ふわふわと漂うような春の日差しの下で、風が優しく頬を撫でていく。鮮やかで胸のすくような草木の香りを含んで流れるそれは、あたたかく辺りを包み込んで一時のまどろみを穏やかに見守っていた。そこにある人物の静かな眼差しを感じて、少年は眠る頬を綻ばせる。
--------、逢いたかった…
Kight−1
「---様、スザク様!」
「っ わ、何だよおどかすな!」
まだ幼い子どもは耳元で名前を呼んだ声にまどろみから飛び起きた。目を開ければ見下ろしてくる厳しい眼差しが自分を射抜いていた。
「お勉強はどうなさいました!平仮名と漢字30個、書き取りの課題は全部お出来になったのですか?」
「あ、ぅ…まだ…」
はぁ…と深く溜め息を吐いて額を押さえたのはまだ声変わりもしていない少年だった。ここ日本においては珍しい白皙の肌にアメジストの瞳、けれど日本人よりも黒く艶やかな少し長めの髪を細紐で一つに結わえ、まだ六歳になったばかりのスザクの前にしゃがみこんで目線を合わせて口を開く。
「スザク様。あなたはこの国の王になられる方です。王とはこの国の民を導き、世の秩序を保つとても大切な役割を担われるお方です。」
真摯な眼差しに見つめられて、ついうとうとと眠りに誘われてしまったことをすまなく思う。この目の前の少年は己の果たすべき役割に忠実で、いつも過不足なく務めようと心を砕いている。少年の使命は、この日本国第一皇子枢木スザクの教育係兼護衛であったが、彼は常にスザクの傍にいてさながら兄とも友人とも、忙しくてろくに会話をすることもできない父の代わりをも務めてくれる、スザクのお気に入りの従者だった。…従者?家臣?
違う、とスザクは思う。少年はいつだってスザクの一番近くにいて、スザクが何よりも好きな笑顔をくれる大切な大切な人だった。
「ルルーシュ。」
「ですからスザク様も日々たゆまぬ努力を 、なんですか?」
人差し指を立てて小言を滔々と並べ立てていたルルーシュと呼ばれた少年は、不満そうな小さな皇子の声にぱちりとアメジストの瞳を瞬いた。年相応に見える、あどけない仕草にスザクはほっと肩の力を抜いて次に顰め面をしてみせる。
「スザクと、呼べと言っただろう。前みたいにただ名前で呼んでほしい。おれたちは友だちだろう?」
ルルーシュは困ったように首を傾げた。
「ですが、私はスザク様の」
「けいごもいらない!ルルーシュはおれの友だちだ!本当はこんな家来のまねごとだってさせたくはなかったのにっ!」
小さな足で地団太を踏んで皇子はてのひらを握り締めた。顔には悔しそうな色がありありと隠しもせずに浮べられている。ルルーシュはそっとその手を取って言った。
「そういうわけには行きません。」
「なんでっ」
「ですが。…そうだな、この漢字を今日中に全部覚えたら今日だけ。“スザク”って呼んで上げるよ。」
「…ずるくないか?それ。」
「お勉強、頑張りましょうね。」
控えめだけれど懐かしい、出会った頃のような気安い声音でルルーシュは返し、ちらりと今日の課題にいやいやながら視線を戻したスザクの頭を撫でた。
「子ども扱いするな!」
「皇子はまだお小さい。私と背を並べることが出来るようになったら、同じ目線でお話しましょう。あと、一人称は『僕』ですよ。」
「それはもっとずるい!」
あははと、まだ少年の澄んだ声で笑ったルルーシュの声がやわらかな日差しの下で遠く響いた。いとおしむような優しい眼差しが降り注ぐ。大好きだった、彼の---
「---…夢、か…。」
子どもの頃のような春の陽気に、夢の世界に誘われていたらしい。スザクは執務机に突っ伏していた顔を上げて軽く肩を鳴らした。少し肌寒い。窓から差し込む日差しは茜色に染まっていて、もう太陽が西の空に沈もうとしていた。暮れなずむ空はいつも心の中の郷愁を呼び起こす。
スザクは立ち上がって真っ赤な夕日を窓辺で眺めながら呟いた。
「ルルーシュ、俺、あの時のお前と同じ歳になったよ。十七歳だ。どうして今、俺の隣にいないんだよ…馬鹿野郎。」
彼は七年前のこの日、スザクの騎士となる誓いを立ててそして、
主を守って帰らぬ人となったのだ。
ずっと傍にいると約束したくせに。