<<――C.C.か?珍しいな、前もって連絡を入れるなんて。明日は稼動になったから二、三日後にしてくれないか。>>
「わかった。二日後に会いに行く。」
国際通話の可能な公衆電話から明日は空いているかと訊ねたのだ。アパートの電話にかけて、ルルーシュが7コール目に出た。
「ばかか。お前が今の時間に家にいるってこと自体、嘘のにおいがするんだよ。」
C.C.のいる場所と日本とでは時差があった。もうじき日付が変わる。今からカウントして向こう(日本)の日付に持ち越せば『明日』押しかけたとしても二日後だ。
「料理なんて、できないけどな。」
日本に向かう飛行機に飛び乗った。



思うほどには甘くない



ルルーシュの最初の任地は風の強い街だった。空気はからりと乾燥していて冷たく吹きすさぶ風が容赦なくC.C.の長い髪を巻き上げる。前回人より遅い就学だったが、しかしイタリアのお国柄か教育システム上の道理か働きながら通学する者の多い大学の長期の休みに滞在した折に、洗濯物をベランダに干して気づいてみると見当たらなくなっていた。どこへいったのかと首を傾げていると、勤務を終えて戻ってきたルルーシュが呆れ顔で両手に抱えたそれをもう一度洗濯機に放る。
「固定式のハンガーじゃないととてもじゃないが外には干せない。天気はいいんだから窓を開けて室内に干しておけ、というかそんなことはしなくていい。こんなもん見えるところに干すんじゃない。」
渋面を作りながら布地面積の小さい女物の下着を示して疲れたように小言をする。
「そそられないか。」
「ただの布だろう。でもはしたないからやめろ。」
「私の勝手だ。ああそういえばチーズが切れていたぞ。」
「またか!身体に悪い。いい加減にしろ。」
ぞんざいな口調で心底気遣われているのがわかるからいつもそっぽを向いてしまうのだ。少し、たったの四年ばかり会わない間にいつの間にかルルーシュは夢を叶えて忙しい日々を送っていた。

「なんだ、免許を取ってもまだ勉強なのか?」
「PCだって数年経てば新しいものが出るだろう。飛行機だって同じだ。空港だっていつもどこかが設備を改新している。」
遅くに帰ってきても食事すらそこそこにノートやら資料やらを広げて学生のように机にかじりつくのを揶揄かった。上の空ではないが素っ気無い返事が返ることがほとんどで、風呂上りに下着とあいつのシャツ一枚を羽織って目の前で寝転んでやってもどこ吹く風だ。溜め息をついて風邪をひくぞと大き目の上着を放られる。ベッドは狭いけれど二人で使っていた。

「ルルーシュ、結べ。」
「それは俺のネクタイだ。制服の。」
何かで見たのだ。正面から他人のネクタイを結べる人間は少ないのだと。ダンナのそれを一度で結べる妻も、あれは一種の職人技だと言う。自分にも結べないしもちろん他人に締めてやることなどできもしないから、特に深く考えずに言ってみた。中学生の学生服のあと、すぐに私服の学校に入ってしまったからルルーシュのネクタイはどうにも不思議なアイテムだった。
「俺も慣れるまで時間がかかったんだよな…」
引く気配のないのを見て取り、仕方なく付き合ってやることにしたら しい。ぶつぶつと呟きながら向かい合った姿勢で濃紺のネクタイを絡ませる。
「ん?んー…」
空間把握は得手なのだろうと密かに感心していたのだが、途中で手を止めたルルーシュが自分の喉元で確めるように手を動かす。いつもどう締めているかを思い出そうとしているのがよくわかるが、しばらく無言で考え込んだ後に徐に身体を反転させられた。後ろから手が回る。呼吸すら肌にかかるような距離で、先ほどとは打って変わった慣れた手つきでネクタイが結ばれてゆく。最後にシュッと結びを作って何事もなかったようにぬくもりが離れて行った。
「また勉強か。」
「怠けたら制服を取り上げられてしまうんだ。」
資格とセットだからと、長い指がパシリと弾いた。後ろから押しかかったせいで、肩口に垂れ下がる細身の布を。




*******



年に数度の検査が経過を見て二度。一度と減ってゆく。日本へ来るたびに滞在するルルーシュの部屋はいつも変わることがなかった。物がなくてモノトーン。
だから少し長く居座ってみる間に貯めたポイントでとある黄色い物体をゲットしてみた。

「…なんだ、このモチーフ不明のぬいぐるみは。」
「『チーズ君』というらしい。黄色いだろう。たぶんチーズがモチーフだ。お前にやろう。」
「いらん。ただでさえも狭い寝床の人口密度を上げるな。その辺に転がしておけ。帰るときは持って行け。」
「応募者全員サービスじゃないんだぞ。抽選という狭き門をくぐってやってきたこいつをだな、」
「わかった。俺がいないときはベッドに上げてもいい。明日は仕事が入った。戻りは三日後。」
はぁ、と溜め息をつきながらの台詞は嘘ではないのだろう。もう四年近く前触れもなく襲撃している部屋は本当に男の一人暮らし(にしては小奇麗だが、それは仕様だと思われる。他人の手を入れている空気ではない。)の場でしかなかった。もてないわけでもないだろうと、学問として美とはなんたるかを齧ったしごく客観的な視線で以って思うのだが、ルルーシュには自分以外の女のにおいがしなかった。
それも当たり前かと、わずかに苛つく自分に気づきながらC.C.は口を尖らせた。
「インターでもないだろうにまた外泊か。」
「ドメスが毎日帰れるというわけじゃない。知っているだろう。」
「先週もそんなパターンじゃなかったか。」
「もうすぐ機長昇格試験があるんだよ。」
「座学のために睡眠時間を削ってまで、実技を優先する意味はどこにある。顔色悪いぞ。」
はじめはそういうものなのかと思っていたのだ。帰ることの出来る日はそれこそ日が暮れる前に自宅に戻れる。朝だってごく平均的な出社時間だ。たまの外泊は乗り継ぎの都合上にも欠航その他のアクシデントにも当然のものなのだろうと。確かにそのとおりだ。C.C.が日本に滞在する半月ほどの間に一度はルルーシュが帰ってこない日がある。けれどそれでもC.C.が見る限り良心的な労働条件だと思えていた。それは溜め込んだ有給をルルーシュがC.C.が来る頃にあわせて消化していたためだった。
いつも日本に着いてから連絡を入れる。だが時期はほぼ一定していて予測も立てられたはずなのだ。だから今回は自由な校風に任せて一月ほど来日する時期をずらしてみた。待っていたのは毎日毎日重いフライトバッグを手に仕事に出かけるルルーシュで、帰ってくれば死んだように眠りに入る。乗客の命を預かるのだから本人がなんと言おうと最低限の休みは規則で確保されているのだろうし、自己管理は当然の義務である。不安なのは態度であった。夢を語った子どもの頃のように楽しそうでもなく、どこか必死な姿は試験のプレッシャーで解決できるものなのか。
「そうでもないさ。生まれつきいい色には焼けないんだ。C.C.、お前はもう寝ろよ。そっちこそ風邪でも引いたら大変だ。」
「私は本来丈夫なたちらしいぞ。もうかれこれ十年近くも風邪なんて引いていないんだ。…ルルーシュ、どうしてそんなに無理をする?」
胸の鼓動は他人のものだ。異物として排除されないよう免疫を抑える薬を常用している。だからルルーシュは遠慮のない口調とは裏腹にC.C.をひどく気遣う。だがそれは、それはただの優しさなのだろうか。
「少々無理もするさ、当たり前だろう。みんな発令が下るのを今か今かと待ちわびてチャンスを逃さないように必死になる。自分の希望だけでチャレンジすることも出来ないんだから。」

数秒だったかもしれないし一瞬だったかもしれない。どちらでも同じだったが、言葉を探して躊躇う時間はとても長く感じられた。言おうか、言うまいか。
ずっと昔に、子どもの頃に。切り離した感情が蘇る。
ルルーシュ、お前は、私を、




「線が増えたら祝ってやるよ。連絡して来い。必ず会いに来る。」

「ああ。でも無理はしなくていいんだぞ。」


なんて白々しい台詞だ。




*******



冒頭に戻る。
C.C.は合鍵を片手にインターホンを押していた。続けて三度、うるさい音を嫌うあいつのことだから不機嫌な声で通話に出るのだろう。自分だと気づくだろうか。
<<…はい、>>
「私だルルーシュ。なんだ、家にいるんじゃないか。」
<<……電話があったのは昨日だったと記憶しているが、>>
「日付が変わる前だから一昨日だ。ここを開けろ。というか、開けるぞ。」

諦めたのか、パジャマのまま腕組みをして立つルルーシュがいた。憮然と黙り込んでいる。
「…帰れ。うつるぞ。」
「マスクはしているだろう。まったく、私の美貌がだいなしだ。」
「本当に帰れ。いや、現実問題としてホテルに移れ。今の時期ならどこも空いている、」
一つ一つの動作を億劫そうに、タウンページをめくる手を掴めば記憶にないほど熱かった。引き摺ってベッドに放る。押倒せばあっさりとバランスを崩した。大人の男が容易く下敷きになるんじゃない。
「…C.C.、本当に離れろ。俺たちが体調を崩すのとはわけが違うんだ。」
「おめでとう、ランペルージキャプテン。祝ってやると言っただろう。」
「…ああ。ついでに転勤だ。BAW社に移籍してベースはハネダ。自宅に帰れる。」
「ほう、それじゃあ妹に私を紹介しなければならないな。なんと言うんだ?正直とても興味がある。」
「もう、会っているくせに。」
そういえばそうだ。一人暮らしの兄を訪ねてやってきた妹と鉢合わせした。隠すつもりも疚しい付き合いのつもりもなく、ただ時差の都合で睡魔が襲い、仕事に出かけたルルーシュのベッドを占領していただけだ。
「出来た妹だな。にっこり笑って結婚式はいつですかときたもんだ。」
「無責任な人間が嫌いなだけだろう。」
「ルルーシュ、お前に取るべき責任なんてあったのか?どこに?いつ課した、いつ負った。」
「C.C.、」
「勝手に背負って勝手に潰れるんじゃない。お前はいつも私に何を見ているんだ、そして何を望む?何も、何も望まないなどと言うようなら今ここで、」

お前を殺して私も死ぬ

「…冗談だ。胸が悪くなるような身勝手な女を、演じることになったんだ。」
「それは女の方が身勝手なのか?」
「そうさ。傲慢だろう。他人(ひと)の命は誰かが自由にしていいものじゃない。自由にもならない。」
ルルーシュは考え込んだようだった。おかしくてたまらない。いつだって目から鼻に抜ける頭の良い(ついでに口も悪い)男がこんな簡単なことで悩んでいる。
「…なら、警察は要らないさ。懺悔室だって意味がない。」
「ほう。お前には悔いるための理由があるらしい。言ってみろよ。聖母マリアの慈愛で聞いてやる。」


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