「ルルーシュ君は、良くも悪くも自分の嗜好がごく少数派に属することを知っていたからね。踏み込んだ結果として、相手がどう思うか、後悔しないか。すごく気にしていたんだ。」
「…で、その相手の野郎はルルーシュを押し倒して“やちゃった”って、落ち込んだとでも言うんですか。」
底が見えないような、不機嫌そうな目は変わらない。言葉もぞんざいだ。だが話し方はもう落ち着いている。藤堂はそれを確認して話を続けた。
「それに、近いのかな。過ちに近いと、ルルーシュ君は言っていたんだよ---」
遠いばかりの空でした7
「だから気にすることないって言ったんですよ。俺にとっては大したことじゃない。」
珍しく自分で二本、熱燗を頼んでぐいと傾けたルルーシュとはその日のフライトで一緒だった。2000人もいるパイロット仲間で、それもどちらも機長でありながら一緒の機体に乗るのは珍しい。最新鋭のG-767、BAW社で導入したばかりの機体を飛ばす限定資格を持っているという共通点のせいだろう。なんだかいつもの覇気がないような気がして、何か悩みでもあるのかいと誘ったら、疲れているのかそういう気分だったのかつまみに手もつけず先ほどから酒ばかりを口に運んでいる。そういう飲み方は悪酔いするぞと窘めれば、ちらりと横目で視線を合わせてちょっと酔いたいだけですと返して来る。男に対して特に思うことのない自分でも、この後輩にはたまにどきっとさせられる。
目を逸らして自分も酒を傾けながら彼が話を再開させるのを待っていた。一頻り飲んで、空になった杯を指先で弄びながら、ルルーシュは口を開いたのだ。
「気になる女性がいるらしくて。いいじゃないですかって、言ったんです。あの人はもともとごく普通の、まっとうな嗜好の持ち主だ。俺はあの人をどうこうしようなんて、他に頼る人間のいなかったがきの頃から思ったことはない。…この先、別に聞かなくてもいいですよ。藤堂さんにも話すつもりはありませんでした。気持ち悪いでしょう、すみません。飲むんじゃなかったな。」
つい、と云う風に口を滑らせたのだ。一般人を食っちゃいましたと、店に入ってすぐ、一気に空けたジョッキをらしくなくごとりとテーブルに音を立てて置き、深い溜め息と項垂れた背中でルルーシュはぽつりと零した。グローバルな仕事であるし、そういう人間は知り合いにも何人かいる。よもやと驚く前に、この後輩の男にしては線の細い輪郭に頷いてしまったのは自然なことだったと思うのだ。
「いいや、構わないよ。そうだな、俺はたまたま君の隣で飲んでいるだけだから、独り言でも零してくれたまえ。」
逡巡する様子が伝わってくる。またせわしなく杯を重ねて、そろそろ止めようと思った頃に勢いだったんですと、落とすような声が聞えた。
「久しぶりに、俺の家で飲んだんです。俺はあまり日本酒とか、好みませんからあの人が持って来たどこだったかな…まあ地方の地酒をちびちびやりながら他愛もない話をしていたんです。あの日は妹も友人の家に泊まりに行っていて、二人しかいなかったこともあって。二人してどこか浮ついていたんですよ。あっちは下戸に近い人間だし、俺はざるだけどちょっと疲れていた。ヒースロー、ルフトハンザ、翻ってNY。三本、立て続けに飛ばした後だったんです。」
「その、だが君は漬け込むような人間ではないと俺は思うのだがね。」
独り言のつもりで話せと言ったにも関わらず、つい口を挟んでしまった。あまりに苦い声にたまらなくなったのかもしれない。可笑しそうに笑って、ルルーシュは目元を和らげた。
「あはは、はっきり言いますね。言っておきますけど、俺、たぶんかなり淡白な方だと思いますよ。意識してそういう気分に持っていかないとどうにもならない。」
「あ、いや言葉が悪かったな。すまない。向こうが、その、」
「押し倒してきたんですよ。」
しどろもどろに言葉を探しているところに、はっきりと先回りされてむせてしまった。口元を拭う間、だがそれなら君に責任はないだろうと言おうとしてまた先回りされる。
「でも拒むことも出来ました。俺だって同じ男だし、どうにでもなったんですよ。でも、ねぇ…ちょうど、彼女、千草さんって言ったかな、彼女の話になって、応援しますよって言って。それが気に障ったみたいで。」
行かないでくれと言ってほしかったのか、悔しがって見せればよかったのか…。俺にとってあの人はごくごく普通の、頼れる兄貴みたいな位置づけだったんです。気の迷いだって分かっていました。奥手な人だから十年近くたった今でも一度思い込んだ感情を手放せないでいるだけだって、分かっていたんですよ。だから付かず触れずでこのままの関係でいたいと思っていたのに。
「なんか、腹が立っちゃって。俺プライドだけは高いんですよ。こんなんで何がって言われそうだけど、」
「そんなことは言わないよ。君はしっかり自分を持った人間だ。」
だいぶ気に病んでいたのだろう。普段は飄々と笑ってネガティブなことは言わない男なのに、この日は頻りに自分を嗤う素振りが多かった。後ろ向きになるのは簡単だし、それを他人に零すのも心が弱くなっている証拠だ。もう長い付き合いになるが、今まで彼の愚痴に付き合ったことは一度もない。少々だらしなく椅子に腰掛けて話す姿を珍しいと、思わせるのはいつも彼が一本けじめを自分の中に持っていたからだ。プライドは確かに高い。ぽつりと礼を言う声を耳にそう頷く。
「俺は自分で立っていられるのに、生きていけるのに、引き留めてくれと言う様な態度は、面白くなかったんです。特にあの人は、全部知っていたわけだし…それで、まぁ様子を見ていたんです。途中で正気に戻るかなーと。その時、それをだしに揶揄かってやろうと思っていたんです。うん、判断ミスでしたね。朝になって平謝りですよ。」
なんと言ったらよいのかわからなかった。同情、してよいのだろうか。
「激しくルルーシュに同情してください。そして相手の男の名前を俺に教えてください。ぶっ飛ばしに行きますから。俺剣道と合気道と空手は一通り収めているんですへなちょこ野郎なんていちころです。」
「こらこらスザク君視線が遠いよ戻ってきたまえ。…君、警察官にでもなった方がよかったんじゃないか。」
こんな暴力宣言をしなければの話だが。
藤堂はガタリと音を立てて立ち上がり、据わった目で拳を握り締めたスザクを、溜め息を零しながら引き留めた。今日何度目だろう。そろそろ疲れてきた。
「それでね、しばらく時間を置けば向こうも落ち着くだろうと言って、いる内に。ルルーシュ君が倒れてしまった。」
ルルの勤務形態はありえません。