「先輩!!」
明るいブロンドをきらめかせながら、ジノ・ヴァインベルグは懐かしい友人に駆け寄った。
3のむかし
「お久しぶりです、すーざく先輩!」
出張に使った航空機で、たまたま聞き流さずにいたアナウンスで名前を聞いた。旅客機のパイロットに転身したという話は聞いていたが、あまりに急なことで何とかプライベートの連絡先は確保できたものの、その後は年に数回電話のやり取りをする程度に留まった。新入社員で右も左もわからなかったジノを厳しく叱りながら一人前にしてくれた先輩である。上司の一人娘と結婚したことは同僚皆が知るところだったが、離婚の理由はわからずじまいだった。ひそひそと実しやかな噂が流れたものの、まるきり業界を変えてしまった彼のその後をうかがい知ることは不可能だった。ジノは五、六年ぶりに顔を合わせたスザクに破顔した。
「ジノ、お前また背が伸びたか?」
「まさか。先輩の方が縮んだんじゃないですかぁ?」
日本人にしては180を超える長身のスザクだったが、190を楽に超える体格のジノの目にはちんまり映る。どうやら元気にやっているようだ。仕事の引継ぎが終わると送別会もする暇がないほど急いで去ってしまったものだから、当時の思いつめた様子を覚えているジノはずっと気にかけていたのだ。BAWのパイロットになったと連絡を受けたのは二年ほど後のことで、祝賀会と称して仲のよかった同僚を集めたパーティーで顔を合わせた。以来はじめての再会である。
「パイロットは性に合っているよ。人間関係もうまくいってる」
電話番号もアドレスも知っていたが、互いに忙しくてきっかけがなければ会う約束などしなかった。たまたま機内でスザクの搭乗を知り、フライトアテンダントに確認を取ったジノが奇遇を喜ぶように今日の都合をつけたのだ。翌日が出勤日の場合は飲酒が禁止されているというので、何とかオフの日を狙って予定をすり合わせた。もともとジノは時間の融通のつく職業だったことが幸いだった。
「引っ越したんでしょ?マンションじゃなかったですよね。同棲でもしてるんですか?」
今ジノの車で向かっているのはスザクの自宅である。ちらりと聞いた住所は一等地にある一戸建てだったと記憶している。
「次の信号を左だ。ああ、パートナーの家だよ。妹さんが結婚して家を出たから、好意に甘えて転がり込んだって感じかな。今は二人暮らし」
スザクの言葉にジノは含むところを感じた。
「“パートナー”?恋人じゃなく?」
「結婚してるわけじゃない、けどそういうニュアンスを出したかった」
いまいちはっきりとしない台詞にジノは一歩踏み込んだ。
「男なんだ?」
その問いにスザクは答えず、代わりに質問を返す。
「ジノ。君、昔一目惚れして付き合った人がいるって言っていたね?その人のことを詳しく話してくれないか」
◇◆◇◆◇
“ゼロ”と出会ったのはクラブ・Clovisをはじめて訪れた時だった。ジノはいわゆる両刀・両利き、バイである。スキップで大学を卒業した二十歳そこそこ、社会に出たばかりで気が大きくなっていたジノは、好奇心で兄の一人が会員だったクラブにやって来た。会員番号の下二桁が3。マスターのクロヴィスはカウンターに座った新顔のジノにゼロを紹介したのだった。
「やあ、君がヴァインベルグ氏の弟さんか。大学は日本で?」
「ええ。そのうちブリタニアに戻る気ではいますが、今はこっちで。半年前に就職したばかりです」
「忙しいんじゃないのかい。こんなところで遊んでいていいのかな?わかっているとは思うけど、この店は普通のバーやクラブとは違う。他のお客さんに干渉しなければまた飲みに来てくれてもいいけれど」
「大丈夫、お行儀よくしてますよ。興味といえば興味ですけど、僕もまったく経験がないわけじゃない」
むしろ学生時代はよく学びよく遊んだ、つまり華やかな交友関係を築いてきたわけだが、この日は少々背伸びしてドアをくぐった手前、ジノは当たり障りのない笑みを浮かべてマスターに案内を頼んだのだった。
「うまく空気を読んで当人達でどうぞって感じなんだけどね。日本的なコミュニケーションを推奨している。でも君はまだ若いし勝手もわからないだろうから、特別に一人紹介してあげよう。少し離れて見ておいで」
言われてジノは席を移動した。程なく一人の青年が店内に入って来て、慣れた風にジンを注文してマスターと話し始めた。その内容も耳を澄ませば聞き取れた。
「――婚約したんだって?従兄弟殿は」
「ええ。一緒に事務所を始めた方だそうです。赤毛の美女。ひどいと思いません?結婚式には親族席の中でも最前列を用意してくれるそうですよ。俺にどんな顔して会えって言うんだか」
「まあ、あの人はそういう人だからねぇ。君には頬を張る権利があると思うけれど」
「嫌ですよ。そんな女みたいな真似しません。俺も結婚しようかなぁ…」
「世話をしようか?」
「マスターが?冗談ばっかり」
揶揄し合うような会話に下世話な想像を膨らませてもよかったが、ジノは青年の容姿に目が釘付けになっていた。黒髪のせいで一瞬日本人なのだろうかと思ったが、照明を鈍く落とした店内で目を凝らすと、どうやら紫の目をしているようだった。肌の色も透き通るような白で、何とか盗み見た顔立ちは優美の一言に尽きた。若々しくすっきりとした鼻梁はシャープな輪郭にしっくりと馴染んでいて、薄い唇は強いアルコールに濡れて赤味を増している。すらりと伸びた手足は抱き締めたら程よくジノの身体に絡みつくだろう。上背はジノよりも若干低いくらいか、縦に長いせいで全体に華奢な印象を拭えない。
「鬱憤は新しい恋で晴らすといいよ。お勧めの彼がいてね。君はいろいろ慣れているし、相手をしてやってくれないかな?」
そうマスターが切り出す頃には、ジノは青年に夢中になっていた。会話を聞かれていたことに青年が不快を示す前に両手を取ってジノは言った。
「ジノ・ヴァインベルグと言います。どうか俺と付き合ってください」
◇◆◇◆◇
「それで?その人は何て返したの?」
スザクは今日は戻れないというルルーシュの許可を得て、ジノを自宅のリビングに通した。ちょうどルルーシュが苦手な大吟醸を貰い消費に困っていたこともあり、もうお前の家でもあるんだからと言ってくれるルルーシュの言葉に甘えた結果である。スザクはまだ同僚だった頃にジノから惚気るように聞かされた“ゼロ”について探りを入れた。
「『本名は名乗らない、素性も明かさない。詮索は嫌いだ。会えるのは多くて月一。それでもいい?』って、最初はちょっと素っ気無かったな。実際にその後都合をつけてくれたのは三度だけだった。それでもいまだに忘れられない」
ジノは記憶を辿るように遠い目をした。
◇◆◇◆◇
はじめの宣言どおり、ゼロは私生活に関して何一つ教えてはくれなかった。
「ねーねーゼロって何してる人なんだい?」
「おまわりさん」
「この間は学校の先生って言ってなかった?」
「どうだったかな」
「悔しいな。俺は全部話したのに、あなたは名前すら教えてくれない」
「お前が勝手に話しただけだ、ジノ。俺は訊いていないし、興味もない」
「冷たい!気にならないのか?自分と付き合っている人間がどんな男なのか」
食い下がるジノの台詞に、ゼロは醒めた目をして答えたものだ。
「どうでもいいな。こんな関係に一体何を求めるというんだ。身体の欲求が満たされればそれでいい。余計なことを知って面倒なことになるのはごめんだよ」
「…それは俺があなたの、他のプライベートの邪魔をするということかい?」
「心配しているわけではないが、保険のつもりだ」
ゼロは気怠げに上体を起してそう言った。ジノは口をへの字に結んで顔を背けた。
「まるきり遊びのつもりなんだな…」
「お前も程ほどにしておけ。今の世の中俺たちみたいなのは生きにくいよ。どうしたって偏見の目で見られる。子どもも持てない。死ぬときは一人っきりだ。お前はまっとうな男なんだから、そろそろ目を覚ました方がいい、トゥリー?」
寝乱れた髪を手櫛でくしけずる様にしていたゼロは、ジノに疲れたような笑みを寄越してバスルームに消えていった。
「あれはたぶん、心配してくれているんだよな…」
◇◆◇◆◇
「『トゥリー』?」
一旦口を噤んだジノにスザクは質した。
「ん?ああ、そう。たぶん俺にも喋りすぎるなって言うつもりでナンバーで呼んだんだと思うんだけど、」
「ワン、ツー、トゥリー、フォー、ファイフ、セブン、エイト、ナイナー…」
スザクはもどかしげに言いかけたジノを遮り言った。
「なんですか、それ」
「空の上では数字は最も大切な情報だ。聞き間違いのないよう、発音を変える。そのゼロって人、3をトゥリーって発音したんだろ」
「…先輩、もしかしてその人に心当たりある?」
真剣な顔をして言うジノには答えず先を促す。
◇◆◇◆◇
三度目、最後になった逢瀬の時だ。
ゼロはもうこれで最後にしようと切り出した。
「どうして!飽きましたか?くだらない気を使っているんじゃないでしょうね?」
「どちらも違う。上司から、見合いを薦められて…」
ジノはふと、職場の先輩を思い出した。彼もそう言って特段煩う素振りも見せずに所帯を持って、ひどく傷ついた顔をして会社を辞めてしまった。嫌な想い出だ。つい最近のことだ。知らずに口調が尖る。
「断りきれないから受けるって?そんなの今までだってあったでしょうに」
ゼロは口を噤んで俯いた。常はしない手遊びを繰り返しながら言葉を探している。
「…年だけ教えてやるよ。家族構成も。もう三十だ、妹が一人いる。二人だけの家族なんだ。俺がいつまでも独り身でいたら、妹が気にする。早くに両親が亡くなっているから、妹は俺に育ててもらったようなものだと言うんだよ。口にはしないが、兄より先に幸せになるものじゃないと思っている」
ジノははじめて聞く話に毒気を抜かれた。するとこの人はジノより八つも年上だったのだ。苦労もしてきた人らしい。妹思いの優しい兄の顔が覗く。
「この間、従兄弟の結婚式に行ってきた。親戚連中から次は俺の番だの、歳の近い妹の番だのと言われて、ふと……自分がひどく身勝手に思えたんだ」
「身勝手?」
「確かにさっさと学生をやめて社会人にはなったけど、俺は今好きな仕事をして食べているし、家族の一人、二人楽に養う蓄えもある。こんな…子どもの火遊びのようなことをいつまでも続けていくのは、いけないことなんじゃないかって、」
「ストップ!ストップ、ストップ、ゼロ。忌憚のない正直な意見を言えば、それはあなた、とても傲慢な考えですよ。この国の少子化社会をでも憂えているんですか」
ジノは気鬱になっているらしい彼にそう言った。案の定、ジノの言葉に十分自覚はあったらしい様子で苦笑いを零している。珍しい人種だ。ジノがこれまで出会ったこちらの仲間は大抵まったくに開き直っていて、同性愛に耽ることへの後ろめたさすら楽しむような連中だった。ゼロは違う。きっと不本意だったのだ。後悔している。そして抜け出す口実を探している。
ジノはうまい言葉をかけられる自信がなかった。自信を持てるほどゼロのことを知らなかった。家族のため?世間体?それは誰でも考える。短い付き合いでもわかったが、彼はとても几帳面な性格だった。生真面目で、たぶん優しい人なのだ。まだ子どもっぽいところのあるジノを、遊びだなんだと嘯きながらその実非常に大事にしてくれた。たった二回の関係だって、それは通じる。
だからジノは、どうしても気になっていたことを言うことにした。もしかしたら先ほどの彼が覚悟していた言葉を言われる以上に、彼を傷付けてしまうかもしれない、が、ジノは若者の大胆さでこう言った。
「ゼロ、でもあなた、女性でいけるんですか?」
◇◆◇◆◇
「……」
「根本的な話だ。当然の懸念だ。大きな御世話と言われようが、俺にできる切り返しと言ったらそれしかなかった。建設的という意味で」
スザクはジノの悪びれない台詞に眩暈がした。それを彼に言ったというのか、それを!
「そのあと一体どうなったんだい…いじめられなかったか」
経験則でスザクは訊ねた。ジノが記憶をなぞって言うほどルルーシュは弱くない。時期を逆算すると、まだ事件に遭う半年ほど前の話であるはずだ。ジノと別れた後に立て直す時間は十分にあった。もしくは開き直る時間が。
「先輩、やっぱりあの人のことを知っているんですね?」
「ああ、たぶんな。でもそれは最後にちゃんと言うから。僕は確かめたいことがあったんだよ。ジノ。お前、ちゃんとその人と別れたのか?」
逸る気持ちを押さえ込んでいるらしいジノに問いただす。そう、スザクは先のルルーシュの反応から気懸かりだったのだ。転職する前後に、この一風変わった嗜好をもつ後輩から“黒髪、紫瞳、ミステリアスな別嬪さん”のノロケ話を聞かされた。当時のスザクは男色の何がよいのかわからなかったから、ああこういう人種もいるんだなぁと思っただけである。しかしルルーシュと出会って自分がその道に転がり込んでからは、昔ジノの話を話半分にしか聞いてやれなかったことがすまなくなった。理由はまあ、“別嬪さん”がもしかしたら現在自分の恋人であるあの人なんじゃないかと思うせいだ。ジノは曖昧な別れ方をして、そのまま音信不通になってしまった“ゼロ”のことを長い間気にかけていた。ルルーシュも、後ろめたいところがあるらしい。
「別れたといえば、そうなのかもしれません。今にして思えばね。でも俺はあの人のことを忘れちゃいないし、会えるものならすぐにでも会いに行く。スザク先輩、勘で言うけど、まだここから先の話が聞きたいの?」
完全にノロケ話になるよ、と真顔でジノが言うのに、スザクは笑ってこう言った。
「ああ、聞きたいね。好奇心だ。きっとその人に会わせて上げられると思うから、駄賃代わりに話してごらんよ」
それでまあ年齢制限のある内容になるのです(土下座)。管理人の書くものなので大したことはありませんが、一応ワンクッション置きます。飛ばしても話は流れると思うので、性描写が不得手な方、18歳に満たない方は避けてやってください。
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