シュナイゼル様、あなたに一つ、たった一つ。
愛しております、我が君・・・
それが、お前の刃か、たった一つ。微笑みとともに突きつけた断罪の、それが。
けれど、私は。
最後に想うのは国であろうと、決めていたのに。
感傷にとらわれ、過去へとばかり心が浮き立つ。残してゆく民や我らがいとし子。それよりも。
・・・お前の笑顔ばかりが瞼を移ろう。
そしてあの言葉の意味を・・・ヴィオラ、私の・・・
FantasmagoriaT
「陛下のお加減は、」
「・・・手を尽くしておりますが、昏睡状態が続いております。時にふと意識を取り戻されることもありますが、その間隔もしだいに大きく・・・このまま再び御たちになられることはもう・・・」
「そうか・・・。わかっていたことだ。陛下のお血筋は、いや、皇子殿下をお呼びしよう。枢木元帥から何か知らせは、」
「まだ確かなことは。北欧ヴェスフィールド、以前こう着状態が続いております。我がブリタニアと同盟軍、どちらかが動かねば事態は好転も悪化もしないでしょう。」
「最悪、枢木元帥は自ら率いる艦隊を犠牲にすることで帝国の事態介入への足がかりとするおつもりかと。」
「元帥閣下の一艦隊は実に惜しいが、現状それがもっとも現実的且つ犠牲が最小ですむ方法。最悪などと、至上に頂くべきは我らがブリタニア。命を尽くすのは喜びであろう。」
「・・・ふむ。軍務尚書殿の方へは宰相閣下より通達が行っておろう。軍の展開はあちらに任せて我々はこの国の先を見据えねばならん。
ジークフリート殿下に至急お取次ぎを。陛下のお言葉を取りこぼすことがあってはならぬ。」
「オルフェウス閣下・・・」
******
「どうにも矛盾が多い方ですねぇ。いや、気取りかな?それとも人並みに罪悪感なんて抱いちゃっています?似合いませんよぉ、あなたは徹頭徹尾冷静で冷酷な為政者であることが望まれそれがもっともふさわしい。」
腑抜けちゃ駄目だめ。
不敬など頭の片隅にも浮かばないのか、一頻り好き勝手に物申したあとにぐいとグラスを傾けた。
アヴァロンの一室、空の上から遠くに帝都の灯りを見下ろして酒のせいでもないだろうにいつもよりも饒舌な友に向かい合う。そう、自覚はある。ようやく手中に納めた宝、伸ばす手が躊躇われたのはらしくもない郷愁に駆られたせいでそれは弱さなのだと嘲った自分を、彼は看過して不満を隠そうともしないのだろうか。
「私が情に絆されて牙を失った獅子にでも見えるのか?」
「あっはぁ。ご自分を王者にたとえるなんてそれこそ僕の従う主の姿だ。実に傲慢。だからそんな顔するもんじゃないですよ。親しまれる皇帝なんて実際長くは続かない。恐れられて畏れられて仰ぎ見る民草は安心して暮らせるんです。」
してみるとこれは忠実な臣下の諫言か。些か言葉の選びに難をつけるなど今更。自分は常に結果を出してきた、そして今ここにあり遠くない未来で玉座につく。その前に手にしたものにしごく個人的で形のない逡巡を抱えたとして、予定調和までに突き詰めたこの先の道行きに不安など感じようはずもない。そこに、あえて言葉をかけるのはこの目の前の男だけだ。そう、友だ。たった一人至尊の血ゆえに避け、また必要とされる鷹揚な許しをそうではなく与えた旧知の友。
「殿下ぁ、こんなもの考えたんですけど、都合してくれません?」
「予算委員会を通せ。ずるをすると遠回りになるぞ。」
「え〜?それって殿下自分で抱えこむだけの器量がないって言ってるようなものですよ?そんな弱気なぁ。」
「つまり私が負ったリスクは返して見せるから、最後まで私について来るということだな?」
「あれ、結果出す確約を求められてる?仕方がないなぁ、僕の可愛いランスロットのためには頑張らなくちゃねぇ。」
「捻りすぎた名前だな。してその覚悟の程は?」
「ん〜?大丈夫ですよ。きっと素晴らしい成果をお見せします。約束しますよ。」
「そうではなく。」
「?あぁ、そんなの当たり前じゃないですか。僕はいつだって好きな研究に没頭したいし、そのためだったら何でもする。ライフワークですよ、放蕩貴族なんて誉め言葉だ。僕の道楽が殿下の足場を固めてそれが僕にフィードバックするのなら願ったり適ったりです。もちろん。ついていきますよ、マイロード。」
遠慮のない会話を思慮なく許したのはこの男だけだった。計算なく手に入れた忠実な部下だった。友と呼んで軽口を叩き合うそれはプライベートも想定のうち。先に切り出して見せたか、弱みを見せるなと釘を刺す臣下の深慮は同時に気遣い思い遣り。なのだろうと、自分にしては実に好意的に受け取ってやるくらいには、いつものように目を細めてまぁ殿下もお飲みになって、しばらくお行儀の良いお酒しか許されないんでしょうからと空になった自分のグラスに液体を注いでくる様子は呆れるくらい気安いものだ。受け取って見つめた、身の内に流れる澱んだ血と思いを写し取ったようなヴィンテージの赤。一気に呷る。あららとおどけてみせる気の置けない友人に。
「ロイド、私はあの子を愛しているよ。誰より。だから後悔など躊躇いなど哀れみなど。踏み砕いて奪った先で笑って見せよう。」
言葉にしなければならないほど感傷に引き摺られてどうする。背を押してもらいたいわけではなかろうに。
「シュナイゼル殿下。」
耳障りな声だ。ずっとそう思っていた。今は少しだけ和らいで聞こえる。
「あなたは僕の主だ。そしてあなたが選んだあなたの伴侶もまた等しく。」
忠しく僕は臣でありましょう。
信じられた誓いだった。
******
「総司令!同盟軍に動きがありました。連合側の重要地域に対して核兵器の使用を開始したとの報告が。」
まだ少年の通信兵は中東・中央アジア諸国家そして舵を取る中華連邦の同盟軍の攻撃開始の方を受け、北欧における帝国保護領ヴェスフィールドの軍事全権を任された枢木総司令官のもとに走った。
「帝国軍は共同防衛前線を張っているな、被害は。」
三十も半ばの若くして軍人としての出世の階段を駆け上った司令官は、かつてナンバーズと呼びならわされ蔑視の対象となった帝国の占領区域出身の通信兵の憧れだった。若干十八にして先の帝国始まって以来のクーデター、いや独立戦争の鎮圧において多大な功績を残し尉官から将官への異例の出世を遂げ、ナンバーズとして初のエリア統治を任官された。ナンバーズの解放を旗印に帝国に叛旗を翻した稀代の革命家ゼロの思想は、少年兵が生まれる前から賛否両論物議を醸したものだが、この司令官の存在は結果論として否定論者の論拠にしばしば引き出される。イレヴン出身の一兵士がその働きいかんそれのみによって自らの人種区分の呼称を取り払った。ナンバーズ。それ自体もはや意味を成さない言葉となりつつある。実力が全てだ。ブリタニア・非ブリタニアを区別する、それは実力主義の体現に他ならないとの帝国の国是の形骸化を身をもって知らしめた。本質は生まれ持つ民族の血に左右されない。
「中東域の国境侵犯に備えられた連合部隊が全滅と。我が軍は取り決めにより第二次配備ですのでまだ実質被害は確認されておりません。」
「あちらが先に仕掛けた時点で上は採決を待たず踏み切るだろう。帝国、連合による全武力行使の停止及び定められた国境線までの侵略軍の撤退要請を伴う共同最後通告は直同盟国に向けて発信されるはずだ。戦闘介入の口実ができたな。」
「・・・我々の待機命令は継続されたままですか?」
鋭く細められた緑の瞳に僅かの逡巡を経て質問をする。現皇帝陛下がまだ皇子の時分直々に指揮を取られた戦場で、この司令官はナンバーズの英雄と今でもひそかに時に高らかにその名を語られるゼロを討ち取ったのだと言う。平和な時代が続いた。一つの思想論としてかの歴史的戦火の発端を論じ合うまでには人々は余裕を取り戻していた。当時試作機であった第七世代ナイトメアフレームを駆ることの出来た唯一の騎士。同胞に弓引く葛藤は存在したのか。総督就任後の祖国への手厚い対応-あくまで公平な-が彼のひいてはナンバーズ全体へのブリタニアの評価を塗り替えるのに果たした役割は大きい。自分と同じ年で裏切り者の誹りを受けながらそれでも同胞の幸せを願った気持ちはきっと尊敬に値するものだと思う。そうだと信じたい。だが、一応の味方の部隊の壊滅を淡々と手順の一つにしか捉えない指揮官に、僅かの失望と、同時に軍人のあるべき姿を認めて掌を握り締める。これが戦場。
「あくまでも報復、迎撃行動である必要がある。連合は秘密裏に開発を進めたらしい新兵器の実戦投入に踏み切りたいのだろうし、そのためには被害者であることを要するほどの威力が備わっているのだろう、厄介なことに。矛先を我が帝国に向けられないよう、同じ立場であることが求められる。」
あえて攻撃を受けよと。先制的自衛権の行使はここが保護領である限り認められない。ブリタニアの主権が完全に及ぶわけではない不完全な区域。支配下に収めなかったのはこの日のためか。
「敵、兵力の到達にはどれほどの時間を要するでしょうか。」
躊躇う。そう、自分たちは戦闘介入のための口実だ。先ほど目の前で端然と佇む指揮官が言ったとおり、ブリタニアのための犠牲。だが、それもこの上官の判断によるものなら従いもしよう。
「ナイトメアフレームが全盛を誇った時代は終わった。局地戦略で勝敗が決する盤面は過去のもの。今は大気圏を越えて核弾頭搭載のミサイルが飛ばせる時代だからな。・・・この腕一つで戦場を駆け力を振るうことは最早無意味だ。」
誰よりも速くまた危険を恐れずに敵へと切り込んで行ったと言う。見ている者に捨て身の特攻を思わせるその戦いぶりは奪い奪われる戦場の悲哀を知りそして振り切ろうとした苛烈な閃きに見えたのだと、若くまた存命のうちに持った彼自身を記す手記に読んだ。自嘲とともにその凄惨な遠くはない過去と現在の拡散するばかりの戦力を語る姿は、血臭に取り憑かれた戦場の亡者には見えない。命を預けても良いと、思える人のぬくもりを感じた。
「司令。自分は今の帝国が築いた平和を尊いものと考えます。崩すものがあれば守るものがいる。その守り手であることを誇りに思います。」
一瞬の瞠目を経て向けられた笑みに頷く。
******
アリエスの離宮。足を向けたのはほんの気まぐれだった。疲れていたのかもしれないと、振り返って思う。庶出の皇妃が主を務める宮。宮廷の権力争いの餌食になりながら、高位を望むべくもない地位だからこそ彼女やその子どもたち自身には醜い権威欲はないのではないかと、当時の自分は考えたのかもしれない。そう、生まれ持った身分に諾々としがみ付き権力に阿り、『女』を使って皇帝に取り入ろうとする母親。つまらない人間だと切り捨てるには自分はまだ子どもだったのだ。王宮がそこに住まう皇族にとって決して平穏なホームではありえないことは幼い時分に理解していた。同時にそのほとんどの争い諍いから距離を置いていられたのは自分を生んだ母親の恵まれた身分のお陰だと知っていた。エル家は現皇帝の傍系で名門貴族の称号を賜っていた。母は父皇帝の早くに娶った后であり、生まれた自分に他確かな至尊の血の優越を見てとり満足げに微笑んでいたはずだ。ただ純粋に、周囲の、そして誇らしげに自分を見つめる母の期待に応えたいと学問に武術に励んだ時期も確かにあったのだ。けれど。
皇帝が次々と新しい后を召し上げるにつれ、母の朗らかな笑顔は次第に醜い女の憤怒の形相へと変貌していった。名前を年を、把握するのに追いつかないほどの勢いで生まれてくる異母弟妹たち。仕方のないことだと、ある程度は割り切れた。しかし全力で自分を守り気期待をかけてくる母に対して、応えるだけの能力と努力をしてきた過去がなぜ認めてくれないのだと不満を零す。なぜすべて任せて安堵してくれないのだと憤る。
そんな怖ろしい感情に身を浸さなくとも謀略などに手を染めなくとも。私が母上を守って差し上げます。生まれこそ第二と遅れを取りましたが、第一皇子にも負けない力は身につけてきたつもりです。父君、陛下の覚えも殊更めでたいのはこの私なのです。ですから、母上。私にどうかそのような醜い姿は見せないで下さい、昔のように笑ってください。『女』としてあなたを軽蔑させないで下さい。
子どもだったなと思う。まだ思春期の少年だった。母親の嫉妬に狂う姿など見たくもないし想像したくもなかった。皇宮にあってそこそこの安全を保証された生活の中で、自分はほんの少しの思慕は確かに彼女に抱いていたのだ。そこに。
皇族の血筋の暗闇を知ってしまった。母と皇帝は伯父と姪の関係だと言う。それほど近いわけではないが、国民には血が澱むと婚姻を禁じそれは進化を至上と考えるブリタニアの国是にも合致するのだと声高らかに謳った父が。汚らわしい。
癇症だったのだと今なら笑える、だがあの頃はただひたすら疎ましく身に流れる血を厭ったのだ。自らの言葉に背を向け次々と近しい血の女たちに呪わしい自分の子を産ませる父の姿にも怖気が走った。もう三桁にも届こうとする異母弟妹たち。彼らはまた血を重ねそして互いを蹴落とそうと血で血を洗う愚争に身を任せるのか。呆れて、失望で。言葉も出ない。疲れていたのだ。
ああ、そういえば。あそこの母子は数いる異母弟妹たちのなかでももっとも自分に遠いのだ。身分にしても、その血にしても。会いに、行って見ようか。
シュナイゼルは水中の砂を巻き上げ掬い取るように蘇る記憶のゆるやかな波に身を委ねた。ああ、幼い頃の彼女が駆けて来る・・・
ふと木陰に身を隠したのだ。訪問の予定も告げていない、まったくの不意打ち。ふらりと訪れた場所で、横柄に主に取次ぎを頼むほど積極的な意味を持たないそれは息抜き程度の気軽さによる散策に過ぎず。存在は知っていたし母であるマリアンヌ皇妃の武勇伝は面白く耳を傾けたものだが、一回り以上年の離れた皇位継承権も低い異母妹には直に対面したことはなかった。ブリタニア人には、特に皇族には珍しい黒髪をなびかせて走る姿は愛らしい。まだ三歳になったばかりと記憶している。頬を火照らせるほどに急いでいても、小さな身体の歩みはシュナイゼルが足音を聞きつけて幹の太い老木の後ろに身を滑り込ませるには十分な余裕を与えた。
木の葉ほどに小さな手に握っているのは野花だろうか。大事そうに両手を胸元に寄せて包み込んでいる。纏っている真っ白なドレスに、黒髪とハッとするほど鮮やかなアメジストの輝きが映えて淡い色の花々がかすんで見えた。そう、この邂逅を思い出すたびに苦笑に駆られるほど自分はまだ幼い彼女に目を奪われていたらしい。声をかけようかどうしようか迷っているうちに、小石もないのにどうしたことか、小さな姫はすてんと転んだ。ああ危ないと手を差し出す間はなく二人の間には距離があった。思わず身を乗り出した勢いで傍に駆け寄り様子を窺うと、血が滲んだ掌をぐっと握り締めて自分で起き上がる。泣くまいとしているのか、可愛らしい唇を噛み締めてふるふると震えている。気骨のある女の子だと感心していると、ついと落とした視線の先、その羽のように軽いだろうが風にも震える繊細な花弁は彼女の身体の下で儚く散ってしまっていた。目にして透き通った瞳がたちまち潤み涙を零す。そっと拾い上げた-すみれか、異母妹の瞳に良く似た紫色は滲んでよりいっそう鮮やかに見えた-花を抱きしめて声を上げずに俯いた。傍らにしゃがみこんで顔を覗き込む自分に気づきもしないのか、静かにしゃくり上げている。
「・・・ルルーシュだね?ほら、そんなに泣くと目が腫れてしまうよ。」
「・・・っ!?」
ああ、やはり気づいていなかったのか。
「また摘んでくればいい。その花はどこにも咲いているだろう。でもまずその怪我をなんとなしなくてはね。痛むかい?」
幸い固い石畳でも砂地でもなく、芝草の上で転んだので小さな手は泥で汚れることもなく傷口は血の赤味だけで綺麗なものだった。ハンカチを取り出してそっとあてがってやりながら検分していると、やはり痛むのだろう一瞬手を引きかけてそれでも大人しく預けている。
「・・・あ、あの、」
「私はシュナイゼルだよ。第二皇子、ルルーシュの異母兄だ。」
さすがに遠めに見かけるくらいだった、年の離れた異母兄の名前と顔を一致させるのはまだ三歳の子どもには無理だったらしい。不信な目は向けられなかったものの、名前を呼ぶことの出来ないことに戸惑いを顕にする様子にできるだけ優しく名乗ってやる。異母兄だよ。汚らわしい血で繋がったいつかお前とも殺しあうかもしれない異母兄だ。きょうだいはもっとも近い敵だ。
「あ、しゅ、シュナイゼル殿下・・・」
思わず傷口に落としていた視線を上げてまだ幼い異母妹の顔を凝視してしまう。びくっと震えた拍子に離れてしまった掌を追って両手で包み込む。なぜそうしたのかわからなかった。
「兄と、呼んでくれないのかい?」
この子も私の妹なのだ。あの男を父親とする・・・
「あ、で、でも・・・」
躊躇い震える掌に、ああそうかと思い同時に軽く驚く。まだこんな子どもが宮中の身分闘争を理解しているのか。つまり母親の身分でその子どもの遇され方も差別感情をもって異なり、目の前の兄が自分と比べるべくもなく-殿下と敬称を用いることがふさわしいと判断するほどに-高位の皇子だと理解したと言うことだ。シュナイゼルの名も、第一皇子と名乗らなくとも当てて見せたかもしれない。聡い子だ。同じ皇帝の子どもであれば、母の違いはあってもきょうだいだ。『兄』と呼んだところで影口を叩くものはあったとしても直接、ましてや幼い皇女の耳に入るところで咎め立てする者などいるはずもない。母親の、ためだ。庶出の皇妃マリアンヌ。この人気のない離宮の片隅で誰が聞くとも思えないが、おそらく兄である自分が聞き咎めるだろうと警戒したのだ。自分の粗相は母に返る。誰に対しても失礼があってはならない。
転んでも自分で立ち上がり涙を堪えたことから随分気丈な子どもだと思ったが、それ以上に賢いのだ。もう知らなくともよい礼儀の弁え方を心得ている。
「ルルーシュ、私の妹。お兄様と呼んでおくれ。口さがない者たちの言うことなど気にする必要はない、私が許しはしない。それに、今は誰もいないよ。」
穢れた血だ。兄と、呼ぶことも厭わしいとこの清廉な幼子は感じ取るのだろうか。自分と母に危害を加える存在であり、きっとおそらく危害を加えてきたのだろう者を母に持つ異母兄。きょうだいはもっとも近しい・・・
「・・・シュナイゼルお兄さま
、ありがとうございます。」
にっこりと、笑ったのだ。実の母に見た『女』の媚など欠片もない無邪気な笑みだった。気を許した綻びだ。兄と呼んでいいと、呼んでくれと請うた自分に慕わしさを感じてくれた?肉親の情の、きっと一番綺麗な形。諦めていたそれが、この小さな妹の前に差し出されている・・・?
「・・・あ、いや。これくらいのことはなんでもないよ。 少し、痛むかもしれないが我慢するんだよ。」
止まりかけているがやわらかい子どもの肌に固くこびりつく血は痛々しく見えた。自分も乗馬をしていて同じように擦りむいたことがある。遠出していたこともあって薬もなく、ふと考える前に滲んだ血を嘗め取っていた。確か血は止まった気がする、痛みも引いた気が。
「っお、お兄さま、」
「大丈夫。応急処置だね、帰ったらちゃんと消毒してもらうんだよ。」
そっと舌で傷口を辿る。驚いて離れていこうとする手を留めて流れた血を嘗め取った。汚いとは思わなかった。厭わしい自分の血でもあの男の血でもない。これはこの子の血だった。汚くなどない。
「さて、ルルーシュ。このまま屋敷に戻ったほうがきっとお母上も安心だよ。どうして一人でこんなところにいたんだい?」
「・・・あ、ナナリーが、ナナリーに見せたくてお花を摘んできたのです。色が、とてもナナリーのお目めとそっくりで、どうしても見せてあげたくて。・・・でも、もうこのお花しか咲いていなくて、もう・・・」
また潤みだした鮮やかなアメジストに慌てて背中に腕を回す。
そういえばこの一月のうちに妹が生まれたのだと聞いた。ナナリーと言ったか、マリアンヌ皇妃は彼女に手が放せないのだろう。だから小さな皇女が一人でこんな離宮の外れにいるのだ。いや、それにしても世話係の一人もいないのはおかしい。抜け出してきたのだろうと思う。聡い子だ、母に心配をかけることなど分かっているだろう。急いで戻るつもりだったのだろうが。この花は季節を選ぶ。きっとこの離宮の中がすべてのこの妹にとってこの花の咲いている場所はごく限られていて、探してようやくまだ咲いているものを見つけて駆けていたところで躓いてしまった。悔しかったのだろう。思い出してまた俯くほどに。
「ルルーシュ。まだこの花を綺麗に取っておくことはできるよ。押し花にするんだ。」
「・・・おし、ばな?」
「そう。薄い紙に挟んで重い本で重しをしておくといい。空気に触れないようにするためのセロハンをもってきてあげよう。もっとずっと濃い色がずっと残るよ。」
そう言って大切そうに花びらを集めたルルーシュを抱き上げた。おそらく初めてだったのだろう高い目線と浮いた身体にに目をきょときょとさせていたのに笑って送り届けたのだ。恐縮するマリアンヌ皇妃に、きょうだいの間で遠慮など要りませんと確かに自分は笑えていた。後日封じて出来上がった押し花の花弁は、ナナリーの瞳よりも鮮やかなルルーシュの瞳とそっくりな色をしていた。
いつからだろうか、いとおしいいとおしい、愛しいと。
心がルルーシュだけを追っていた。何人もの貴婦人と呼ばれる女性たちを目にしてきたがルルーシュ以外女ではなかった。そう、妹は自分にとってただ一人の『女』だった。
今なら、笑える。
盲目な恋で、それがまだほんの子ども、少女と呼ぶのすら躊躇われるような子どもに対するもので、一途過ぎるものだったのだと、今なら若気の至りと笑えるのに。
何もかも、感情の走るままに実行してしまった今では嗤うしかない。そう、結局自分はこの呪われた血に抗えなかったと言うことだ。
血のつながりのない女性を慎重に探した。美しい者も聡明なものも、貴族には珍しく欲のない者もいた。けれどその誰もがまだ十にも満たない異母妹がそうであるより色あせて見えた。何より異母妹は自分が初めて兄と呼んでほしいと請い兄であろうと願い、
兄としてではなく望んだ女だった。
年齢も血のつながりも、そんなものが些細なものに思えるほどルルーシュと言う存在自体に惹かれていたのだと、今なら言える。ただただ彼女が愛おしかったのだと今なら言える。そしてこの穏やかな気持ちで昔在ることができたなら、きっと彼女は自分を、まだ『兄』と呼んでくれていて、きっと、きっとまだ、朗らかに笑って、生きていてくれたのかもしれない。
でも、自分は踏み切ってしまった。彼女を手に入れるために動いてしまったそのために奪い殺し失いもう後には退けなかった。
マリアンヌを殺した。ナナリーから光を自由を奪った。アッシュフォードを没落させた。アリエスの離宮を荒廃させた。ルルーシュの、年を重ねるにつれ影を潜めていったがそれでもまだ確かにあった無邪気な笑顔も兄への信頼も、失った。
あのとき笑えばよかったのだと思う。今思い出して嗤うくらいならあのときあの子の前で優しく微笑み抱きしめてやればよかった。母を失い妹を傷つけられ守れなかったと、小さな身体で抱え込むには大きすぎる悔しさと絶望と自らに課した責任とで雁字搦めになってそれでも泣くことをしなかったあの子を抱きしめてやればよかった。すまないと、言ってもう大丈夫もう私が守ってあげるからと帰る場所を『兄』の顔で差し出せばよかった。けれど。
できるはずもないのだ。微笑むことなど懺悔の言葉など偽りの言葉さえ。心をそぎ落として決意だけを鮮やかにひらめかせた彼女の前で霧散した。見舞いはしたのだ。そこまではまだ自分は迷っていたし、取り返しのつかない事態のせめてもの収拾をつけるかどうかで悩んでもいた。けれど無感情に「ああシュナイゼル殿下。このようなところに足をお運びいただき感謝申し上げます。」と完璧な礼で迎えるルルーシュを見たとき、この子は決めてしまったのだと思った。自身など守られる資格はないと、自身には守ることしか許さないと決めてしまった。「・・・ルルーシュ、自分を責めるのではないよ。」と、言った自分はなんと滑稽なことか。ルルーシュのためにしたことだ、ルルーシュがほしい自分のためにしたことだ。いいえ、私が至らなかったせいですと、抑揚もなく淡々と言うまだ子どもなはずの異母妹を前にして、嗤い出さなかったのが不思議なくらいだ。
無邪気で無垢な瞳の少女はもういなかった。自分が殺した。
結局、自分も皇帝の息子なのだなと感慨もなく思う。ルルーシュとナナリーが日本へ人質同然で送られると聞いてああ、これで生き延びてくれればあの子を手に入れられると思った。都合が良いと、アッシュフォード家に手を回してずっとずっと機会を狙い時機を待っていた。後戻りが出来ないのだと大方は被害者の気持ちで振り切ったためらいなど既にない。ブリタニアのためと、平然と言えるくらいに打算に慣れた。自分は呪われた汚らわしい血の荒れ狂うままに大切だったはずの一番綺麗だと慈しんだはずの存在を、憎しみに悲しみに復讐に、染めてしまった。ゼロだと、すぐに気づいた自分は彼女の中にも鋭く尖りきった危うい何かを感じたのだろうか。愛ゆえと、戯言を言うには世界は混沌の中でゼロという存在を稀有な王者を憎悪と憧憬の両極端な光で照らし上げ彼女はそれに応えていた。ぞくりと、背筋が震えたのを覚えている。
ああ、なんと美しい。
後戻りは出来なかった。
自分は彼女に囚われていた。
******
「・・・ヴィオ、ラ・・・」
「! 陛下、お気づきになられましたか、陛下!今ここにジークフリート様が向かっておられます。 同盟軍の動きにも変化がありました。連合が抱え込んだ科学財団の兵器も稼動を始めたようです。当地を預かる枢木司令官が必ずや事態を打開すべくはたらくでしょう。」
「・・ジーク・・・枢、木・・」
「陛下!、シュナイゼル陛下!」
******
より深い絶望だった。目にして、そして自分も胸に刻んだ。そうか、こんなこともあるか。
まったく経験のなかった類の痛みに口元が歪むのがわかる。
ルルーシュ、お前はもう愛した男がいるのだな。離れている間に、命をかけて愛するほどの存在を見つけていたのだな。女か。お前も嫉妬に狂い醜い女の顔を晒すか?その絶望に悲嘆に色をなくした美しい顔を、憎しみに・・・
そんなはずはない!
お前が保身と醜い欲のためにその瞳を曇らせ濁らせることなどあるはずがない。私が忌避した汚濁の血、その澱みに蹲るはずがない。
ああ、ああ、そうだ・・・だってお前はここにいる、ルルーシュ。あの戦場で果てずにここにいる。確かにあのとき世界の中心に君臨しながら傲慢なほどに正義を叫びながら自らの言葉で人の命を操りながら。それでもお前はすまない、許せとは言わないと死を選ぼうとしたではないか。けれど今ここにいる。死という甘美な解放に身を委ねることなく愛した男のために擦り切れそうな命を私に差し出している。痛みは同じだな。私もルルーシュお前も。真にほしい人の心は掌をすり抜けて零れ落ちた。でも私は、望んでしたことだから。
傲慢に、衒いもなく。お前の前で支配者であろう。お前の大切なものを次々と奪った略奪者として高らかに笑おう。それでも。
私が犯したの罪の前には霞むほどのつまらない罪悪感でもってただ冷酷な絶対者を演じればきっとお前は辛いだろうと、思うのだよ。私の独りよがりな罪の意識で冷徹な支配者になればきっと苦しいばかりの生になると・・・私が、自分のエゴでもって思うのだ。ああそうだ、私のためだ。私が自分のためにお前を愛したい。ルルーシュお前を私の全てでもって慈しみたい。今更、いまさらなどと過去に囚われて未来に目を塞ぐのは愚か者のすること。上に立つものは常に前を前だけを見据えて最善の手を尽くすのが役目なのだから。
・・・ああ、なんて自分勝手な決意だろうか。そして滑稽だ。『私が』と、言って聞かない時点でお前の幸せなど望んではいないだろうに。それでも『私が』。お前を愛したい。お前の一番近くで笑う存在でありたい。そしてルルーシュ、お前にも私の一番近くに・・・
「・・・お久しぶりです、シュナイゼル殿下。」
兄と呼ばれなかった。訂正はしない。これから、彼女は妹ではなくなるのだから。
「生きていてくれて、嬉しいよ。ルルーシュ。また会えて本当に嬉しい。」
本心だった。けれどなんと滑稽に響くことか!
「ご冗談を。私はどうすればよいのです。枢木スザクは確かにあなたの期待に応え『ゼロ』を捕獲しました。しかるべき措置をお願いいたします。」
「ほう。おかしなものだな。敵であった者の便宜を請うか。ああ、分かっているよ。そしてナナリーのことも心配しなくていい。身の安全はシュナイゼル・エル・ブリタニアの名に誓って保証しよう。・・・逆に、信じられないかな。」
「・・・いいえ。あなたは、確かに、私の母を・・・殺した。けれど私にはお願いすることしか出来ないのですから。」
目を、細めるだけで返した自分は、相当この少女に期待をかけそして少女は応えるだけの力をもっていた。
「アッシュフォードについて調べたか。あそこの孫娘はお前のよき友であったのだろうが、貴族など信用するにはお前は危うい橋を渡りなれてきたのだろうから。」
「そう、そうですね。あなたもよく彼らを押さえつけたものだ。感服しますよ。・・・一体何のために?表向き、そして八割がたは今の系統のナイトメアフレームの普及に努め、ブリタニアの装備が整うまで日本の目を欺くためだった。これは皇帝の意向も関与したのだと思いますが、・・・この力のためですか。母も、きっと触れたことのある力だった。」
もう怒りも憎しみも枯れ果てたと言うようにただ淡々と話す姿はひどく頼りなかった。腕を伸ばしかけて、ルルーシュがふと瞬かせた深い紫の瞳に笑みを刷く。
「『契約者』、『魔女に選ばれし者』。お前のしてきたことは無意味ではない、無意味にはしない。ブリタニアの服従を強いる統治形態に一石を投じたのだ。お前でなければ世界に声を届かせることは出来なかっただろうし、魔女もお前でなければ選びはしなかっただろう。マリアンヌ皇妃も契約者だったとは初耳だな。」
「さあ、はっきりしたことはわかりません。何となく、そう思っただけです。・・・気まぐれなんですよ、C.C.は。『灰色の魔女』ですか。どっちつかずで、だから私なんかと手を組んだ。『白』でも、『黒』でもない。私は正義の味方でもなければ完全な悪者にもなれなかった。混乱を招いただけで、死を撒き散らしただけで、それでも仲間を残してきてしまった。打算の上でもよいのです。『ゼロ』を祭り上げる余地を残したまま消えてしまった。中途半端なんて・・・一番悪い。」
全部“ゼロ”に戻そうと思ったのに。なんて愚か。
自嘲すら洩らさすに呟く声が、細くて今にも消えそうだった。
「ルルーシュ。ゼロを偶像崇拝の対象にはさせない。完全なブリタニアの勝利だ。」
残酷だなどと、思うよりも前にこの少女はルルーシュだ。自分が唯一認めた聡明な人。安い慰めの言葉など、自分が囁く愚策にもまして逃げ出すことを善しとしない。
「ゼロの耳には甘美な理想と並び立つほどにブリタニアは栄えて見せるよ。私は不完全なことは嫌いなのだ、私がこの混乱を越えて安定をもたらそう。」
なんと傲慢な、笑いがこみ上げて仕方がない。
「・・・ありがとうございますと、礼は言えますよ。私はもう何もできない。・・・スザクは、今度こそ、『意味のあること』を為せと、言いましたが。意味、なんて・・・一体どこにあるというのでしょう・・・私に、もう、だ って・・・殺して、壊して、奪って・・・それで、もう、もう・・・っ」
抱きしめていた。誇りもしない、恥じもしない。けれど後悔も、してしまいたいのにできなくてと、声にならない悲鳴を聞いた。血に染めた指に犯した罪に奪った命にそれでも失敗してしまったと、自分が言うことは出来ないから。それ以上どんな侮辱の言葉があろうかと細い肩が震えていたから抱きしめた。薄い身体だ。壊れそうに細いほそい。
でも涙は流さない。死を堪えたのと同じほどの覚悟でもって泣くことによる解放を許さない。同じ痛みだ。ああこれは私と同じ。立ち止まることを振り返ることを投げ出すことを自らに禁じた者のやり場のない苦しみ。でも。比べるべくもない綺麗なきれいな。
「泣いていい、ルルーシュ。泣いていいから。私は、決してお前に謝りはしない。それで救われるのはお前ではなくて私だから何があっても謝ることをしはしない。だが、ルルーシュ。
こうして涙すら禁じたお前が、私には痛くてならないよ。だから、どうか。泣いてくれ。」
滑稽だ!なんと傲慢で自己中心的な望みだろう!私はいつでも自分のことばかりでもっともいとしい者の涙すらただ彼女のためには願えない!
哄笑が、息をついて出る前にルルーシュが顔を上げた。濡れてはいない。真っ直ぐな瞳だ。そうだ、だから私はお前を愛した。
「あなたにとっての私の利用価値はなんですか?ギアスですか?ご存知のはずです。C.C.に関わった研究データはクロヴィスによってなされあなたに引き継がれたはずだ。・・・古の力を復元することが目的ですか、ただ蘇らせることが。ロマンチストですね。」
そう、ロマンチストだよ、私は。ギアスについても、意味などなかった。血の鎖に雁字搦めの命はもう『今』では飛び立つことはできないから、『過去』に向かってせめて解放のまやかしを。幻でもいい。
ロマンチストさ。ずっと昔に虜になった心そのままにお前を望もう。
「ルルーシュ。
お前だ、お前が私のすべて。心という心のすべてはお前のために。ルルーシュ。
愛しているよ。」
理解して凍りついたアメジストが目に焼きついて離れない。彼女のいとしい者の喪失が、全て彼女に返ってきた瞬間。そこに、昔々の、優しい『兄』であった私の消失は。お前の中に一欠片でも痛みを残してくれたのだろうか。
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「国際科学財団が動いたか。重力場増幅装置、G爆弾。完成していたのか。」
ブリタニア保護領の隣国境沿い、EEUの連合軍が抱え込んだ非国家機関であったはずの重力物理学に特化した研究所に関する知らせを受けて呟く皇太子に、帝国宰相の地位にあるシュトラウスは言った。
「ええ。国境侵犯があった地点とは距離の隔たりがありすぎる。連合軍本部ともまるで見当違いな場所で臨戦体制に入った。」
「下手に動けばもともと同盟軍の注目を集めていた機関だ、狙い撃ちにされる危険は冒さないところをあえて。つまり受けるだろう大陸間弾道ミサイルの攻撃を防ぐ手立てがあるということだな。」
頷きながら言葉を聞く。あの皇帝の御子。戦局理解の能力などもとより承知の上。それよりもこの状況で一片の揺らぎも泣く冷静な姿に感動にも似た思いを抱く。
「よしんば未完成の虚勢だとしても、ヴェスフィールドに配置した枢木元帥の部隊が時間稼ぎはするでしょう。卿ならばあるいはブリタニア単独でこのにらみ合いの状況を打開してみせるやも。」
「どちらにしろあちらの新兵器の性能如何だ。実際に核弾頭でも搭載されて発射されて見ろ。帝国の技術力をもってしてもミサイル迎撃システムは未だ不完全だ、時間の問題だな。」
「はい。帝国軍の駐留部隊は直接的な被害は被っておりませんゆえ、早々にきっかけを得て一気に征圧してしまうしか本国を戦火から守る手立てはありません。」
ブリタニア本国軍務省軍事本部における会話だ。帝国宰相、軍務尚書、そして皇太子ジークフリートがユーラシア大陸で上った火の手を睨んでいた。
二十年近く前の独立戦争解放戦争は一度は確かに鎮圧された。三つ巴の戦乱を呈したEEU、中華連邦の介入も下火になった。今上帝の統治の下にブリタニアへの反発勢力の活動はぷつと途絶えたのだ。しかし。時代は変わった。世界に核が登場した。
ブリタニアの繁栄はサクラダイトをコアとする超伝導システム搭載の人型汎用戦闘機ナイトメアフレームの実戦投入によるものだ。現地における兵力投下で次々と版図を広げてきた。もちろんサクラダイトは世界のエネルギー事情にも大きな影響を及ぼし電力供給に新たな道を開いたのだが、原子力には適わない。電気抵抗以前に生み出すエネルギー量に絶対的な差がある。一歩間違えば地球を滅ぼしかねない力であるから、当然、ブリタニア主導で設立した国際連合所属国際機関:国際原子力開発機関が随時加盟国の核の使用状況を監視していたが、不完全だった。傍若無人に版図を広げたブリタニアだったが、シュナイゼルの統治に移ってからはその強硬姿勢を改め、あくまでも自主性を重んじる半不干渉の立場を貫いた。つけこまれたと、言ってしまえばそれまでだが、いくらブリタニアが超大国で優秀な科学者集団を抱えていたとして、必ずしも開発のトップに立てるわけではないのだ。天才と言うのは努力で補えるものではなく。その絶対数の少なさからしばしば確率も裏切る。つまり先を越された。
いつの時代も科学技術というものは国家の名の下に軍事技術に搾取されてきたが、それをよしとしない純然たる科学者集団が国家の枠を飛び出て一つところに集った。国際科学財団である。世界中の各分野の頭脳が引き抜かれまた希望してこの科学団体に参入した。研究所自体は多くがEEU内の北欧区域に集中していて、民間機関だからとの理由で干渉を拒否できる場所を選んだと言うところか。
だが時代がそれを許さなかった。
ブリタニアはもとより中華連邦、中東諸国、世界が凌ぎを削る科学分野で、その開発の進度如何で各国のパワーバランスが崩れる。領土の大きさなど障壁にはならない。技術が、世界の王者を変えるのだ。ナイトメアフレームが戦場を駆け直接敵勢力を屠ってきた時代は終わった。実際、核の実戦使用はこの緊張状態の中で初めてだった。実験は何度も行われていたが、小規模とはいえ攻撃手段として使われたことはまだなかった。ただ、原子力の兵力使用の不穏な空気はどこの国にも察知されていたし、科学財団も何らかの対応を独自に考慮していたらしい。そこで詰まった。位置民間機関では研究費用の捻出にも素材にも事欠いた。目をつけたのがEEUだった。
世界平和のために助力しましょう。我々の手をおとりなさい。
望んで繋いだ手ではなかっただろうが、悠長にしている暇はなかったし、彼らにとってブリタニアやいまや内容不存在でゼロの理想を掲げ同盟の元に集った同盟軍の配下に下るのは躊躇われたのだろう。ブリタニアはあまりに強大な国家であったし、また絶対君主制の色濃い帝国主義が国是だ。かの国に与すれば研究の保証もされようが、それは科学の自由、学術探求の財団本旨を脅かされる。同盟軍にしても些かリスクが大きかった。ここにはかつて戦場となったエリア11の協力もあったと言う。エリア統治見直しの嚆矢となったために、他のエリアとは比べ物にならない自治権を獲得したかの列島地区は、極東ユーラシア大陸により近く、自由度を高めたためにもともと抜きん出た技術力で栄えていたことで同盟諸国に取り込まれた。あくまでも非公式な協力であったから、ここがブリタニアのモデルエリアであったこともあり手を出し難かった。とにかく、帝国の国家解体を狙って戦争を仕掛けるくらいには軍事技術の開発に進みがあったのか、ただの慢心か。
いずれにしろ帝国の柱シュナイゼル皇帝が病に伏せたときを狙って世界は緊張状態にあった。
「完成、していると思うな。」
「それは、」
「あの男が乗り込んだ。」
「しかしッ」
シュナイゼル皇帝の腹心だった男。軍技術部所属の科学者風情でありながら爵位を持ちまたシュナイゼルが即位してからもごく身近に拝謁を許された男。帝国を裏切って財団に走り、今は共同戦線を張るとはいえ新兵器の性能如何ではブリタニアへ刃を向けるかもしれないEEUの軍に下った。
「・・・殿下はロイド・アスプルンドを幼いころにご存知であるからそのようなお戯れを。今は帝国の裏切り者です。」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。陛下はあの者を信頼していたし、母上もそうであった。」
正式に除隊はしたが、彼は皇帝陛下の腹心だったのだ。書類手続きどうこうの問題ではない。そして皇帝陛下を第一に考えた故き皇后殿下も信を置いていたとは考えにくい。
「わかっているさ。無闇に人に信頼をおいてはいけないと。ただ優秀な科学者で、遅れを取ったとはいえあの者の専門分野は世界でも珍しいものだったと聞いているからな。より成果の上がるほうに走り極めていたとしても不思議ではないと言うだけで。
カントウ軍管区への兵の配置は完了したか。」
「、はッ。帝国西海岸配備の十連隊を送り込み既に戦闘準備は整っております。」
「いや、私はまだ軍事に口を出すつもりはない。その立場でもないだろう。確認だ。質問かな。」
「はぁ。・・・なに?・・・殿下、どうぞ陛下の御許へ参ってください。ただいまオルフェウス国務尚書より通信が。」
「・・・そうか。では私はこれで失礼する。みな、気を引き締めて頼むぞ。」
笑みすら浮べて幼い言葉を掛けてきた皇子に一瞬気を抜いてしまって苦笑する間も無く、シュナイゼル皇帝陛下の危篤の知らせが入る。この状況で、とは父皇帝の悪化するばかりの容態と緊張が高まる戦状を前に一切取り乱すことをしない皇子の姿に感心してのことだった。七歳で国民全てから慕われた母后を失い、今ブリタニアの頂点に立とうとしている少年。震えも揺らぎもしないのはやはりこれが至尊の血かと畏れずにもいられない。報告を受けて僅かに見せた躊躇いが、唯一あの皇子がまだ十七歳の少年であるのだと示していた。
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どうしてですか、どうして・・私はあなたの
妹ですと、言いかけた唇を塞ぎ『兄上』と紡ぐ息を飲み込んだ。そう、もう兄と呼ばなくていいのだよ。お前は私の妻になるのだから。
「ルルーシュ。私はブリタニアの至高の座につく。そしてその隣にはお前が、私の后として。この国の国母としてあることを。
それがお前の役目だ。この命、尽きるまで果たす使命。お前はルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの名を捨てシュナイゼル・エル・ブリタニアの妻となれ。愛しているよ、私の可愛い、そう、ヴァイオレットがいいな。美しい紫の瞳、至高の色。ヴァイオレット、私の大切な。私達の子が次代の王になる。」
呆然と、揺れる瞳が空に逃れるのを許さなかった。絡め取った視線、映りこんだ自分の顔。ゆっくりと閉ざされたアメジストに兄だった男は消えていく。
ヴァイオレット。私の、たった一人。