「本日は売れ行き好調でございます。」
「…稼動ですか。」
「すみませんがよろしく。」
メール・ボックスの整理やまとまった勉強時間に充てようと心積もりしていたスタンバイの日にフライトが入ると憂鬱になる。場合によってはスタンバイルームに控えているよりも早く上れる日もあるのだが、そううまくいくことは稀である。だが、稼動をかけられて喜ぶ奇特な人間もいるにはいるのだ。



雲のように 風のように



その日は国内線乗務だった。
ニイガタからカンクウまで飛び、そこからクマモト、次にハネダまでを飛ぶ。朝の時点の天気図を見た限りでは、どうも四国から西は空が荒れているようだった。到着時刻を機内にアナウンスした直後、珍しいことにカンパニー無線で次便はキャプテン交代との知らせを受けた。
「あらら、クマモトの条件が厳しいんだろうなぁ。」
クマモトまで一緒のはずだった南キャプテンが、おれこれで上りじゃんと喜んでいる。
「ラッキーだったよ。今朝子どもが熱出したって電話もらってたから早く帰れて助かる。」
「便乗で戻って夕方予定でしたもんね。おめでとうございます。」
「俺の代わりに飛んでくれる仕事増やされたやつは誰かねぇ。枢木、お前ってカテゴリー2?」
「ええ。この間資格を取りました。」
カテゴリー2(CAT―2)とは着陸の際に降下可能な最低高度の区分である。CAT―1よりも2、2よりも3の資格を持つパイロットがより低い高度から滑走路へ進入できる。CATの下はベーシックになるが、この日一緒だった南キャプテンはCAT―1の資格なので地上60メートルまでしか降りることが出来ない。その空港の立地条件や施設特性によって差はあるが、たとえば滑走路の上に雲がかかっている場合に、ある程度まで降下すれば雲を抜けることができるとする。その時の雲の底が地上60メートルよりも上にあるとすれば飛行機は滑走路が見えず着陸することはできない。CAT―2であれば更にその下、地上30メートルまで降りることが許されるので雲をぬけて滑走路を視認し着陸可能になる場合がある。CAT―3であれば地上0メートル、つまりまったく滑走路が見えない状態でオートランディングすることが可能だ(飛行機がオートパイロットを備えていることが必要である)。
クマモト空港の条件が悪いのだろう。副操縦士だけが資格を持っていても降下許可は下りないので、確実に降りられる資格を持った機長をこちらに回すらしい。

「機長はまだですか?」
地上についてすぐにディスパッチャーに訊ねた。
「△▲便ですね。ハネダでスタンバイだったキャプテンに朝の段階でこちらまで向かってもらったんです。」
うわぁと思う。わざわざ便乗させてまで呼んだのかと思うとそのキャプテンはつくづくの貧乏くじだ。間違いなく予定よりも戻りは遅くなるはずで、仕事なのだからそれはこなすだろうがコックピットの中の空気が冷えるかもしれないなと憂鬱になる。誰だって予定のないところに仕事を入れられたらいい顔はしない。
「あれ、枢木?次俺とだよ、珍しいな♪」
だがそこに現れたのは実にご機嫌の麗しいランペルージキャプテンだった。DH(デッドヘッド、便乗)便が少し遅れたらしく駆け足ではあったがいつも通り楽しげだ。にこにことディスパッチャーの一人に挨拶している。そういえばCAT―3の資格を持っていたようないないような。
「取ったんだよこの間。追い越しちゃったもんね。」
「子どもみたいなこと言わないで下さい。機長とコパイじゃ違うんですから。」

ベース空港が一緒なのに思ったほど勤務が重ならない二人である。しかもカテゴリー2の資格を使うような悪条件は一年に数えるほどなのだから、密かに運命うんめいと頬を緩ませるスザクだった。個人的な特定の感情を抜きにしてもルルーシュとのフライトは楽しい。気安い会話は出会った頃を思い出させる。
「戻れるといいですね。クマモト泊まりだったらキャプテン準備してきていないでしょう?」
「大丈夫だろ。本当は俺が来なくてもぎりぎり降りられる感じだったし。」
「あれ、じゃあ無駄骨だったって怒ります?」
「いやいや。居眠りしてた七年分しっかり働かせてもらいますよ。俺たち一人に会社と国がどれだけ投資しているかってね。」
そうなのだ。パイロットを一人養成するには国立大学が医者を一人育てる以上の費用がかかっている。だから切り捨てるときは訓練の早い段階で容赦なく切り捨てるし皆ついていくのに必死だ。だがラインに出てからはあまりそのことを気にすることはなくなるような気がする。少なくともスタンバイ稼動をかけられて粛々と従う理由にするほどには。まあ半分冗談で話すのがルルーシュだった。そもそも飛ぶのが心底好きな人である。
「あなたはもう十分返している気がしますけどねぇ。」
「え、俺たぶん定年来たら涙目だよ。それで制服着て出社する枢木を恨みがましく見送るのさ。」
「二十年後も一緒に暮らしてくれます?」
「言葉の綾だよ。その頃にはパイロットの仕事なんてなくなってるかもな。」
さらりと交わされてしまって(当たり前である)残念に思うが、そろそろ到着予定時刻が迫っていた。アプローチを開始する。思ったよりも飛行場には雲がかかっていないように見えた。
「…と、思ったけど濃いな。」
「ええ、しっかり仕事してくださいねキャプテン。」
レーダーに乗って降下していくにつれ雲が徐々に濃度を上げてゆく。降下の限界高度までいったとき、滑走路が見えなければゴー・アラウンド(着陸のやり直し)。CAT―2であれば限界高度手前のコールはコンピューターが行う。

<<アプローチング・ミニマム>>

機械の音声が限界高度手前30メートルに達したことを知らせる。まだ何も見えない。数秒後にミニマム!(限界高度に到達)
「見えるか、」
「まだ…」
計器を見ていた視線を外に向けて滑走路に備え付けてあるアプローチ・ライトを探す。ルルーシュが右手に握るレバーを押し込めばパワーが上ってゴー・アラウンドだ。見極めは機長の判断によるがコパイの視認情報もそれに組み込まれる。
(ゴー・アラウンドか、いや…!)
「アプローチ・ライト・インサイト!」
目の片隅にちらりと光るライトが見えた。
「チェック、」
「ランディング」
数秒遅れてルルーシュがコールする。飛行機は無事に着陸した。




「相対性理論だよねぇ。」
しみじみとルルーシュが言った。彼にとっても珍しい悪条件だったらしい。結果としてキャプテン交代は意味があった。
「カテゴリ2の“ジャスト・ミニマム(ぎりぎり)”でしたもんね。一瞬でやり直しの手順を想像していましたよ。」
着陸前の一瞬はとにかく長く感じられるのだ。
「俺でもどきどきしたもんな。ちょっと楽しかった。」


「…そーですか。」

本当に、好きなんだなぁと思う。


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