カレンはとても珍しいものを見た。ちっちゃなネズミの姿で体を丸めたスザクが、おろおろと謝るルルーシュをぴしりとしっぽで撥ね付ける。
「へんたい!」
耳を疑う。へんたい?スザクが、ルルーシュを。変態呼ばわりしているのか。
「ごめんスザク、もうしないから」
「二回目だよ!」
二回もネズミに何をした。
「だって誘うように動くものだから、」
「君はネコか!」
「そういう気持ちになることも、」
「ならないでよぅ!」
ひとまず、カレンはめそめそ泣き出してしまったネズミと人間の仲裁に入ることにした。
君のしっぽが揺れるから
時は遡る。ルルーシュ・ランペルージは軍隊時代の訓練規定をなぞりながらトレーニングをこなしていた。日課である。今は腕立て伏せ100回3セット。どうも上半身に筋肉の付きにくい体質らしいと了解しているルルーシュは、銃撃戦において照準がぶれることのないよう特に上腕部の鍛錬を重視していた。
「『世界的な穀物価格の高騰を受けて、輸出枠を」
同い年のパートナーはTV画面をじっと睨みながらもう半刻ばかり喋り続けている。音量はゼロ。読唇術の練習をしているらしい。以前ルルーシュがやってみせたそれを真似したいらしく、ここ一月ほどニュースキャスターの口元を見つめながら練習を重ねている。ちっちゃくなりたい気分のようで、いつもの少し高めな青年の声ではなく、ネズミの声帯で女性のアルトに近い声が間断なくルルーシュの耳に届いていた。
眠くなるなぁと思う。睡眠欲を発する部位は切除されているとはいえ、思考が優しく撫で付けられてゆくような感覚は「眠い」というものに近いのじゃなかったかと考える。もうかれこれ三年ばかりも眠っていないが、ルルーシュはふと覚えるぼんやりとした感覚に自分が普通の人間だった頃のことを思い出す。それがスザクの声に喚起される場合には、もっと昔のことも思い出す。母の声に似ているのだ。軍人だった彼女は歯切れよく低い声で話したもので、子どもにおとぎ話を読み聞かせるには少々向かない人だったけれど懐かしいことには変わりない。ネズミのスザクの声は好きだ。ルルーシュは人より早く子どもをやめて軍人になった。大人になったとは謙虚な気持ちで言わないけれど、多少なりとも汚れてしまった自覚はあるので純粋だったと、遠い目をして思い返す子ども時代に立ち返らせるスザクの声は生暖かく心地よい。
ただ、退屈なニュース番組を延々読み上げられれば飽きもする。別にルルーシュに聞かせるためにやっているわけではないのだからと思うものの、本人は睡魔に襲われないのだろうかと不思議になるのだ。必要なのだから仕方がないが、一日最低七時間は眠らないといけないスザクは驚くほどに寝つきがいい。ルルーシュがデスクに向かっていると、人型をやめてのそのそ膝の上に上って丸くなる。「昼寝か?」「僕は夜行性だからね」「(夜もしっかり寝るくせに)」「すぴー……」という具合だから、長い脚を持て余して組みたくなるのを我慢しているルルーシュはちょっとばかり小憎たらしくなってネズミのぽやっ毛をかき回したりしてみるのだがまず起きない。寝つきも良いが寝入りも良い。寝る子は育つというから好きにさせているが、であれば今退屈な社会情勢(だって昨日のニュースとどこが変わり映えしているというのか)を延々読み上げているスザクは睡魔に襲われないのかと思うのだ。ルルーシュだって唇の動きを読み続けるのは辛い作業だ。軍で習得した技術だが同時通訳と同様長時間の集中は神経をすり減らす。一時間が限度だ。それ以上やれば吐く。中毒症状に悩まされていた一年間の間に人の百倍は吐いたので、ルルーシュはもうたくさんだと首を振る。そしてスザクは大丈夫かなと心配になった……ところで、暢気な声がしてチャンネルが切り替わった。
「ふふん、僕ももうプロだね。アナウンサーの口の動きなら完璧さ。次はより実践的に…」
(『実践的に』ねぇ…)
ネズミのちっちゃな足でリモコンを踏んでいるのか、ぽち、ぽち、とゆっくりチャンネルが切り替わるのがわかる。番組を選んでいるのか中々一つに定まらない。ルルーシュは腕立て伏せをしながら(※さっきからずっとやっている。)ドラマの台詞でも拾うのかなと予想した。
「――『あ〜れぇ〜』」
ずるっ
「『おやめくださいお代官様!』『よいではないか、よいではないか』」
(や、やめさせるか?)
「『なりませぬなりませぬっあ』…うーん?なんて言ってるんだろ…『あぁ〜』?」
(やめさせなければ)
ルルーシュは不意に上った棒読みの悲鳴にずるっと腕から力が抜けてへたってしまったのだが、スザクがチョイスした東洋のクラシックロマン(ちがう)に一保護者(を自負する者)として待ったをかけるべきだろうと判断した。顔をあげる。
実はこの二人はごく近い位置で各々好きなことをしていたのだ。ルルーシュの顔の上あたりにスザクが載っている椅子があり、背もたれは腰掛ける部分と繋がっていないデザインだからちょっと目線を上げればネズミのおしりが見える。普通のねずみと骨格は何も違わないはずなのになぜかスザクはぺたんとしりをついて座ることが出来るため(つまり人間と同じ姿勢で椅子に座ることが出来る。それを言うなら人語を発生することが出来る時点で特殊である。まあ純粋なねずみじゃないのだ、当然ながら。)、身体の下に敷いてしまわないようしっぽはたらりと後ろに垂れている。ちょうど、ルルーシュの目の前に。
(しっぽ…)
不意に馴染みのない感覚に襲われた。ちょろりと垂れ下がったしっぽ。
「難しいなぁ…やっぱり目だけで普通の会話を読み取るのは至難だー…」
(っ!)
ゆらり、としっぽが揺れた。ゆらり、ゆらゆら。
難しい、とぼやくスザクの台詞に合わせて長いしっぽが左右に振れる。普段はあまり動かさないそれが、宙に浮いたことで自由にゆらゆら揺れている。
『しっぽしっぽ〜しっぽよ♪あ〜なた〜の しっぽよ♪』
ルルーシュの頭の中で歌が聞えた。子どもの頃の教育番組で聴いたような一風変わった歌詞が記憶に蘇る。
(すきという かわりに しっぽがゆれるの――っ)
ルルーシュは無意識にそれを掴もうと手を伸ばして我に帰った。
(…いけない。これをやったら怒らせる。)
前にもこんなことがあったのだ。肩に乗せていたスザクがちょろちょろと動き回って遊んでいた。くすぐったくてしかたがない。身体に遅れてついてくるしっぽが首の辺りをこちょこちょ掠めて困ったルルーシュは、大人しくしていなさい、の意をこめてきゅっとそれを握った。ぴたりとネズミの動きが止まる。意思が伝わったのだなと満足していると、心なしか潤んだ目をして言われたのだ。
『るるーしゅの、ばか!』
『…うん?』
『ばかばか!触らないでよ!』
『?しっぽ?』
『しっぽ!』
『ちょっと握っただけじゃないか』
『ちょっとでもだめ!僕のしっぽは大事なものなんだよ、ネズミのアイデンティティなんだ!』
『あ、アイデンティティ?』
『頭で考えないで!僕だってよくわからないけどこのしっぽを無神経に触られるとすごく嫌な気持ちになるんだ。人間だったらいきなりお尻を触られたような気持ちになるんだ…』
『それは、すまなかった。もうしないから』
と、いうやり取りがあった。それでは自分は彼にセクハラをしてしまったんだなと思って生真面目なルルーシュはひどく反省したものだ。めそめそ泣き出してしまったパートナー(※同い年。)に心底すまなくなって、あれ以来首の周りを走り回るネズミに無言の抗議をする時は首根っこを掴んでつまみ挙げることにしている。
(でも、しっぽ……)
ルルーシュは実際頭の切れる男である。歳相応に世知に長け、常識も備え、一度言われたことは忘れない男である。言い換えれば大事な大事なパートナーに「するな!」と言われたことを繰り返すようなうっかりはしない。しないのだが、この時は優秀なはずの頭脳がおかしな方向に回転していた。彼は目の前でゆらゆら揺れるネズミのしっぽにいたく心を奪われていた。
『しっぽしっぽ〜しっぽよ♪あ〜なた〜の しっぽよ♪』
さわりたい。
つかみたい。
いけない、と思う。それは思う。わかっている。同性の同い年の同僚にセクシュアルハラスメントをしてしまうようなひとでなしにはなりたくない。まためそめそ泣かれたくは決してない。しかしルルーシュは人間だからしっぽが生えていない。それがどんなものなのか想像するのが難しい。しり、というよりは手足の先っぽのように見えてしまうものだから、ちょっとくらいつついてしまってもよいのではないかと思ってしまう。握手、そう、握手だ!ルルーシュは揺れるしっぽに誘われるままそろりと手を伸ばしかけて、
「ねールルーシュ、君はあの口の動きが読め……」
「……」
思わずきゅっと握り締めてしまおうとしたちょうどその時、茶色のネズミが後ろを向いた。くりくりとした緑の目と視線がかち合う。念のために言っておくとぎりぎりセーフである。ちょろりと垂れ下がった長いしっぽの周りに指で囲いを作って力を入れれば握れるという、そんなぎりぎり。ぎりぎり、触ってはいない。触ってはいないのだけれども。
ゆらり。
ルルーシュの指で作られた輪の、僅かな隙間でしっぽが揺れた。スザクが揺らしたのだ。振り返って、他愛のない言葉を言い差して、無言で。固まっているルルーシュのぎりぎりな指をしっぽで撫でた。
「ルルーシュ、この手は、なんだい?」
「…ああ、なんだろう」
言葉に窮した。ルルーシュにしては珍しい。本当に、なんと言って返せばよいものかわからなかった。誤魔化すにしては状況が苦しい。ネズミのしっぽを指で囲っておいて、掴む以外にどんなつもりがあったといえる。そもそもスザクに嘘は通用しない。においで見破られる。だからこの時ルルーシュは嘘をついて言い逃れようとは思わなかった。満足のいく説明が出来るとも思わなかった。スザクの言うように『頭で考えないで!』だ。目の前でゆらゆら動くしっぽを眼で追ってしまった。気がついたらきゅっと握ろうとしていた。
ルルーシュのインテル搭載の頭脳(うそ)でも理由なんてわからない。
「う…」
「う?」
「うわーん!!」
―――と、いうやり取りがあったのだ。
「ばっかじゃないの」
「カレン、もう少し建設的なアドヴァイスを、」
「建設的も何もあんたたちの痴話げんかに処方箋はないわ」
ばっさり切り捨てる。おそらく半刻ばかりもめそめそ泣かれて困りきっていたのだろう。ルルーシュが救世主とばかりにカレンの顔を見上げるが、彼女にしてみればあほらしいことこの上ない。ネズミに構いすぎて拗ねられた黒猫の図。メルヘンはカレンのジャンルじゃない。
「くすん、くすん…」
「あーもうスザク!あんたもルルーシュがこんなに謝ってるんだから許してあげなさいよ。もうしないって言ってるんだし」
「ぐす…前も、そう言ったんだ」
すまなそうにもう何度目かもわからない「ごめん」を繰り返すルルーシュに溜め息をついて、カレンはネズミをつまみ上げて言った。
「そんなに嫌なの?これに触られるの」
「ネズミの本能だよ!理由もなく嫌なんだ!」
指で示しながら訊ねると小さい子どものようにやだやだと暴れるので、その理由については追及するのを諦めるのが妥当だろう。
「だったらなんでネズミになるのよ」
「え?」
「ネズミにならなければいいのよ。別に今はずっと本体の人型でいたって構わないんでしょう?」
今までネズミのスザクさんばかり登場していたのでありますが、彼は正真正銘人間なのでもちろん成人男性の身体でいることは可能であります。成長促進のために取っていたネズミ型は、心身ともに(局所的に未発達でも)成人男性の平均値まで到達した今はむしろ無用の長物です。(書き手注)
「……言われてみればそうだね」
「気づかなかったんかい」
つまみ上げられたままでスザクは言った。カレンのツッコミに腕を組みながら考える。
「でも僕、この格好にも愛着があるんだ」
「そんなぬいぐるみみたいな格好に?」
「ルルーシュもお気に入りだもんね?」
なぜか相棒に話を振ったネズミに、ルルーシュが控えめに頷く。
だめだこいつら。
『ふわふわは正義!』と思っているらしいルルーシュが、『なんてことを言うんだカレン!』と眼で訴えている。ルルーシュはネズミの毛皮が大好きなのだ。『スザクが大きくなったら身体の表面積も増えるわけだから、毛皮も大きくなるはずだ』と、真剣な顔をして栄養学の本に目を通しながら料理をしているルルーシュを知っている。スザクの食事はルルーシュが手づから拵えている。カレンもよくご相伴に預かるが、もとから器用な上に、味覚障害がある分レシピに忠実に作るからその腕前はプロ並みだ。アレンジを加える時にはスザクが隣で口をあけて待っているらしい。ネズミは料理をしないらしい。『大きくなれよ〜』とお祈りしながらせっせと人間のスザクを育てているらしいルルーシュにどうツッコむべきかはカレンの目下最大の懸案事項である。そのうち毛刈りでもするつもりなんじゃないかというレベルではない。
「……あんたたちね。じゃあこうしなさい」
レベルではないのだが、もう何を言っても無駄な気がする。泣いたカラスはもうカレンの指先でぷらぷら身体を揺すって遊んでいる。ブランコか。お前は本当ににじゅっさいか。
「ルルーシュがスザクのしっぽを触ったら、スザクもルルーシュに触ってやればいいのよ」
「「うん?」」
「だから。スザクが泣くくらい嫌なことなんだったら、ルルーシュにも同じことをしてやれば溜飲下がるでしょう?」
そもそもルルーシュがやるな!と言われたことを無意識でやってしまったことが(あれ、こいつ無意識はなくなったとか言っていたんじゃなかったか)問題なので、予防よりも事後の取り決めを考えたほうが建設的だ。無意識や本能なんてものは理屈でどうこうできるものじゃない。
「ルルーシュのしっぽに触る…」
「俺にしっぽはない」
ネズミの呟きに冷静に返すルルーシュは明らかにほっとカレンを見た。ありがとうと無言で言われて、カレンは曖昧に頷いた。なんとなく失言だった気がしはじめたのだ。
「おっと、」
テーブルに下ろすと素早く人間の姿に戻ったスザクがまじまじとルルーシュを見つめている。
「どこにしよっかな…」
「…」
上から下までじっくりと眺めて考え込むスザクにルルーシュが一歩後ずさる。カレンはさっさと逃げようかどうしようか迷って興味が勝った。
「ルルーシュ」
「な、なに?」
「しっぽは服を着ていない」
「そうだな」
生真面目に頷くルルーシュにスザクが満足そうに笑う。
「だったら僕も直にルルーシュに触るのが公平だよね」
「…そうだな」
しりすぼみに答えるルルーシュがかわいそうになってきたが、カレンの目にはまだスザクがあぶないいきものには見えないので言葉を控える。大丈夫だろう。少なくとも今は。
「部屋で、ね?」
「へ、へやで?」
…大丈夫じゃなかったかもしれないなぁと、あれ以来スザクネズミのしっぽに手を出さなくなったルルーシュを見てカレンは思った。
Fin.
くろにゃんこが攻めネズミににゃんにゃんされちゃったような。まだそこまで深い関係じゃないのでちょめちょめはしてないです。誘っているところを、ぽち。
歌はたにやまひろこさんの『しっぽのきもち』。