「Carol・Carol。姓も名前も嫌いだ。C.C.(シーツー)と呼んでもらいたい。」
イニシャル
私立アッシュフォード学園は初等部から大学部までの一貫教育を前提に設立された学校機関であり、経営母体を米国に置く国際色の濃い校風で知られ総生徒の三分の一を帰国子女が占めていた。編入資格のハードルは総じて高く、一方で個々の生徒の特長を評価する点でいわゆる一芸入学も認めている。時期外れの転入生も珍しくはない。広大な敷地を有する学園の中等部校舎。高等部への進学の篩いの網の目から零れ落ちないよう必死な生徒たちを横目に見つつ、三年の後期も始まって半ばの秋口に、C.C.は季節はずれの転校生として紹介された。
「イギリスから両親の仕事の都合で日本へ来た。どうせもうすぐ卒業だ。オトモダチになろうなんて気遣いはしてくれなくて結構。名前を呼ぶ必要があるときはC.C.と呼んでもらいたい。」
担任の教師は、教室内の空気がシン-と冷えたのを肌で感じた。長い金髪に金の目をしたかわいらしい少女だというのに、自らに向けられていた好意的な視線も悪意のない興味のざわめきも一刀両断してみせた。紹介を受けたときから難しい生徒だとは思ったけれど、日本語が不得手でもないだろうにこうもぶっきらぼうな自己紹介はないだろう。
「あー…その、もう少しなにかないかな?『よろしく』とか、」
「『よろしくたのむ。』これでいいですか?」
一言多い。そのまま繰り返して涼しい顔をしている少女に、教師になって五年、厳しい採用試験と競争率を勝ち抜いてアッシュフォードに籍を確保した扇は途方にくれた。
「ああ、そうだな、うん…ランペルージ!」
仕方がない。今はもしかしたら緊張しているのかもしれないし、何かと特殊な事情を抱えている生徒である。ひとまず自分の席に落ち着けてやるのがいいだろう。
「あの黒い髪をした男子の隣が君の席だから、って、おいお前起きてるか!?」
「…ます。起きちゃったじゃないですか。先生学校ではもう少し静かに、」
「学校は寝るところじゃない!まったくお前は〜!」
扇が声をかけたのは曲がりなりにもこの学園中等部の生徒会副会長を務める男子生徒だった。本来なら女子の評議委員に任せるべきなのだろうが、どうも先ほどの素っ気無い転校生の挨拶に顔を引き攣らせているのが見て取れた。男子も然り、となると最後の頼みがこの、こちらも一風変わった雰囲気を持つのルルーシュ・ランペルージ。整った容姿が目を引くが、周囲と馴れ合わない態度が反感を買わない不思議な生徒だった。生徒会の人間だが学校行事のたびにするりと裏方に回るやつだが存在感だけは人一倍、価値観が違うのか他の生徒たちの輪からは一歩引いた感はあるものの周りのことはよく見ている。今のふざけたやり取りも(教師を食ったような台詞に若干複雑な気持ちはあるものの)、固まった教室内の空気を読んでのものだろうと思うほどには、扇はこの大人びた生徒を信頼していた。目立つ転校生に目も暮れず窓の外をぼんやり眺めていたのは、本当に居眠りを隠すためだったのかもしれないが、くすくすと賑やかさの戻った室内の空気は穏やかだ。
「悪いがキャロル、あー、シーツー?に校内を案内してやってくれないか。少しずつでいい。」
「必要ない。」
「と言っていますので、気が向いたら案内しておきます。」
「…よろしく頼むぞ。」
まあ、たぶん他の生徒に任せるよりは安心できるような気は、するのである。
「C.C.、次の授業は移動教室な上に教室変更されているわけだが、第一多目的室ってわかるか?」
C.C.から見てルルーシュ・ランペルージという少年は変わっていた。自身も相当外れた性格をしているという自覚のあるC.C.でもそう思うのだから、あまり予想通りの言動をしてくれない。扇から転校生の世話を頼まれておきながら初日は一切話しかけることもせず、そのくせ翌日先に登校していたC.C.の前を通り過ぎる際におはようの一声。そして今日はなんの躊躇もなくイニシャルで呼んで来た。
「わからない。後ろをついて行ってもいいか。」
「どうぞ。」
移動教室の際は自由席になっていた。大方の生徒が足早に通り過ぎる中、早くも遅くもない速さで目の前を一人で歩く生徒の背中に、聞えるか聞えないかの声量で訊ねる。
「お前が初めてだ。」
「なにが。」
一人で移動しているのは自分が来る前かららしい。決して一匹狼というわけでもなく、休み時間のたびに友人がルルーシュの周りに集まるが基本的に単独行動を好むらしくそれを周りが暗黙のうちに了解している印象を受けた。だから今ぽつんと二人だけで歩いている状況は自分に気を使ってのことではないはずだが、この速さは間違いなく合わせている。
「皆が私を名前で呼ぶ。」
「ああ、名前を忘れた。」
「は?…お前、本当にあのSHRの時寝ていたのか。」
「ん。耳に残っていたのが『C.C.』だったんで。禁止の方だったか?」
「いや。それでいい。」
LHRは多数決で自習になった。勉強熱心なことだと思いながらC.C.はそっと教室を後にする。生徒会室の扉を開けると案の定ルルーシュがソファを一人で占拠していた。
「ルルーシュ、いいのか。副会長が授業をさぼって。」
一人掛けのソファを引き寄せて腰を下ろしながら居眠り中らしい彼に声をかける。薄っすらと目を開けまたすぐに閉じて返される。
「あれって授業か。」
「さあ。見張りはいないな。」
「なら問題ないだろう。」
「教師がいてもさぼるくせに。進学できなかったらどうするんだ。」
「他校に行くだろ。お前だって別にAFに拘りがあるわけじゃないようだが…」
眠そうな声だった。ルルーシュが成績の良いことは知っていた。出席日数にしても頭の片隅で計算して授業を抜けているに違いない。後先考えずに動く少年ではなかった。ただなぜこれほど昼間に睡魔を寄せ付けているのか不思議だった。夜、家でこっそり猛勉強するような性格ではないことは皆が了解している。
「ああ。たぶん高校は行かないからな。」
「休みがちなことと関係が、ある?」
躊躇して言ったのか、それともぼんやりして言葉が途切れたのかいまいちわからなかった。掴みづらい人間だと思うし、おそらく自分もそう思われているだろう。少なくとも同じにおいを感じて自分たちはこうして傍にいるのだと、いつの間にか二人で過ごす時間が増えていた秋の終わりだった。
「養子なんだ。」
「へぇ…」
「名前がおかしいのもそのせいだ。変えたんだよ。孤児でな、別にあかの他人が便宜上つけた以前の名前に愛着があるわけでもなかった。」
「で、今の名前か姓か、ジョークみたいな名前は嫌い、と。」
C.C.は声を立てて笑った。ルルーシュがあまりにも平易な声で先を継いだからだ。普通は一瞬秒くらい言葉に迷うだろうと言ってやれば同情したら殴られそうだと肩を竦めて返される。
「養親の亡くなった娘の名前だそうだ。縁起がいいだろう?」
「 要らないところまで肖っちゃたわけか。」
けれど、一瞬だけ。
なんでもないような軽口を、ルルーシュは躊躇った。この間は不快ではなかった。これだけはもう彼のわかりづらい優しさなのだとC.C.は気づいていた。
「逆だな。だからこんな健康不良児を引き取ったんだろう。」
自虐的な台詞だったろうか。目の前のさぼり魔は寝入ってしまったのだろうか。
「…、」
じっと見つめているとルルーシュが目を開いた。数度瞬きをした後にむくりと起き上がる。ぼそりとカウント。
「…三、二、一、」
キーンコーンカーンコーン――
「行くぞ。」
「ああ。」
…そう。
同情されたら、殴るつもりだった。