「…父にはもう、逢わないで下さい。」
「わかっているわ。約束は守ると言っているでしょう。」
「じゃあ…」
急いで身につけた衣服に残り香がするようで、振り切るように夜の街へ滑り込む。
見たくないもの見せたくないもの
「元気か。」
「見てのとおりだ。」
病室を訪ねたルルーシュに、C.C.は肩を竦めて返した。
「街はクリスマスムード一色だな。まだ11月だってのに商業戦略に乗せられている。」
「平和でいいことじゃないか。クリスマスキャロルは嫌いじゃない。」
「“T’m dreaming of a white Christmas...”」
「『ホワイト・クリスマス』はキャロルというよりもクリスマス・ソングじゃないか?」
五十年ほど前の映画の主題歌を、ルルーシュが一節口ずさんだ。言ってみれば現代のクリスマス・キャロルだろうか。
「今年はそうなりそうだなって。」
12月だ。窓の外を見るともう枯葉が地面に落ちて木々が淋しげに揺れていた。クリスマスには雪が降るかもしれない。
C.C.は見舞い客用の背もたれのない椅子に腰掛けるルルーシュの横顔を見つめた。どこか疲れているように思える。
「授業はまじめに出ているのか?」
「まあな。わからないところでもある?」
窓の外に目をやりながらルルーシュが言った。C.C.はもう休学していた。教科書の類は持ち込んでの入院だったしハイレベル私立の取り扱う問題はところどころ頭に入ってこない部分もあったのだが、今話したいのはそんなことではなかった。
首を振って返し、少し躊躇う。こんな話はもしかしたら感傷に過ぎる空気をもたらしてしまうかもしれない。ルルーシュは優しい。…いや、構わないだろう。少し先の未来を思い描くくらい。
「お前は何になりたいんだ?哲学的な答えは要らないぞ。まあ、将来の定職という意味で訊いている。」
少し目を瞠って、だがルルーシュは迷うでもなくぽつりと答えた。
「パイロット?なんだ、案外普通だな。」
「『普通』の定義がよくわからないが…子どもがよく言うもんだよな。」
男の子のなりたいものでは常に上位にランインする職業だろう。だが中学生になっても本気でそれを挙げるものも珍しいような気がする。C.C.は冗談でもない風に答えたルルーシュの顔を窺いながら言った。
「どうしてまた。あれか、実は飛行機マニアだったりするのか。模型とか持っているんだろう。」
「いや、なんでそうなるんだよ。物心つく頃からなりたかった。今更変えられない。」
「そんな後ろ向きな理由か?間口は狭いぞ。」
「まだ15やそこらで駄目だしするなよ。お前は?」
ああこれは本気なのだと思わず笑みが浮かんでしまった。かわいいところもあるじゃないかと思う。かすかな、本当にかすかな、そう、何かを押し隠しているような違和感も覚えたのだけれど、ごく自然に話を振られてC.C.はふと言葉を忘れてしまった。
「わた、しは…」
「せっかく本名が面白いんだから人前に出れば目立つんじゃないか。」
「、無神経だな。」
「ん?お前に神経あったのか。失礼。」
「まったくだ。でもまあ、そうだな。」
いいかもしれない。
どうせ人から押し付けられた名前。身代わりにと望まれた。
それなら、それなら。
「今度は…自由に…」
どうしてだろう。声が震えてしまう。そうだ、自由に生きればいい。名前を捨てて変えて自分のなりたいものに…
俯いた肩にあたたかい手がそっと触れた。言葉よりはよほどに躊躇いを持ちながらそれでも確かにあたたかい。
「クリスマスカードくらい寄越せよな。お前が飛び出したら行方がわからなくなりそうだ。」
一粒、おどけたような声に涙が零れた。
「よぉランペルージ。お前最近学校にいるよね。」
生徒会で役員をしている朝比奈が話しかけてきた。窓の外を見ていたルルーシュは眼鏡の、仲は良いほうの友人に気だるげな視線を寄越してまあねと答える。
「でも今までもいなかったわけじゃないだろ。教室にいなかっただけだ。」
「副会長殿が不真面目なことで。あいつ、なんて言ったっけ、シーツー?会いに行ってるんだろ。どうなの。」
休み時間のざわめきに紛れてしまいそうな何気ない問いだった。朝比奈は言ってみれば悪友に分類される友人で、ルルーシュはこの少年のするりと遠慮のない会話が好きだった。
「…よくない。」
「心臓だっけ?」
「春までもつかどうかだ、そうだ。」
「…それはまた、なぁ。会長がそろそろお前の誕生日だって騒いでいたぞ。クリスマスも近いってのにあのお祭り女は。」
話題の転換は当然だった。隣のクラスからやって来ている朝比奈はそろそろ行かなければならない。気遣いにも逃げにも見えなかった。それは少年二人にとって好ましいように思えたのだ。
「うん、じゃあその日は俺、風邪をひく予定なんだって言っといてくれるか。」
「あのさ、」
ふと笑って言うルルーシュに、朝比奈が真面目な顔をして口を開いた。
「夜は冷える季節だぞ。あんまり出歩かないほうがいい。」
じっと視線を逸らせずに合わせた目の色がひどく無機質に思えて仕方がなかった。朝比奈がそれ以上言葉を次ぐ気がないのを知ってか知らずか、ルルーシュは僅かに目を細めた。
「わかっているさ。」
「ランペルージ!キャ、C.C.の様子はどうだった?」
「病状は学校の方に詳しい連絡が行っていると思うのですが、」
扇はSHRのあとにルルーシュを呼び止めて訊ねた。
「…まああまりよくはないよな。そうじゃなくて、元気だったかどうかをだな、」
「ピザが食べたいとごねていましたよ。タバスコを目いっぱい降りかけて一枚全部平らげてみたいそうです。」
扇は教え子の顔をじっと見つめた。淡々と答える言葉に、この生徒のことだからユーモアも誇張もあるだろう。担任として扇も何度かC.C.を見舞っている。その度に飄々と応じ過保護に世話を焼く養親を如才なくかわしながら自暴自棄にもならない少女は、扇の目から見ても剛毅でそして痛々しかった。一担当教員が何をできるわけでもないし、何かできるとしたらこの目の前の少年だということはもうわかっていた。まだ中学生で恋人もなにも勘繰るのは憚られるし二人の間にある空気はもっと透き通って未熟なものを感じたし、だからこそ、扇は胸を痛めていた。
C.C.はもう長くはない。ルルーシュもそれを知っている。
哀れでならなかった。
「それはまた派手だな。実行できそうなあたりがこわいね。」
「あいつなら機会さえあればやってのけるんじゃないですか。買ってこいと言われて弱っていますよ。」
「そうか。…その、お前は大丈夫なのか?」
やれやれと肩を竦めるルルーシュに対し、扇は躊躇いがちに切り出した。何のことかわからないという顔を返され言葉に詰まる。
「いや、ああっと…最近はまじめに授業に出ているようだが、ひどく疲れているように見えるんだ。夜はちゃんと眠れているのか?」
いっそ見事なほどに居眠りの上手な生徒であるしそのテクニックを披露してくるのは変わらないのだが、ここのところどうにもやつれて来ている気がするのだ。成績は落ちていない。もとより優秀な生徒である。一定レベルを満たせばエスカレーター式に高等部へあがれるシステムに乗るのは決して難しいことじゃない。だが細い面には隠せない疲労が滲み出ているような気がしてならないのだ。
「当たり前じゃないですか。みんな学年末の試験に向けて必死ですよ。俺もまじめにやる気になってるだって喜んでくれると思ったんですけど、」
努力は報われないんですね…と、ルルーシュは悲しげに俯いて見せた。100パーセントポーズである。扇はなんと答えようか迷ったが、そのまま肩を叩いて次の授業に送り出した。
「C.C.のことで参ってるのかもしれないと、思ったんだけどなぁ…。」
気にかけておくことは決めている。
どのみち、弱いところを見せるような生徒ではなかった。
ルルーシュは家について妹にただいまと声をかけると、静かに父の部屋の扉を開けた。
クローゼットに歩み寄る。
「…っ、……大人は、嘘ばっかりかよッ」
父の背広から香るかすかな芳香にバスルームへと駆け込んだ。
父が帰って来た音がする。
またすぐに出かけるのだろう。
あの女に逢うために。
ゆらりと虚ろな目をして呼びかける。
「…父さん、」
非難と糾弾、そして心のない暴露が冬枯れた空気の入り込むまま開け放った玄関に響いた。
そして気づいた時には立ちすくみ、途端に帰って来たばかりの自宅に背を向けて走り去る母の姿。呼び止める間も無く父も気まずげにまた外套を羽織り。
祈るように冷たく凍る家の外で帰りを待つ少年の耳に、訃報が届いた。