「情報提供者の名前は澤崎アツシ。指定された場所は『ラスト・ストランペット(最後の売春婦)』 おかしな女に引っかかるなよ。」
「大人に要らない心配ですよ。」
冗談めかして注意を促したゼロに、スザクはくすりと笑って返した。含みがあるようにでも、聞こえてしまっただろうか。
8.二重スパイに接触せよ
「用心して、しすぎるということはない。壁に耳あり、障子に目ありだ。」
澤崎アツシは小柄な男で、切れ長の目は狡猾な光を宿して隙なくあたりを見回していた。
ゲットーの中にも数は少ないが場末の印象を強く抱かせる店舗が置かれている。シンジュクはもともとがかつてここが日本であった時から有数の繁華街の一つであり、戦火を免れた薄汚れた建物が周囲に住み着いたイレヴンの手で改修・改装が施されていた。名誉ブリタニア人も足を運ぶ場所で、皆が皆ブリタニアに物理的反抗を企てようと過激な思考の持ち主ではないわけだから、ブリタニア人のひんやりとした視線に煩わされることなく同胞と語らうことのできる数少ない娯楽を提供する場所の一つであった。ただし、やはりブリタニア人は数えるほどしかいない。表立って直接彼らに力を振るう軍属の類は当然ながら、隔離施設から転じて治安も悪いいわゆるスラム街になるわけだから民間人の好んで近寄る場所ではない。ちらほら見かけるイレヴン以外の人間は、どこかうらぶれた風情を漂わせて日の当る場所で生きることを不得手とする人種であることはスザクの目には見て取れた。
「遅れてすまなかったね。加藤と電話で話があったもので。」
スザクが一人でネグロニを飲んでいた。ジンをゴードンに指定して、すっと引いていくボーイにこれは名誉ブリタニア人の出資によるものか、異国のアンダーグラウンドを居心地よく感じるブリタニアの物好きの気まぐれかと、品揃えはかつてここが小洒落たバーであった名残を確かに残す店内を見回して考えていた。
澤崎は通信機器を介しての最初のコンタクトにおいて、自分はカウンターから奥に入ったホール内で一人アレキサンドラを飲んでいるはずであり、濃茶のスーツを着て待っているから声をかけてくれと言ってきたのである。スザクは『ラスト・ストランペット』に到着してすぐ該当する男を探したが、それらしい男は20人ばかりのたむろする客の中に見つけられなかった。薄っすらと目を細めるだけの笑みを浮かべ、スザクはゆっくりとした足取りで店内の間取りを把握しながら、一人自然な足取りで席を取った。程なくして知人の振りを装い澤崎が現れる。
(つまりこちらをテストしているというわけか。)
「息子さんの方はどうですか。名誉の試験を受けることが可能な年齢になったと聞いていますが。」
腰を落ち着けて注文の品を手に話し始める頃には他の客の目も自然に逸れてゆくものだが、店内に入ってすぐ、特に誰かと待ち合わせをしている人間と云うものは悪意のあるなしに関わらず人間の興味をひくものだ。出会いがしらの少々大きな声で適当な相槌を打ちながら周囲の視線が流れていくのを待つ。
澤崎の目がじっとスザクを見つめた。次いでかすかに口元が釣り上がる。
(合格、かな。)
素人ではないことは確かであると、認められたのだろう。澤崎はスザクと同じものを頼んで受け取ったあと、明瞭だが一定の近距離にあるものにしか聞き取れない声量で話し始めた。
*******
「二重スパイ、ですか。」
任務に送り出される前、ゼロは自らスザクに名誉ブリタニア人澤崎の素性について説明を加えた。普段はゼロ自ら現場に赴くためにそれ自体は珍しいことではないのだが、彼が外見の都合上、あるいは公務で体が空かないときなど主にディートハルトが連絡事項を確認するのが常だった。しかし、今回に限りゼロはスザクを一人呼んで捜査局の協力者と密売人の二つの顔を持つ男について話を始めたのだった。
「そう。本国に本部を置く麻薬取締機構の極東支部が、エリア11成立後二年を経過して初めて展開されたわけだが、以来目だった成果は挙げられていない。戦争直後はイレヴンも生きるだけで精一杯の状態でドラッグの類は手の届かない贅沢品でしかなかった。しかし徐々にエリア全体の生活水準が回復するにつれ現実からの逃避を図るための娯楽を求めるようになるのは、これまで複数のエリアで見られた現象なんだ。だからブリタニアは軍内に極秘の捜査班を設けて予防から講じるわけだがそれが機能していない。」
「内通者がいるとのことでしたが、具体的に人物名が挙がっているのですか?」
ゼロはスザクの問いに溜め息を以って応えた。
「俺の頭の中ではな。ヴァレリアの関与を明るみに出すにはそれなりの証拠を揃えなければならないが、手を出しにくい連中が上にいると考えている。第八皇子は母親が大公爵家の出だからな、阿る貴族連中は数えだせばきりがない。黒と言えば、皆黒だ。」
皮肉げに笑って更に続ける。
「本国の取り締まり本部自体、6年前から混乱続きでな。しかし、だからトップを容疑者として論うかそれが可能かどうかは別問題さ。とりあえず俺は小回りの利く極秘の捜査班を編成してその幾班かを各エリアに飛ばした。ヘロイン、コカイン、」
デスクに行儀悪く腰掛けて脚を組む。先達ての会話で一年前にゼロが手の離せなかった任務とはこのことか。若い頃からいい仕事をしていることでと、スザクは実務経験だけなら自分と並ぶだろう5つ年下の少年(あるいは青年)を見つめて思った。
「伝統的な麻薬の類は手堅く押さえてルートをいくつか潰したとの報告も上っているが、ヴァレリアのリフレインは違う。今一番出回っているのはここエリア11だろうが、中々尻尾を掴ませなかった。本部とは独立して捜査を進めるしかなかったし、一年かかってようやく中継ぎの一人まで辿り着いたんだ。だがそこから一向に進まない。」
「仲間同士の制裁を恐れてか、目が眩むほどの報酬が与えられているのか。どちらにせよ国家規模の後押しがあることは証明された様なものですが。」
「それは俺たちの間でしか通用しない理屈さ。現場の直感なんて上の連中には吹いて飛ぶような戯言に過ぎない。まあそこで、一か八か本国の捜査本部にコンタクトしてみたんだ。そして紹介された、あっちの取締官の役に立つ手先が澤崎というわけさ。麻薬密売のお仲間を誤魔化すために本人も少しばかり密輸をやっている。」
ここまで話して、ゼロはにやりと笑って口を噤んだ。澤崎アツシ…スザクは以前日本が存在していた頃に聞いた名前であることを思い出しながら一つ頷いて引き取った。
「随分と信用の置ける協力者ですね。いくらまで使ってよろしいですか。」
「10万ダラー。それが上限だ。」
「ついでに危険を押して僕を指名したのは、」
「俺がお前を気に入ってるからってだけじゃないよ。悪いね。」
飄々と肩を竦めたゼロにスザクは無言で立ち上がった。
「汚い上に危険な仕事だ。よろしく頼むぞ。」
「イエス・マイロード。」*******
「久しぶりだね、スザク君。」
警戒を解いたように、親しげな口調で澤崎は始めた。
「君は覚えていないかもしれないが、君のお父君を訊ねて何度か枢木邸に伺った事がある。最終的に自決を選んだゲンブ首相のやり方は当時の私の考えとは相反するものであったが、今はそれも選択肢の一つとして悪くはないものだと思っているよ。」
「お互いブリタニアに付いてそう悪い思いはしていませんからね。」
スザクは特に何の感情も見せず相槌を打った。
「軍の諜報部か?麻薬捜査局とは別口だろう。ルルーシュ殿下の傍に控えているのも見かけた気がするが。」
なんでもない風に澤崎はグラスを傾けている。ルルーシュは基本的に表に出ない。租界内の孤児院や芸術機関にはよく公務で出向いているが、その際の護衛はカレンとシャーリーの二人に専任している。スザクとルルーシュが並ぶのは政庁の一角、並ぶといってもスザクは目立たないよう影に控えているに過ぎない。稀に居室まで送ることもあるが、一般の名誉ブリタニア人の目に触れることはないはずだ。
(情報には通じている。こちらさんも素人ではないわけだ。)
政府、軍部筋に情報源を確保していることは明らかで、そうであるならブリタニアとイレヴンの間で二足の草鞋を履くだけの器量は保証されるということだ。
(使える人間だ。逃す手はない。)
スザクは気を引き締めて、だが表面上はにこやかに微笑んで応えを返す。
「お優しい方ですよ。ナンバーズを区別しない気さくな人柄をお持ちだ。」
「そして疑うことも知らない、か?」
探るような目つきで見つめてきたのに黙ってグラスを掲げて促せば、相手はそのまま狡賢い色を浮べた目を眇めて切り出してきた。
「総督はまだお若い。戦場においていかにアテナのごときはたらきを見せようとそれは政治能力の指標にはなりえず、参謀連中がこのエリアを動かしている状態だ。ルルーシュ殿下にいたってはお飾りでしかない。この店はそんな甘い統治姿勢のお陰で保っているようなものだが。ほら、珍しいな。ブリタニア人の女が君を見ているよ。」
澤崎が言う女の視線は最初から気づいていた。こんなうらびれたバーに来るようなブリタニア人の女なら、スザクがイレヴンであることなど気にしないのだろう。ブリタニア本国にいた頃も、人種の違いを超えて会う者に好感を与える容姿をしている自覚はあった。それなりに場数も踏んでいるし、積極的に色目を使ってくるようなら少しばかり手厚くあしらってやってもいい。金髪に緑の目ねと、美女に見える取り合わせをシャープな顔立ちに併せ持ってしなを作ってきた女ににこりと笑いかける。口元のほくろが愛嬌を添えて中々に可愛らしいと、そんなことを考えながらスザクは澤崎に視線を戻した。
先ほどから引っかかっていたのだが、この男はルルーシュを副総督とは呼ばない。肩書きに見合っただけの人物と認めていないからか、それとも何か含蓄あってのことか。
「僕があなたに与した場合、見返りには何を望めますか。こちらは10万ダラー用意できます。まさか金に金で返すわけもないでしょう。」
率直過ぎたかとも思ったが、腹の探りあいばかりでは話が一向に進まない。スザクは思い切って自分から仕掛けてみることにした。ルルーシュ皇子の傍仕えとして、できることはいたしましょう。
「ほう。慈愛の皇子殿下に忠誠はないのかね?」
「僕はもともと日本人です。どちらにつくかが、損得勘定に左右されることもありうる。」
「ルルーシュ皇子を裏切って私達に付くと?」
「私『たち』が、僕に何を用意してくれるかによるということですよ。」
じっと互いの目を見据えたまま時間が過ぎる。
先に沈黙を破ったのは澤崎だった。脱力したように首を振る。
「大それた話だよ。昔の政友の息子殿に会って少しばかり気が緩んでしまったようだ。今の話は忘れてくれ。」
失敗か?
「しかし…」
口ごもって後に続けられた言葉に、スザクは薄っすらと口元に笑みを浮べた。
「君の器量を試したい。いや、これは正規の協力要請に応えているだけだから、私にはなんの疚しいこともないわけだな。あの、金髪の女と一緒にいる男が見えるかね?」
「白い髪をした、背の高い痩せた男ですね。身長は187センチ、体重64キロ。技はない。もっぱら頭で動く人間だ。彼らがそうですか。」
スザクはすらすら、対象を見もせずに把握していた特徴を述べた。機密局の人間ならだれでもできることだ。
店に入ったときから注目していたブリタニア人の二人連れ。他は日本人ばかりの店内で、派手な外見の男女はひどく目立つ。だが誰も気に留めることなく談笑に講じている。常連なのだろう。そして名誉も含むイレブンの間では馴染みの在る存在だということだ。すなわち。
「ヘロインの密売人だ。やつらが捜査の目を掻い潜り、我々日本人に逃避の夢を見せている。」
「リフレインは?」
「縄張りと云うものがあるのだよ。同時に私も自分の立場と云うものがある。あちらを立てればこちらが立たず、それを繰り返して今の地位を築いた。」
「つまり当局には彼らを売るということですね?リフレインの流通ルートはまだ手を付けるべきでないと。」
ゼロが送り込んだ極秘の捜査班(現在スザクが彼らに協力するべく澤崎に接触していることになる)の手柄としては、ひとまず拾い損ねていたヘロイン密売人をくれてやることでブリタニア側に恩を売り、リフレインの麻薬組織の方には粛々と従う。そもそもこの男は、おそらくだがルルーシュを害する意図で以って組織の立場で動いていることを暗に示していた。『私達』とは、本部から送り込まれた、ゼロ配下の捜査班ではない麻薬取り締まり局が囲っている麻薬組織の連中だろう。特定すべきブリタニア人の元締めまでは、やはりこの二重スパイを経由するのが一番の近道だ。スザクは二つ目のテスト、と心の中で呟いてその話を受けることにする。
「報酬は不自然でないよう支払いましょう。情報提供についてまず5万ダラー。僕があちらの(ヘロイン取り扱いの)組織を潰せたら成功報酬として残りの5万を。」
「そして私は君を仲間と認めると。足りないな。一つ条件を追加しよう。」
「なんですか。」
「必ずだ。必ず、向こうのトップを殺れ。」
小柄な男の冷えた黒目が、細められた。
ごちゃごちゃ長くて申し訳ありません。わかりにくいところがありましたら、どうぞお気軽に「ここ意味不明だぞ、もっと明瞭な言葉で説明しろ!」とおっしゃってくださいませ(平伏)