愛せるものなら愛したかった
ドサリ…―――
講義帰りの重い鞄を放り出して真っ直ぐバスルームへ向かう。以前だったら、彼と、二人で。夕食を取りながら他愛もない軽口を叩いて夜は穏やかに更けるのだった。けれど今は一人。大学に入学して以来借りたままにしていたワンルームのアパートだ。
キュ、 ザ、ザアァ――
湯の元を捻ってすぐさま頭から湯を浴びる。浴槽に浸かりはしない。ユニットバスはひどく使い勝手が悪いのだ。一人暮らしを始めて程なく、スザクは父が借りてくれたアパートに帰らなくなった。口をついて出るただいまの言葉に返る言葉はなく、迎える人もない生活に早々と飽きてしまったのかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。ただ、スザクは毎日彼の家に帰り着いては嬉しそうな笑顔を見つめながら夜を過ごし、朝は二人で家を出て、また同じ毎日を繰り返していたのだ。
けれど。
自分の気持ちに気づいてしまった。
彼に対して抱く心の形を知ったとき、スザクは大いに悩んだのだ。なんてことを。彼に、なんて気持ちを、僕は…―――
彼は男だ。そう、自分と同じ、だが自分よりも白く、透き通るような頬にはにかむような朱が上るとき、自分は何を思った?彼の低く通る声が、自分の名を呼ぶときにやわらかく解けるのを、どんな気持ちで聞いていた?生まれた時から共にいた、空気のように自然であたたかな彼のぬくもりに、一体いつからあさましい――そう、浅ましい欲望を覚えたというのだろう。
…疑うことを知らずただ常のように触れてくる彼の手を、振り払うように飛び出したのだ。自分よりも幾分細い腕。ふれあいなど幼い頃から記憶にすら残らぬ頃から、自分と彼の間にはあったというのに。どうしてこうもたまらず彼を、傷付けるような真似をして。
傷?そうだ、彼はひどく傷ついた目をしていた。
もうここには帰らないと言えば、一言、そうかと。それだけだった。ぽつりと頷き笑顔を浮かべた。ひどく、寂しげな。
―――…抱いた思いは歓喜であった。彼は、自分との別れを惜しみ悲しみ、そして言うか言うまいか悩んだ末にこれだけ。
―また、いつでも。会いたくなったら、いつでも…。
そう口にして自分を見送った彼の姿のなんとうつくしかったことか。寂しげに手を振る彼の、なんと儚く優しげな紫の瞳。歓喜だった。自分は身勝手な男だ。縋りたいときに彼の手に縋り、帰りたいと思えば断りもなく彼の家に上りこむ。離れるときも、突然に。
追ってくるのは焦げ付くような罪悪感だ。自分は、自分の浅ましい欲のために彼が伸べる手を払い、振り切りここにいる。だが、それは同時に安堵であって。彼を、思いのままに壊さぬためのこれは手段であり。
スザクはどれだけ彼が自分との別れを惜しもうと、彼の元へ帰るつもりはなかった。帰ればきっと傷付ける。今の別離以上に彼を――同性であり抱くべきは親愛の情であるはずの彼、穏やかに好くそれだけで幸福であるはずの彼に、激しい思慕の奔流を曝け出すことは彼を、過たず惑わせ、そして苦しめ、きっと二人の関係は変わってしまう。スザクが望まぬ形で壊れてしまう。
今の関係で、自分は満たされて在るべきなのだ。
キュ、
タオルを取って些か乱暴に水気を拭き去る。ぽたぽたと湯が滴るままにしておけば、彼はいつも苦笑しながら実に丁寧な仕草で髪を拭ってくれたものだ。自分ではほとんど使わないドライヤーなぞを持ち出してふわふわと収まりの悪い髪を梳きながら、真っ直ぐで面白みのがないのだと、自分の黒髪を嘆くのだ。スザクにしてみれば彼の髪をこそ絹のように労わるべきと思うのに、彼はいつでも手櫛で済ませるのだった。たまの気まぐれで同じことをしてやれば、実に嬉しそうな顔ではにかんでいたものだ。かわいらしいと、同じ男で――彼に抱くべきではない想いに胸を焦がしていたスザクを彼は知らないのだろう。
だからこうして、
ピー、
…また、いつもと同じ時間だ。夜の11時。
彼は電話に出ようとしないスザクにそれでもメッセージを残してゆく。耳に馴染んだ彼の声が、機械を通して流れ出す前にスザクは線を切ってしまおうかと考えた。電話線を、今、彼と繋がっている唯一の細い線を、ぶちりと。無造作に、彼を払いのけた時のように。
だがスザクはそうしなかった。理由はない。なんとなく、そうしなかった。出来なかったのかもしれない。
彼の声を、もう何日聞いていないだろう。あの、低くて甘い優しい声。スザク、と、嬉しそうに名前を呼ぶ彼の声。懐かしい声を聞きたかったのかもしれないし、少しだけ。スザクも寂しくなったのかもしれなかった。好きで離れたわけではないのだ。いや、好きだからこそ距離を置いた。彼のために。他ならぬ、彼のために。
プツ―――通話がオンになる音。流れ出す彼の声。
「…スザクか?おかえり。今日は、どうだった?風邪を引いていないか?」
ごはんを食べているか?夜はちゃんと寝ている?寝坊はしていないか。困ったことは?
いつも決まって、彼は同じことを繰り返す。どれもスザクの身を案じるものばかりで、別れた日の彼の顔を思い出しては胸が締め付けられる。
「ッ、」
思わず拳を握り締めた。自分だって、彼に会いたい。会って二人で暮らしたい。けれどそれは出来ないのだ。彼のため、他ならぬ彼のため。スザクの大事な彼のため。
…なのに。
「スザク?そこで、聞いているんだろう…?寂しいんだ。帰ってきてほしい。無理にとは、言わないけど、でも…」
躊躇うような言葉が聞えてくる。逡巡しながら、帰ってきてほしいと。それは彼の本心なのだろう。スザクの想いなど知らぬ、彼の素直な気持ちそのまま。
「僕の気持ちも知らないでッ…」
素直な、彼の声を聞きたくない。そう、素直な…
「スザク、スザク…すざく…、帰って……ぐす、」
…素直で、彼の感情だだ漏れな声が、聞えてくる。
「…電話線、切ろうかな。」
受話器の向こうから、くすんくすんと咽ぶ音。
スザクは拳を握り締めて耐えていた。
「すざくー…また二人で暮らそう?もうシャツ一枚で歩き回ったりしないからー、ベッドに潜り込んだりしないからぁ…父さんさみしいよぅー…」
「 、ぁんの…ばかおやじー!!」
…耐え切れませんでした。
スザク・ランペルージ(※名前を修正しました。)18歳。
大学入学と同時に一人暮らしをはじめるも、父子家庭であるために一人家に残してきた父が心配で程なく出戻る。(アパートはそのまま。)
普段どおりの父一人子一人の生活を続けるが、ほんの少し(一月ほど)息子のいない一人暮らしを経験したパパが、それまでに輪をかけてさみしがりやの甘えんぼになってしまったために、息子の理性が焼ききれて再び家出。
「すざくー、一緒に風呂に入ろうか?背中流してやるぞー?」
(※服を脱ぎながら甘えた声で当然おねだり口調なわけです)
「えへへ、本当は明日戻りのはずだったんだけど早く終わったから。」
(※深夜日付も変わる頃に隈を作って帰ってきました。明らかに無理やり仕事を終わらせた。)
「…大学って、授業参観ないのかなぁ。」
(※息子:「あるわけないよ!こないでくれ!」)
「勉強が忙しくなってきたから。」と云う息子に物分りよく送り出したはいいものの、一週間ほどで耐え切れなくなった息子にべったりなパパ。毎晩くすんくすんと電話をかけてくるので、家を出たくて出たわけではない息子は非常に迷惑。
でもお仕事に関してはスーパーリーマンなパパルルーシュ。