「ただいまー。ルルーシュ、あ、やっぱり寝てた。」
正午を少し回った頃。ワシントン発のフライトから戻って、家の中を呼んで回ってルルーシュの姿を探す。確か彼は昨晩ヒースロー発で四日間の勤務明けだ。見当たらなくて寝室のドアを開けると、ベッドの上が膨らんでいた。もぞもぞと動く気配に覗く黒髪。うっすらと持ち上げられた瞼から見える紫色の光。
「…おかえり、スザク。」
ぼんやりと掛けられた声の、柔らかい響き。


二人で空の下1

意識が戻ったばかりの-とはいえ思考が働いていたとはとても言えない-ルルーシュは、焦点の定まらない濁った瞳で天井を見上げていた。息を、涙を飲み込むようにして身を乗り出したナナリーと、思わず手を握り締めたスザクの存在を知覚しているのかどうかもわからない。ぴくりと僅かに指先が震えただけで、後は呼ばれた医師に引き継がれた。だがスザクは確かに目が合ったと思ったのだ。ルルーシュは、目が覚めた瞬間自分を見た。また、来るから。後にしたルルーシュの病室を振り返って、二日後。

夕方無理やり時間を作って見舞った病室で、ルルーシュの瞳がしっかりとスザクを捉えた。
「はじめまして、なのかな。こんばんは。枢木スザクと言います。あなたの後輩で、あなたに命を救われました。」
はじめまして。霊体でいわゆる幽体離脱をしていた間のことなど覚えていないのが普通だ。空の上で会ったのは両手に余るほどで、その間にスザク一人がルルーシュの話し相手であったのだから二人の距離はとても近いものだった。ひんやりと自分の首に腕を回してきたルルーシュを思い出しながら、もう一度近づけばいいのだと、眠っていたのだろう少し高めの熱を帯びたてのひらに手を伸ばす。背を起こすように設置されたベッドの上で、まだ思うように動かせないのだろう、だらんと伸ばされたままで指が僅かに動くだけのてのひらをそっと握る。かすかに握り返す感触。ほっと肩の力を抜くと、掠れた声が耳に届いた。
「お まえ、じゃ、ない…お、れ。」
「え、」
まだ喉も本調子ではないのだろう。一言一言、音にするのがやっとというひどく聞きづらい声。耳を澄ませる。
「つれて、来て。くれた の は、」
すざく、と、たどたどしい発音で一生懸命口にされる言葉に、思わず握ったままだった手をきつく握り締めてしまった。ぐっと引き結ばれた唇にはっとする。
「ご、ごめん!」
ほっそり、を通り越して骨の形をそのまま辿れるような痩せた手を怪我させてしまわなかったかじっと目を凝らす。
「だいじょう、ぶ。」
笑みを含んだ声が降って来て、見上げたら不本意ながら泣き笑いになってしまった。
「覚えていてくれたんだ。そっか…うん、でも。やっぱり僕の方がルルーシュにお礼を言いたいよ。ありがとう。こうして会えて、よかった。」


*******


七年間も寝たきりだったのだ。普通の食事も摂っていない。会話に不自由しなくなっても、ルルーシュが自分の足で歩けるようになるには数ヶ月の時間が必要だった。
「ほらルルーシュ、お風呂入れてあげるから。」
「…いや、あのな、」
「今日はリハビリ頑張って汗かいただろ。遠慮しないで掴まって。」
「掴まるって、お前それじゃ、」
「うーん、軽いねぇ。もっと食べなきゃもとに戻らないよ。」
「やっぱりか!抱き上げるな!しかも横!?ありえない!!」
口ばかりは達者で、比較的鍛えやすかった腕を弱い力ながら振り上げたルルーシュを気にも留めず、スザクはいわゆるお姫様抱っこというやつで浴室に足を踏み入れた。支えるためというよりは、明らかに抱え上げる意図で以って差し出されたスザクの腕を、ひくりと頬を引き攣らせて拒んだルルーシュはひとしきりじたばた暴れた後、諦めたのかぐったりと項垂れた。
病院内のリハビリセンター。まだ歩行に不自由なルルーシュは、妹のナナリーが結婚して住所を移した為に一人暮らしとなった家には帰れない。非常に仲のよい兄妹であり、父親代わりでもあったらしい兄を毎日のように見舞おうとするナナリーは、普通の生活が出来るようになるまではと、婚家にルルーシュを伴おうとしたのだがそれはルルーシュが固く辞退した。自分の知らない間に嫁いでいた妹にはこっそり男泣きもしたようだが(結婚式の写真を眺めながら目鼻を紅くしていたルルーシュを見かけたスザクは、退院したら付き合いますよとお猪口を傾ける仕草で以って慰めたものだ。)、幸せなら喜ばしいことだと、おそらく眠ったきりの自分を気遣って結婚を遅らせたのだろう妹に頭を下げ、新婚さんのお邪魔虫になるつもりはないよと手を振った。贅沢もしないで十年以上勤勉に働いていたわけだし、幸か不幸かあの事件で保険も下りた。通常の生活に戻れるようになるまで病院の世話になることに無理はなかったから、ルルーシュは流動食でない普通の食事を摂れるようになっても、入院してリハビリを続けているわけだが。
「…ナナリー、お兄ちゃん今とってもカナシイ気持ちなんだ…。」
「なにルルーシュ、まさか妹と一緒にお風呂入りたかったなんて言わないよね。」
スザクは患者が滑らないよう特殊な形態をしている浴槽にルルーシュを下ろしてボディソープを手に取りながら言った。
リハビリを手伝うのは恐縮しながら礼を言いながら受け入れていたルルーシュも、さすがにはじめの頃は風呂の世話までは断っていたのだ。だが歩けない以上人の手を借りなくてはならないわけで、看護師の数には限りがある。毎日入れてもらえるわけではないから、どうも潔癖症の気があるらしいルルーシュは、ほら、看護師さんの手を煩わせるよりはいいでしょ遠慮しないでとやや強引に介助を申し出たスザクに渋々ながら頷いた。スザクも仕事があるわけだからよくて二週間に一度ほどしか訪れることができないのだが、それでも時間を作っては会いに来るこの後輩に、ルルーシュはもう大分頼ることに慣れたのだが。
背の丈は同じほどなのに、大の大人の自分を軽々と抱き上げたスザクの腕や、顔を寄せる位置に来る鍛えられた胸元をちらりと見やって、しょんぼり呟いたルルーシュは拗ねたように顔を背けた。
「違うさ。男心が分からないやつめ。」
「うん?何か手ごろな雑誌でも持ってこようか。」
「結構だ。そんなんじゃない。」
貸せとスポンジを奪われて、ルルーシュが自分で手の届くところを洗う間スザクはじっとその様子を眺めていた。筋肉も落ちてがりがりに痩せてしまっているが、骨格は綺麗なものだ。関節の辺りもすんなりと伸びた手足に元が細い首筋、薄いが頼りないと言うわけではない胸元に、視線を下ろせば右脇腹と、上って両の二の腕の辺りに醜い手術痕が残っているがそれはきつく睨んでシャンプーボトルに手を伸ばす。
「ルルーシュって日本人みたいな黒髪だよね。ナナリーはアッシュブロンドって言うの?パッと見たら兄妹とは思えないかもな。」
「ナナリーは父親似でな、俺は母親。でもほら、外国人ってそう多くないから。」
ちゃんと兄妹ワンセットだったさと、目元を和らげて軽く振り 返ったルルーシュの髪が、洗い流した湯で首筋に絡みついているのを見て変に動悸が激しくなった。分かっていないのはルルーシュの方じゃないのと内心呟いたスザクは、背中を洗ってまたひょいと無造作にルルーシュを抱き上げた。
「どうかした、ルルーシュ?」
憮然とした様に首を傾げたスザクを見て、ルルーシュは溜め息を吐いた。


少し復帰前のことを。同居に至るまで。

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