと空気を変えて甘えた顔をしているルルーシュにカレンは苦笑を零した。
「スザク、なんて呼んでくれると思う?」
「あんな威厳のないあなたを見た後ですからね」
「『パパ』って呼んでくれると思う?」
「それは少し砕けすぎじゃありませんか」
「賭けよう。『父上』と呼ばせてみせる」
「では私は『父さん』で」
「カレンが勝ったら半月後で悪いが丸一日オフをやろう」
「魅力的な申し出ですね。じゃあ私は今朝勝手にキッチンを使ったことを水に流して差し上げます」
「ありがたい」
「ハンスを味方につけたあなたに分がありますからね」
あははと声を上げて笑った上官に目許を和らげて、カレンは到着までの時間を予告した。
そして、パパの帰還である。
◆◇◆◇◆◇◆
スザク少年は感動していた。ああやっぱりこれが本当の父さんなんだと心が震えた。翻るマント、落ち着いた歩み、きりっと引き締まった口元に隙のない礼装。
執事のハンスが居並ぶ使用人の先頭に立ち、恭しく頭を下げる。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「留守をよく守ってくれた。息子のことはお前にすっかり任せてしまったからな」
「スザク様はとても賢い方です。そしてお優しい。我々一同喜んでお世話申し上げたまでのこと」
初老のハンスはスザクにとって祖父のような存在だった。イレヴンに偏見を持たずさすが父の選んだ使用人頭だと思う人物。ブリタニア語もはじめは不得手で、貴族階級の子息の身につけているべきマナーも知らないスザクに懇切丁寧に教えてくれた。幼い年の割には聡かったスザクは恩義も感じて一生懸命学んだのだけれど、それを誉められると面映い。父の穏やかな眼差しが向けられると自然に身体が緊張した。
「大きくなったね、スザク」
落ち着いた声だ。ほころびなく通った低い声。昼間のあれは幻聴だ。
「無事のお戻り、心よりお喜び申し上げます。父上」
気恥ずかしいが、見られているという緊張感は口を滑らせる。そうだ、これがこの人の本当の姿だ。スザクは黒塗りの自動車から降りて、今度こそまともな身なりでマントを靡かせ歩む父の姿にちょっとばかり見とれてしまった。やはりこうでなくては。昼間の学生服なんて見間違いに違いない。年相応の貫禄と威厳、そして落ち着きを持って目の前に立つ姿が本物なのだ。カレンにずるずる引き摺られていったのなんて擬態でなければ白昼夢だ。
頬を染めながら口上を紡ぐスザクにゆるりと笑って、父がそっと肩に手を乗せた。
「十年間、まだ幼かったお前を一人残してこの地を離れてしまったことはすまなく思っている」
「そんな!父上が僕に詫びられることは何もありません。女王陛下の騎士である父上のことを、僕は誇りに思います」
スザクは昼間とは打って変わった恭しい口調でそう返した。もう口から勝手に言葉が飛び出る。カリスマだと思う。こんな父親なら素直に尊敬できるし憧れもする。誇りに思うというのはスザクの今の本心だ。見ず知らずの女王陛下や皇子殿下に対する忠誠心は、父を通して滲み出ようと云うものだ。
「物分りの良すぎる子供と云うのは、親として少し、淋しいものがあるね」
と、僅かに眉尻を下げて言うのを聞く。
もうスザクの記憶からは昼間の記憶が消えていた。都合よく消去された。そして上書き。今目の前にいるのが自分の父。気高く有能で誉れ高い帝国最強の騎士。彼のような素晴らしい人物を父に持てたことは幸せだ―――…と、感動していたのだ。この時までは。
不意に父が片腕を上げた。パチンと指を鳴らす。ああこんな仕草も様になるなぁと、すこしばかりのぼせながら見上げていたスザクはその謎な動作の意味まで気が回らなかった。
「はい、カットー!」
「 え?」
「お疲れ様でした、総督閣下!」
「いやぁ、いい絵になりましたよ。これでエリア11の市民は閣下の知られざる一面に夢中になるでしょう」
「な、なんだ?」
しんと静まり返っていたはずの、ランペルージ邸の玄関ホールで、どこにいたのか次から次へと撮影器具を手にした者が現れる。プレスの腕章をした、報道記者か政府の報道官と思しき何人かが笑顔で父に頭を下げる。まさか。
「驚いた?ごめんな、TV放送が入るって教えてしまうとスザクが緊張してしまうんじゃないかと思って黙っていたんだ」
「テレビ!?」
「大丈夫、スザクとってもお行儀良かったぞ!」
「行儀って…ち、父上、」
「カレン、聞いた?俺の勝ちね」
「本人の前ですよ」
わらわらと集まってくる人の中にあの赤い髪が覗く。呆れたように応えるカレンと父の会話は何を指すのだ。そしてやっぱり一人称は『俺』なのか。
「あの、」
「父さんって呼んでね、スザク。パパでもいいよ」
にっこりと微笑まれて追及するタイミングを逃してしまう。でも『パパ』は嫌だ。
「父さん、あの、」
「嬉しい」
にこにこと人懐こい笑みは、先ほどまで浮かべていたものとは全く違う。ちょっぴり甘えの入った幼い笑みで、まさか、やっぱり、とスザクは一歩距離を取る。
「父さん、今しがたはとってもまともそうな言動だったけど、」
「うんそれは、この放送は女王陛下のお目に入るものだと脅されてしまったから」
「それはつまり、」
「父さん頑張っちゃったんだよ。誉めて!」
「つまり、つまりそれは……うわー!抱きつくな!苦しい!暑苦しい!」
スザクはにっこりと笑みを深めて一歩近づいた父に嫌な予感がしたのだ。誉めて?当たり前のことをしていて、誉めてほしいだ?昼間の破天荒な人柄が垣間見える。まずい、まさか、もしかしなくても…ああやっぱり!
「ひどい!『父さんお帰り』って言ってくれ!」
「おか、お帰り…いやいやカメラが逸れたら別人かい!詐欺だ!」
「公私を弁えていると言ってくれ」
「しれっと言うな!俺の感動を返せー!!」
「よろしいですか。ご自宅の前には報道機関を呼んであります。全国放送です。女王陛下もご覧になっておられます。くれぐれも!閣下は大人しく、いいですか、決して走ってはいけませんよ、大人しく!自動車を降りて玄関で迎えるスザク君のところまで歩いてください」
「さすがの私でも人前で見苦しい真似はしないよ」
「見苦しいとわかっているなら自重してください」
「やだ」
パパ、この夜は息子のベッドに潜り込むんだな。