シュナイゼル様。あなたは人が信じられませんか?まっさらな心を信じられませんか。
それならわたくしはあなたに一つ。
ヴィオラ。お前の気遣いなのだと解っていた、つもりだった。お前は私に全てを捧げてくれたのだからと、思っていた。けれど。
いつか気づいてしまった。お前はたった一つの言葉でもって私を責め続けたのだと。
たった一つ。私を縛り付けて放さない、断罪の言葉。
FantasmagoriaU
「攻撃開始時刻まであと一時間。最後通告には未だ応答無し。」
「コントロールルーム。兵器の発射システムの状態を報告せよ。」
「反応路に電力供給50パーセント、エナジーフロー正常。射撃統制シークエンス、第一段階の始動完了。」
「了解。引き続き第二段階へ移行せよ。」
「第二段階、システム移行準備。」
淡々と指令室からの命令に返す図らずも同僚となった男を見つめる。そう、命令だ。この科学者の楽園だった財団はEEU・連合軍の圧力の前に膝を折った。
「いいのかしら、プリン伯爵?ここに来てやつらの命令に逆らうなんて意味の無いことだけど、ただあいつらのやろうとしていることは」
「ラクシャータ。今は話している時間はないが、僕は彼らに心まで売ったわけではない。科学者の端くれとしての矜持も、そして忠誠も。」
ぷつりと、通信回線をオフにしてからの会話だったが、
何に対する、忠誠か。聞かなかった。目の前の男は自分たちとは違うものに捧げる心がある。
「・・・危ないみたいじゃない。いいのかしら、こんなところにいて。ブリタニアは次の標的よ。」
いま、戦局次第では次の標的になる巨大国家。この新兵器の前には距離も規模も、意味などない。
「そうだよ。だからここにいるんだ。予定は未定さ。絶対なんてない、そこに人の作為が絡めばなおさら。」
あらそう。この期に及んで何するつもりかしらねぇ。変人の考えることは分からないと、かつて、そして今。ともに一つのものを完成させようと知恵を絞ったブリタニア人を冷やかす。ロイドは計画最終段階に向けて制御パターンの更新のためコンソールに齧りついている。自分の役割は一段落したので、頭部に装着した接続装置を外して軽く髪を掻き揚げた。
ここに愛用の煙管はなかった。禁煙だ。かつて我が子と呼んで心を砕いた鋼鉄の巨人よりはよほど繊細な器械。ふぅとため息をついて女流科学者は昔を思い出すことにした。
「・・・おっどろいた。なぁんであんたがここにいるのよ。」
「いちゃ悪いかい?僕だって科学の徒だ、いい加減ブリタニアも堅苦しく感じていたからね。打診したのは僕の方からだけど、二つ返事で受け入れてくれたよ。」
大学時代の同期だった。金属工学、器械構造学、応用物理学、ナイトメア工学から理論物理学、原子物理学も少し、そして医療サイバネティクスに関しても齧った手当たり次第の修学の時間を経て、互いに研究費用の捻出に苦労した結果、軍事大国ブリタニアの潤沢な資金援助を受けられる国家機関に所属を決めたのは妥協の積み重ねではあったのだ。何事も金よ金、実験も開発も貧乏人には理論に悩む前に立ちはだかるのよ。そうどこかで思うことが嫌だったから、経済後進国出身のラクシャータはこれと定めてナイトメアの開発に打ち込んだし、わが子と呼んで憚らない鋼鉄の巨人の用途に道徳的な善悪の判断を持ち込むことはしなかったけれど。科学は常に中立である。ただの知識であるからその極めた先に何があるのかなど、探求に努める科学者の端くれとして抱えるべき悩みではないと思った。
だが、状況も、おそらく自分の考えも変わったのだろう。楽観的に、無責任に。知を追及するには世界は一方向に視野を狭めていた。核。
サクラダイトのエネルギー媒体としての利用価値は、当該鉱物が発見された当初から注目を集め開発競争が過熱したが、それに一歩先んじたのがブリタニアだった。かの国の驚異的な軍事力を支えるのは、サクラダイトを使用した動力系を組み込むことで可能となった、人型ロボットの実戦投入であることは周知の事実で、サクラダイトを多く埋蔵する領土を有する国家はブリタニアの侵略に怯えた。結局はそれに敗した一国家を足場とした抵抗運動の完全鎮圧によってブリタニアの脅威は世界中に実感を伴い知れ渡ったのだが、同時に警戒を新たにする国家も多かったのだ。ますます領土拡大に邁進するのではないか、国際法も、かの国には暖簾に腕押しぬかに釘。いくら統治体制に変革をもたらしたところでこれまでの対外姿勢が傍若無人に過ぎた。あの超大国から我が国の主権を守り抜くにはどうしたらいい?ナイトメアのような、盤面を一気に覆せる力は無いものか。
知恵を絞った。そして生み出された原子力。電力供給の平和利用の前に、兵器としての派生効果が望まれ各国が抱えた科学者たちはナショナリズムのもと開発に凌ぎを削った。これ一つで、世界のパワーバランスが変えられる。
当然ブリタニアも国力を傾けて臨んだのだが、まずは平和利用のための開発を優先した。獲得した版図のうちには、電力の供給が十分でないために開拓が遅れている地域も多かった。その土地柄に合わせた生活の仕方も無論存在するし現地の人々はそれに不満を抱いていた訳ではないのだが、そこはやはり強者の独善、だが次第に好意的な目を向けられるようになる。人間、便利なものを知ればもう後戻りは出来ない。ブリタニアの植民エリアに下ったことを受け入れることが出来るくらいには、利を供するのが努めであろうと皇帝は言った。実際、純粋なエリア先住民の人口統計を見ると、右上がりの線が描かれていた。必ずしもブリタニアが憎まれたわけではないし、その意味で皇帝シュナイゼルは確かに賢帝の誉れが高かったのだ。
けれど密かに打倒ブリタニアを掲げて武器開発に血道を上げる国々はついに核兵器を作り出した。複数国家でほぼ同時に完成をみたことが救いだった。牽制し合い、また新たに条約を締結することで各国にらみ合いの冷戦状態に持ち込めた。ブリタニアも国際社会に対してもっとも大きな発言力をもつ一国家として核拡散防止の約定にサインした。そう無体をはたらく国もあるまい、あくまで抑止力としての武力保持が権力均衡の新たな礎となるのなら歓迎しないこともない。この大多数の見解を些か楽観的に過ぎると冷ややかな目で見ていたのが、核開発に直接携わった科学者たちだった。
彼らは力に目が眩んだ政府高官たちの催促に科学の徒としての良心の呵責と誇りの不在を感じ取り、抜け出す機会を待っていた。EEUのある一グループが声をかけあい、少しずつ仲間を増やし投資家を探し、国籍の垣根を取り払った科学財団をつくった。そこでは純粋に知の探求に明け暮れながら冷静な観察者の目でいつ暴走するともしれない兵器を見張り対策を講じる者たちがあったのだ。
「皇太子殿下がお着きになりました。」
「おお、殿下。お早く陛下の御許へ。」
ジークフリートが寝所に到着したとき、父皇帝の意識は混濁していて瞳は閉じられていた。軽く身じろぐ様子に、口を開くのを待ったが、瞼を持ち上げる力もないのだろう今の状態ではそれも叶わないことだったのか。そっと手を取り出し握り締める。
「皇帝陛下。ジークフリート、ただいま参上いたしました。」
敬愛をこめて父に呼びかけた。
******
涙が光る長い睫に、頬を撫でる。眠っているのだろうか、それとも自分の顔も見たくないのか。シュナイゼルはしばらく妻となった女の顔を見つめていたが、そろそろと上掛けを引き上げてから自身はガウンを羽織って褥を出た。飛行艇アヴァロンにおいてわざわざ自室に窓をこしらえた。危険も指摘されたのだがそこは強化ガラスを使用することで解決させた。空の上にあって下界を見下ろせないなら、何のためのフロートシステムだと笑ってやれば、考案者は肩を竦めてこの艦の主はあなたですからと応えた。高いところは気分がいいですからねぇとの呟きは聞かなかったことにしてやる。
「もうすぐか。」
帝都の灯りが夜明けも前のこの時間、煌々と瞬いていた。もうすぐ、生まれた場所に帰り着く。そして、もうすぐ手に入れる。この都に君臨するのは自分だ。
じっと手を見て思い出す。あたたかくやわらかだった。辿った肌は甘かった。抵抗はなかった。委ねられた肢体は自分を受け入れて波に攫われた、ただ。一声も洩らすまいと噛み締めた唇は耐え切れない吐息だけを零して、かすかな悲鳴は未だ耳に響いて熱の奔流を蘇らせた。ぐっと握り締めて封じ込める。
「私の、もの。望んで手に入れた大切な。後悔などしない。愛している。」
言い聞かせる響きでなかったことに満足した。本心の吐露だ。そう、自分は今とても満たされている。愛しい子、ともに帰ろう。そして新たなときを積み重ねて。
笑みを浮べる。意識したことかも知れなかった。
「・・・ヴィオラ、ヴィオラ!起きなさい。」
「・・・ぁ、 な・・・」
「なにか、恐い夢でも見たのかな。」
「・・・いいえ。お休みのところ、申し訳ありませんでした。」
細い声でどこかぼんやりと謝罪の言葉を述べる。自分の胸元に抱き寄せて背中を擦る。しがみついてくる腕はいつだってないけれど、逃げもしないぬくもりにほんの少し力をこめた。
夜をともにするようになってから、寝静まったと思えば魘され、彼女が自分で飛び起きて荒い呼吸を宥めていることもあれば、シュナイゼルが先ほどのように悪夢から掬い上げることもしばしばだった。再び眠りに入るときにはこうして抱きしめて横になるのが、
(約束か。きっと私が自分で決めた勝手なことだ。少しでも安らかな眠りをと、願う私の存在がこの子に悪夢を見せている。)
優しくやさしく、包み込むように。真綿でくるむように愛したかったし、そう、愛したはずだ。大切な宝物。彼女だけは自分のすべてで慈しもうと誓ったはずなのに。
(私が開き直れるのと同じほどには、この子は強くはなかったか。)
大切にされることに幸せを見出すことは出来なかったか。
いや、一面では強すぎるからこうして無意識に自分を追い詰める。こうして生き残り優しく手を差し伸べる男の隣で一人冷たい悪夢に怯えている。
(私に抱かれることが、罰だと思えばよいのに。何よりこの子に残酷だろうに。)
自分が愛していると囁くたびに、ルルーシュの失ったものがルルーシュ自身に還る。自分のルルーシュへの執着が彼女から母を奪い妹を傷つけ、綺麗な手も失わせた。想い人への心すら、
(そう、あの少年への想いすら・・・いや。)
それはまだ確かに彼女の中にあるから、こうしてじっと耐えているのだ。消え往きたいと願う気持ちを押し殺して。
エリア11の、副総督の位を与えてやってくれませんか。
そう請われて、無理なことではなかったから若干の特例を設けて総督の座に就けた。ユーフェミアを総督にして、補佐の選任に配慮するつもりだったかと問えば、視線を泳がせてふぅとため息をついて見せたことに複雑な想いを抱いたものだ。イレヴンの下でその命を聞く者は未だブリタニアには少ない。なら彼を蔑ろにしない人間をすぐ上につけるのがいい、お飾りと、言われるのなら更に育てることの出来る人間を。そうして足場を固めてやるつもりだったのだろうが、ルルーシュ。お前をあの少年を引き離すのだから、彼とユフィにも距離を置こう。もとよりナンバーズの取立ては考えていたこと。枢木スザクを総督の任につけることに反対はしない。だからルルーシュ。これは私からお前への最後の贈り物だ。あの二人は遠く離れた地に据えよう。もっとも。
(私が見る限り、お前たち二人は愚かなほどに幼く未熟だ。互いの想いの向く先を、読み違えている。)
ルルーシュは枢木スザクを愛していたけれど、枢木スザクが自分を想っていることは知らなかった。枢木スザクはルルーシュに対する自分の気持ちに名前すらつけられないほど子どもで、畢竟ルルーシュの向けていた想いを親愛と友情の範疇で捉えていた。二人とも、純粋に過ぎた。遠回りをしてでも幸せを与えたいと両者両極端な場所で戦いに身を投じ、互いに身を退き合ってすれ違いの果てに、
(私が引き裂いた。)
哄笑が喉元までこみ上げる。笑い出してしまいたい。自分は今、ルルーシュに残された心の欠片も奪おうとしている。
「灰色の魔女か。お前も酷いことを言うものだ。」
呟いて、腕の中でいまは穏やかな寝息を立てているルルーシュに目を細める。
数日前のことだった。
「シュナイゼル・エル・ブリタニア。私のことを知っているか。」
凱旋式と間をおかずに即位の儀を終え、皇帝の座を手に入れてからは、いっそう厚くなった警備の網を掻い潜り対面している女。人ならざるものを感じさせる整った容姿にライトグリーンの色彩。見知ってはいたがそうでなくとも理解しただろう。なるほど、この者が。
「C.C.と言ったか。ようこそ、ブリタニア宮殿へ。灰色の魔女殿。歓迎しよう。」
笑みを浮べてやれば、無表情に自分を見返して魔女は口を開いた。
「私はもうここに留まるつもりはない。しばらく世界を見て回ろうと思う。一言、告げるためにやってきた。」
「それは残念だ。我が妻を助けてくれたこと、饗をもって労おうと思っていたのに。」
不快げな顔をするでもなく怖じけるでもなく、進めたソファに腰を下ろした魔女は淡々と続けた。
「礼などいらない。 おかしなものだな、シュナイゼル?ルルーシュに力を与えたためにあの戦争が起きたんだ。私を憎めばいいものを。」
目を細めるだけで応える。魔女も分かっていて言ったことだ。そう、憎んでなどいない。払った犠牲、それ以前にあの子の命を救ってくれたことに感謝している。結果としてブリタニアは崩壊しなかったし、あの子は今自分の手の中にある。憎む理由がどこにある。
長い髪を指先でもてあそびながらの目の前の女に、話とは何かと先を促せば、悪い話ではないと返ってきた。
「私の眠りを妨げたことには目を瞑ろう。ルルーシュも、そしてその母マリアンヌも面白い人間だった。もうしばらくこの世界に生きることも悪くはないと思っている。」
「やはりマリアンヌ皇妃を知っていたか。ルルーシュは気まぐれだと言っていたが。」
「そうさ。私は孤児を見るとどうにも手を出したくなってしまってな。これまでにも何人か拾って育ててきた。幾人かにはギアスを与えたし、マリアンヌもその一人だった。
知っているか、私でも契約の前にギアスの形を予測することは出来ない。好奇心であの力を拓くこともあるし、マリアンヌはまさにそれだった。ルルーシュの場合は、そう世界が望んだからだ。」
「世界の代弁者であると、自ら言うか?」
「フフ、妄想だとでも笑えばいい。信じてもらわなくとも私は一向に構わない。」
「信じてもいいさ。私はこの先揺れる世界を見ることになるのだろうから。」
ブリタニアに抗しようと動き始める世界を。ゼロの出現によりその消滅により、いっそうの脅威を抱き始めた国々の目指す先を。ゼロから始まる行く末は正か負か。だが今は。
「本題に入ろうか。そう時間は取れないのでね。」
「これは皇帝陛下に失礼した。告げる言葉はマリアンヌのものだ。契約者とは死してのちも言葉を交わすことが出来るのでな。ルルーシュに、もう過去を捨てさせてやってくれと。」
「・・・それは、どういうことかな。」
悔やむなということか。自分の死は彼女のせいではないと伝えろと?願ってもない、むしろ直接言ってはくれなだろうか、あの子に。自分はもう恐れも怖気もしないし、あの子にそう言える立場でもないのだから。
「お前が考えていることは当らないな。ルルーシュのギアスは知っているだろう。絶対遵守の力。あれは自分自身にも有効だ。」
「・・・ああ、そうなのか。記憶まで奪えと?」
笑い出しそうだった。可能か、そんなことが。あの子のすべてを私のものにできると?ああなんと。魔女のささやきはこれほどに甘美か。
「好きに命じればいいさ。」
見通すような視線が、昔葬った悲劇の皇妃のものに思えて仕方なかった。
目を見ておけ。一度だけ、見抜く力をくれてやろう。
そう言って立ち上がった女から、視線を外して遠ざかる足音に耳を澄ませる。まだ何かないか?死した母親。私に何か言うことはないか。
「ああ、言い忘れていた。シュナイゼル、お前にあの子はギアスをかけてはいないよ。」
耳に焼き付いて離れなかった。
******
「あの男、ロイド・アスプルンドと言ったか、あれは信用できるのだろうな。」
指令室で連合軍に籍を置き、現場の指揮系統を任されている男が誰にともなく口を開いた。
「は。確かにブリタニアにて爵位を持ち、現皇帝にも近く接したことのある男だったとは知られていることですが、その前に一学者であると、財団の者は申しております。」
「ふん。忠義よりも欲を取るか。どちらにしろ、この兵器の制御はこの男にしか出来ないのであったな。」
「ええ。生体相互作用コンピューターの生みの親。特殊なインターフェースを使用しているので、操作には経験と訓練が不可欠です。」
「いずれ軍部にも適合者を見つけるべきだな。教練も命じよう。」
「そうですね。今後この兵器の存在は世界を変えましょう。一人の男にのみ委ねているわけにはいきません。」
軍人の言葉に耳を傾けていた財団幹部研究員は、不安そうにコントロールルームに視線を向けた。
「・・・ロイド。これでいいのか。」
重力場発生装置、つまるところ人工ブラックホールを作り出す装置であった。原子力の登場から時を経ずしてはじめからそんな大それたものを作ろうと研究がなされていたわけではない。偶然の産物だ。ある天才科学者が第五、六の空間の存在を理論的に提唱し、質量の生じる過程を論文にして科学界は大きく揺れた。
「つまり、観測することの出来ない次元が存在していて、その次元相互間の素粒子・・・すべての源です。我々もこの素粒子からできています。光でさえも。その粒子が第五、六の次元を移動するその過程で重力が生じる。
観測が不可能な、つまり不不可視の空間から出て、不可視の空間へ行くのですから、私達には突然現われたり突然消えたりするように見えます。この、消える、消滅するときに重力が発生するんです。重力はただ昔からそこに存在するわけではない。動的な現象なんです。わかりますか、重力と言うものは質量を有する物質と切り離せなかったものなんです。これまでは。天然に、そこにある。それだけが我々の知る全てだった。けれど、人工に、何も物質のないところに。重力を発生させることの出来るということなんです。」
ロイドは、やや興奮気味であることを自覚しながら目の前の美しい女性に向かって身振り手振りをまじえて語っていた。
「レディ・ヴァイオレット。これは世紀の発見であり科学の成果だ。原子力の登場と並ぶ、いやそれ以上の大発見だ!」
レディと呼ばれた女性は、良く手入れされた庭園を走り回る子どもを優しく見守りながら真っ白に輝く髪を揺らして口を開いた。
「磁気の発見と似ていますね。今は当然のように簡単な道具で作り出せるけれど、昔は岩の塊から手をかけて取り出さなければならなかった。」
「ええ、ええそうです!僕も電気工学、電子工学を齧ったことがありますが結局は応用以前に基礎理論があって、僕達は先人の偉業の上に利益を得ているに過ぎないんだ。」
やや、肩を落として尻すぼみに言う。そうだ、この物理法則のほぼ全てを根本的に変えてしまう画期的な理論は、どこかの天才が考え出したもの。自分と比べるつもりもないけれど、ほんの少し悔しいのだ。先を促す穏やかな眼差しに、声を落として続ける。
「・・・いつだって僕はアイデアマンにはなれないんです。応用技術者と言えば聞こえはいいけれど、エンジニアに過ぎません。作り出すのは人の理論の上に乗ったものしか生み出せないんだ。」
「それも、兵器を?」
静かな問いかけに奥歯を噛み締める。そうだ。結局自分は人殺しのおもちゃを作って喜んでいる子どもに過ぎない。それでも構わないと思っていたし、確かに自分の手によるナイトメアフレームはこのブリタニア帝国の命運を分けた。一つの成果である第七世代のプロトタイプにはランスロットと名前をつけて愛着もあるし、これまでの人型汎用兵器のエネルギー面での弊害を刷新した第八世代には自信もある。だが、ほんの少し。時代の流れにおいていかれた気がしているのだ。新しいものを追い求めるのはきっと自分の生まれついての性で、追い続けている限り何を作っていようと幸せだったのだけれど、ほんの少し。自分がちっぽけな人間な気がして、事実そうなのだけれど、悲しくなってしまった。
久しぶりに話をしよう。ヴィオラもここのところは体調が良いようなのでね。ほら、なんと言ったか。お前が騒いでいた話を彼女にもしてやってくれないか。
帝国の至高の座に就いた今でも、シュナイゼルは皇子だったころの気安さで自分を招く。技術部所属の自分と彼の接点はもともと少なかったのだけれど、皇帝になった今では直接会う必要も意味もなかった。だがこうして、彼の大切な后である女性と二人だけで話をすることすら許されている。彼の腹心であることは今でも変わらない事実であると微笑んで言われているようで、面映くもあるのだけれど、今はどこか素直に受け留められない。
「レディ。僕は陛下のもとでとても楽しく研究を進めることが出来たんです、いや、今だってとても楽しい。陛下の御計らいには感謝してもしきれない。ですが、今は迷っています。」
「今日は、お時間が取れなくなったとおっしゃっておりました。アスプルンド伯の言葉を聞くのはわたくしだけです。どうぞ、おっしゃってくださいな。」
信頼だ。そう思った。
神聖ブリタニア帝国においてただ一人の、もっとも高貴な女性であるこの人は、夫であるシュナイゼル皇帝に忠誠を誓っている。皇帝を害することはありえないし、心を尽くして皇帝を支えるのが務めと、自らに言い聞かせている人だ。シュナイゼルと、一人息子であり皇太子であるジークフリートに向ける眼差しには、穏やかで曇りのない愛情だけが注がれていて、それがこの人に国民の誰もをして敬愛の念を抱かせる国母の地位をゆるぎないものにした。
そう、シュナイゼルを害するものはこの皇后殿下は許しはしないだろうし、もし自分がシュナイゼルを裏切るようなことでもほのめかせばその旨彼女を通してシュナイゼルに伝えられるはず。けれど今この人は自分の胸だけに留めおくと言った。何を話しても二人だけの間のことだと。
(信頼だ。・・・だから僕はあなたに話して見ようと思ったのかもしれない。)
専門用語で話してもついてきてしまう深い知性も感じられるけれど、自分は科学者としてこの女性と話をしたいわけではない。たぶん、言ってほしいことがあるのだ。それが何なのか自分でもはっきりとしないのだけれど。
とりあえず、噛み砕いて話して見ることにする。
「理論上は、けっこう昔から唱えられていた説なんです。数学的に証明されたのがつい最近のことというだけで。現象はそこに今も昔も存在しているけれど、どうしてそういうことが起こるのか、説明の出来ないことは多いでしょう。」
「ええ。それは、よく存じております。」
「だから、知らずにすごいものを作り出してしまっていることは割りによくあることで、この理論にしても物理的な発明が先行していたんです。」
「気づかないうちに重力を作り出してしまっていたのですか?」
「いや、そこまでは。ただ、数的モデルは組みあがっていてもそれを実際に実験で確かめることが出来なかった。それでこの理論の提唱者は悩んでいたのですが、なんと国際科学財団の一研究室がそれをやってのけていたんです。・・・これは極秘の、まぁ伝ですね。昔の友人連中から教えられたことなんですが。普通まだ実験段階の状況中継なんてしません。完成するまで隠しておくのが一般的です。自己顕示欲の、一種かもしれません。先を越されるのはどうにも我慢できない人間がこの業界には多くいる。」
だからこそ、情報を自分に回して寄越したことが面白くないのだ。大学の同期で女流科学者だった悪友がコンタクトを取ってきたのだが、ブリタニアから動く気はないのだろうと、明らかに揶揄する様子が見て取れた。ブリタニアは実は技術後進国に落ちつつあった。あくまで軍事技術としてはと、限定句を付すがしかし、これまでブリタニアで先駆者の地位にいたロイドにとって不愉快なことだった。人殺しの力など率先して生み出したいわけではないのだが、それとこれとは話が別だ。こういうところで善悪を問わない思考が顔を出す。いつだって知識の先頭にいたい。
「それで、結論だけお話しすると、観測装置の応用がブラックホールを作り出してしまうんです。
二つの次元、これを高次空間と呼びましょう。行き来する素粒子の乗る波を高次波動と呼びます。高次波動は我々にとって可視的な通常空間のすべての場所に同時に存在することができると言う属性を持ちます。超波動と呼んでもいい。これの意味するところは、時間という次元を超えると言うことです。」
「つまり、その高次波動を確認し、制御することが出来れば時空の制約を受けずに重力場を発生させることができるということですね。常に即時、ゼロ距離ゼロ時間で質量の移動が可能になる。素粒子はすべての源とおっしゃいましたね。では情報にもそれは当てはまるのでしょう。衛星を介さずに双方向の伝達がなるなんて、驚いてしまいますわ。」
楽しそうに後を引き取って続けた目の前の人物に、ロイドは絶句した。
(時間と言う概念を。こうもあっさりと取り払ってしまえる人間は少ない。共時性から即時出力を引いてみせるこの回転の速さは・・・この人も、皇統の血筋だったということなんだろう。飛びぬけて優秀な。けど、あの人はきっとそんなところに惹かれたんじゃないんだろう。)
母上!と、駆け寄ってきた皇子に慈しみの眼差しを惜しみなく注ぎながら、そっと頭を撫でてやる姿を見て思う。
「母上。あちらの花壇を見てまいりましたら、もうスミレが咲いておりました。母上の目の色とそっくりです。」
「まあ、わたくしのために摘んできてくれたのですか。ありがとう、ジーク。でも、あなたの瞳の色もそっくりですよ。」
「僕は母上と父上、お二人の子どもですから。一緒でとても嬉しいです!」
にこにこと、おそろいですねと笑っている小さな皇子の言葉に目を眇める。
(皇子殿下。あなたはその意味をいつ知ることになるのでしょうか。いないわけじゃない、アメジストの瞳を持つ人間が市井にも。けれど真実はいつも向こうからやってくるのです。望もうと望むまいと。偽りの垣根を取り払って気づきたくないことに気づかせる。)
では母上、もう少しお庭を見てまいります。アスプルンド伯爵も、また。
無邪気に言って駆け出してゆく子どもの後姿を、臣下の礼をとって見送りながら、言うか言うまいか迷う。まだ本題に入ってはいないから、引き返すこともできるのだ。白魚のような指先で可憐な花びらを撫でている、まだ、少女の面影を残す主の最愛の女性を見遣りながら言いあぐねてため息で誤魔化す。
(でも、引き返してもまた迷うだけだ。だから。)
白衣の伯爵は、昔躊躇う皇子の背中を押したときの気持ちを忘れていた。「悠然と笑っていてください。」語りかけた言葉の意味しか記憶になかった。だから、ほんの少しのけれど確かな。憐憫と。
憎悪を宿して口を開く。
「レディ・ヴァイオレット。皇后殿下。
陛下はあなたを迎えられてから変わられた。変わって、しまわれた。」