「ごめん、兄さん……ごめんなさい」
目の前で進められてゆく作業に、ロロはきつく目を閉じた。
<<記憶ノード1、接続開始>>
『ロロ、ドウシテ、イヤダ……』
<<記憶ノード2、初期化開始、初期化完了>>
『ナニヲ…スル……オレ、ハ、モウ……!』
「必要なことだ。あなたは僕らに必要なんだ」
<<記憶ノード3から20接続待機。続いて神経連結器を起動>>
『ソレハ、オレジャ ナイ!ニセモノ、ダ、オレノ、ボウレイ……!』
<<神経連結器をNNコアと接続開始、フロー正常、シグナル・インプット・スタート>>
『――ヤメロ!!』
「蘇れ、我らがゼロ」
真・接続された男
「今日の訓練は、ここまでとする」
枢木スザクは年若い見習い士官たちの敬礼を受けて踵を返す。ブリタニア帝国と合集国連合が軍備の増強でパワーバランスを保つ時代は終わった。年明けに行われた主要国首脳会議においては世界規模の軍縮計画が公式議題に挙げられ、議長を務めた合集国連合の創始者であり合集国日本の大統領ゼロが続く第一次戦略兵器制限暫定協定を、エネルギー開発支援と引き換えブリタニアに譲歩を迫る形で署名・発効させた。超伝導物質サクラダイトは当初の推定埋蔵量、採掘可能計画を大きく下回り既に兵器産業に浪費するだけの余裕はない。世界中でエネルギー革命を起したレアメタルを手に、専門家は短い夢であったと苦笑う。桜石とも呼ばれる美しい鉱物資源に国力の拠って立つところのブリタニアは、実質採掘増加率の伸びが2パーセントを切ったあたりで早々に見切りを付け、かねてより開発の進められていた原子力によるエネルギー確保に方針を転換した。ここ十年の間に飛躍的に進歩した技術により国内発電量の二割を原子力発電に頼る。しかし未だその危険性は強く指摘され、放射性物質の処理にも難渋を強いられていた。人類史上最悪の兵器になりうる可能性は集目の知るところであり、核不拡散条約の締結を急ぐEU諸国は原子力の平和利用を謳うブリタニアに対して過去の軋轢から硬い態度を崩さない。先んじていたのが合集国の抱える科学者集団で、彼らはブリタニアとは別の方法を取った。サクラダイトを人工的に創り出す。これこそ夢物語と笑う各国の研究者たちを尻目に、連合の擁する天才たちは遂に常温ギガ伝導体の開発に成功した。本物のサクラダイトには劣るが、エネルギー貯蔵密度は従来のものをはるかに超え、第三次エネルギー革命をもたらした。数年のうちに連合中の動力貯蔵装置がギガ伝導体に取って代わられ、完全に後れを取ったブリタニアは交渉力に欠くことになる。
ゼロの最後の仕事となった協議会の場で、現軍備の二割までを削減する具体的数値目標を盛り込んだ軍縮条約に、ブリタニアは署名せざるを得なかった。化石燃料は枯渇した。救世主と思われたサクラダイトももはや頼りに出来ぬ。バイオ、太陽、風、水、原子力――作り出したエネルギーをいかに効率よく留め利用するかが人類の命運を分けることは誰しもが理解していた。受け入れざるを得ない。結果として、エリア11の軍隊も解体・縮小が決定され、量の不足を質で補おうという苦肉の策が提案された。
その、一方で。
ブリタニアの核物理学者たちが生み出した怪物と呼ぶべき兵器は、超大国の名をほしいままにした帝国の威信を賭けて、着々と盤上の逆転を期して目覚めの時を待っていた。
◇◇◇◇◇
スザクが予定していた通り応接間に向かうと、ロロ・ランペルージがすました顔をして茶を飲んでいた。
「お久しぶりです」
思わず苦笑する。このエリア11に留まり所帯を持ったナナリーの元から真っ直ぐやってきたのだと言う。生前のルルーシュからの伝言と千羽鶴を受取ったナナリーは、しばらくじっと考え込むように沈黙していた。なぜ直接会いに来てくれないのかと、詰ることもしなかった。十年も前に『愛している』と一言だけを残して去った兄を信じ、今まで捜索も詮索もせずに待ち続けた意味がなくなってしまうと考えたのかもしれなかった。それで、とナナリーは沈黙を破った。
『私に会いに来てくださらないのは、私をおそばに招いてくださらないのは、拗ねていらっしゃるからなのでしょうか?』
スザクはこの時のナナリーの態度にほっとした。彼女はもう兄の置かれた状況に勘付いているだろうが、いたずらげに首を傾げてみせる仕草は自暴自棄になろうとする者のそれではなかった。ただ忙しい職務の合間を縫って足を運んだスザクと、呼び出してまでスザクに会いたがった兄のことを思いやろうとする気遣いに満ちていた。だからスザクは言ったのだ。ルルーシュのそばで長いこと過ごした人間がいるから、君が望むのなら呼び寄せようと。
ルルーシュから気のない風に提案されていたのである。さすがの彼も一等愛した妹に何も残さずこの世を去るのは辛かったと見えて、おそらくナナリーの代わりに彼が慈しんだ、手続きを経て本物の弟となったロロを彼女のもとへやろうと言ったのだった。ルルーシュの、ナナリーに対する後ろめたさの最たる象徴が、どうもこのロロらしかった。『俺もお前のように兄弟がいなければ、もしかしたらもう少し……』と口篭った彼をスザクは笑った。動じることもなく二人のやりとりを見守っていたロロは、既にルルーシュと話はまとまっているらしく、殊勝に兄を亡くした妹の思い出話に付き合ってやることを約束してくれた。そして、新居にも慣れてナナリーが落ち着いた頃に、ロロはスザクの頼みでエリア11の土を再び踏んだのである。
「ナナリーはどうだった。初対面だろう」
スザクは自分も秘書の運んできたコーヒーを飲みながらそう訊ねた。
「兄さんの言う通りの方でした。昔は嫉妬もしたんです。でも、これまで兄さんを独り占めしてしまったことをすまなく思った」
スザクはロロの言葉に頷いた。ナナリーには、ルルーシュを一番近くで支えてくれた青年だと話してあったから、きっと彼女もロロに礼を言ったのだろう。その言葉に嘘はなかったはずで、この世界で二人だけが知っている、あのルルーシュの弟妹として過ごした日々に花を咲かせたに違いない。それでも、一番難しい役を頼んでしまった手前、スザクはロロを労った。
「なにがです?」
「ナナリーに、僕は何を伝えたらよいのかわからなかった。彼女には罪悪感があってね。僕があの兄妹を引き裂いたようなものだから」
「ああ、そのことですか。おまけに兄さんはもう故人ですしね、顔を合わせづらいことこの上ない」
容赦のないロロの台詞にスザクは詰まった。だが、返す言葉を探そうとしてロロにやるとはなしの視線をやっていると、ロロは奇妙に遠い目をして口を噤んだ。目を細めるが、その目は焦点が合っていない。
「ロロ?」
「……ああ、いえ。失礼しました。いいんですよそのことは。僕も彼女に会ってみたかったから」
首を振って若干苦笑を滲ませてロロはそう締めくくった。違和感を感じはしたものの追及するほどスザクは彼と親しい間柄ではない。
「ところで、顔色が優れませんね、枢木卿。お疲れのようですが」
スザクはロロの探るような視線をさりげなくかわした。
「総督業は思いの外激務でね。僕は期限付きの代理だし、次の新総督が就任されるまでこのエリアを平穏無事に守る責務がある」
だから些か気疲れしているのかもしれないと言葉を濁して、スザクは常なら入れない砂糖とミルクを足した。
ナナリー皇女が降嫁の折皇籍を返上して総督の座を退いてから、新しい総督が派遣されてくるまで代理を務めるエリア11の実質的トップは、スザクである。ロロに言った言葉は本当だ。
三月前に総督代理の任に就き、以降新総督を向かえるための準備と政庁の管理システムを一新する作業が並行して行われている。技術の進歩は目覚ましい。個別の更新作業は逐次行われていたとはいえ、テクニカルサイクルからして、このエリア11の心臓部であるマザーを入れ替える必要があった。合集国との関係も良好で、有事の際には最初の戦地となるここも今は平穏無事な日々を過ごしている。好機であった。万が一、億が一の有事に備え、北欧神話の女神『フレイヤ』の名を与えられた核兵器は、抑止力として秘密裏に。ここエリア11のセキュリティシステムと連動・配備されることとなった。総督交代の節目にあわせて、本国から派遣されたシステムエンジニアたちが昼夜を問わず置換作業に勤しんでいる。
スザクはそのことに最後まで反対した。持たざる物に触れることはできないが、兵器はそれ自体が意思を持ち、いつの日にか必ずや我らに牙を剥くと彼は語った。以前とは比べ物にならぬとはいえ、ブリタニアはなお健在であり国民の命が脅かされているわけでもない。今は核の平和利用を模索するべきであろうと訴えた。
しかしわずか三年にも満たぬ間に世界の半分を手中に収めた合集国連合の存在は、それだけでブリタニア帝国軍部を警戒させ、合集国建国の足掛かりとなったエリア11を死守することはすなわちブリタニアの威信を保つことであると認識させた。しかして一ラウンズの発言力は軍総司令部に競り負け、現在総督府の地下では密やかに女神がまどろむ次第である。いくら技術顧問団が暴発・誤作動の恐れはないのだと説得したとて、高々一度きりの実験とその成功を示された程度で租界一つを丸まる飲み込む死神の懐で過ごす度胸は生まれない。“大統領のスーツケースのボタン”を握る重圧が、さらにその双肩に圧し掛かる。
それはロロにも、合集国の人間の誰にも、このエリア11に住む市民の誰にも、言うことはできない機密だった。純粋な抑止力として保持するという建前ではあるが、所有している時点で現在の軍事面の潮流からすれば重大な国際問題に発展する可能性は高い。実のところ、核兵器の開発が世界的には現実的でなかったことが災いしたのだ。存在しない兵器を取り締まるほど軍縮の盤面は余裕がない。スザクは軍部の血気が収まるまで、この女神を眠らせておき、然るべき措置に持ち込む心積もりだった。できればこのまま世に出ぬうちに葬り去りたい。存在してしまった事実は消すことは出来ないが、よもや実戦においてその威容を見せ付けることのないよう祈るばかりだ。幸い近々新しく向かえる予定の総督は穏健派に与していると聞いている。軍部の暴走は、次こそ自分が押さえ込むつもりで、スザクは今の任が解かれるのを待っているのだ。――ルルーシュが生きていたら、どうしただろうと考えてしまう自分をわらいながら。
そんなスザクの様子を、ロロはじっと見つめていたがやがて視線を外してこう切り出した。
「枢木卿、兄さんの死が堪えていはしませんか」
スザクは目を丸くした。それは、確かに平気じゃないとは言えない。二十年、スザクと最も旧く付き合った男なのだ。思うところはある。だが自分はナナリーや他の皆とは違い、彼と直接会って別れを告げることができた。どういう理由で、どんな気持ちで彼が死んでいったのかを知ることができた。少なくとも、自分よりは余程にルルーシュの死に心を痛めているはずのロロに弱音を吐くような、そんな立場にはないと思う。
「君の方こそ、大丈夫なのか。遠慮していたんだが……ルルーシュの最期は、穏やかだったか」
ロロは一瞬怯んだように瞼をふせた。思い出しているのだろう。苦しんだのかもしれない。スザクが知らず眉を顰めていると、ロロは気を取り直したように顔を上げた。
「僕は心の準備をする時間がありましたから。兄さんは僕を残して行くことを悲しんでくれた。それで十分です。僕や兄さんが心配しているのはあなたのことですよ、枢木卿。お分かりとは思いますし、僕のしてきた仕事をご存知なら戯言をと思われるかもしれませんが、人の死をうやむやなまま放置してはいけません。取り戻せるものではありませんが、気持ちを整理することは大切なんです。兄さんのこと、あなたの中で整理がついていますか」
「僕でよろしければ話してください。慰めるつもりはありませんが、兄さんが病床に呼んだただ一人の人だ。話を聞くくらいのことはしてさしあげます」
スザクはロロの言葉に軽く目を瞠った。今の言葉に込み上げるものはなんだろう。喜びか、安堵か、それとも後悔か。
なんにしろ、自分の気持ちを告白する相手として、この青年ほどふさわしい人間はいない気がした。自分や、ナナリーと同じかそれ以上に、ルルーシュのことを知る、彼が認めた弟。
「――ああ、そうだな、そうしよう。……ひとり言だと思って聞いてくれないか。僕も、心の準備は出来ていたはずなのに、顔に出るくらいには、堪えているらしい」
そう前置いて、苦笑を滲ませながらスザクは誰にともなく心中を吐露し始めた。ずっと、蟠っていたもの。
置いていかれたのだという、その想い。
◇◇◇◇◇
『なぁ、スザク』
あの日、最後に引き止めてルルーシュが言った。
『なぁ、スザク。俺はお前に謝らなければならないな』
――一体何に対してだろうと、スザクは思考を巡らさなければならなかった。互いに業を負った身である。互いの間で起こった出来事に決着を付けようと思うのなら一生分の時間が必要だろう。並みの一生すら残されていないルルーシュにはなおさら、取捨選択を要する事柄であるはずだった。自分だとて、彼にいくつ謝罪の言葉を述べればよいのだろうか。それよりも、と、スザクは思った。
それよりも、自分は今、この胸の中に蟠る想いに名前をつけなければならい。まだルルーシュが自分の言葉を聞いてくれているうちに、ルルーシュが、ここにいてくれるうちに。
そこまで考えて、スザクは思考を放棄した。何もかも放り出したくなった。考えたくない。
(俺は今、何を考えたくないんだろう……)
しかし頭は言葉を探す、答えを探す。嘘偽りなく最もはじめの友が死に往かんとしている。ここを辞すれば、もう再びの邂逅は望めない。
『スザク、俺がお前にかけたギアスは、まだ生きているのか?』
真摯な声でルルーシュは問うた。ああそのことか、とスザクは思った。生きているよと、返したはずだ。君のうつくしかった瞳が失われた今も、こうして俺を縛り続ける――そう続けようとして、込み上げるものがスザクの心を塞いだ。息も出来ないほどに圧し掛かる重みを感じた。目の前が暗くなるような何か。救いを求めて親交を取り戻した親友を見つめているうちに、スザクはもう堪えきれなくなった。力のない彼のてのひらから自分のそれを引き抜いて、後ずさる。ルルーシュのカメラアイがキュゥンと音を立てて焦点を定めるのにハッと気がつく。
冷静にならなければと深呼吸をすれば、消毒薬のにおいが肺を満たした。再び目頭が熱を持つ。
ルルーシュはそんなスザクをじっと見つめていたはずだ。そしてぽつりと謝罪の言葉を口にした。あれが最後だった。
「僕はずっと、ルルーシュが怖かったんだ」
スザクは、取りとめもない自分の話に存外真面目な顔をして耳を傾けるロロに苦笑して言った。
「優しいやつだったんだと思う。平和な世界に生まれていれば、妻に弱くて子どもに甘い、優しい父親になったんだろう。ナナリーのことを、それは大事にしていたものだ。まだ十歳の子どもが、妹のために自分の無力を認めることを知っていた。僕は彼が好きだったよ。ああなりたいと思ったものだ。意地っ張りでこまっしゃくれていて、運動はからきしで、それでも僕には彼がとても大きく見えたんだ。ナナリーも、彼をとても尊敬していた。とても愛していた。彼のようになれば、僕も誰かに好きになってもらえると思っていた。
でも現実は彼に対して優しくなかった。いいや、あの時代、誰にとっても世界は優しくなかったんだ。」
本当に、辛い少年時代を過ごした。ルルーシュはナナリーとともにアッシュフォードに守られて暮らしたけれど、何の不安も疑惑も持たずに眠る安堵を知るものならば、彼の苦悩は如何ばかりかと思いやることもできるのではないか。衣食が足りて学生と云うモラトリアムを与えられても、ルルーシュの利口な頭であれば平穏な日常が崩壊する日を今か今かと怯えながら待つ、生殺し、飼い殺しの日々に過ぎないだろう。ルルーシュは自分の無力を知っていた。自覚があったかどうかは知らないが、おそらく気づいてはいたに違いない。父親に嫌と云うほど叩き込まれた己への諦念が、ルルーシュを徹底的に臆病にした。彼は失うことを心の底から怖れていた。けれど臆病なだけなら救いはあったのだ。日陰に身を潜め、蹲って生きる道が多かれ少なかれ残されていたのだから。妹を失うことを恐れ、平穏な日常が失われるのを恐れ、けれど失わぬために何をすることもできずに来る未来を待てばよかったのである。命までは取られぬだろう。ルルーシュとナナリーよりも不幸な生を受けた人間は星の数ほどいるのである。
……ルルーシュの不幸は、力があったことだ。
彼は己の無力を嘆きながら常に義憤を抱えていた。リアリストでもニヒリストでもあったから、一見彼が内に抱えた正義感など誰の目にも留まらない。それでもスザクはルルーシュの打算のない真っ直ぐな怒りを知っていたし、根本的な優しさには出会ったときから触れていた。並みの子どもなどではないことくらい、同じ子どもだったスザクもわかっている。
「ああいうやつを、天才というんだろうね。普通の人間だったらしり込みしてしまうか、世迷いごとだと諦めてしまうようなことを、出来ると思ってしまうんだから。別に理想主義者でもなければ夢想家でもなかった。僕よりもよほど現実的に物を考えるやつだったし、自分に出来ることと出来ないことは理解していた」
「同意しますよ。あの自信がどこから来るのか僕はずっと不思議で仕方がなかった」
「自信家だったからねぇ。そしてあいつはひどく臆病だったんだ。でもその怯だが前に進む原動力になるんだから、あのバイタリティは人外の領域だよ。そして、僕はあいつが何をしようとしているのか、はじめから知っていたのさ。あいつならやってのけてしまうかもしれないことも。だから、僕はあいつが恐ろしかった」
ルルーシュはたぶん、スザクのことも守るつもりでいてくれたのだ。着々と対ブリタニア勢力の増強を進めながら、彼は何度もスザクの身を気遣ってくれた。戦場に出ることはないのだろうな、技術部に異動したと聞いて安心した、ナナリーも悲しむから、どうか自分のことは大切にしてくれ――おそらく。
おそらくルルーシュはスザクが過去犯した父殺しの事実に気づいていたのだ。それが直接的であれ間接的であれ、彼ら兄妹のためであったことも、聡い彼なら思い及んだはずである。だからルルーシュは、そのスザクの行為に報いるためにも、スザクを彼にとってナナリーと限りなく近い場所にしまいこんだ。思えばルルーシュがゼロとして登場した始まりは、彼の犯した皇族殺しの罪をスザクが被せられたことにある。あの時、どうしようもなく頭の回る彼はクロヴィス皇子殺害の事実を、ゼロの存在を誇示するためのまたとないパフォーマンスに変えてしまったのだが、あの仮面の裏でどれほどの勇気を振り絞っていたのかと、スザクは考えることがある。昔から肝の据わった子どもだったが、一歩間違えば、一つ手違いがあれば、衆目の眼前で殺され素顔を晒すことになる恐怖がなかったなどとどうして言えよう。彼一人のことではすまないのだ。妹のナナリーとて連座を強いられ処刑されていた可能性は限りなく高い。そうでなくとも素性が知れることを極端に怖れていた兄妹のことだ。ルルーシュが一歩しくじれば彼の世界は大切な妹ごと文字通り終わっていたに違いない。その危険を押して、彼は自分を助けに来た。
「確かに、責任の半分以上は彼にある。始めたのは向こうだからね。でも色々なものを天秤にかけて、彼の立場なら僕を見捨てたとしても、それは仕方のないことだったと僕は思っている」
「しかし、ルルーシュはあなたの元へ行った」
ロロが今では真摯な顔で耳を傾けて来るのに、スザクは甘えることにした。ここらあたりで自分の気持ちを整理しておかなければ、これから残りの人生をうまく生きていけないような気がしていた。ルルーシュのことをつぶさに思い出そうとするたび、心が軋むように痛む。これまでも多くの人間を見送ったが、彼は、特別だった。
「そう。僕は正直なところ、とても嬉しかったんだ。全てを知ったあとで思い返してみても、嬉しくて仕方がない。彼にとって、僕は妹の次ほどには大切な場所を占めているんだってわかったからね。でも、少しずつ彼に対する恐怖が胸を占めるようになった――」
スザクの思うルルーシュは、ナナリーのために心を砕く兄である。あれは無償の愛だった。スザクが両親からも誰からも、もらうことのできなかったあたたかいものを、あの異国の少年が持っていた。それがほんの少し自分に向けられたとき、スザクは歓喜したものだ。そしてルルーシュはスザクと同じ年の同じ少年だったから、わかりやすく庇護の対象となりうる慈しむべき小さなお姫様が二人の側にはいたものだから、スザクは貰うよりもあげたいと思うようになった。都合のいいことにルルーシュはこの日本には不馴れだったし、スザクのように腕っ節も強いとはお世辞にもいえない子どもだったものだから、スザクはスザクの得意なやり方で二人の役に立つことが出来たのだ。必要とされているという実感が、あの頃一人ぼっちだったスザクにどれほどの喜びをもたらしたのかわからない。
「……すまない。話が逸れてしまった。どうにもだめだな、頭がまとまらない」
スザクは苦笑して、先ほど淹れかえられたコーヒーを口に運んだ。考える時間は余るほどあったのに、どうして今更思考が散逸するのだろう。自分はルルーシュのことを考えたくはないのだろうか。もう、本当の彼を覚えているのは自分しかいないのだ。ナナリーも、ロロも、ルルーシュの何もかもを知るわけではない。愛憎を胸に抱えて相対してきた二十年間は、自分とルルーシュの間にしかないのだから。考えなければ。人の記憶は風化する。自分にはもう、思い出話をし合う相手はいないのだから。
「枢木卿、」
呼ばれて、黙考していたスザクはロロに視線をやった。よく見るとルルーシュに似ていなくもない。ただルルーシュのように、触れたら切れるような明晰な美貌は持ち合わせていないのだ。容姿だけは、スザクの知る限り最も美しい人間がルルーシュだった。ブリタニアの皇族、高位の貴族には男女を問わず美しいものが多いような気がするが、この少年の血統はどうなのだろうと考える。
「ロロ?」
そして、呼んだきり、また夢見るような目つきをしているロロを心配してスザクは声をかけた。遠くを見つめているようでいて、焦点がどこにあるのかわからない。自分と同じく寝不足なのだろうか。
「ええ、大丈夫です……いったい、何が、恐ろしかったというのです?」
しかし、ロロの台詞は尤もだと思った。ルルーシュのいったい何が恐ろしかったのか。それを自分は追求しようとして、触れたくない自分の深層心理が邪魔をしたのだ。考えなければなるまい。傾聴してくれるものもなしに黙々と過去の、若かった自分たちを振り返る勇気はスザクにもないのだった。
「それは――」
単純なことだ。ルルーシュは人を殺せた。そう、とても単純な恐怖だった、が、しかし根は深い。
「君も軍人だったのならわかるだろう。僕達の仕事はどう言い繕っても人殺しに過ぎない。最初は怯えもしただろう。怯えない人間の方がおかしい。怯えなければならない」
スザクは言葉を噛み締めながら口にした。言ってしまえば簡単なことなのだった。あのルルーシュが、スザクが母のようにも父のようにも、兄のようにも弟のようにも慕ったルルーシュが、次々と人を殺していったのだ。兆しはあった。まだ十の子どもの頃からルルーシュも、ナナリーでさえ目の前で無残な死に様を晒す母親を見ているし、ルルーシュは何より頭が良かった。スザクが思いもしないような陰湿な世界に目を向けるだけの視野はあったはずだ。彼自身殺されかけたことがあるのかもしれない。枢木家の出す食事に手をつけようとしなかった姿を思い出す。銃口を向けられて微動だにしなかったあの目が蘇る。ルルーシュはスザクよりもずっと死を間近に見て成長し、それが時に必要なことなのだと理解していた。理不尽な戦争や争いごとに憤りながらも、仕方のないことだと理解していたのだ。その意味で彼はリアリストだった。矛盾を自覚していた時点でニヒリストだった。けれど、と、スザクは思う。
「それでも僕は信じたくはなかったんだ。僕が想い、羨んだ彼はあんなことをしちゃいけなかった。できないはずだった。僕の、彼なら……」
ナナリーに優しく笑いかける口で、声高らかに人の死を命じてはいけなかった。スザクに手料理を拵えてくれる指先で、トリガーを引いてはならなかった。ルルーシュがわからなくなってしまう。スザクがあれほど好いた子どもの頃の彼はもういないのだろうか、それともはじめから嘘だったのか。いいやそんなことはない。冷静に分析してみろ、ナナリーを想う気持ちだけは本物なのだ。冷徹に思考しろ、ナナリーは盲目で足も不自由な、彼の枷にしかならない脆弱な存在だ。彼女を守るために彼がのんで来た苦汁を思い出せ。あの矜持の高い男が、異国の浅慮極まる子どもたちに足蹴にされ、侮蔑されても耐えていた。初対面から殴りかかった自分に頭を下げた。兄である自分一人では妹の心を育ててやることは出来ないと、無力感に苛まれることを承知でスザクを二人の輪に入れた。成長した今も、あの眼差しだけは変わらない。ナナリーには見えずとも、スザクだけは知っていた。慈愛ばかりで嘘のない視線。知っていた。あれこそ愛だ。そう、スザクが愛だと信じるもの。
――それを両手に持つ彼が、どうして人を殺せるのだ…――
スザクは混乱した。ルルーシュは変わってしまったのだという考えは捨てた。それは彼を失うことと同義だったからだ。だから次に、彼も人知れず苦しんだのだろうと考えた。これは中々うまいこと行った。秘密主義な彼のことだから、ナナリーにも弱音を吐かずに、何かの手違いで異母兄であるクロヴィス皇子を殺してしまったことを悔いていたのではないか。少し苦しい、が、そう、彼は子どもの頃と同じように『ブリタニアをぶっ壊す』と言ったのだ。思い返せば随分な命知らずだ。ナンバーズの一等兵とはいえ、武装したブリタニア兵に丸腰でけんかを売るとは。そして目の前で自分が殺されたと思い込み、彼は悲しみ、怒ってくれたに違いない。なるほど、彼はまったく変わっていなかったのだ。後から、なぜあのような場所にいたのかを問質してみたら彼自身は肩を竦めるだけだったが、居合わせた友人のリヴァルが教えてくれた。ルルーシュはテロリストの事故車両の救助に向かったのだ。野次馬が誰も、救急車すら呼ばない状況に憤り、自ら乗員の安否を確めに行ったのだという。呆れるほどのお人よしだ。ただのプライドかもしれないが。どちらにしろ、彼の中にある一本の信念は曲がっちゃいなかった、スザクは安堵した。そして困惑しながらも、ゼロという男はルルーシュとは別人なんじゃないかという期待を胸の中に同居させながら、毎日変わらぬ如才ない笑みを浮かべているルルーシュに思いをめぐらせた。
「でも、彼は隠し事が上手だったし、軍務で中々顔を合わせる僕にしっぽをつかませるようなことはしなかったんだ」
まったく、ルルーシュはスザクに弱みを見せることもなければ、詰ることもなかった。いつから自分と死闘を演じていたことを知ったのかは定かじゃないが、量産機に乗って、不得手だろうに最前線に出て来る彼を死なない程度、相当に痛めつけたつもりが翌日には平気な顔をして授業を受けているのだから、化け物である。そういえば何かのイベントの度に着せ替え人形よろしく服を剥かれていたルルーシュだけれど、普段制服を脱ぐことは皆無だったように思う。連日戦闘が繰り返される時期になってからは生徒会長のおふざけも回数を減らしたが、意外にあの制服の下は痣だらけだったのかもしれない。ともかく、スザクがルルーシュの秘密に辿り着く前に、スザクにとってよくない決定打が来てしまった。ルルーシュは、スザクの抱えた最大の暗部である父親殺しの罪を肯定してしまった。
「それはあなたにとって、受け入れがたいことだったのですか」
先ほどの夢見るような目つきは消え去り、ロロは淡々とそう訊ねた。スザクの昔の過ちを、兄は責めなかった。どうしてそのことであなたが落ち込むことがあるのでしょうと。
素直に考えれば不思議である。
「そうだね。むしろ理詰めで正当化してくれた。一定の根拠も示してくれた。でも僕には、それは失望でもあったんだ」
ルルーシュは動じもしなかったのだ。軽んじる様子は欠片も見えなかったが、実の父親を手にかけたスザクの過ち――スザクは今でもそう思っている――には怯えも戸惑いも見せなかった。そんな行動に出ざるを得なかったスザクを、わかりやすく憐れむ様子も見せなかった。
それはスザクを失望させた。いや、警戒させたのだ。
ルルーシュ自身を警戒したのはもちろんだが、スザクが気を回したのは別のものである。それを深く考えることをスザクは躊躇った。スザク自身の後ろめたさを増長させることを、薄々感じ取っていたからだ。
「どういうことですか?」
「誘惑に負けそうになったのさ」
破れかぶれに、スザクはロロにそう言った。言いあぐねてそう口にしたのだったが、音にしてみて納得した。そう、自分は誘惑に屈しようとする心に怯えて、ルルーシュを切り離そうと考えた――
スザクが一息に告白してしまおうと深呼吸をしたとき、扉をノックする音が響いた。
ロロも驚いたようで、許可を得て入ってきたメイドがにこりと菓子をサーブするのを戸惑うように見つめている。苺のミルフィーユだ。そういえば、とスザクは思い出した。これはルルーシュが好きだったものだ。彼は硬質で鋭い外見には似合わず、勧められれば甘いものも口にした。好むわけではなかったろうが、ナナリーが喜ぶからと甘い菓子の類は手ずから拵えていたものだ。ミルフィーユはよく作ってくれたのですよとナナリーが懐かしむように話してくれたが、どうも彼自身の好物だったらしい。それをふと思い出して、スザクはロロを迎えるために用意していたのだと説明した。
「ああ、そういえば、そうだったかもしれません」
総督府のパティシェにではなく、東京租界の人気店から取寄せた。午後の二時からの限定販売だったから、届いたばかりのものだ。スザクはふとロロのストレートで飲まれたティーカップを見て、彼が菓子を好むかどうか心配したが、勧められるままにフォークとナイフを持つのを見て安堵した。そしてそのまま目が離せなくなってしまった。
「久しぶりですね、とても……」
兄さんが臥せってからは、僕も食事を楽しむ気にはなれなかったからと、言いながらロロは器用にフォークを使った。ミルフィーユはその何層にも積み重ねられたパイ生地とクリームのバランスを崩さずに食べるのが難しい。一枚一枚剥がして食べていた自分に、ルルーシュは横にしろよとジェスチャーで教えてくれたものだった。彼のテーブルマナーは当然に洗練されていたから、スザクはこっそり見習うつもりでルルーシュの手元を見つめていた。口に運び咀嚼する、物を食べるというひどく即物的で動物的な動作がまるで空気を吸うように自然に見えて、感心したことを思い出す。ロロの食べ方は、ルルーシュと実によく似ていた。
「味はどうだい?」
「 懐かしい――」
おや、とスザクは思った。ロロは一口目から噛み締めるようにして甘い菓子を飲み込んでいる。好きだったのだろうか。懐かしい、とはルルーシュと過ごした日々を思い出しての言葉だろうか。確かにここ十年以上続く店だから、当時ここの学生だった彼らが口にしていてもおかしくはない。だがスザクは、ロロの台詞があまりに重い響きをもって発されたことに違和感を感じた。
一切れを食べ終えたロロが、じっと自分を見つめているスザクに気づいて、気恥ずかしそうに口元を拭く。スザクは非礼を詫びてしばらく無言を通した。何かがわかりかけているのに、あと一歩で手が届かない。もどかしい。ルルーシュがゼロなのか、ゼロじゃないのか、疑い続けた騙し合いの日々にはずっとこんな気持ちを持て余していた。
「枢木卿、話を続けましょう」
けれど黙々と思考するスザクに、ロロは会話を巻き戻した。話しかけて中断された、ルルーシュとスザクのこと。
確かに、それは有意義に思えたから、スザクは大人しく語り始めた。
誘惑、とは、つまりスザクの弱さをルルーシュに依存することだ。スザクはずっと実の父ゲンブを、衝動的に手にかけてしまった過去を悔いていた。幼い過ちであることを恥じていた。良好な親子関係ではなかったとはいえ、子どもが親を殺すことはとんでもない大罪だとスザクは考えていた。だから事実が恐ろしかったし、誰かに泣いて縋れるものならそうしたかった。しかしまだ幼かったスザクを守り導いてくれる者はどこにもおらず、一条の、昏い光を差し込んでくれたのはルルーシュだった。そう思ってしまう自分が、スザクは許せなかったから考えないようにしたのだけれど、潜在意識の底で、ルルーシュの言葉を支えに……いや、言い訳にしてきたのかもしれなかった。
「つまり?」
「つまり、父親を殺したいと思っている子どもが、僕のほかにもいたということ。それがほかでもないルルーシュだったこと。いつの日にか、親殺しの大罪を背負うだろう……仲間、が。僕と同じ罪の十字架を背負うだろう仲間が、得られるかもしれないことを、僕は、心の支えにしていたのかも、しれない」
考え考え、スザクは慎重に言葉を探した。けれど見つかる言葉はどれも露悪的で自虐的に思えた。これはいくら言葉を言い繕っても、表現したい想いが醜悪だからであるとスザクは考えた。確かにそのとおりだろう。
「僕にとって、僕の生き方を直接に変えた出来事なんだ。父を殺したということは。一生背負わなければならない罪だと、今でも思っている。そのあとも軍に入って取り返しのつかない間違いを繰り返してきたけれど、だからと言って一つの命を手に掛けた罪に時効なんてあっちゃいけないだろう。一つ一つ増えていく。僕の十字架の一番最初のものが、父のそれだった。そして僕に残された理性と良心とが、ルルーシュに同じ想いを、後悔をさせてはならないと叫んでいた。同時に僕の弱さが、彼を僕と同じ泥沼へ引きずり込んでしまえと囁いた。
幸いなことに、僕もルルーシュも一定の大義名分を与えられていたし、僕は堂々とゼロとしての彼に敵対することが出来たんだ。ユーフェミア様という、僕に純粋な理想を語ってくれる主もいた。善悪の区別がつかないほど軸がぶれていたとは思わない。僕は、僕の大罪を肯定してくれたルルーシュに甘えて、彼を飲み込んでしまいそうな自分をこそ、警戒したんだ。だから、真実平和で慈愛の心を持っていたユーフェミア様に縋った」
「しかし事態は悪化の一途を辿った――」
「ああ、そうだ。ロロ、教えてくれ。ルルーシュは僕に言った。ユフィにあんな命令を下して、殺したのは……全て計算の上だったのだと。必要だったからそうしたのだと。それは嘘だろう。僕にはわかる。ルルーシュは言い訳をしない男なんだ。言い訳をしても何の意味もないと信じている。けれど、少なくとも、僕にとってはそうじゃない、そうじゃないんだ。彼を理解したいと足掻いている俺にとっては、ルルーシュの本当の心を、葛藤を、苦しみを知ることは意味がある。俺は知っているんだ。罪を抱えて罰を受けることを待つ甘美な、昏い喜び、苦痛、いっそ狂信的な信念――教えてくれ。あの日、何があった」
ロロは懇願するようにも詰問するようにも見えるスザクに、頭痛を堪えるような目をして溜め息をついた。トントンとこめかみを叩いて首を振る。スザクが何かを言いかけたとき、ロロはおもむろに口を開いた。
「知りたいのなら教えてあげますよ。あなたが満足する答えです。あの日、ルルーシュのギアスが暴走した。彼はユーフェミア皇女にギアスのことを明かしたんです。説明しようとしたんですよ、こんなこともできるんだって。どこまでも運の悪い人だ。タイミングが最悪だ。ルルーシュの意識した残酷さが全て悪いほうへ駒を動かした。それだけです。言っても信じてもらえる内容ではないし、ルルーシュはユーフェミア皇女が人を殺めてしまった時点で彼女の死を覚悟した。彼女を、彼女の無垢な善意を殺してしまったと考えたんです。その事実に打ちのめされた彼は、すぐさま次善の策を考え出した。これだけはあの人のすごいところです。どうしようもないとは考えない。どうにかしなければと足掻く。あの意志の強さこそがルルーシュの力だった。あなたにはそれが許せない裏切りだったのでしょうが。
満足しましたか」
スザクは話に聞き入った。ロロは何かを振り払うように言葉を重ねた。そこまで詳しいことを、この青年には話していたのだということがスザクを嫉妬させたけれど、確かに、スザクは満足だった。少しずつ、スザクのルルーシュが戻ってくる――
「……では、もう一つ。僕に彼が、生きろというギアスをかけたことは知っているかい?」
スザクは唇を舐めて言った。ひどく喉が渇いていた。
「馬鹿なことをと、僕は兄さんを詰ったんですが。ええ、聞いていますよ。式根島で絶体絶命の窮地に陥った折のことでしょう。でも、それはまた、」
ビーッ!!ビーッ!!
ロロが言いかけた言葉を、耳を劈くようなアラートが遮った。
「――何事だ?」
スザクは我に帰って通信機に飛びついた。通常、このアラートは戦時、それも敵性勢力が租界外延部に進入を果たした場合にのみ発される。誤作動とは思えないが、セキュリティ・システムの総入れ替えを行っている現在、何が起こるかわからなかった。
そして、最悪の誤作動がここに発生していた。
◇◇◇◇◇
スザクは騒然としたセキュリティ・ルームに足を踏み入れ、報告を受けて愕然とした。
「フレイヤが、発射シークエンスに入っています。現在フェイズ3、照準は基準砲塔直上、せ、政庁総督府中枢ッ!」
「原因は何だ!」
震える声で告げるSEの一人に、スザクは一喝した。昨日設置したばかりのフレイヤ弾頭が活動状態にある?何の冗談だ。
「ウイルスです!トロイの木馬…インターフェイス・スクランブラーの一種です!おそらくコアチェンジの際に進入したのでしょう、四半刻ほど前に警備センサーの呼び出しが作動しなくなくなりました。政庁防御システムの内部回路が破壊されている状態、現在進行形ですッ!」
「リミッター解除!制御プログラムが削除されました!」
「サイバーフォースは何をしている!」
「総員全力で独立モードへの移行作業を遂行中です、システムのメモリ残量から考えて、このウイルスの正体は事前には見破れなかったでしょう…我々が突き止めたところでは、ウイルスはデータバス制御プログラムを攻撃しておりシステムの処理装置自体は無傷………ッ!?」
「どうした!」
現場の技術責任者の一人がコンソールに齧りつきながら報告を上げるが、それが突如食い入るようにディスプレイを見つめ、一瞬後には絶望色濃い表情を浮かべた。追って状況を理解した他のSEたちが呆然と頭を抱える。
「……ただの略奪ウイルスのはずでした、少なくとも一分前には…それが、それが、くそッなんてことだ!」
チーフが拳でコンソールを殴りつけた。スザクはシステム管理の詳細はわからない。だからこそ本国から選りすぐりの技術者集団を招聘して作業に当たらせていたのだ。史上最悪の核兵器、フレイヤの扱いには細心の注意と万が一、億が一の手違いがあってはならないと。存在自体がブリタニアの最高機密だ。国防本部の中でも開発に関わった科学者を除いて知る者は五人に満たない。ラウンズの中でも、直接管理責任を負うスザク意外にはワンしか与えられていない情報だ。それが外部に漏れているだと。
「こちらが、最優先でフレイヤの制御システムを切り離そうとした途端、ウイルスが変異したのです。条件付けがなされていたとしか思えない、つまり、敵性ウイルスは当初無差別にマザーコア内部の回路を攻撃していたのですが、フレイヤにリンクしたプログラムに触れた途端、防壁を張った――」
「…つまり?」
「……発射シークエンスの中断は、我々の手には不可能です」
―――・・・
数秒ほどのことだったが、室内はシンと静まり返った。
目まぐるしく映り変わる画面が、凄まじい速さで書き換えられてゆくフレイヤ制御プログラムを可視的に見せている。
「――発射まで、あとどのぐらいの猶予が?」
スザクは低い声で言った。
「十分、程度かと…」
「想定される被害規模は?」
「アインシュタイン博士の実験データを元に修正を加えると……政庁を中心に半径二キロメートルを消失させる見込み、です」
「至急住民に避難勧告を出せ。警察隊にも連絡を。軍の輸送機をあるだけ発進させろ!第二、第三階層のシェルターに避難した場合の生存率は?」
既に軍部には待機命令が出されていた。総督代理の指示に弾かれたように人々が動き出す。
「八割弱と予想されています」
「では医療施設その他、避難が困難な者を最優先にシェルターを解放しろ。政庁職員は市民の別なく誘導して対処に当たれ」
「イエス・マイロード!」
「コントロールを奪い返すことは、完全に不可能なのか?」
慌しく動き始めた部下を確認して、スザクは残るメンバーに訊ねた。
「進入経路の確認は済んだのか」
「現在追跡中ですが、国外からのアクセスであることは間違いありません。どこから情報が漏れたのかはわかりませんが、旧中華連邦シルチェ、イルチョンを経由してここ政庁の警備プログラムに進入した模様です」
「チーフ!だめです、こちらの制御を受け付けません、新たに接続回路を構築していますがまずウイルスの駆除プログラムを書き上げなければ…!」
悲鳴のような報告に、スザクは眉を顰めた。あたりにはキーを叩く音がひっきりなしに響き渡り、SEの精鋭が狂ったように指を動かしている。発射まで残り五分を切ろうとしている、市民全員の避難は不可能だ。スザクは彼らがフレイヤの暴走を食い止める可能性に縋ったが、状況は芳しくないらしい。どうする。
「駆除プログラムを用意していなかったのか!予想された攻撃だろう!我がブリタニアの誇るサイバーフォースが聞いて呆れる!」
「で、ですが枢木卿!これはまったく新しいウイルスなのです、我々だとてこのようなプログラムを書くには十年からの経験と集積された知識が必要だ!本国のエンジニアと協力すれば一晩の内に書き上げることは可能でしょうが、しかし、今この状況ではッ」
スザクは怒鳴るように返す責任者の男に舌打ちをした。こうなることが予想されたから、フレイヤの実戦配備に反対したしシステム移行の大工事に連動させることに異議を唱えた。このままではあと――三分のうちにこの場の全員が女神の息吹にのまれる、全員が死ぬ、ナナリーは無事だろうか……あそこはフレイヤの射程を外れている、終わるのは少なくとも――自分と一部の部下たちだけ。
スザクは深く息を吸い込んで、吐き出した。
「――ここまでだ。皆よくやってくれた。避難するものは咎めない、往け。私はここに残る。逃げ遅れる者もいるだろう、せめてもの償いだ。すべての責任は私が取る、さあ、僅かな可能性に賭けてお前たちは逃げるんだ!」
「枢木卿…」
一人、また一人と二分を切った残り時間に絶望的な望みを賭けて駆け出した。なんともあっけない最期である。つい先ほどまで、これからの人生を生きてゆくためロロを相手に過去の清算をしていたのじゃなかったか。スザクは一人残ったセキュリティ・ルームで秒読みを始めた女神の目覚めに一人ごちた。
「あっという間じゃないか。何て楽な最期だ、ルルーシュ。俺は君の半分も苦しまずに、君の元へ行くよ。ナナリーは大丈夫だから、安心しろ。ロロも、きっと逃げ延びたに違いない。いい子じゃないか。君が育てただけはある。強かで毒が利いていて、ほんの少しだけ優しい。まるで君を前にしているようだった、どうしてだろうな。仕草が似ていた、顔立ちも、でもそれだけじゃなくて、目が。そう、あの紫の目がまるで君のそれだった。――何を考えていたんだっけ……そうだ、結局は君も同じだったんだな、俺と同じ。ユフィのことだよ。僕も取り返しのつかない過ちを繰り返しながら、その過ちを正当化したくて足掻いたんだ。でも僕は君ほど頭が良くなかったし、度胸も覚悟もなかったから失敗ばかりして。ルルーシュ、お前みたいに何が何でもほしい結果を掴み取る気概に欠けていた。救いを求めた理想や美学が邪魔をした。……俺は怖かったんだよ。君に拒絶されるのが。そしてそれと同じくらい、君が変わってしまうことが怖かった……俺はあの日以来ひどく傲慢になってしまった。咎人だというのに、自分は間違っちゃいなかったと信じていたくて、いつか信じ続ければそれが本当になるのだと信じていたくて、それは、つまり、俺の願いが不純で利己的な動機に基づいていたということなんだ。わかるかい?俺は罪から逃げたかった、罰を探した、疲れていたんだ、しょうがないだろう。都合の悪いことに俺はどうも、とても頑丈に出来ていたからな。ナンバーズの一兵卒、最下層の待遇でも結構元気にやっていられた。そしてお前に再会したんだ。変わっていなかったなぁ、おまえ。危ないからやめろよ、ああいうことは。俺じゃなかったら連行されて尋問くらっていたんだからな。あと一分か。いい時間じゃないか。待ち遠しくらいだ。怒るなよ、仕方がないんだからな。総責任者の俺が逃げるわけには行かないだろ、うちの技術者も情けないもんだ、この程度のウイルスをどうにもできないなんて。おまえだったら破れたか?この防壁?おまえだったら、ここで逃げたか?責任があるからこそ?そうだろうな、おまえならそうしただろう、ルルーシュ。そしておまえが生きていたなら、俺にかけられたギアスが俺を生かしたに違いない。なぁ、知っていたかルルーシュ。俺、おまえと会うことがなくなってからは、しょっちゅう死にそうな目に遭ってたんだ、わざとな。そうすればおまえが感じられる、おまえが俺に残していった意思が。守られてるようだった、ずっとおまえがそばにいてくれるようだった。生きろと、それだけを俺に叫ぶ、おまえの声が聞えるようだった。理由なんてそんなものだったんだろ。寂しかったんだろ、ルルーシュ。一人で生き残るのが嫌だったんだろ。俺に生きていてほしかったんだろ。だから俺は大人しくおまえを見送ってやったよ、満足か?俺を一人残して?あんな謝罪じゃ全然足りない、これっぽっちも足りない。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、残してゆくことを詫びるくらいなら最初から置いていこうとするな。辛いだろうが、俺が。俺たちは似たもの同士だったんだ、多少スペックが違ったけどな。おまえは俺ほど体に恵まれていなかったが、お前は俺より根性があった。あんなぼろぼろの体で生き抜いたんだからな。苦しかっただろ、痛かっただろ。ロロが教えてくれたよ。おまえ、一度は死のうとしたんだって?わかるよ、その気持ち。全部放り出して逃げ出したい気持ち。死ねば誰かが許してくれると思っている。運がよければ悲しんでくれると。でも違うよな、そうじゃない。俺のちっぽけな命一つで、これまで傷付けてしまった罪が帳消しになるはずがない。そこまで傲慢にはなれない、俺にそこまでの価値はない、……そう、おまえ、言ったんだってな。ばかなやつ。ああ、ほら、ナナリーだろうな、ロイヤルプライベート。ユフィもそうだった。俺がKMFで死に掛けたとき、彼女も必死で引きとめてくれたんだ。生きてくれと言ってくれた。好きになってやると言ってくれた。とんでもないお姫様だ、とんでもなく愚かで優しかった。でもさすがユフィの兄だよおまえは。あの時俺を助けに来て、本当に生かしてしまったのはお前だった。式根島でもそうだった。ユフィもナナリーも、お前の強引さには適わない。でも、」
狂ったようにひとり言をしていたスザクはおもむろに立ち上がった。
「ここに、お前はいない。」
立ち上がって天井を仰ぐ。
「死んでしまった。あんな惨めな姿で。だから俺はもう死ねる。声が聞えないんだよ、ルルーシュ。生きろと叫ぶお前の声が聞えない。本当にいなくなってしまったんだな。悲しいよ、俺は。正直な気持ちだ、お前がいなくなって俺は悲しい。だから行くよ。お前に会いに行く。ナナリーには悪いけど、お前の声じゃないとだめなんだ。呼んでくれるのは、ルルーシュ、君じゃないと」
そしてゆっくりと目を閉じた。ナナリーが叫んでいるのが聞える。状況を察して通信を繋げてくれたのだろう。生きてくれと、逃げてくれと叫んでいる。だがその声も次第に遠のいた。ほら、やっぱり聞えない。ルルーシュの声が聞えない。いつもはこのあたりで、うるさいほどに耳を叩いていたというのに。
『随分熱烈な告白じゃないか』
「……?」
空耳だろうか。
『残り二十秒か、腕が鳴る。待ってろ、すぐにこの怪物を止めてやる』
「幻聴か……」
スザクは突如響き渡った声に呟いた。聞き間違いでなければルルーシュの声に酷似している。なんとはなしにフレイヤの動作状況を映したディスプレイに目をやった。
恐ろしい速さで――先ほどウイルスが暴れまわっていたときよりも――画面が塗り替えられてゆく。ルルーシュの声が間断なく耳を打つ。
『攻勢防壁第一・第二突破、敵性ウイルス検索開始、捕獲完了、解析開始…解析完了』
「何が起こっている…?」
『続いて駆除プログラム構築開始……完了、展開開始。このいかれたシステムを書き直してやっているんだ、感謝しろ』
「ああ、うん」
『駆除完了、コントロールプログラム書き換え開始、書き換え完了、処理ノード1、ステータス――基本制御プログラムを実行』
スザクはぼんやりと明滅する画面を見つめていた。何しろすることがないのだ。ちらりとタイマーを見ればチッチッ、とまだフレイヤが生きていることを示している。
『さあお休みの時間だ、女神様――ファイナル・コードを実行、フレイヤ沈黙。スザク、余裕が出来たぞ、話がしたいなら相手をしてやる。ん?こら、逃げるな!』
スザクはコンソールから後ずさった。最後に生きているルルーシュと別れたときのように、そろりと後ろに足を引いた。あの時は名残惜しげに無骨なカメラアイが追ってきたのだ。そして諦めたようにルルーシュがさよならと言った。だが今度はルルーシュの憤慨したような声が追いかけてくる。
『おい!命の恩人に対してその態度はないだろう!ウイルスは全て駆除した。政庁の汚染されたシステムも再構築中だ……ああ、終わったな。まったく、なんだよこの穴だらけのセキュリティは。入り放題だぞ、ついでにまともな防御プログラムも書いておいたからな、ほら、ありがとうは?スザク?』
「ああ、うん、ありがとう」
『うむ。ところでさっきの愛の告白に続きはあるか?あるなら言えよ、音声データで保存するから』
「いや、できればそれはご勘弁、」
『やーだね。画像つきで保存してやる。惜しいことに映像記録の制御は復旧し忘れたんだ、よし…復活』
「……」
スザクはどうしたものかと思案した。目の前にいるのはなんだろう。
『ルルーシュだ。ああ、そこの三番ディスプレイを見ろ、まともだった頃の俺の映像を映し出してやる。少しは話しやすいだろう』
パッと画面が切り替わり、スザクの記憶にあるままのうつくしい青年が現われた。にこりと笑って手を振っている。
「あのさ、君、実は生きていたりする?」
『残念ながら死んでいたりするんだ、これが』
「じゃあこれは生前の君が残していったデータなんだろうか」
『喜べ、これは生放送だ』
「……待ってくれ。僕はあまりコンピューターに詳しくなくて」
『元技術部だろうが』
「十年前の話だよそれ」
『うむ、簡単に説明すると、俺はルルーシュの記憶情報の集合体だ』
「つまり?」
『俺は限りなくルルーシュだ』
「限りないんだ」
『限りないんだ…たぶんな』
「…可能なのか、そんなことが」
『聞いたことはないか、億万長者のための永遠の命。生体システムの神経回路に、ルルーシュのレプリカーゼ配列を組み込んだノードを移植して脳組織を複製する。出来上がったコアにルルーシュの記憶を神経連結器で入力する。当然軸策刺激物もルルーシュの脳から搾り取って注入された。連続性は失われない。ルルーシュの実際の思考過程がそのまま保存されている。だから、俺はルルーシュだ』
スザクは生々しい話にぞっとした。永遠の命?ルルーシュは、完全に機械になってしまったのか。最後に会った時点で、ルルーシュはこのことを了解していたのか。
『こらこら、悪霊退散とか言うな。幽霊じゃないから』
ブリタニア風に十字を切ってみても動じた様子はない。ちょっと傷ついた顔をして文句を言ってくる。スザクは手で顔を覆った。
「……ルルーシュ、君、」
『なんだスザク!』
散々迷って名前を呼んでみると、実に嬉しそうに機械が反応した。ご丁寧に画面の中のルルーシュは頬まで染めている。
「性格、変わっていないか」
『まじで!?』
「訂正。君、まるで別人だぞ」
『それは困る!非常に困る!俺のアイデンティティはどこへ行った!』
「僕が訊きたい」
『えー。どのへんがルルーシュじゃないんだろうなー、そっくりだと思うんだけどなー、もう死ぬ間際も間際、心臓が停止する直前に記憶の転移を行ったんだぞ、そのせいで死期が早まったという見方もある』
「おい!聞き捨てならないぞ今の台詞!お前、ルルーシュの皮を被ったチューリングプログラムだろう!」
「現在の技術じゃこんなに滑らかに応答できるマシンは作れませんよ、枢木卿」
飄々ととんでもないことを口にする画面の中のルルーシュっぽいものにスザクが食いついたとき、第三者が割って入った。ロロである。
「あんまり兄さんをいじめないで下さい。しょんぼりしているじゃないですか」
なるほど、画面の中のルルーシュ(仮)は膝を抱えて丸くなっている。白い指先では『の』の字を書いているようだ。リアルすぎる、が、こんなのはルルーシュじゃない。
『そういうけど、スザク。俺だって嫌だったんだぞ、こんな箱の中に閉じ込められてあと百年は頑張ってね、なんて。でも俺の体はあんなだったし、自分で死ぬこともできなかったし、唯一の味方だと思っていたロロは率先して俺を裏切るしさ』
「ちょ、兄さん、それは十分話し合ったじゃない!」
『話し合っても納得はしていなーい!』
「拗ねないの!僕の神経に接続して人間らしいこともさせてあげているじゃなか」
『さっきのミルフィーユおいしかったなぁ。実に八年ぶりの固形物だった』
「でしょう、でしょう!これからも兄さんのためだったら僕なんでもしてあげるから!ジェットコースターもバンジージャンプも、女性経験もさせてあげる!」
「ちょっと待てぇい!」
「『何?』」
スザクは仲良く兄弟げんかを始めた二人に待ったを掛けた。ついていけない、付いて行ってはいけない気がする。しかしここで放置しておくわけにも行かない。
「ルルーシュ、ロロ、そこに正座しなさい」
「いやです、僕正座できないんで」
『スザク、スザク、したぞほら!』
「……」
『スザク?』
画面の中でちんまりと正座したルルーシュが首を傾げている。とても生き生きしている。こんな彼を見たのは久しぶりだ。顔色もいい、健康な手足がついている、何より懐かしい紫の瞳が昔のように自分を見つめている。
……気を抜いたら泣いてしまいそうだ。
『スザク…』
「ルルー、シュ…」
『そろそろ市民の避難勧告を解除しないと暴動が起こるぞ』
「………
そういうことは始めに言えー!!!」
あははと笑うルルーシュは、それでもやっぱりルルーシュだった。
……と、信じたい。