こんな、こんなはずじゃなかった。
血が滲むほどに拳を握り締める。ミシリと口の奥で音が鳴る。堪えるために噛み締めた。ここで、ただ激情のままに叫びを上げることは許されない。やり場のない憤怒も、身を灼く後悔も、もう表すことは許されない。名前を呼んで駆け寄ることも、もう。
彼女が、そこで。微笑むのなら、自分もまた。
Sorry,sorry.My ...
豪奢な装飾を施された部屋に、一人の少年と一人の壮年の男がいた。
少年は黒にも見える濃紫のマントを肩に羽織り、まだ成長期にある細身の身体を漆黒の、それでも光を集めてうちから輝くような瀟洒な衣装に包んでいた。軽く窓ガラスに触れている指先は白く、俯く細面にかかる絹のような髪は大地の深い色だった。長いまつげに縁取られた双眸にどんな輝石の色を秘めているのか、男からは見えなかった。だが知っている。ずっと昔、男が小さな子どもだった頃から馴染んだ美しい色。暮れなずむ空の色とも、希望を含んでやわらかな夜明けの色とも、男が讃えて深く愛した輝きだった。
「陛下は、母上の元へいけたのだろうか。」
冬の澄んだ空に瞬く星々を見つめながら、少年が落とすように呟いた。男も、囁くように言葉を返す。
「皇后殿下はお優しい方でした。きっと、陛下の御許で佇み御手を取られてヴァルハラの地へと誘われたことでしょう。」
「そうであればよいな。お二人が永久(とこしえ)に安らかであればと心から願う。」
目を閉じ、遥かな星々の狭間から微笑みかける二人の姿を思い描く。
「私も、穏やかに、優しい世界で過ごされることを願って止みません。」
懐かしさと慕わしさ、そして確かな悲しみを胸に聞いた男の言葉は、少年の心にやさしく響いたのだろうか。
******
大事な話があるんだ。とても、大事な。あとで-----------
なんだい、怖いな。
自分はそう応えたのだったか。あくまでも軽く、流してその場を去ったのだ。そこは平和な箱庭だった。重い空気など必要のない安らぎの場所だった。壊されかけて取り戻した、優しい姉妹が微笑んで迎えてくれるただ一つの楽園だった。
「おっはよう!誉れ高き真白の騎士殿!」
自分が現れた途端にざわつき始めた教室に、駆け寄ってきた気のいい友人の言葉でああそうかと納得する。
「もうそんなに知られているんだ。そんな・・・大したものではないんだけどな。」
集まる視線に居心地が悪くなり、早口で返して教科書の類を取り出す手に集中する。
「なぁに言ってんだよ。騎士だぜ?ナイトメアのパイロットだったってことにも驚いたけどさ。格好良かったぞ!」
技術部なんだ。だから危ないことはないから。
ほっとしたように顔を綻ばせた彼女を思い出して、ツと胸を刺すものがある。まるきりの嘘ではなかったけれど、一番大事なところを曲げて伝えた。
「ユーフェミア様の筆頭騎士かぁ。いやいや羨ましいねこいつ!」
「羨ましいなんて、そんな。・・・でも、とても光栄なことだとは思っている。僕みたいな名誉ブリタニア人を取り立ててくださったこと、認めてくださったことは、心から感謝しているよ。」
「いや、そこはお前の頑張りももちろんあるんだろうさ。よくやったよ。これからも誠心誠意ユーフェミア様にお遣えするんだぞ!」
「ありがとう、リヴァル。頑張るよ。」
本心からの言葉だった。
本当に嬉しかったのだ。認めてもらえたことが、自分の選んだ道を、ともに歩こうと言ってくれたことが。
「あ〜あ。これからきっと忙しくなるなぁお前。生徒会の貴重な人手が減ってしまう。ニーナも相当羨ましがるんだろうな。お、ルルーシュおはよ!」
はっとリヴァルが声をかけた方に振り返る。大事な話があると言われて別れたままだった。ユーフェミアに呼ばれてわたくしの騎士になってくださいと言われ、そのまま騎士侯位授与式を迎えたため、あれから会うのは初めてだった。どんな顔をしているだろう。
「おはよう、リヴァル。スザクも。」
「おはよう、ルルーシュ。あの、」
「ああ。もう授業が始まる。放課後、ちょっといいか。」
「うん。あ、でもあまり時間は・・・」
リヴァルに言われたように、ユーフェミアの筆頭騎士としてこれから親衛隊を結成しなければならない。ごめんなさいねと、最後くらいは学校の皆さんに会ってきてくださいなと送り出された。すまなそうに言うユーフェミアに、このときの自分は何たる僥倖と喜んだ学生生活を再び失う悲しみよりも、一歩目標に向かって踏み出せたのだという歓喜の方が勝って、どうぞお気になさらないで下さいと笑顔で返した。
「少しだけだ。忙しいんだろう。悪いな。」
「いや、僕のほうこそこの間は話途中になっちゃって。じゃあ、放課後に。」
そう、表情が揺れ動いた気はしなかった。いつもどおりの飄々とした様子でルルーシュは席に着いた。
「ルルーシュ、先に謝らせて。ナイトメアのパイロットだってこと」
軽く手を掲げて遮られた。苦笑してルルーシュが口を開く。
「それは、お前はうそをついたわけではないだろう。技術部ってことは本当らしいし。軍の人間がただの民間人に話せないことはたくさんある。」
軍。民間人、ただの。
ルルーシュは明確に自分との間に線を引いて見せた。彼女は、民間人でしかなかった。ここで、この箱庭で静かに生きる限り。
「そう、なんだけど。・・・そうだね。ありがとう。」
彼女が少しずつ遠くなっていくような気がしてちくりと胸が痛んだ。
「いや。ユーフェミアの騎士になったんだってな。おめでとう。」
「君にそう言われるとなんて返したらいいのか複雑だな。」
ユフィに選ばれたことは誇りだけれど、ルルーシュの前で喜びを前面に押し出すことは躊躇われた。彼女はブリタニアを本当に憎んでいた。奪われたのだと怒りに震えて白い指先が更に白むまで力を込めて握り締めていた。
「嫌味か?ばーか。そりゃあちょっとは複雑だよ。お前にはナナリーの騎士になってもらいたかったんだから。」
「ナナリーの?許されるなら喜んで拝命いたしましたよ、マイ・ロード。」
肩を竦めてわざと顔を顰めて言う彼女に対して、自分もおどけて応える。ほっとした。意志を違える気は毛頭なかったのだけれど、ここでルルーシュになじられたらきっと苦しかった。君の騎士になりたかったんだなんて、冗談でも口に出来るはずもなかったから。
「あ、けっこう本気だったんだぞ?お前くらいの体力ばかが守ってくれるのならナナリーも安心だと思ってな。」
「それは、身に余る光栄?ナナリーはルルーシュがちゃあんと守っているだろ。あんなに機械に強いなんて知らなかったよ。サイバー犯罪もほどほどにね。」
「お前も軍の備品壊しまくるなよ。加減ってものを知れ、加減ってものを。」
「わかっていますよーだ。・・・ナナリーも、ルルーシュも。僕の大切な友達だよ。君たちも、みんなも。守れるなんて自惚れてはいないけど、でも守りたいと思うんだ。そして、ブリタニアを価値のある国に。そのために、騎士の命を受けた。ユフィ、ユーフェミア皇女殿下には感謝している。」
「なんだ、けっこう親しいんじゃないか。ユフィは元気か。」
「ああ、ってそっか。年も近いもんね。もしかして仲良かった?」
「まあな。あまり会うこともできなかったが、細かいことには拘らないお姫様だったからな。・・・一つ下なのに俺のことルルーシュって呼び捨てにするんだぞ。」
「それは・・・僕のこともそうだけど。これは当たり前か。」
ルルーシュが笑って見せるから自分も倣う。『あまり会うことも』、『細かいこと』。ブリタニアの皇族は母親の身分で皇子皇女の扱いが変わるという。ユフィはまだ十六歳なのにもう副総督として就任しているところをみると、相当高位の皇女なのだろう。ルルーシュが母親の身分を恥じるわけがないし、そんな細かいことに、彼女こそ囚われるはずがない。仲の良い、二人の姉妹の姿を思い浮かべてきっとと誓う。身分なんて、そんなものに苦しめられることのない国に変えてみせるよ。
「ユフィは、コーネリアが過保護すぎて身動きが取れないこともあるだろうが、根はいいやつだからな。まともな方だと思うぞ。差別意識も薄い。」
「そうだね。はじめて会ったとき、シンジュクゲットーに連れて行ってくれって言われてね。目を背けるような人ではないとわかって、尊敬しているよ。今も自分にできることがないかって、精一杯頑張っているのを知っているから。」
ブリタニアの行いの負の側面に目を瞑る人ではないのだと清しく思ったものだ。ルルーシュが穏やかな顔でユフィに理解を示すから、嬉しくなって相槌を打つ。
「・・・そうか。お前は、このままブリタニアに従って、ユーフェミアの騎士として生きていくんだな。名誉ブリタニア人だからと、きっと風当たりも強いだろう。妬む貴族連中も大勢出てくる。命を狙われることもあるだろう。それでも、もう。決めたんだな。」
真っ直ぐ見つめてくる瞳を逸らさずに、逸らせずに見つめ返す。
「うん。やっと、一歩踏み出せた気がするんだ。・・・父さんのことも、こうやって、信じた道を貫くことでしか償うことはできないと思うから。ユフィと一緒にできることをするよ。」
ここで。
ルルーシュが詰めていたらしい息をゆっくりと吐き出して上げた顔を見て。
どうしてあのまま別れて帰ってしまえたのだろうと何度自分に問いかけたことか。答えを見つけられぬまま、後悔に胸を掻き毟る日が来ることを、自分はまだ知らなかった。
この日、どれほど彼女を傷つけたのか。
俺はまだ知らなかった。死ぬんじゃないぞと、泣きそうな顔で笑いながら。言ってくれたルルーシュがどんな思いでいたのかなど、知ろうともしなかった。
******
名誉ブリタニア人である自分が、高位の皇女の騎士になるのはそう簡単なことではなかったらしい。ユフィの最大の後ろ盾であるコーネリア皇女がまず反対したという。能力は認めてくれているらしいが、名誉ブリタニア人と生粋のブリタニア人との線引きははっきりする人なのだとロイドから聞いた。多いんだよ、貴族には。わかっていると思うけど、背後には、時には前にもね。これまで以上に敵がいると思ったほうがいい。ああでも。シュナイゼル皇子殿下、僕の上司なんだけどね。あの人はそんなこと気にしない。徹底した実力主義者だ。使える人間に壁はないのさ。認められればきっと道が拓けるよ。
どんな道かは知らないけどね。
そう言ってにやりと笑った眼鏡の科学者はどこまで知っていたのだろうか。しばらくして、それから長く。主と遣えることになるシュナイゼルという底知れぬ男の、胸のうちを。
「シュナイゼル殿下。この度はお引き立ていただき、心より感謝致します。ご期待に沿えるよう、誠心誠意、ユーフェミア皇女殿下にお遣えするすることを誓います。」
第二皇子シュナイゼルが、旗艦アヴァロンを率いてエリア11にやってきた。成長著しい反帝国勢力を制圧するために。自分の直属の上司であった彼が、ユーフェミアの騎士となれるよう後押ししてくれたらしい。指揮系統はあくまでもシュナイゼルのもと、騎士侯という身分をユーフェミアによって下された。
「顔をあげろ。そう畏まらずともよい。ユーフェミアのために力を尽くすことはすなわち帝国の未来を支えること。その誓い、忘れるでないぞ。」
金の髪に、紫の瞳。威風あたりを払う長身の体躯から放たれる威圧は、豪奢な美貌と相俟って直視することを躊躇わせるほどの力を持っていた。辛うじて目を合わせ、一礼して立ち上がる。
「シュナイゼル兄上。わたくしからもお礼を言わせてください。スザクを騎士にと選んだこと、正しい選択だと信じておりますが、わたくしだけでは力が及びませんでした。兄上のお力添えがあって、望んだ人物を騎士に持つことが出来ました。感謝いたします。」
白いドレスの裾を広げて礼を取るユーフェミアに、シュナイゼルは笑みを浮べて言葉を掛ける。
「ユフィ。お前の選択は兄として誇らしく思うぞ。名誉ブリタニア人だからと下に見て、優秀な人物を故意に見落とすことなど愚か者のすること。実力主義を謳うブリタニアで、身に流れる血に目を眩ませては本末転倒だ。枢木スザクは実に優秀なナイトメアのパイロットだと報告を受けている。お前の命も、コーネリアの命も救ってくれたそうだな。筋を通す人間でもあるらしい。」
軍事法廷でのことを言っているのだろう。ゼロに一度は救われながら、自らの意志で死地にも等しい虚飾の裁きに赴いた。
「もったいなきお言葉です。」
「そう思うのなら、その身のはたらきをもって返して見せるがいい。期待しているぞ。」
「シュナイゼル兄上との対面、緊張しましたか?」
「ええ、まあ。本当に人の上に立つお方なんだなと思いまし、思ったよ。こう、そこにいるだけで場の空気が違うというか。」
「ふふ。わたしたちきょうだいの中でも一番優秀な方なのですよ。でも、とても優しい兄上なのです。小さい頃はよく・・・お忙しい方でしたからあまり多くお目にかかることは出来ませんでしたが、時間をお作りになって会いに来てくれました。」
嬉しそうにシュナイゼルについて話すユーフェミアに、スザクも頬を緩めて先ほどの兄妹のやり取りを思い出す。確かに、ユーフェミアに向ける目の優しさは兄の妹へ向けるそれで、ふと、同じ色の瞳の彼女が、同じく最愛の妹へと向けるまなざしを思い出した。似ているなと、思った。
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それまで帝国の劣勢に傾きかけていた黒の騎士団との戦いは、シュナイゼルの参戦で大きくブリタニアの優勢に転じた。日に日に激しさを増す戦闘にも、けれどブリタニア軍は怯むことなく軍事国家として成ったその底力を見せ付ける。コーネリアも、背後にシュナイゼルが控えていると心おきなくナイトメア戦に集中できるのか、戦姫として名高いその稀有な操縦技術を遺憾なく発揮し、敵に切り込んでいくその勇姿は兵の士気を存分に高めた。
「黒の騎士団も、・・・ゼロも。もうすぐ終わりだね。」
「そうですね。・・・ゼロの思想、その全てを否定することをわたしは望みませんが、争いは、ないほうがいい。流れる血は少ないほうがいいのです。傷つければ悲しむ人がいて、奪われれば涙を流す人がいる。平和な、優しい世界のためにはただ力に頼るだけではいけないのだと思います。」
スザクは、そう言って毅然と顔を上げるユーフェミアを誇らしく思った。彼女の理想は自分のそれと全く重なる。武力で得た勝利の果てに自由を勝ち取ったとして。その背に横たわる無数の屍が、勝ち得たすべてを否定する。価値など如何ほども認めるものか。結果ばかりを追い求める姿勢は、スザクの許せるものではなかった。過程を無視して突き進んだ先に、なにを誇るつもりだと仮面の男に牙を剥く。
「そうだね。僕もそう思うよ。」
ユーフェミアは、スザクの選択を始めて認めてくれた人だった。ともに歩んでほしいと望んでくれた人だった。同胞に背を向け、仲間に蔑まれ、手を差し伸べてくるゼロにもその行動のすべてで否定され。省みられることのない中途半端な場所で足掻いていた自分を、真っ白の理想を携えて掬い上げてくれた誇るべき主で同志だった。・・・ルルーシュですら、スザクの選んだ道には悲しみの瞳を向けた。
人はひどく身勝手な生き物だ。このとき、スザクははっきりとルルーシュよりもユーフェミアの理解を欲した。ルルーシュに理解されるよりも、ユーフェミアに理解されることのほうが尊く思えた。なぜか。
ルルーシュとユーフェミアは決定的に違う。奪われ続けた過去と、守られ続けた過去が絶対的に二人の姉妹を分かつ。ルルーシュは身分が低いからと多くの場合省みられることなく幼い頃より蔑視を向けられ苦渋を舐め、母を奪われ妹を傷つけられ、父親には生きる価値などもとよりないと貶められ、無力感に苛まれながらそれでもこの手に残されたものはと、異国の地で小さな身体で妹を必死に守り続け。綺麗事ばかりでなにができると哂う哀しさをその身に刻んで、少女であることも捨てた日々が戦いの毎日だった。
一方ユーフェミアは生まれたときから尊い血筋と大切にされ、年の離れた姉に溺愛され、優しいものだけで構成されたあたたかい箱庭で守られながら、信じたままに衒いもなく正しさを望むことのできる心を持っていた。それは確かに得がたくまた真実愛するべき敬うべき彼女の本質だったのかもしれないが、それは喪失を知らない真白の手にのみ許されたものでもあった。コーネリアは純粋な気持ちでガラスケースの奥で稀有な慈愛を浮べて微笑む妹を守りたかったのかもしれないし、そのことが雨も泥も血も降り注ぐ大地で真に優しき女神で在れるか試す場を奪い己を磨く術をなくしたことはユーフェミアにとって不幸だったのかもしれない。ただ無垢なる姫であれ。
最愛の姉の願いは振り切るには酷だったかもしれないが、それでもユーフェミアはお飾りの姫であることは嫌だったのだ。そう臣下のものに言われていることを知って、悔しさと生まれてはじめて襲われた無力感に白魚の手を握り締めた。自分も、姉のように自分の力で理想の世界を求めたい。なのにいまだ出来ることなどわずかもなく。ただ無垢で優しい皇女様と皆が親しみといとおしみからくる好意を向けてくれるだけで。だからこそ。
ユーフェミアにとってスザクは自分の理想へ向かうための鍵だった。はじめの一歩だった。名誉ブリタニア人の彼を騎士としたことで、ユーフェミアは平らかな世界への一歩を踏み出し同時に最大の理解者を得た。スザクもユーフェミアと同じく理想に遠いもどかしさに足掻きながら信念だけは曲げずに前だけを見つめていた。この二人は正しく同志で苦しむところも等しかった。そして。
スザクは、もう一つ抱えた苦悩の昇華を無意識のうちにこの優しき皇女に求めたのだ。
血に染まったことのない美しい白い手。憎しみを知らない無垢な瞳。理想を理想でしかないと頭のどこかで理解しながら、それでも否定され貶められることを知らぬ真っ直ぐな心は澱みなく心地よい光の世界を求めて。
ルルーシュにはないものだった。足掻いてもがいてその結果として持ち得ぬものだった。つまり。
スザクにとってルルーシュは、きな臭く残酷な過去を背負った時点で同じ人種であり苦しみを分かち合える貴重な存在であって、でもそれだけでしかなかった。心に抱えた暗がりに強いシンパシーを抱きながら同じ目線で語れることを互いに特別だと思いながら、結局のところその意味では二人は同じ穴の狢であり救われたいと手を伸ばしあったところで届く高みは大差なく。つまり。
ルルーシュではあまりにスザクに近すぎて彼に救いを与えることは出来なかった。一度飲み込んだ闇は彼女を日の当る場所から遠ざけてスザクの望む眩しい理想をその唇は紡ぐことが出来なかった。世界は優しくないと涙を流した瞳はいつもどこかに諦めを宿していた。必然の結果だったのだけれど。同じ絶望の底でともに泣いてくれる存在は確かに得がたく貴重であっても、それは傷の舐めあいでしかなく出口は見えない。ユーフェミアは。
光を携えスザクを上へと引き上げてくれる存在だった、彼女の取り囲む箱庭の平穏がそれを可能にした。スザクの己を忌避する理由であるところの解放されたいと願うところの澱みきった血の澱を知らない無垢な瞳は、口に出さずとも無意識に求めて止まない許しを与えるにふさわしい聖性を讃えている気がした。
恋とは全く別の感情だ。愛などではありえない。二人はあくまで同志だった。そして互いに無力に泣くことは、絶望に肩を抱き合って泣くのとは違う明日のための休息に思えた。だからスザクはユーフェミアに己の過去の父を殺した大罪を告白し、自分はあなたの与えたもうた栄誉を受けるにはふさわしくないと騎士侯位を返上し、けれどともに進みましょう我が主と騎士であることは誇りとともにそのまま変わらず。
「シュナイゼル殿下。枢木スザク准尉参上いたしました。」
「入れ。顔を上げよ。人払いはしてある。お前に、是非とも頼みたいことがある。お前にとっても、悪くはない話であろう。」
スザクは最終決戦、次の戦いでゼロ率いる黒の騎士団を壊滅に追いやることの出来るところまできて、この戦争の総指令官であるシュナイゼルに呼ばれた。最新の科学技術の粋を集めた戦艦の執務室、姿勢を正して言葉を待つ。
「私には、きょうだいがたくさんいるが、失ったきょうだいも多い。この地でも、クロヴィスを失った。ルルーシュを、ナナリーを失った。」
前触れもなく口にされた名前に息を飲みそうになる。なにを言うか考え付かぬままに口を開きかけたスザクをシュナイゼルは片手で制して話を続ける。
「ルルーシュとナナリーは私も目にかけていた妹たちでね。枢木の家には世話になったな。いや、戦火に巻き込まれたこと、私がなにを言えるはずもなかろう。お前にとっては憎き敵でもあるはずだ。だがいまは悪戯に憎悪と悔恨に終始していても仕方がない。それは互いに益がなくまた侮辱することでもある。単刀直入に言おう。
ルルーシュとナナリーは生きている。それをお前は知っている。アッシュフォード家で匿われているな。ランペルージと名乗り、身分を偽り生活している。ここまではお前も知ることだ。謝罪も何も必要ない。ルルーシュが口止めをしたのだろう。あやつにとってはブリタニアは憎むべき敵であり皇族はその象徴。戻りたいと思うはずもない。そして。枢木スザク准尉。私はお前も、おそらくは誰も知りえぬことを知っている。
ゼロは、ルルーシュだ。」
立て板に水を流すように秘匿していた事実を暴かれ呆然と見つめた主の瞳が面白そうにほころんだ瞬間、落とされた言葉に呼吸を忘れた。
「・・・え」
「ゼロは、ルルーシュだ。確かなことだ。疑う意味も無いのだよ。お前に頼みたいこととはゼロを、私の大切な妹を殺さずに捕らえてほしいということだ。彼女の駆るナイトメアからできれば無傷で拘束し、私の元まで連れてきてほしい。仮面は取らずにゼロの正体は明かさずに。命令ではない。これは頼みなのだよ、枢木スザク。兄としての願いだ。」
ここまでスザクの発言を許さずに言い切り、シュナイゼルは悠然と膝を組みなおし深く椅子に腰掛けた。
「・・・ルルーシュが、ゼロ。」
「そうだ。さすが幼いころより抜きん出て優秀だったわが妹だ。あれだけの組織を育て、ここまでブリタニアを追い詰めてきた。」
「・・・捕まえろと?」
「ああ。できれば無傷で。このまま行けばゼロは戦場で散るか断頭台の露と消えるか、自害に果てるか。どうあっても生き延びる術はない。我らは勝つ。黒の騎士団は負ける。ルルーシュは死ぬ。」
滑らかに未来を、絶対の自信で語る声に今立ち止まることは許さないと俯く顔を上げられる。
「死。」
「惜しい才だろう。確かにルルーシュはブリタニアに叛旗を翻し多くの命を奪った。彼女を憎む同胞は数え切れない。ルルーシュ自身も、負けを悟れば自ら喉を掻き切って死ぬ覚悟はゼロとして立ったときから抱いていたろう。すべてをのぞみのままになした後、一人逝くことをそのシナリオの最後の項に記していることもあるいは真実と私は思う。『撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけ』。ゼロの謳い文句だな。ルルーシュは心にもない言葉で民衆を煽り自らに尽くさせまた命を奪うことはしないだろう。本心なのだよ。罪も願いも抱き締めて前を向く子だ。ならば。」
負けを認めて再び償う道を与えてやるべきとは思わないか。あの類稀な王者の才を、一度は憎んだもののために使うことも、あの子ならば出来るかもしれない。いやルルーシュだからこそ。敗れたからと全てを投げ棄てて死に逃げることはいかにも愚かだ。無責任にも程がある。あの子の命一つで一体何を贖えるというのだろう。一つ命が消えたくらいで世界の流した涙がどう癒されるという。生きて償うしかないのだよ。命を使って贖罪の道を歩むしか。お前がそうしてきたように。ああ、ユフィから聞いているよ。あの子を責めないでやってくれたまえ。悪気はない、私も他言などしてはいない。辛かっただろう。だから苦しむことを分かっていてブリタニアの軍人になったのだろう。立派な覚悟だと思うぞ。死んでしまっては何もかも終わりなのだから。さあ、枢木スザク。お前ならルルーシュを説いて私のもとに連れてくることが出来るだろう。期待しているぞ。
スザクは頼みという名の命令に従った。シュナイゼルの言葉は本当だった。ゼロはルルーシュで、スザクを敵と知って戦い、追い詰められ、ランスロットでの鋼鉄の刃の前に銃を喉下に当てて命を絶とうとしたところを、止めた。仮面を外し、目を合わせて互いの真実に辿り着き驚愕したのは二人ともで、絶望に顔を歪ませたのはルルーシュだった。
「・・・殺せ。出来ないのなら止めるな。」
「だめだ。君は生きなくちゃいけない、ルルーシュ。」
「ああ、衆目の前で処刑されたほうが戦場で散るよりは都合がいいか?それならそれで構わないが、俺の正体を晒してブリタニアに利益はないぞ。仮にも神聖ブリタニア皇帝の血を引く皇女が祖国に叛旗を翻したのだからな。それももうこれまでだが、なら秘密裏に葬るか?誰にも知られず大逆の徒を地に埋めるか。それくらいならいまここで自ら逝く自由を許してはくれないか。勝者は寛容にあるべきだろう。枢木スザクブリタニア軍准尉。」
「いいや。君は殺さないし、殺されない。シュナイゼル殿下が、君を傷をつけずに連れてくるようにと言った。兄として、君を死なせたくないとも言った。君の力を、負けを認めて今度こそ意味のあることに使うようにと、僕に君を説得して連れてくるようにと、頼まれたんだ。」
「・・・ハ、俺のやってきたことは無意味だったと。」
「僕は、流れなくともよい血が流れたと思っている。」
「・・・何度もお前のゼロを、俺を憎む声が聞こえた。殺したかったんだろう。殺せばいい。お前になら大人しく殺されてやる。血には、血で贖うのが筋だろう。」
「いいや。死んでしまったらそれで終わりだ。生きて、生きて償うことしかできないんだ。君は間違えた。僕はブリタニアが正しいなんて思ってはいない。だからこそ変えたいと思って、その一番の近道として軍に入った。そこで功績を上げてブリタニアを内側から変えられるだけの地位と、力を手に入れようとここまでやってきた。ユフィと、シュナイゼル殿下はそれを認めたくれた。君は否定したけれど。でも、死ぬなと、生きるんだと言ってくれたじゃないか。同じことを僕も言うよ。君は、死んじゃだめだ。出来ることがあるなら今度こそその力を生かすべきだ。
君は皇女だった。あのまま姿を隠さずにブリタニアに戻っていればきっとできることもあっただろう。ユフィのように、皇族の一人として、こんな無駄な犠牲を払わずに出来ることがあったはずだ。」
「・・・ユフィ。相当、心酔しているようだな。」
「尊敬しているよ。彼女は君のように前へと切り込んでいく強さも力もないけれど、出来ることはないかと一生懸命だ。」
「お前の理想とも重なるようだしな。そうか、俺のやり方はお前の目には逃げに映ったのか。
・・・そうか。なら、いいさ。連れて行け。俺の立場で出来ることとやら、流した血、奪った命。償いにもならないだろうが尽力しよう?」
そう、言って哂った顔が。痛み以外の何を映していただろう。
自分は、なぜ、あれほどひどい言葉を彼女に投げつけることが出来たのか。
どうして彼女の苦しみに一片の思いも至らなかったのかと、何度自分に問いかけたことか。答えを見つけられぬまま、後悔に胸を掻き毟る日が来ることを、自分はまだ知らなかった。
この日、どれほど彼女を傷つけたのか。
自分はまだ知らなかった。死ぬんじゃないぞと、泣きそうな顔で笑いながら。言ってくれたルルーシュがどんな思いでいたのかなど、知ろうともしなかった。
ゼロの在り方が逃げに見えたのかと、幸運にも与えられた地位を放棄して憎しみのためにたくさんの人間を巻き込んだのだと思われていたのかと、己を嘲いながら、心で確かに泣いていたことを、知ろうとしなかった。
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「枢木スザク首席元帥。」
「はっ。」
少年が男の名を呼んだ。枢木スザク帝国軍首席元帥。一大軍事国家であるブリタニアの、軍を総監する国家の重鎮。世界最大国家の、武官としては最高位に上り詰めた男の短く切りそろえられた髪は、名を呼んだ少年のそれよりもずっと淡い色をしている。臣下の礼を取り敷き詰められた血のように赤い絨毯の上、握り締められた拳は数多の戦場を駆け抜けてきた過去を映して重く。少年の白魚のような掌とは違い、黄味の強い肌の下に流れる血潮が浮いた武人の手だった。
「ともに、歩んでくれるか。」
「御心のままに。」
少年の鮮やかな紫の瞳、男の深い緑の瞳。しかと合わさり誓いが落ちる。
第九十九第ブリタニア皇帝は五十代の若さで、惜しまれながらこの世を去った。
シュナイゼル・エル・ブリタニア。金の髪に紫の瞳、美しくまた賢く。真実王者の器を持った皇帝だった。人々は彼を讃えその死を惜しんで涙した。シュナイゼルの治世、ブリタニア帝国は帝国の歴史上最大版図を手にし、刻々と属領を数えて世界を震撼させた前皇帝の世にも及ばぬ栄華を極めた。
シュナイゼルは賢君だった。父皇帝の敷いた圧政の下に国はいずれ割れると読んでいた。EEU、中華連邦。帝国と世界を三分する諸国家郡が、帝国の磐石と見えてその実至る所で軋んで上る崩壊の悲鳴を耳を澄ませて聞いていたのを知っていた。まだ皇子であった時分、優秀な人材を集めてシュナイゼルは一技術部隊を編成した。最新の技術を用いて他の追随を許さない強さを誇る白き騎士を作り上げ、壮麗なる最新鋭戦艦、「約束の楽園」を冠したアヴァロンにおいて自ら指揮を取り、帝国を脅かした叛乱勢力を駆逐した。
黒の騎士団。当時エリア11と呼ばれた極東の地で独立の旗を掲げ蜂起した、ブリタニアの歴史に新しく、これから旧く語り継がれていくだろう反帝国勢力。シュナイゼルを皇帝の座に押し上げた華々しい武勲とブリタニアの転機であったこととともに、二十年近くを過ぎた今でも人々の記憶に鮮やかなその戦い。率いたのは希代の革命家、仮面の男。ゼロと呼ばれた人物だった。小さな島国に起こった独立の狼煙は、ゼロのもとに大きく育ち、世界中に散らばる叛乱勢力を取り込んで更には近隣諸国、遠くはEEUにも飛び火した。様々な思惑を孕んで最後には世界三大国家郡が睨みをきかせる三つ巴の戦乱となった。
ゼロはよく彼らをまとめ、稀な才智で帝国の名だたる将たちを薙ぎ払い、利害に割れてもなお抜きん出た統率力で己の下に集う同志を率いていよいよ本国神聖なる皇帝玉座すら彼の手に落ちるかと思われたそのとき、美しき旗艦を率いて泥沼の戦場に現れたのがシュナイゼルだった。シュナイゼルの手腕は見事だった。鮮やかに戦局を覆した。黒の騎士団は壊滅し、国家郡も速やかにその場を退いた。ゼロはシュナイゼルの誇る白き騎士、ただ一人第七世代ナイトメアフレームを駆ることの出来る兵が討ち取った。華々しく行われた凱旋式。シュナイゼルは老境に差し掛かった第九十八代皇帝のあとを継いで玉座に就き、伴われた名誉ブリタニア人の騎士は衆目を一身に集めつつその功績を讃えられ、のちに新しき皇帝にエリア11の総督として任命された。絶対君主制を敷く軍事国家。イレヴン出身の青年将校が一属領の最高権威の座に就くこともただ新鮮味と期待をもって迎えられた。母国。彼の統治は短かったが激しく反発した同胞にもやがては受け入れられ、その和をはかる遣り方は占領地域のそれの基礎に据えられ多くのエリアが平らげられていった。人々は賢帝の英断を褒め称え、騎士だった男の才智に民族性の違いにつけたままだった色眼鏡を外してナンバーズへの見る目を変えた。この、裏に。ある女性の思惟がはたらいたことを知る者は少ない。
******
ルルーシュの身柄をシュナイゼルに預け、そのままスザクは軍務に戻った。シュナイゼルの本国帰還、第九十九代皇帝即位に伴い、スザクの身辺もめまぐるしく変化した。その功績を讃えられ、エリア11の総督に任命されることになり、尉官ではなく一気に将官、それも上級大将の位を与えられた。過ぎた栄誉と一度は辞退したが、力とは往々にして地位に付随してくるものなのだと諭されて、役者不足と思うなら努力をしろと叱咤を送られた。微力と心得ていても、ならばと力を尽くすことに嫌はない。スザクは総督---エリアにおける最高権威者の力を足がかりに、帝国の歴史至上もっとも過酷な独立戦争の戦火に見舞われた祖国の地を行いうる限りの賢政のもとに回復させた。復興の勢いは目覚しく、讃えられて本国に勲章を戴きに出向したその先で、自分をエリア11の総督にと推してくれた人物がいることをかつての上司に聞かされた。
「ユーフェミア皇女殿下ではないのですか?」
今はシュナイゼルの膝元で第八世代ナイトメアフレームの開発に着手しているという放蕩貴族に聞き返す。
「いやいや。確かにユーフェミア様も君に相応の位を与えて功を労うことをすすめたけどねぇ?それ、
あくまでもブリタニア本国でより中央に近い場所でって、近道のつもりで推したんだろうね。幕僚総監なんて単語が飛び出したときには驚いたね。まだまだ若い君が据えられて耐えられる役職じゃないよ。軍部の中枢なんて、狐や狸どころか三つ首の竜がうじゃうじゃしているんだから。潰されて終わりだよ。総督も大概だけど、まあ地方だし、今君の周りに配置された人物は、副総督に参謀含めて有能で誠実だろう。だから足元を掬われることもなくご立派な総督閣下をやっていられるのさ。」
あからさまな棘を感じて、それでも笑って言葉を返す。スザク自身、分かっていたことだった。
「そうですね。確かに僕はまだまだ未熟です。学ばなければならないことも多い。教えてくれる人もいて、実践する場も与えられて、本当に感謝しています。シュナイゼル陛下が配慮してくださったのですか?」
自分を気にかけてくれる人間はそう多くはない。わざわざ祖国の地に、望んだ形で、贖罪の叶う道を与えてくれたのはあの希代の皇帝だろうか。
「いいや。はずれ。あの人はもうそこまで君の事を気にかけてはいない。今は本国も大きく動いているからね。新皇帝が新しい政策を次々と打ち出しているのは知っているだろう。まず大きなところで植民エリアの統治形態の見直しか。それは君の実践して見せたやり方をたたき台に法改正から着手しているけれど、他にもいろいろあってね。臣籍降下制度なんて今議論が紛糾しているよ。」
前代の皇帝の血を引く子どもたちは何十人といる。彼等が帝位を争えば無駄な血が流れる。これと見定めた皇族に取り入って貴族連中も王宮に深く入り込む。腐敗政治や汚職の温床だね。こうまで皇帝の権限が大きい国だとその血を引くというだけでやたら目を奪いやすい。ほら、ルルーシュ殿下とナナリー殿下。もう皇位継承権なんて下も下なのに落ち目とはいえお金は持っている名門貴族のアッシュフォード家が後生大事に匿っていただろう。
「・・・ルルーシュは、どうしているのですか。ナナリーも。」
この元上司はシュナイゼル陛下の腹心だ。彼女たちのことを知っているはずだと、突然名前を出してきたことから確信して問いかける。ルルーシュ、君はいまどうしている。
「ナナリー皇女は陛下が保護しておられるよ。制度が確立されれば真っ先に皇籍を返上してブリタニアの名を捨てるだろうね。それが彼女を守る。」
「・・・ルルーシュは?」
「ああ、っと。もうすぐ着くから話はまた今度。知ってる?ブリタニア皇帝の后はね、皇帝の子を成すまで公には顔を見せないんだ。皇妃の役目はまず第一に世継ぎを生むことだからね。実力主義を謳うブリタニアで、皇帝だけが世襲制というのも、あ、貴族の位の引継ぎもだけど、これはそのうち改正されそう。余談だけど。で、皇帝が世襲なのはおかしなことだとは思わないかい。より優れた人間を募って一番の者をトップに頂けばいい。だけどこれが自然なんだ。もっとも優れたものが頂点に君臨するべきとの理念はそれで間違いなく実践される。皇族の皆さんは確かにみんな優秀なんだよ。平均をとっても一般人よりも優れている。まあ、恵まれた環境で英才教育を受けてきたってこともあるんだろうけど、現皇帝や前皇帝、君に馴染みのある人を挙げるとコーネリア皇女殿下にルルーシュ殿下。人並みはずれて優秀だろう。適度に優秀な外の血も入っているから数いる皇族の中でもトップクラスだ。母君のマリアンヌ皇妃は君と同じナイトメアの、こっちは第三世代のプロトタイプだけれどね、そのテストパイロットだった。優秀だったよ。それで皇帝が後宮に召抱えて皇妃に加え、ルルーシュ殿下が生まれた。」
「・・・ルルーシュは、どうしているんですか。」
にやりと笑って振り返ってきた眼鏡の奥を見つめる。
この人物は決して頭の悪い人間ではない。こんな、わざと話をとばしてどれも中途半端なまま終わらせて放り出すような話方はしない。嫌な予感がする。・・・そもそもの話の始まりは、なんだった。
「・・・僕をエリア11の総督にと推してくれたのは、ルルーシュなんですね?」
「ああ、話の途中だったね。ごめんごめん。ついつい脱線しちゃってさぁ。あのね、シュナイゼル陛下には現在お后候補が一名いらっしゃってね。もう三十も過ぎた人でしょ。今まで愛人の一人や二人どころか何十人もいらっしゃったんだけど、誰も子を生んではいないんだ。生ませていないというのが正しいね。あの前皇帝の息子で一人もっていうのはねぇ。わざととしか思えない。だからそのお后候補の女性が子どもを生めば晴れて皇妃第一号さ。この際一夫一婦制を皇帝にも導入しようってこの間呟いていたから、そりゃあ寵愛深い奥方なんだろう。きょうだい同士の血で血を洗う争いもなくなって王宮もすっきりするだろうし。
でね。その人がね。君を引き立ててくれたんだよ。」
「・・・皇妃殿下が?」
「まだ皇妃じゃないよ。でも時間の問題だね。あと一ヶ月もすれば、あ、これ秘密ね。まだ口外しないでね。皇子殿下がお生まれになる。お名前も考えてあるらしいよ。」
頭の悪い話し方だ。思いついたことをそのまま口にしているようなせわしなさで、聞いていて不快だ。あっちにいってはこっちに戻り、いきなり本題に入る。不快だ。心臓が嫌な速さで脈打っている。
「・・・いまは、どこへ向かっているんですか?その方に会わせていただけるんですか?」
シュナイゼル陛下への謁見のために、待機するための控えの間にでも通されるのだろうと思っていた。だが、今向かっているのは。
「サンスーシ。“無憂宮”さ。シュナイゼル陛下のただ一人のお后様のおられるところ。光栄だね。君、公のお目見えの前にあの方にお会いできるなんて。とても美しい方だよ。そして聡明でお優しい。君を総督の座に就けるようにとおっしゃったのはあの方だ。ユーフェミア皇女殿下はそれでも中央に席を用意したかったみたいだけど、それはまだ早いとお考えになったんだね。君が祖国の同胞を敵に回して血を吐きながら弓引いていたことを思いやって、どうかその心の償いの出来る場を与えてやってくださいと陛下に進言してくれたんだ。お陰で君はその手で討った同胞に僅かながらも報いることができている。中々に評判のいい為政者らしいね?よかったじゃないか。心を込めてお礼を申し上げるんだよ。皇子殿下がお生まれになったら、その教育係にも任命されるかもしれないね。未来の皇帝陛下に幼少の頃よりお遣えすることが出来るんだ。これ以上の近道はないかもしれないよ。」
「ルルーシュはッ、・・・ルルーシュには会えるんですか。いるのでしょう。会えるのでしょう。だって陛下は彼女を、彼女の才を捨て置くのは惜しいと僕にひっそりと連れてくるように言ったのです。兄としても、妹を救いたいと申されたのです。ですから!」
「声を荒げない。枢木スザク上級大将。」
「ッ!」
急に低く鋭く掛けられた言葉に息を飲む。温度が下がる。豪奢な、扉の前。
「レディ・ヴァイオレット。ロイド・アスプルンド、枢木スザクを連れて参りました。」
ヴァイオレット?聞いたことのない名前だ。ほっと胸を撫で下ろす。なにを莫迦なことを考えていたんだ。ルルーシュはシュナイゼル殿下の半分とはいえ実の妹なんだ。后になんて望むはずがない。きっともっと別の場所で陰ながら優しい世界のために頑張っているに違いないんだ。きっとナナリーも一緒で、二人でまた笑いながら穏やかに笑って・・・
「どうぞ、お入りくださいな。アスプルンド伯、ご苦労様でした。」
「・・・ぁ、」
声が、確かにどこかで聞いたことがある・・・アルトの、耳に心地よい・・・
「はるばるよく来てくれました。大将殿。陛下にご挨拶する前に足を運ばせてしまって申し訳ありませんでした。」
顔が、上げられない。ここに、いるのは。シュナイゼル陛下の奥方で、国母になられるお方で、もうすぐ、皇子が・・・
「・・・っ!!・・・ぅ、ぁ・・・るッ!」
「失礼を致しました。礼儀のなっていないまだ若い軍人上がりの人間でして。ほら、枢木大将!礼をして。」
名前を。叫びかけて首の後ろに軍人の指が据えられた。少しでも力を込めれば。そのまま頭に手を掛けられて無理やり礼を取らされる。顔を、上げたくない。今見たものを信じたくない。いやだ、こんな、
こんな、こんなはずじゃなかった。
「まあ。畏まらなくともよいのですよ。はじめまして。ヴァイオレットと申します。あなたのご活躍はよく耳にいたしますわ。お会いできて光栄です。」
顔を上げた先。
上流の女性にしては短めの髪をふわりと垂らしたまま、優しく微笑む人がいた。透き通るような白皙の頬にかかる、やわらかそうな髪。真っ白の。
「ぁ・・・」
「座ったままで失礼いたします。少し、立ち上がるのが辛くて。」
「結構ですよ。お気になさらないで下さい。あなたはこれから大事な皇子殿下の生母となられるお方だ。我々に頭など下げないで下さい。レディ・ヴァイオレット。」
二人の声が酷く遠い。目を。合わせるのが怖くて下げた視線の先、立ち上がることができなくてと言った理由が目に入ってくる。ふっくらと膨らんだ腹部。純白のゆるやかなドレスに覆われたその下に、シュナイゼルの・・・
「大将殿?どうかなさいました?長旅でご気分でも悪くされたのですか?主治医を御呼びしましょうか。すぐそばに控えていてくれるので。」
心配そうに掛けられる声が気遣い以外の何も含んではいない。心臓が飛び出しそうな不快感を押さえ込んであわせた目の色だけが、昔のまま。
真っ白な女(ひと)の中で唯一懐かしいアメジストの輝きを宿していた。ただ穏やかな夜明けの色。凪いで静かな空の色。一欠けらの、非難も。見つけられない。
「・・・枢木、スザク帝国軍、上級大将。お初にお目にかかり、光栄に存じます。・・・レディ・ヴァイオレット。」
何度も息を継ぎながら跪く。震える手で取ったたおやかな白い手が、躊躇いにか、かすかに揺れたのをそっと押し当てた唇で感じた。
このあとのことはよく覚えていない。退出し、ロイドに付き添われて皇帝陛下に拝謁したのはその日の夜遅くで、記憶がここからまた始まる。
「よくやってくれた。お前のはたらきは私の耳にも届いているよ。」
悠然と笑みを浮べる目の前の男。戴冠式のときより幾分にもその貫禄を増して更なる威圧感を漂わせている。
「・・・陛下のお引き立てがあったからでございます。心よりお礼の言葉を奏上奉りたく・・・」
「そう畏まるな。あれは我が后の申したこと。配下の者も人選はあれがやった。もう会ったのであろう?どうだ。私の生涯一人と誓った伴侶。美しかろう。そして誰より賢い。神聖ブリタニア皇帝の后たるにあれよりふさわしい人間がいるだろうか。」
目の前が真っ赤に染まる。真っ白だった彼女の姿を思い浮かべて、目の前が血に染まる。
「・・・あな、たはッ!ルルーシュを、その力、生かすようにと・・・妹を死なせたくないからとッ!・・・なぜですか。なぜ彼女をッ」
「ヴァイオレットだよ。枢木スザク。白銀の我が妻がもつ唯一鮮やかな煌めき。ヴァイオレット。可愛い女だ。私はヴィオラと呼んでいるがね。」
「・・妹でしょう。彼女はッ」
「あれはルルーシュではない、と何度言ったところで意味は無いな。私にとっても。はじめから話すつもりでいた。あれは確かに我が妹ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。我々は、より優れた血を紡いでゆかねばならない。皇族は、王の血を絶やしてはならないのだよ。ブリタニアの頂点に君臨する者は、常に、その血を引くというだけで優れていなければならない。そのために、血を重ねることはよくあることだ。兄と妹、姉と弟。父と娘、母と息子。王宮の奥深く、民に知られることのないよう我々は禁忌の交わりを続けてきた。我が母は前皇帝の姪だ。ルルーシュと、ナナリーは気まぐれか珍しく外の血をいれ、ためにひどく優秀な子が生まれた。ルルーシュはお前も知っておろう。皇統の血が半身にしか流れておらぬのにああまで優れ、ブリタニアでもっとも高貴な色をその双眸に宿し生まれてきた。ほしいと、思わぬわけがなかろう。何としても我が妻に。そして我らの子を。どれほど尊き王者が生まれるだろうか。楽しみでならないよ。」
「・・・はじめから、そのつもりで、あなたは。」
「そうだ。ルルーシュに今一度力を尽くす場を与えるといった言葉、それはこのこと。我が后として次の皇帝を生み育てる国母の役目。
だが、枢木スザクエリア11総督。帝国軍上級大将。」
「ッ!」
「それは、ルルーシュがお前に与えた力。ルルーシュがいなければお前はただ一人の皇女の騎士として山といる皇族の中で埋もれていただろう。あるいは。手に負えない役を任ぜられて自滅していた。お前が今、望む場で望むことをできるのは、すべて。ルルーシュがそう望んだから。私に望んだからなのだよ。わかるか。」
降って来る声に身体が震える。恐怖に?違う。後悔に?きっと。そう、怒りに。
自分への。
「ルルーシュを見て驚いただろう。皇室には稀有な漆黒の、あれほど美しかった濡れ羽色の髪が。純銀に輝く真白に変わってしまった。あれはあれでひどく美しいがな。なぜだと思う?」
ルルーシュの、姿を思い出す。眩しく、気高く、消えてしまいそうに儚く佇んでいた姿を思い出す。純白のドレスに身を包んで、瞳だけが鮮やかに彼女の存在を知らしめていた。どう、して・・・
「お前は我が妻をひどく傷つけてくれたようだな。ルルーシュとユフィを比べるなど甚だ愚かで涙が出るよ。ルルーシュがどれだけ苦しみ血を吐く思いで生きてきたと思う?母を目の前で惨殺され、最愛の妹は自由と光を奪われ。ルルーシュが自分ひとり無傷で助かったことにどれだけ己をせめたと思う?あれはな。優秀だが優しい優しい姫だったのだよ。淑やかで可愛らしい、守りたくなるような愛らしい姫だった。お前が先ほど目にした姿こそあの子の過去の姿。無垢なままに微笑んでいた昔々のあの子の姿。それが男の服を纏い男のように振る舞い、挙句にゼロを名乗って巨大帝国に歯向かった。如何ほどの覚悟であろうな。お前が父を殺したと、償いたいとその拳を握り締めたことといかほどの思いに差があるという。浅慮なはずはないだろう。ルルーシュの立場ではああするしかなかったのだ。私の前に連れてこられたとき、ひどく虚ろな目をしていたよ。絶望に染まりきった底なしの至高の色。背筋が震えるほど美しいとも思ったがね。いとおしいとも。」
なぜだと思う?お前はユフィのようにブリタニアを語って出来ることをすればよかった、ルルーシュのやり方は間違っていたと言ったそうだな。私が確かにそう言ったが、まさかそのまま信じてたとは愚かしい。ぽつりと落とすように話してくれたよ。否定し続けて、否定され続けたと。涙すらこぼさず淡々と、心が擦り切れるままに呟いていた。譲れなかったと。ああするしかなかったのだよ。ルルーシュには皇族に戻ったとして自由などなかった。ナナリーも。幼くして母を失くした皇女が生き延びられるほどここは甘くはないのだよ。長じて戻ったとして、あとは外交の道具として政略結婚でもさせられて終いだ。特にナナリーのことを気遣ったのだろう。あの子と離れ離れにされてはもう守ってやることもできないからな。自由に歩けず、見ることもできない少女の行く末など、容易に予想がつくだろう?ブリタニアで、生きるためには時間をかけるわけにはいかなかったのだよ。ユフィとお前の理想は美しいがな。それでは遅すぎる。達せられたときにはあの二人はこの世にいないか諦めの笑みしか浮べてはいないだろう。わかるか。ルルーシュも、お前と同じく身を心を削って下した決断をお前に踏みにじられたのだ。お前がゼロを詰るたびに、お前はルルーシュを踏みにじっていたのだよ。
ああ、私やユーフェミアが彼女たちを守ったかもしれないと?ユーフェミアにそこまでの力はない。そしてコーネリアが掌中の珠と慈しんできたために皇室の暗がりを知らない。私が。
ルルーシュを手放しはしない。昔から決めていた。我が后にと。アッシュフォード。二人を匿っていた家だが、どうしてだと思う?皇位継承権も下も下。何の益があるという?それはな、私がそう命じたからだよ。見たまえ、かの家の復興目覚しいこと。もともと軍事に発言力が大きい昔からの名門でな、ナイトメアの開発も中心に立って進めていた。そのつながりでルルーシュたちの母マリアンヌの後見も行っていたが、なにゆえ、かの皇妃は殺されたのだろうな?それはアッシュフォードのこれ以上の繁栄を望まぬ者が手を下したからだ。皇帝自らが望んで召抱えた皇妃を守りきれなかった責めを受けたからだ。アッシュフォードの繁栄それはすなわちブリタニアの軍事国家としての繁栄を表す。鶏が先か卵が先か。ナイトメアの実戦導入によって世界の超大国の座をゆるぎないものにしたブリタニアだが、肝心のナイトメア。起動部に使用するコアルミナス。サクラダイトが不可欠だ。分かるか。ブリタニアの侵攻を予想する国中小国家ならば誰でも考えうること。わずかでも自国の命を永らえさせようとブリタニアの后に刃を向けることは軍事政策の延長だ。誰もが考える。そこに、手引きをしたものがいれば事はすべて滞りなく。それが。
私なのだよ。
「・・・え?」
「私が、マリアンヌ皇妃殺害の手引きをした。」
「・・・なぜ・・」
「ルルーシュを手に入れるために。」
皇族がインセストのタブーを犯していることはあまり知られるべきではない。種の多様性を排した進化の否定にも取られるからな。言行が一致しないのは上に立つものとしてうまくない。だからルルーシュは一貴族の娘として私に嫁がせる。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの名は捨てさせた。ランペルージもな。そのためには皇帝の寵愛深いマリアンヌ、あの聡い女性は邪魔だった。だから殺した。わかるか。ルルーシュのあの真白の姿、その理由。母を、妹を。己からは真実を。奪った男に抱かれて呪われた禁忌の子を孕む恐怖に狂ったからだよ。だが、私だけが原因ではない。もちろんお前も彼女を深く傷つけた。比べることも酷な美しい妹と並べて詰ったな。自分を信じて預けられた命にすまないと、奪った命にすまないとともに逝こうとした彼女を、まだ償わなければならないと解放を許さなかったな。どうして大人しくお前の言葉を聞いたと思う?いくらでも舌を噛み切って命を断つ機会はあったし、その覚悟も備えていた彼女が。
お前を、愛していたのだよ。
敵と知って相打つ可能性は運命と諦めても、ああしてお前にゼロとして捕らえられることがお前の道を切り開くと知ってのことだ。分かっていたのだよ。私が望んだと聞いた時点でこうなることは。出来ることを。もはや贖罪しか許されることのない命ならばせめて愛する男のために使おうと、誰より憎んだ男の隣で聖母の慈愛を浮べて微笑んでいる。
血が滲むほどに拳を握り締める。ミシリと口の奥で音が鳴る。堪えるために噛み締めた。ここで、ただ激情のままに叫びを上げることは許されない。やり場のない憤怒も、身を灼く後悔も、もう表すことは許されない。名前を呼んで駆け寄ることも、もう。
彼女が、そこで。微笑むのなら、自分もまた。
「・・・ご無礼を、どうか、お許しください。私は、この命の尽きるまで、陛下の御許。ブリタニアのために。心身砕いてお遣えすることを。誓います。」
******
「・・・スザク。」
「なんでしょう。陛下。」
「顔を上げて近く私と話してくれないか。お前のことは、私が物心つくころより守り学ばせてくれたもう一人の父とも思っている。」
「恐れ多いことでございます。陛下のお父君は天が涙を流してその死を惜しんだシュナイゼル様ただお一人。私にとりまして陛下は誰より尊い主にございますれば、どうぞこのままその御言葉をお掛けください。」
「スザク。」
高貴なマントを翻して、少年は男のもとへ歩みを進めた。男はただ跪き頭を垂れる。
「私は今だけブリタニアの名を忘れただのジークフリートとなろう。さすればお前は師であり兄であった枢木スザクだ。僕と、話をしてくれ。今宵のみ、真実を胸に。」
必死の響きを感じ取り、ここへ来てはじめて男は少年と目の高さを合わせた。
「殿下の、・・・ジークの知りたいこととは。」
少年がつい昨日まで慣れ親しんだ公の呼称よりも遡り、幼い日、明るく日が差す宮殿の庭で、母に見守られながら戯れた日々を思い出す。
「その名で呼んでくれたのはお前と母上だけだったな。父上はいつも完全な響きを好んだ人だった。」
目を閉じて思い出す。目の前の男の視線を感じながら。言い出すのを待っているのだ。自分も、真実に耳を傾けたい。深呼吸をして問いを。
「スザク。母上の、本当の名前を教えてくれ。」
「・・・本当に、知りたいのですか。」
「ああ。国民に親しまれた、国母の愛称ではなく、母上が生まれ持った本当の名を。」
「『ヴァイオレット』様。それが偽りであると。」
「怖いか。僕はきっと答えを知っている。この目は父にも母にもよく似ている。ほしいのは、確証だ。お前しか真実を知らない。今宵限りでいいのだ。」
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。それがシュナイゼル陛下のただ一人の御后でありあなたの母君である方の御名です。」
再び頭を垂れたスザクを前に、ジークフリートは深く息をついた。口に出せずにいた問い、長い年月を経て返って来た答え。でもまだ。
「母上が身罷られた日。その枕辺。最期のときをお前は父上に許された。母と二人。なぜだ。」
真っ直ぐに見つめてくる彼女と同じ瞳に、スザクはじっと呼吸を詰めた。話してしまおうか。すべて。己を生かした二人を失い一人国を背負う重圧に耐えて前を向こうと必死に立つまだ少年。今宵、もっとも近くで二人を見てきた自分に、懐かしさに胸を焼く、過去の縁を求めて真実をと請うならば。
「・・・後悔は、しないのですね。」
「父の子であり、母の子である。そのことに抱く誇りは揺らぎはしない。すべて、話してくれ。」
******
ルルーシュは過去の記憶をすべてなくしているようだった。神聖ブリタニア帝国の皇女として生を受けたことも、祖国に対する慙愧の念も、ゼロとして在った事も。それはせめてもの救いだと思った。鋭く見つめてきたあの煌めく瞳を向けられることはもうないけれど、スザクと親しみを込めて呼びかけられることはもうないけれど、ルルーシュと名を呼んで駆け寄ることはもう出来ないけれど。
すべてがゼロになった彼女の微笑みは穏やかで、シュナイゼルに向けるアメジストには確かな愛情が宿っていた。シュナイゼルも他の兄弟姉妹に向けるものとは全く異なる慈しみをのせて、ヴィオラと彼だけが呼ぶ愛称を囁き憂いのない宮、サンスーシで彼女を抱き締めて笑っていた。珠のような皇子が生まれ、希代の賢帝のただ一人の后は臣民の前に姿を現し、幻想的なまでに白く煌めく美しい姿と、深い慈愛を湛えて紡がれる言葉は広く国民に愛され親しまれた。
ジークフリート・エル・ブリタニアと命名された皇子は、大地の色をした深みのある髪と、両親から受け継いだ鮮やかな至高の紫の双眸をもっていた。自分はその側近としてそば近く控え、この美しい母子を間近に見る事となったのだが、ルルーシュは相変わらず自分を見て名を呼ぶことはなかった。望むことなど許されるものかと哂った自分は、彼女を愛していたのだろうか。世に言うほど、その人を思って胸を焦がすことはもうなくなっていた。後悔だけが絶え間なく身を心を灼いたけれど、ルルーシュに対して抱く気持ちはただただ慕わしさでしかなかった。誰よりも強く思慕したということをもって愛だというのなら、それは確かに愛だった。守りたいと、その微笑を守りたいと願う心はすべて彼女に向いていた。ユーフェミア皇女も、もう心のどこにも棲んではいなかった。けれど、シュナイゼルに抱かれていとおしそうに笑みをこぼす彼女を見ても、もう何も感じなかった。シュナイゼルの子を宿した腹を見てこみ上げてきた暗澹たる思い、かっと一瞬で頭を打ち抜いた浅ましい憎悪の念は欠片も残ってはいなかった。きっと、あのとき。シュナイゼルの静かな断罪の言葉が降り注ぐままに己を心底憎んだとき。ルルーシュという人間に自分でも気づかないままにひたすらな思いを積み上げてきた枢木スザクはもう死んでいた。彼女の白い指先に震える唇を寄せたときから。後悔の鍬で自分を葬る墓を掘っていた。すまないすまない。君を踏み台にして成したことを俺は誇っていたのか。舞い上がって一番大切だったものに目もくれずただ前に進めたのだと盲目に信じて踏みにじって、砕いてしまった。もう、望むことなど。
あなたが、幸せなら。もうそれ以上なにを望みましょうか。あなたが俺のために、その心を真実砕いてくれたそのことに、報いるためには。
駆け寄ってくる幼子を抱き上げる。小さい頃のジークフリート。随分懐いて慕ってくれた。教えたことは乾いた砂に水がしみこむように吸収し、サンスーシの光の当る庭で戯れながら、母に父に多くの臣下に。愛されて育った次代の王。驚くほどにルルーシュに似て子どもながらに稀な美貌を備えていた賢い皇子。何よりも愛しい人の形見となった、彼女に生き写しの美しい子ども。
「・・・皇后様のご容態は。」
「芳しくない。今夜が峠だろう。陛下と、皇子殿下にお取次ぎを。」
ジークフリートを生んでまもなくルルーシュは身体を壊した。もともとそう丈夫でなかった身体が、出産を経て一気に衰え始めた。伏せることが多くなり、国民も、幼いジークフリートも、シュナイゼルも。心底気遣い再び立ち上がれるようにと願ったが、祈りも虚しく命の糸は今にも途絶えてしまいそうだった。
政務を早々に切り上げて枕辺に身を寄せる主君に、何の感慨も、憎悪も、こみ上げては来なかった。目の前にいるのは、先立とうとする妻の手を握り締めて雲を掴むようにそれでも繋ぎとめようとしている哀れな男でしかなかった。
「・・・母上は、もう・・・」
もう大きくなりましたからと控えていた子どもが一番喜ぶ動作。抱き上げてそっと話しかけてやる。
「皇后様は天にまします神様の御許へ帰られるのですよ。安らかにと、お祈りして差し上げましょう。でも、きっと離れていてもジークのことを見守っていてくださいます。」
必死で涙を堪えて顔を上げようとしている小さな身体を抱き締めながら、この子を。彼女の忘れ形見となるこの子を守って生きていくことが自分に出来る唯一のことなのだと考えていた。震えながらしがみ付いてくる手のひら。父上はあまり抱き上げてはくれないからと、自分を見つけると目を輝かせて駆け寄ってきた彼女の子ども。愛せると思った。預けられた、涙に上った体温がこんなにも愛おしい。目を閉じて最愛の人がこの世界から解放される瞬間を、どうか安らかにと願ったそのとき。
「枢木スザク。ジークフリートをこちらに。私達は席を外そう。皆、下がるように。」
なぜと顔を見合わせ不審げな様子でざわめきだす者たちを有無を言わせぬ目で制して、珍しく父の腕に抱かれた驚きに、母との別れにうるんだ瞳を一瞬見開いた皇子を連れ、ルルーシュと自分だけが残された。
正直、途方に暮れてしまった。
なぜ、今頃こうして。最後の時間を、どうして自分にくれたのだ。それは彼女にとっては望みでも喜びでもなんでもないだろう。いまのルルーシュにとっての最愛の夫はシュナイゼルであり、愛する子どもはジークフリートだ。自分は確かに目をかけてもらった、ジークがもっとも懐いている臣下ではあるが、でも他人だ。どうして、どう
「・・・スザク。」
どうして。
「もっと、近くに、寄れよ。もう、顔も、・・・よく見えないんだ。スザク・・・」
苦しそうな息の元、紡がれた自分の名前。もう二度と彼女に、呼ばれることはないと思っていたのに。
「・・・る、ルーシュ、どう、して。きみは・・・」
「やっぱり、だまされ、た。ばー・・・か。おれ、そんなに・・・弱いにんげん、じゃない。ッ・・・」
顰められる表情に駆け寄って、儚いほどに細くなってしまった手を両手で握り締める。
「ルルーシュ、ルルーシュっ・・・ずっと、ずっと分かっていて、君は・・・」
記憶を失っていたわけじゃなかった?ルルーシュのまま、シュナイゼルの腕の中で微笑んでいた?この、変わることなく真白だった美しい髪は・・・
「ま、な。かみは、しかたない。・・・けっこう気に入ってるんだ。ははうえの。黒いかみは、ジークが継いで、くれた、から。いいんだ。・・・っ・・・」
「っルルーシュ、今医者を呼ぶ、」
手に少しだけ力を込められとめられる。
「・・・せっかく、あのどうしよ、もない男が、ゆずったんだぞ。・・・い、しょ。いろよ。いいだろ。もう、何年も、とおくて。」
どうしてどうして。こんなことなら。さらって逃げてしまえばよかった。二人で、ジークも一緒に三人で。遠いどこかで静かに暮らせばよかったのに・・・!
知っていたら、自分はそうしただろうか。
きっと。
しなかった。
二人、もう選んでいたのだ。自分の進む道。二人とも、もう歩き出していたから。傷つけて傷つきながら、もう戻れないところまで来てしまった。進むしかなかった。大切だと、誰より愛していると心の奥にしまいこんで鍵をかけた日から、互いのために立ち止まることも振り返ることも逃げ出すことも、もう出来なかった。
「・・・たぶん、それで。よかったんだね。ルルーシュ。俺たちみんな。どうしようもなく間違ったけど。諦めることはしなかったから。だから、きっと、間違ってばかりでもなかったんだ。・・・ずっと、苦しかっただけで、哀しかっただけで。でも、それだけじゃなかったから。確かに、満たされたと。笑えた瞬間もあったから。だから。・・・ッ
・・・愛しているよ、ルルーシュ。心から。」
静かに閉じられていく夜明けの空に、最初で最後の愛を囁く。
******
「・・・そうか。」
ぽつりと。落とすように少年が呟いた。
「母上は、笑っておられたか?」
「・・・シュナイゼル様と、ジークのことを心から気にかけておられました。誰よりも。優しく強い方でした。私は、ルルーシュ、彼女に仕えることができたこと。生涯の誇りとしています。そして。
ジークフリート・エル・ブリタニア 神聖ブリタニア帝国第百代皇帝陛下。
あなたに私の全てを捧げること。これからの生きる理由に。」
ともに歩みましょう。
fin.