昔々に失くしてしまった人のぬくもり。
思い出させてくれたのは、あなたでした。
どらきゅら-T
「ルルーシュはどこへ行った!」
古い石造りの城内に、コーネリアの声が響き渡った。
「はっ!ルルーシュ様は先ほど、シュナイゼル様が“お食事”をご一緒なさいましたあと、おそらく城の外にお出でになってしまわれたのではないかと…」
ギルフォードが部下から上ってきた報告を口にする。重厚な城の石壁を、大きな雨粒が絶え間なく叩いている。外は闇と風雨に包まれた嵐の夜だった。
「こんな夜に外に出たことなどないだろうに!急いで探し出せ!兄上が食事を共にしたと言うことは、補給は足りているということが不幸中の幸いか…」
「それがそうではないんだよ、コゥ。今日はいつもよりも抵抗されてね、少し落ち着かせようと目を離した隙に逃げられてしまった。」
やれやれ困ったねと、言葉ほどには焦りを見せないシュナイゼルが、心配に顔色を悪くしたコーネリアのもとへやって来た。
「なんですって?ではまた血が足りずにふらふらの体で外に出たと!?人間たちに殺されてしまいますよ!どうして目を離したりしたのですか!」
妹の悲鳴にも似た鋭い叱責に、シュナイゼルは気弱に笑みを返して黙り込んだ。
「…ここ、どこだろう。なんだ、この嵐は…前に進めないじゃないか…」
森の中を、一人の少年が歩いていた。歩いていたと言うよりは、風に煽られてあちらこちらとふらふら彷徨っていたというのが正確か。黒いマントに黒い髪、白い肌に紫の目。紅いはずの唇は若干色を薄くしていたが、この暗闇の中見止める者はいなかった。横なぶりの雨に全身をぐっしょり濡らしながら、それでも凍える様子もなく、また視野は開けている様は少年が人間ではないことを示していた。
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。古の時代から続くブリタニア一族の長の血を得た吸血鬼である。この世界の吸血鬼はみな後天的に人の血を吸い、人外の力を発揮する不老の性へと身を変える。力のある吸血鬼から認められ、その血を与えられた人間だけが彼らの仲間として迎えられる。ルルーシュは不幸なことに今の容姿のままの少年の時分、母を亡くし妹を亡くし、一人孤独に息絶えようとしていたところをブリタニア一族の特に強い血の血からを持ったコーネリアに拾われた。彼女はルルーシュを城に連れ帰り、長の許しを得れば自分の血を与えて彼を仲間にしてやろうと考えていた。泥に塗れやせ衰えても、この少年はひどく美しく見えた。死に掛けたルルーシュは、人間たちから怖れられるコーネリアの心にも哀れを誘った。人の身ではもう生き延びることは出来ないほどに衰弱していたルルーシュは、しかし長自身の手によって生まれ変わった。長の血を受けてブリタニア一族に名を連ねた者はもうこの世代にはいない。いつも眠りの淵にいる長が、ルルーシュを前にして久方ぶりにその身を起こし、手ずからその最も強力な吸血鬼の力を宿す血を彼に与えた。次代の長が暗黙のうちに誕生したのである。
だが、ルルーシュは一族の中では異端だった。血を好まないのだ。どうしても口にすることができない。彼は人の間で生きた時間を記憶に留めてたために、自分が人間でなくなってしまったことに深い葛藤を覚えていた。どうして人間の生き血など口に出来よう。
食事のたびに姿をくらますルルーシュに、気まぐれか遊びか、無理やり血をその薄い唇に流し込む役目を負ったのがシュナイゼルだった。彼も強い血を持ち、ルルーシュは大抵彼の姿を見ると逃げ出したが、いつもいつも顎を捉えられて赤い口付けを強いられるわけでもなく、この新しく兄(ブリタニア家は仲間を家族として扱う)となった男は、吸血行為を拒むために血が足りず、ふらふらといつも城の中で過ごすルルーシュに外の世界の出来事を話して聞かせてくれた。手慰みにチェスの相手をしてくれることもある。嫌いではなかったが、今日兄から香った血は幼い子どもの匂いをしていて、ルルーシュは目が眩むほどの嫌悪を抱き、本能に上書きされた誘惑を振り切って城を逃げ出した。もう戻るものか。俺は人間だ。
「小屋…?とりあえず、雨露をしのぐことはできるか…」
狩小屋なのか、人が在住している気配はない。いい加減体を叩く雨をうっとおしく思い、ルルーシュはギィと立て付けの悪いドアを開いて中に足を踏み入れた。
「誰だ!?」
突然鋭い誰何の声をかけられた。次いで人が近づく気配。
「っ!?う、わ、別に俺は怪しいものじゃなッ」
ダンッと壁に背を押し付けられて息が詰まる。乱暴な人間もいたものだ。昼間のように遠くまで見通せる夜目で相手を見遣れば、まだ自分と同じ年の頃だろう少年が喉元に拳銃を突きつけていた。
「物騒だな…」
呟くと、はっと息を飲んだ少年がごめん!と慌てて手を引いた。バランスを失ってぐらりと傾いだ体をぐいと支えられる。あ、やばいなと思った。久しぶりに生きた人間の体の匂いをかいで、覚えたのが懐かしさではなく飢餓感であることに心底哀しい気持ちになりながら、ルルーシュは重いため息をついて口を開いた。
「やっぱり訂正する。俺は吸血鬼だ。人間の生き血を吸って生きている。逃げたほうがいいぞ。襲ってしまうぞ。」
「は?」
「『は?』はないいだろ『は?』は。できればその銃で撃たれたくはないんだが、たぶん撃たれても死なないからこのままここから逃げてくれるとありがたい。ほら、吸血鬼だぞ。こわくないのか。」
ルルーシュは床に座り込んだまま、相手の反応に些か気を悪くして再度言った。逃げてほしいんだけど。
「う、うん。」
「むっ、頷くな!同じ子どもに見えるからって油断しているとだめなんだからな!俺はお前の五倍は生きてるんだぞ。」
「あ、そう…?じゃあお年寄りだから労わらないと…寒くないですか?」
「敬語は要らないんだよ!寒くない!吸血鬼だと言っただろうが!人間じゃないんだから風邪なんて引かないんだ!……ぐす…」
姉たちから言い聞かせられてきた『お前は人間じゃないのだから…』の台詞を自分で言っていて哀しくなってしまったルルーシュは、膝を抱えて蹲った。本当に寒くはない。びしょぬれの服が重くて、気持ち悪くて、心が冷えるだけで。小屋の外で雷がピカリと空を照らしていた。
そっと、肩に回された腕に驚いて(だが動作は緩慢に)顔を上げると、少年がにこりと笑って自分を見ていた。
「僕は枢木スザク。ここからちょっと行ったところの村に住んでいるんだ。隣町まで買出しに行っていて、急いだんだけど家まで帰りつけなくて雨宿りしていたんだ。僕も怪しい者じゃないよ。一晩一緒にいてもいいかな。」
「…ルルーシュ。おまえ、おれがこわくなのか?……おまえが先にここを見つけたんだから、俺は、何も言えない。」
人間なのか、同じ吸血鬼なのか。気配でわかる。目の前の少年は確かに人間だ。なのに自分をこわがらない。ルルーシュは城の外にはほとんど出たことがなかったが、まだ人間だった頃に、吸血鬼のことをひどく怖れていた。今は彼らが無闇に人を襲うわけでもなく、生きていくために仕方なく人間を襲うのだと言うことも、彼らが血も涙もない化け物であるわけでもないのだということも知っている。だが人間が自分たちを怖れる気持ちはよくわかる。だって吸血鬼にとって人間は食べ物か、ごく僅かの仲間にするべき候補でしかないのだから。
目の前で優しく微笑んでいる少年の瞳は緑色をしていた。人懐こい笑顔がひどくあたたかい。ルルーシュは触れている肩から人の肌のぬくもりを感じてまた涙がこぼれそうになった。
「ルルーシュって言うんだ。やっぱりなんとか『ブリタニア』ってつくの?」
「…本当なんだからな。お前、信じていないんじゃないか?俺はヴィ・ブリタニアって言うんだ。兄上にいじめられたから逃げてきた。」
「は?」
「さっきからなんだ。失礼だぞ。せめて『え?』にしろ。」
「いや、その怒りのポイントはわからないんだけど、ルルーシュは僕と同い年でいいのかな?僕は今年で17歳なんだけど。」
「だから!そこに5くらいかけて俺の年齢だ。…でも見た目はそうだろうな。たぶん17歳くらいだった。」
コーネリアに助けられたのは。感謝もしているが、あのまま死なせてくれてもよかったのにと思う。もう大人になれない身体。血を飲まないと死ぬことも出来ず渇いていくだけの。
俯いてしまったルルーシュをしばらく見つめていたスザクは、手を引いてルルーシュを立たせ、濡れた服、絞るくらいはしたほうがいいよと手探りで脱がせにかかった。
「ほわぁっ?こら!いいって!俺は寒さなんて感じないんだから、このままだってっ」
「はいはい。でも気持ち悪いだろ。マントの水気ぐらい切ったほうがいいよ…これどうなってるの?こんな上等の服は触ったことないし…よく見えないんだよな…こう?」
「ほぁっ!いい!自分で脱ぐから!さわるなばか!」
こいつ狙ってやっているんじゃないかと思うくらいするりぺたりと触れられて、ルルーシュは悲鳴を上げながらマントと上着、そしてブラウスを脱ぎ捨てた。ズボンはなんだか嫌な予感がして絶対に脱ぐものかと無言で抵抗し、とりあえず絞るかと一番薄いブラウスに手を掛ける。
ぎゅう…ぽたぽたぽた…
「…それ、精一杯じゃないよね?」
「まさか。」
ぎゅうぅ…ぽた…
「よし、このくらいだな。」
「や、まだいけるから。ちょっと貸してもやしっこ。」
「もやっ?スザク、お前失礼だぞ本当に。吸血鬼の俺が絞ってこのくらいなんだから人間のお前がやっても」
ぎゅうううううぅぅぅぅ…ぼたぼたぼたぼたぼたたっ
「……。」
「はい。こっちも僕がやってあげるから。」
じっと足元の水溜りを見つめる。ちょっと濡らしたくらいの自分とは明らかに違う。
「…スザクって、本当に人間か?」
「人間だよ。普通の。だから夜の森をうろつくわけには行かないからね、この小屋にお邪魔させてもらってるんだ。」
ルルーシュはなんだか今日一番カナシイ気持ちになった。兄や姉から弱い弱いと言われ続けてきたがまさか人間と比べてもそうなのだとは思わなかった。たぶんこの人間が規格外なのだと無理やり自分を納得させて、ルルーシュはぐるりと小屋の中を見回した。
「ん?スザク、お前は寒くないのか?」
「少しね。でもここは暖炉も薪もないから。」
「隅の方に…これ、毛布じゃないか。」
雑に作られた棚の一番下に、埃と黴の匂いはするが厚手の毛布が置いてあった。ルルーシュは引っ張り出してスザクに手渡す。
「ほら。暗くて見えなかったんだろ。使えよ。俺は平気だしな。」
「ほんとだ。…ルルーシュってほんとに吸血鬼なんだね。僕、村の中でも夜目は利くほうなんだよ。」
受け取りながら手を引くスザクに、なんとなく抗わないで従いながらルルーシュは初めてにこりと笑った。その顔も、スザクには見えていないのだろうけれど。
「やっと信じたか。お前の顔もはっきり見えるぞ。色もな。お前には無理だろ?」
「まあね。髪が黒いかなーってくらいしかわからないけど、でも、えいっ!」
「うわっ!?」
自分の腕を取っているあたたかい体温が拒みがたく、そのまま後を付いていくとぐいと引かれて倒れこんだ。すかさず毛布を体に回される。
「っ 平気だって!俺と一緒だとたぶん寒いぞ!冷えるぞ!体温ないんだからな!」
「あー、そうかもね。濡れた服着てたからひんやりしてる。あっためてあげるからもっとくっついて。」
「だからっ」
「おやすみー…」
「…まじでか?」
じたばた暴れたルルーシュをあっさり腕一本で押さえ込んだスザクは、次の瞬間安らかな寝息を立てていた。
「…まあ、いいか…。」
ルルーシュがとても80過ぎのおじいさんには見えません。きっと成長しないんです。
設定甘くて申し訳ありません。三話ほどにまとめてハロウィンまでに終わらせたい話なので、どうかご容赦くださいませ!