「…ははうぇ…」
「泣いてもいいんだ。泣いたら少し、楽になる。」
Kight−3
床から遠く、身を沈めれば起き上がれないようなやわらかな寝具に寝付けないでいると、察したルルーシュが硬めで高さの抑えられたベッドを用意してくれた。畳みは無理だけれどと言いながら、スザクの部屋には一面毛足の長い絨毯を敷き詰め、館の者には土足で上がることのないようにと言いつける。いつも本を読んでいてきっと頭がいいのだろうと思うルルーシュにはわからないはずもない不穏な関係にある日本人に、細やかな気配りをしてくれる優しさは嬉しかった。ルルーシュは数ヶ国語に堪能なようで、スザクがブリタニア語を忘れない程度に日本語で話してくれる。あまり館の外に出ることはなかったけれど、スザクがせがめば仕方がないなと庭をぐるりと散歩に付き合い、時には綺麗な馬に乗せてくれることもあった。日本と同じではないけれど、日本にはないブリタニアの景色にはしゃぐことも、ルルーシュがいたからできたことだった。
「ルルーシュってすぐ疲れちゃうし、あんまり運動も得意じゃないみたいだけど馬には乗れるんだよな。」
「悪かったな。もう帰るぞ。」
「わわっ、待ってよ、馬に乗せてくれるって約束したじゃないか!」
好きに見て回ることを許されているアリエス宮だが、さすがに子どもが一人で乗馬できるはずもなく、ここに使えているものたちは皆ルルーシュの言葉をきいてスザクにもよくしてくれるけれど危険を伴う遊びはやんわりと止めにかかった。だからルルーシュの愛馬であるガウェインとランスロットという黒馬と白馬に跨ることができるのはルルーシュが一緒のときだけなのだ。親しみと気安さでうきうきしながら言われた言葉に気分を害したように踵を返したルルーシュを慌てて引き止めると、くすりと笑みが返されてほっと胸を撫で下ろす。
「乗馬は皇族の資質なんだよ。別に乗れなくとも困ることはないと思うんだけど、ブリタニアでは十歳になると自分の馬が与えられる。」
よく手入れされた毛並みは艶やかで、二頭ともルルーシュによく懐いていた。擦り寄るように長い顔を近づけて撫でてもらうのを待つ様子をスザクは羨ましそうに見つめる。
「ルルーシュって、本当に動物に好かれるんだな。おれなんか犬にも猫にも嫌われてつまらない。」
不貞腐れるようにつま先を蹴る子どもにルルーシュはふと見下ろしてその体を抱き上げた。
「う、わっ!なんだよ、離せって!」
「今離したら落ちるぞ。いいからこいつの目を見てごらん。」
馬の大きな黒目がくりりと自分を見つめていた。言葉がない分雄弁に語るそれは、これといった警戒も怯えもなくスザクに向けられている。そっと驚かせないように手を伸ばすと、ぴくりと耳を動かしてすりと顔の短い毛がすり寄せられた。
「動物は害意がなければ無闇に人を嫌ったりしない。君、犬や猫にいたずらしたりしたんじゃないか。」
「う…」
やったかもしれない。意地悪をするつもりではなかったのだが、撫でたり梳いたりといった大人しいコミュニケーションではなかった。スザクの気持ち云々の前に、いつもの乱暴で動物たちは逃げ出したのかもしれない。
「今日はランスロットに乗ろうかな。 わ、こらガウェイン!拗ねるなって、もう。」
スザクを下ろして白のランスロットに腕を伸ばしたルルーシュに、黒馬のガウェインはすいと目を逸らして座り込んだ。ヒヒンと一声嘶くとそっぽを向いてしまう。
「仕方がない。じゃあお前もついておいで。次はお前に乗るから。」
ルルーシュが屈んで鼻面を撫でてやると、主人の言葉がわかるのかガウェインがまた大きな体を持ち上げる。スザクを抱き上げてランスロットに跨るルルーシュの隣で、引っ掛けてしまわないよう短くされた手綱がふるりと揺れた。
「ルルーシュの馬はどっちなんだ?」
「ランスロットだよ。ガウェインは母上のものだったんだ。」
鞍に掴まりゆっくりと駆け抜けてゆく景色に目を輝かせながら、スザクは訊ねた。
「ルルーシュの母上は…」
「五年前に亡くなったんだ。」
黙り込む。ルルーシュは悲しそうな様子も憤る様子も見せなかったけれど、静かな声音には言いようもない寂しさが潜んでいた。このアリエス宮に来て一週間、一度も見かけたことのないルルーシュの母親にどうしてだろうと不思議に思っていたのだが、これはきっと聞いてはいけないことだったのだろう。
「…ごめん。」
「スザクが謝ることじゃないよ。」
声は穏やかだった。後ろを振り向くことはできない。けれど危ないと思うほどに近づいてきたガウェインを見て、スザクは掴んだ鞍を握り締めた。
その夜のことだった。
「---ッ、ぅ …はは ぅぇ」
日本にいる母の夢を見た。いつも優しい声で名前を呼んでくれた優しい母だ。会いたい。今無事でいるだろうか。
「…はは、うえ…」
「---ク、スザクッ!」
「…るるーしゅ?」
「魘されていたから…」
びっしょりと背中に汗をかいていた。どくどくと心臓の音がうるさい。もう会えないかもしれないと、思う気持ちが焦燥感に満ちた嫌な夢を見せていたのだろう。傍らの水差しを取り上げて、冷たい水を差し出してくれるルルーシュからグラスを受け取り一気に飲み干すとスザクはそのまま抱きついた。
「母上に会いたいっ、日本に帰りたい…ひっく…」
ルルーシュは黙って背中を撫でてくれた。嗚咽が収まるのを待って静かに口を開く。
「スザク。泣いてもいいよ。いつでも膝を貸してあげる。僕にはそれくらいしかして上げられない。でもね、忘れちゃいけない。スザクはちゃんとお母さまを守って上げられているんだ。スザクがここにいるから、スザクのお母さまは日本で無事に過ごすことが出来るんだ。スザクは偉いよ。えらい。」
落とされるように掛けられた言葉が、あの頃の自分を支えてくれた。そして何より彼のあたたかいぬくもりが。
泣きじゃくる子どもをあやしながら、彼は何を想っていたのだろう。ルルーシュの母親は、彼を庇って凶弾に倒れていた。
「母親の代わりに、俺を守ろうとでも誓ったか。今ここにいなければ、何の意味もないというのに。」
※スザルルです。