「ルルーシュ、ルルーシュなんだな…?本当に…?よく、生きて…」
夢だと思った。
信じられないような幸せな夢を見ているのだと思った。夢の中でも幼い記憶は世界で一番綺麗だと思う彼の顔を霞ませて、鮮やかな夜明けの色だけが追いかけてもすり抜けてゆくぬくもりに翻る。何度届かなかった小さな子どものてのひらを悔しく思ったことだろう。心臓が破れそうなほど走って走って、気持ちが悪いほど焦る気持ちが非現実の世界であればと願って目覚めた朝は、失った存在に絶望した。もう優しく起こしてくれる彼の声はどこにもない。早く寝なさいと口うるさく言うことも、本を読んでくれとせがんだ自分に、眠くなるまでですよと睨んだ後にふと表情を和らげて本を取り上げた彼は死んでしまった。
(俺のせいで!俺を守るためにッ!)
もっと言うことを聞けば良かった。喧嘩なんてしなければよかった。ルルーシュは生真面目で融通が利かなくて、もうルルーシュなんてどこかに行ってしまえばいいのにと、子どもの癇癪で叫んだ自分はなんと愚かであったことか。彼はそれを本心なのだと思うはずもなくいつでも自分が落ち着くのを待っていてくれたけれど、その瞬間の彼の顔は悲しそうで泣きそうで…叶うことなら時を戻して彼が安心して眠れるようにもっと利口な王子になって…
(違う、もし過去に戻ることが出来るならルルーシュをあの時死なせはしなかった。生きているなら地の果てまでも探したのに…!)
スザクはひどい後悔と眩暈がするほどの喜びに叫びだしそうになるのを抑えて懐かしい顔を見つめたが、返って来た答えはシンと心を凍らせた。
「ええ、確かに私の名前はルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。しかし、ああ…そうか。あなたと彼は面識があったのでした。お傍にお仕えしていたと聞いておりますが、それは事実ですか?」
…生きているなら、探して探して、見つけたらもう離さない。もし過去が己の自由になるならば---虚しい夢想に耽りながら誓った祈りは、確かな現実の前に不協和音を奏でて凍った。
そして冷えた思考が戻ってくる。七年前-あの別離の頃だ-より遡ることはできないのだという記憶を失くしたルルーシュに、自分でも驚くほど平坦な声でスザクは言った。
「そうだ。お前はずっと俺を守り育ててくれた、命の恩人。俺は二度もお前に救われた。いや、お前に感謝しない日はなかったよ。思い出して遣る瀬無い激情に駆られることもしばしばだった。だからもう、見つけた以上お前を手放すつもりはない。」
そう、二度と手放すものか。
彼が拒んでも惑っても、焦がれた存在を再び失うことなどできるはずもない。けれど、
…けれど。
訊ねたかったことがある。

…お前は、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。お前は、俺を恨んでいたのか。日本を、憎んでいたのか。

祖国を滅ぼした国の王子の、目の前のことしか見えない子どものわがままで、名を捨て敵国の王子に跪く未来を強要されて。お前はいつだって優しく微笑んでくれたけれど、その裏で冷たい怒りを砥いでいたのか。今ならわかる。一国の王の血が育む矜持がどれだけの屈辱をお前に強いたか。誇り高いブリタニアの皇子が、信念を曲げて皇帝を手にかけたその決意とその後の失意と恐怖を、俺は一欠けらとて目にしたことはない。同じ事を、あの頃のお前と同じだけの年月を経た今もできるとは、思えない。
…そう、恨んでいると、言ってくれたら俺はきっと安心するんだ。

応えることのできる彼は今ここにはいない。スザクは感情を押し殺して一言訊ねた。
「俺の傍に在ることを、厭うか。」
「さあ。わかりません。私はあなたのことを知らないのですから。」


愛情の反対は無関心。
ルルーシュの言葉を聞いて、スザクが最初に思い浮かべた言葉だった。

Kight−10

「---では国王陛下のご生誕祝いの式典に合わせ、名誉日本人資格の授与と先達ての反政府組織の一斉検挙において恩赦の検討を尽くしたイレヴンにつき、刑の減刑を---」
議決した案件を書記が読み上げる。その堅苦しい声音を右から左に流しながら、スザクはじっと考え込んでいた。
(確かにルルーシュなんだ。それは、昔よりもガサツになったし意地悪になったけど、ふとした仕草は記憶にあるまま。ちょっぴりどじで頭はいいのに抜けているところがあって、基本的には優しいんだ。ゼロをしていた時だって、仲間が言うほど無闇やたらに人を殺していたわけじゃない。…殺していたんだよな。あのルルーシュが。それは日本が憎かったと言うことか、それはルルーシュの想いなのか、それともイレヴンの連中に吹き込まれた感情なのか。)
深く溜め息をつくと、同席している官僚達が何事かと注視してきた。我に帰って軽く手を挙げればほっとしたように視線が離れていく。
(ご機嫌伺いと、単純な驚き。五分五分だよな。)
まだ若輩の王子の所作一つで右往左往する人間は信用できない。ルルーシュを亡くしてから五年、一番大きな心を許せる人間を失ってから学んだことは少なくない。王家の嫡子であろうと、皆が皆曇りのない忠誠を向けてくれるものではないのだ。足元を掬おうと狙っている者、取り入ろうとする者。
(少なくともルルーシュは媚びたりしないよな。…むしろ俺をからかって遊んでいる。)
物腰こそ丁寧で礼儀も完璧だが、彼のそれは慇懃無礼というものだ。スザクにだけは解るように接してくる辺りが面白くない。
(いいんだけどさ。主と臣下で一歩引かれるよりはずっと気持ちがいいんだがしかし…だったらもっと親しげにだな、遠慮なく接してくれればいいんだよ。裸の一つや二つ何を恥ずかしがっているんだか。)
結局そこに行き着いた自分の思考を、やましく思うこともなくスザクは深夜ルルーシュに与えた部屋まで足を進めていた。
「絶対脱がせてやる。そのまま勢いに任せてあ〜んなことやこ〜んなことを…いや、これは我慢だ我慢。こういうことは合意の上でだな、ルルーシュの記憶が戻ってまた昔のように『スザク』と呼んで貰ってから熱い口付けを交わしてそろりと寝具に押倒してそこから目くるめく…何の真似だ?」
「あまり人を信用なさらないことだ。私をそばに置けばいつかこうなると、僅かでもお考えにならなかったと?」
ルルーシュの、部屋の扉を開けて身体を滑り込ませた瞬間。
嫌に暗いと思った室内に目を凝らす暇もなく、背後から忍び寄ってきた影が首にナイフを突きつけていた。ナイフ?いや違う。ルルーシュには凶器になるようなものは一切与えていない。行動できる場所も、スザクとしては不本意だったが著しく制限している。それがルルーシュの身を守るためであり余計な疑念を寄せ付けないための最低限の処置だと藤堂に諭されて渋々飲んだ条件だった。だから今、自分の首筋にひやりと触れているものは、おそらく洗面台に備え付けの鏡だ。
「怪我はしていないか?割ったんだろう。あまり危ないことはするな。」
「…あなたは今、私に殺されようとしているのですよ。悠長なことをおっしゃる。お戯れか。」
「いいや?今の状態は悪くない。お前とこんなに近く触れ合ったのは何年ぶりだろうな。懐かしい香りがする。」
後ろ手に細い腰に手を這わせれば、びくりと竦むように拘束している腕が震えた。
「ふざけたことを。」
「ふざけてなんかいないさ。お前は俺を殺せないよ。俺が死んだらお前の大切な仲間はタンブル島に送られる。A級犯罪者の流刑地さ。日本古来の島流しとは訳が違う。一生をそこに閉じ込められることに変わりはないが、その一生がひどく短い。意味はわかるな?幹部は残らず絞首刑だ。どちらがましかは人それぞれ。」
落ち着き払ったスザクの声に、ルルーシュはすっと手を退いた。離れていく体温を惜しく思いながら、スザクは身体を反転させてルルーシュを床に押倒した。
「ッ、抵抗はしません。人をお呼び下さい。明日にでも絞首台に送ればいい。」
「ばかなことを。いいか、俺はお前が俺を本気で殺そうとしたわけではないことを知っている。俺が言ったことを、お前が考え及ばなかったはずがないと知っている。ではなぜこのような行動に出たか。…くだらないことを考えるなよルルーシュ。お前が俺を殺せないように、俺はお前を殺せない。」
総督府は、スザクと他常駐の官吏の居室以外を洋式化している。ルルーシュに宛がった部屋もフローリングの二間である。床が冷たいというわけではないが、押さえつけた身体が思った以上に薄く感じられて、自分ばかりに時間が流れたような錯覚を覚えた。今自分の下に在るのは、追いつきたいと願い守りたいと欲した大切な人。
「その、理由は。あなたと私では大きく質を違えるのだと思うことは、私の自惚れでしょうか。」
しかし当然ながら彼にも等しく年月が流れ、スザクのほしかった答えは返ることがない。
私は仲間のためにあなたを殺せない。あなたは昔の私を殺したくないからなのでしょう。
「…感情のベクトルは確かに行き違っているさ。それは俺も承知している。けどなルルーシュ、お前、一体何を考えているんだよ。お前が本気で打倒日本の大儀を掲げて叛乱組織を率いていたとは思えない。不可能だからな。日本軍を侮っていたわけでもないだろう。ではなぜゼロなど…俺から見れば貧乏くじでしかない役どころに納まっていた?少なくとも、」
「少なくとも。あなたが私の命を救ってくれるだろうなんて、都合のよいことは考えていませんでしたよ。」
「…ではなぜ?」
「さあ。何故でしょう。」
暗闇に目が慣れてきた。一連の乱暴な所作で乱れた襟の袷を、落ちた沈黙に力を抜いたスザクの拘束から逃れたルルーシュの腕が掻き合わせる。ごく自然な動作だったが、過ぎった嫌な感覚に従いスザクは素早く腕を伸ばした。
「っ!?おやめくださ」
「うるさい!手をどけろ!」
「なんのおつもりです!先ほどの狼藉、然るべき処分はお受けいたします。今ここでこのようなッ!」
必死な様子で退けようとするのに焦れて、スザクは薄い夜着を引き裂いた。

「…だれが、こんな…」
「…簡単なことではありませんか。私を回収したのはブリタニアのレジスタンスですよ。」
歯を食いしばって搾り出した問いに、ルルーシュは諦めたように力を抜いて淡々と答えた。もしやと、仰向けに横たわる身体を反転させれば更に醜い火傷の数々。

裏切り者
売国奴
卑怯者
国を売った皇子
日本の狗
父親殺しの悪魔
死ね

ルルーシュの背中には、じりじりと熱した鉄ででも焼かれたのだろう醜い罵倒の文字が刻まれていた。ブリタニア語。内容も、ブリタニアの人間でなければ浮かばないはずの。その下に薄っすらと違う傷痕。これは、彼の身体を一片残さず吹き飛ばしたと思っていた、あの爆風によるものだろうか…
「もう古い傷ですし痛みはしません。これといって恨みがあるわけでもない。…ほら、だから見ないほうがよいと申し上げたのに。」
「…なぜ、」
「ゼロになったか?」
震える指で背の焼印を辿るスザクに、もう抵抗もせず任せていたルルーシュはうつ伏せに顔を隠したまま後を引き取って言った。
「この傷を付けた者が誰かという事実は大した意味を持ちません。そう思った人間がいること、わたくしを恨んだ人間がいると言うこと、それだけがわかれば十分です。」
「…ブリタニアの人間など、勝手にやらせておけばよかったんだ。」
「闇雲に暴力を振りかざすだけでは不穏分子の一つとして消されて、それでしまいです。集団の規模を広げたから、トップが責任を取ることのできるヒエラルキーが生まれる。まあ、あなたは妙な同情と要らない恩を私に感じておられるようですが、情けは不要です。私に対しては。
皆がそう思っていました。日本に、占領された恨みと怒りをぶつける術があるなら、命と引き換えでも構わなかったとね。その方が、日本人の犠牲を強いることもなかったはずです。」
「お前は違うだろう!お前はそんな莫迦なことは考えない。俺の先生だったんだぞ。俺に、簡単だけど戦争のこととか、戦場で大切なこととか、…命の大切さとか、教えてくれたのは、みんなお前なんだ。ルルーシュッ…」
今の自分よりも幼かったルルーシュでも、彼が泣くところを見たことは一度もない。どうして自分はこんなに涙もろいのかと悔しくなるが、それでもスザクは傷だらけの背中に額を押し当てて嗚咽を堪えるのが精一杯だった。
どうして、優しい彼が傷付けられなければならない。傷付けなければならなかった。
「…俺の存在が、ブリタニアの血が。同胞の恨みとそして同時に士気を、煽ったのは事実だった。皇帝があっさり殺されて、あれよと云う間に日本に負けて。みんな中途半端に余力と下手な希望を残したまま恨みつらみだけを積み重ねていた。ガス抜きも必要だったんだよ。仮にも皇子さまだったみたいだし、まあ責任とってクーデターやりましたってね。日本には悪いことをしたと、思ってるけどな。」
独り言のように、ひどく砕けた言葉でルルーシュは言った。なんでもないように、ぽたぽたとスザクの悔し涙が落ちる背中を捻って起き上がりながらの台詞は軽く、本当に一欠片の憎しみも窺えない。これは彼の本音で、覗かせたかったのは自分に対する気遣いだと解っている。優しさだと知っている。こんながさつな話し方をするルルーシュは知らない。何も知らなかった。けれどそれでも。
「…スザク様?」
「記憶がなくとも、お前はルルーシュだ。俺が好きなルルーシュだ。だから、もう絶対に離さない。」
やはり細かった身体を抱きしめる。だって、このぬくもりは変わらない。心の、あたたかさも。


ルルーシュがスザクを襲ったのは、さっさと自分を始末しとかないと困ったことになるよという警告のためです。ゼロを匿っているといくら王子といえどもまずいことになるので。(ということでお願いいたします。)/次で終わります。

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