ちくちくちくちく------ぱちん。
「できた。…できてしまった。」
 ハロウィンの早朝。
 枢木スザクは達成感と虚無感という正反対の感慨を胸に、完成したばかりの衣装をじっと見つめた。
 黒い、
 ------------------魔女っ子の。

Trick , and trick !



 事は10月31日ハロウィンの数日前に遡る。枢木家のお隣に住むランペルージ一家の長男、今年十歳になるルルーシュがスザクの部屋に訪ねてきたのだ。
「スザク!ハロウィンの」
「断る。」
「まだ何も言ってないよ。」
「『ハロウィンのご近所めぐりを一緒にして』、『ハロウィンの仮装パーティーに一緒に出て』、どっちかだろう。どっちもお断りだ。僕は忙しい。」
「違うんだ!ハロウィンの衣装を一緒に考えて一緒にトリックオアトリーターをやって一緒にパーティーに出てほしいんだ!」
「併せ技にプラス一か!尚更お断りだ!」
 来年に就職試験を控えた大学生のスザクは、生まれた時から知っているお隣のルルーシュ君のお願いをきっぱりばっさり切り捨てた。
「…どうしても、だめ?」
「どうしても、だめ。」
 しょんぼりと上目遣いで(これは当然の身長差ゆえに仕方のないことであるが)窺ってくるルーシュの、愛くるしい表情にも素気無く返す。ここに彼の母親がいたら「あらあらルルくん、うちのスザクがいじわるしちゃってごめんなさいね。こらっ!どうしてこんなにかわいらしい年下の子どもに優しくしてあげられないのっ。あなたお兄ちゃんでしょう!」と全面的にルルーシュの擁護に走っただろう。ルルーシュは愛くるしい天使のような面立ちと、子どもらしからぬ礼儀正しい振る舞いで近所でも評判の『いい子』であった。彼の三つ下の妹も同様である。だがスザクはそんなことはどうでもよかった。今目の前で大きな切れ長の目をうるうるとうるませている子どもが、天使だろうと悪魔だろうと妖精だろうと妖怪だろうと、相手をしてやるつもりはさらさらなかった。
 枢木スザクは子どもが嫌いなのである。
「いいかい、ルルーシュ。君はまだ十歳の子どもで、僕はもう二十歳も過ぎた学生とはいえ成人した大人だ。しなくちゃならないこともたくさんあるし、遊んでいる暇も当然ない。ルルーシュの遊びに付き合う時間はないんだよ。」
「…学校行ってないのに?」
「おうちで勉強しているの。もう卒業単位は揃えたから学校の外でお勉強してるの。わかったらルルーシュも家に帰ってナナリーちゃんと一緒に衣装を決めなさい。」
 机に向かいながら冷たく言えば、ルルーシュがぺたんと座り込むかすかな音が聞えた。放っておけば飽きて帰るだろうと考えテキストと問題集に向かう。
 (なんだって僕のところに来るんだか。小さい頃はちょっと遊んでやったこともあったけど、いい加減『おにいちゃん』離れしてほしいもんだよ。妹と一緒にいる時は自分がしっかりもののお兄ちゃんをやってるくせに。)
 頭の隅でまだよちよち歩きだった頃のルルーシュを思い出しながら設問の文字を追う。クイズのようなものだ。頭の体操のつもりでいつも最初に手をつける。黙々と解き進めていると、中学受験で見かけたような数的の問題を、いつの間にか傍らでルルーシュが覗き込んでいた。
「なに?」
「これ前にやった。」
「ああまあ、これは例題だから簡単だろ。」
 見もせずに話しかければ、何を考えているのかじっと隣に立ったままだ。うるさくするわけでもないのだがどうしたって気が散る。もう帰りなさいと言うつもりで顔を上げると、ルルーシュの紫の目と目があった。この色は珍しいといつも思う。
「スザクは勉強して何になりたいの?」
「官僚。」
「それって面白いの?」
「さあ。見ているほうが面白いかもね。毎日毎日よくテレビで頭下げてるの見るだろ。画面の外ではふんぞり返っているのかもしれないけど。」
 仕方がない。少しくらい相手をしてやってもいいだろう。スザクは小さな声で話しかけてきたルルーシュを膝の上に載せて面白くなさそうに言った。少し重くなったかなと思う。最後に抱き上げてやったのはもう何年も前だから、その頃と比べたら成長期の子どもだ。大きくなっていないほうがおかしい。床につかない足をぶらぶら揺するわけでもなく大人しく預けてられている身体は標準と比べたら大分小さい方に入るのだろうと思うのだけれど。かわいい?いやいやまさか…
「ナナリーはね、ティンカーベルをやるんだ。」
「じゃあルルーシュはピーター・パンをやればいいだろ。」
 仲のよい兄妹だ。ルルーシュは面倒見のよい子どもで、三つ年下のナナリーの手を引いて小学校に通う姿は近所のおばさんたちが微笑ましく見守っている。アドバイスのつもりでそう言うと、ルルーシュがふるふると首を振った。
「僕、ピーターは嫌なんだ。ずっと子どもなんでしょう。嫌だ。僕は早く大人になりたい。」
 表情は見えなかったがぽつりと答える声は淡々としていた。癇癪を起こすわけでもない。子どもらしくないなと思いながらじゃあ、とスザクは考えた。
「ハロウィンって、テーマは不気味なものなんだろ。シーツ被ってお化けにでもなれば。」
「…あんちょく。」
「あっそ。だいたいなんでルルーシュがハロウィンなんだよ。キリスト教だっけ?いやそもそもハロウィンってケルトの風習じゃなかったか。キリスト教が土着の信仰を取り込もうと勝手に祝日を作っただけだろ。」
 天国・地獄の概念ではなく幽霊・妖精の不思議と死者の異界と通じる日。不気味で恐ろしいはずの夜を昔の人間はお祭り騒ぎで落ち着けた。聖人の死者と結びつけることでなんだか趣を変えてしまった古い風習なのだと何かの本で読んだことがある。ランペルージ家はこれといった宗教を持ってないと記憶している。クリスマスに教会に行かないのだからクリスチャンではないのだと思っていた。万聖節(諸聖人の日)の前日でHallow+eveでハロウィン。別に何かする必要はないじゃないか。
「スザクのうちだってお盆にはお墓参りに行ってクリスマスにはケーキを食べて大晦日には神社に行くでしょ。」
「日本人はお祭り好きなの。まあどっちもどっちだけどな。」
 仏教キリスト教神道ごっちゃの例を出されてさすがにそれには反論できない。お祭り騒ぎが好きなのはジャパニーズもアメリカンも大差ない。肩を竦めて返せばまたぽつり。
「だって面白いじゃないか。『トリック・オア・トリート!』って言いながら家を回るの、僕好きなんだ。…母さんは忙しいから、ナナリーの妖精の服はね、僕が作ってあげるんだ。」
「ほんと?全部最初から?」
「いや、さすがに無理だよ。ふわふわしたドレスにリボンを増やしたり羽根をつけたり。売っているものは全然かわいくないんだもん。あとちょっとで出来るんだ。」
 だいたい話が読めてきた。たぶん、
「ルルーシュ、自分の衣装のこと忘れてたんだろ。」
「…思ったよりも時間がかかっちゃって、」
「じゃあ作業スピードを考慮に入れるのを忘れていたんだ。ちゃんと自分のも自分で用意するつもりだったんだろ?」
 膝の上の身体が心なしか小さくなった。まったくと、溜め息をついてスザクはルルーシュを下ろして立ち上がった。
「スザク?」
「お店に連れて行ってあげるから、そこで選びな。最近は日本でも種類が取り揃えられてきたし。シーツお化けは嫌なんだろ。」
 スザクの家と違い、ルルーシュの家は共働きだ。母のマリアンヌはよく時間を作って子どもの相手をしてやっているようだけれど、仮装のための衣装を一から作り上げる時間があるはずもない。買ってきなさいと言われて、たぶんルルーシュも大人しく頷いたのだろうとスザクは思う。だが見なくとも何となく想像できるものではあるが既製品のコスプレ衣装などチープもいいところの出来で、大事な妹に着せるには忍びなかったのだろう。むむっと顔を顰めて買い物リストを変更したのだろう小さな兄の姿が容易に想像できるくらいには、長い間見てきた(目に入ってきたと言うのが正確なところか)お隣のルルーシュだ。一人っ子でいつも家にいる母に大事にされてきた自覚のあるスザクは、親にも大人にも聞き分けのよいルルーシュが自分にだけは甘えてくることも知っていた。だから厄介だなと冷たくあしらってきたのだけれど、この時は何となく不憫になってしまった。バスを乗り継いでの買い物は、別にこのしっかり者のルルーシュならなんなくこなすのだろうとは思うが一人ぼっちで衣装を選んでいる姿を想像すると、別に意地悪なわけでは決してないスザクの良心も痛むというもので、だからちょっとくらい付き合ってやってもいいかなと思うのだ。
「…ありがとう!」
「ちゃっちゃと選びなよ。悩まずこれだ!ってインスピレーションに頼りなさい。」
 ほんの少し頬を紅潮させて言ったルルーシュの頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でて、スザクはコートを手に取った。



 そして、誤算はスザクにあった。
「…似合わないな。安っぽすぎる。なんだこのだぼだぼした服。いや、これ服か?」
 ハロウィン特設コーナーで、うすっぺらなパッケージを手に取りながらぶつぶつ呟くスザクに、ルルーシュは困ったように周りを見回していた。
「ね、スザク、」
「ちょっと黙って。…だめだな。ドラキュラは合うんじゃないかと思っていたけどマントがチープすぎる。ルルーシュの口にこんな大きな牙は入らないだろ。却下。ほかは…」
 ルルーシュは困っていた。
 スザクが子ども嫌いなのは知っている。でも優しい人であることも知っていた。もしかしたら一緒にハロウィンの準備をしてくれるのではないかと、ちょっぴりの期待を持って部屋を訪ねれば始めこそ嫌そうに顔を顰めていたが、結局はいつものように折れてくれた。手を引かれて(自分を膝に乗せるのといい人ごみで手を離さないのといい、スザクはどうも自分を幼稚園児と勘違いしているのではないだろうかと思う。)少しはしゃぎながらちょっと不気味なディスプレイの前に立ったルルーシュは、どれがいいかなときょろきょろ歩き回っていたのだが、一周してスザクのところに戻ると無言で黒いドラキュラの衣装を宛がわれた。別に仮装するならなんでもよかった。シーツを被るだけのお化けはつまらないからそれは最後の選択肢にするつもりだったのだが、適当に見て回って適当に選ぶので十分だと思っていた。だからスザクが選んでくれるのなら文句を言わずにそれに決めようと思っていた。そもそも…いや、これはまだ秘密だ。
 だが、スザクがぶつぶつ文句を言っている。
「す、スザク?いいよ僕、別にハロウィンの日しか着ない服なんだし、」
「黙って。真っ直ぐ立つ。…フランケンシュタイン?うわ、だめ。なんかルルーシュが台無し。じゃあ…ウルフマンとか…あー却下。狼ってイメージじゃないでしょ。どっちかって言うと猫?あ、黒猫っていいんだっけか、ちょっとこれ着てみてルルーシュ。」
「え、あの、猫?」
「黒猫。テーマの一つだろ。はい、猫耳。」
「…着るの?ぼく…?」
「いや?」
「…いや、じゃない、けど…わかった。」
 なんの含みもないしごく真面目な顔をして、あれでもないこれでもないと唸っていたスザクがふと目に付いたらしい着ぐるみ(にしては体にフィットする)を取って寄越した。試着室を示されてさりげなく抵抗してみたが特に意地悪をしている様子ではなかったので、ルルーシュは仕方なく黒猫になってみた。そこだけ手触りのいい猫みみ。
「…スザクってよくわからない。」
 しばらく躊躇って頭にそれを装着した頃、終わった?と外で声がした。はあ、と溜め息をしてドアを開ける。まあ、こういうのが好きなら。それはそれで。
「着たけど、どう?」
「…。」
「スザク?」
「……。」
 じっと上から見下ろしたまま、スザクは黙って立っていた。口元に手をやりながら何か考え込んでいるように見える。ルルーシュはどうしたものかと首を傾げた。
「…。」
「………。」
「…トリック・オア・トリートだにゃん?」
「却下。」
 試しに言って見ただけなのだが、なんだか硬い声で却下されてしまった。脱いでと言われて大人しくまた着替える。あの凍りついたような空気を何とかしたかっただけなのだがうまくなかったか。やりすぎちゃったかなと、最後に外した猫みみをこっそり指で弾く。
「スザク、じゃあどうしたらいいかな?もう他には」
「場所変更。手芸店に行く。」
「は?なんで?」
「どれもいまいちだ。最初から作る。」
「え、あの、ハロウィンってあさってだよ?僕まだナナリーのも、」
「僕が作るから心配いらない。サイズだけ測るから今日は午後僕の部屋に寄って。」
「それはいいけど、大丈夫?スザク忙しいんじゃないの?それに作れるの?」
 随分唐突だ。朝はあんなに面倒がっていたのに。
「型紙くらい探せばあるだろ。参考に一つ買ったから、見ながら作る。」
 きっぱりと言い、もう歩き出してしまったスザクの小脇を見れば確かに何か抱えられていた。一体何を買ったのだろう。ルルーシュも自分が器用なのは自覚しているし完成間近のナナリーの衣装ははっきり言ってプロの手並みなのだが(来年は一から作ってやろうと思っている)、布を扱ったからわかる。着ぐるみの類は素人が一日や二日でできるものではない。スザクは何でも器用にこなす人間だが、時間の制限がある以上現実的に考えて、ルルーシュがやったように既製品に装飾・サイズ変更の手を加えて形にするのがせいぜいだろう。ドラキュラか、骨男か。それに文句をいうつもりはさらさらないし、手ずから作ってくれると言うことがとても嬉しくもあるのだけれど、シーツも用意しておかなくちゃなと、ルルーシュは胸の中で思っていた。


…のだが。
「ええと、あの、似合う…?」
 シャッ、シャッとメジャーで採寸するスザクに、何を作るのかと訊いても答えてくれなかった。だから完成を待ってルルーシュはスザクの家に行ったのだが、ものを渡されて一瞬思考が止まった。だが着ないわけにも行かない。ちらりと盗み見たスザクの目の下にはくっきりと隈が出来ていた。この分だと徹夜したな二日ほどと、子どもながらに聡い(どころではないのだがそれはまだスザクには知れていない)ルルーシュは見て取って、まあいいかと袖を通した。そして今スザクの前に立っている。
 全身黒で統一されたシックと言えばシックなカラーコーディネート。頭の上から爪先まで黒、黒、黒。だがその形ははっきりきっぱりおかしかった。とんがり帽子に毛(毛糸ではなく)のぼんぼんの付いたケープに下はフリルがふんだんにあしらわれたドレスシャツ(これはさすがに既製品らしかった、タグが付いていたから。)。足元からは、黒のアンクルストラップ付きローファーにオーバーニーソックス、そして何より問題なのがフレアなスカート。そう、スカート、プラス絶対領域。
 ちなみにギャザーは明らかにスザクの手によるもので、中にはちゃんとパニエも装着しています。
「あの、スザク?起きてる?だいじょうぶか?」
「…とても、まずい。」
「寝不足だからでしょ。まだ夕方には時間があるからちょっとお昼寝しても、」
「そうじゃない…。」
 さっきまでルルーシュに視線を固定したまま黙して微動だにしなかったスザクが、ぼそりと呟く。どこか悲壮感漂うそれにルルーシュは心配そうに首を傾げた。
「えーと、自分の裁縫の才能に怖れをなしたとか、」
「出来ないよりは出来たほうがいいだろ。」
 両手で顔を覆いながらちらちら指の隙間を縫ってルルーシュを見ていたスザクが、とりあえず言ってみた言葉に面白くなさそうな答えを返した。そこだけ見ればいつもどおりなのだが、ぶるぶると肩を震わせながらそれでも一秒足りとも自分から目を離さない様子は明らかにおかしい。ルルーシュはへぇと心の中で呟いた。
 足元がスースーするなぁと思いながら、デザインはあれだがかなり手を掛けてくれたことは純粋に嬉しい。それに…
「…ルルーシュ、夕方になったら迎えに行くから。僕はちょっと休むよ。」
 見た目どおりの、憔悴しきった様子でスザクが言った。ぐいっと視線を外してそっぽを向きながら。ルルーシュは大人しく頷いてスザクの部屋を後にした。



 ドサリ…
 スザクはルルーシュが玄関から出て行くのを窓から確認して、床に座り込んだ。視線は重力に忠実だった。深すぎる溜め息も。
 「…俺は、俺はっ……いわゆるショタコンなのか…?」

 いや、スザクの場合はホモの二文字がくっつくわけだがそれはさておき。  
 枢木スザクは、悩んでいた。
 お隣のルルーシュと出会ったのはスザクが12歳の時で、生まれたばかりの赤ん坊というものを初めて目にした。自分の母親とルルーシュの母親が、年は離れているけれど仲のよい友人であったことからマリアンヌの第一子が誕生したと興奮気味の母親に連れられてランペルージ家を訪れたのである。赤子など猿のように醜いものだと思っていたから、大して興味も感慨もなく引き摺られるように伴われたスザク少年は目にした赤ん坊に目を奪われた。うつくしかったのだ。もう自宅に戻っていたマリアンヌが抱く子どもは赤味も失せて真白な肌をしていた。髪はまだ柔らかくほんの少ししか生えていなかったけれど、目鼻立ちのはっきりとした、ルルーシュは赤ん坊の頃からうつくしい子どもだった。うるんだ見たこともない紫の瞳で、反射でも本能でもあろうがにっこりと笑ったルルーシュが、おそるおそる頬をつつこうとした(マシュマロみたいでスザク少年は触ってみたくなったのだ)指をきゅっと握り締める。えもいわれぬ感動が胸に広がった。まだ首が据わらないから気をつけてねと言われて差し出された体温の高い小さな生き物は泣きもせずにスザクの腕の中でにこにこ笑い続けていた。
「…あの頃から少しおかしかったんだ。父性も母性もあったもんじゃない小学生のガキが赤ん坊抱いて嬉しいとか、今にして思えば危ない気でもあったんじゃないか…」
 別に危なくはない。兄が弟妹をかわいいと思うのと同じこと。血がつながらなくとも人間は本能的に小さいものをかわいらしいと思う生き物である。だがスザクが思うに、その後の己の思考が辿った軌跡は確かに少しおかしいのだ。自分を慕ってくれる人間に好意を抱くのは簡単である。だから、いくら素っ気無くしてもすざくスザクと駆け寄ってくるルルーシュを、ごくたまに。かわいいと、思ってしまうのは仕方のないことだと思っていた。ごくごく自然な感情だと。だが次第次第にノイズが混じり始めた。はっきりしたのは一昨日の黒猫ルルーシュを目にしたときである。
「『にゃん』はやばい、にゃんは…頭が真っ白になった…」
 そして自分は何を思ったか。
「お持ち帰り、したいとか…うそだろっ…」
 小脇に抱えて自分の部屋に連れ帰って何をしたいかなんて、恐ろしくて考えるのをやめてしまった。まだ自分は人間を捨てたつもりはないしごくごくまっとうな道を歩みたいと考えている普通の男だ。両手で顔を覆って低く唸る。片手を外せば積み上げられたテキストが見えた。二日ほど手をつけていない国家一種の問題集。
「…そうだよ。僕は無難に公務員になって無難に結婚をして無難に老いて子どもや孫に囲まれた穏やかな老後を送るんだ。」
 実に夢のない将来設計である。いや、昨今の日本を見渡すに、端然と波風立たない一生を送ることは目指すべき一人生パターンでありもしかしたら夢でしかない夢なのかもしれないがそれはさておき、枢木スザクは基本的にイレギュラーが大嫌いな人間だった。計画外のことが起こるのを嫌悪していた。何でも物事は自分の思うとおり図ったとおりに進まなければストレスが溜まるタイプだった。だからこれまで何度か経験した節目節目の入学試験も完璧な準備のもと一度たりとて躓いたことがなく、来春の公務員試験も毎年ごそっと挑む大学の友人たちと同様あっさりさらりとパスして再来春には霞ヶ関に通勤しているはずだった(どこかに飛ばされる可能性も高いがそれはそれで構わない。)。とりあえず官吏になっておけば食いっぱぐれもないし生活は安泰だと、あまり志の高くない彼ではあったが、馬鹿ではないので何事も無ければその自分で敷いたレールの上を進むのは然して難しいことではなかったはずで。スザクの父親もそうであったから、ここまですべては実に自然な流れだった。そこに、飛び込んできたイレギュラーが、ルルーシュである。
「子どもは突拍子もないことを言ってこっちのペースを崩すから嫌いなんだ。ルルーシュはいるだけで僕をおかしな気持ちにさせる。どうしてなんだっ…」
 頭を抱えてうんうん唸る。ルルーシュを前にすると心臓がおかしな音を立てるのだ。きゅん、とか。冗談じゃない。自分はゲイでもロリコンでもショタコンでもない普通の男だ。彼女もいたごくごく普通の。今は互いに忙しくなってなんとなく自然消滅に近い形で別れてしまったわけだが、女性が好きなことは確かなのに。
 ごそりと携帯を取り出して登録してあるアドレスを呼び出す。グループに分けられた男女合わせてたくさんの友人たち。『サークル』、『ゼミ』、雑多に『友人』、『家』。どこも二桁を超えるアドレスが登録されている。ただ一つ、グループがそのまま個人を表す『幼馴染』の文字が、リストの一番下にあった。『Lelo』と頭四文字だけで登録された言わずもがなのお隣さんだ。
―スザク、携帯貸して!
―だめ。
―僕の番号入れるだけだから!
―今時は小学生でも携帯持つのか。贅沢者め。名前は『おこちゃま』にしろよ。
―やだ。そんなこと言うならスザクは『頭でっかち』にするよ。
―好きにしなさい。別に僕は困らないし。
 ロックを外して渡してやれば、慣れない手つきでぽちぽちと時間をかけて打っていた。どれ、どんな名前で登録したかと返された携帯を見てみれば、『友人』のくくりにも『家』のくくりにも見つけられず、増設されたカテゴリの『幼馴染』の欄にルルーシュの愛称が登録されていた。その名前では呼んだことがないのだけれど。
―まあわかりやすいけどね…年離れすぎだと思うんだけど。
―関係ないでしょ。だって他になんて言ったらいいのかわからないんだもん。
―『隣のお兄ちゃん』とか。ああ、これはそっちか。なんて入れたんだ?
―ひみつ。スザク、絶対怒るもん。
 今、あの子の携帯にはなんと登録されているのだろう。『隣のお兄ちゃん』か?『眼鏡』か?『天然パーマ』か、ただの名前か。にこにこと、教えてやった番号を嬉しそうに見つめていた顔が今更まざまざ目に浮かぶ。それを見て、確か自分は妙に動悸が激しくなったのを覚えている。ここ数年あまり構ってやっていなかったから、小学生の暇に明かせてメール攻撃でも来るのかと警戒もしていたのだが、あれから一度もルルーシュの番号を使ったことはなかった。大学生と小学生、しかも隣に住んでいて電波を使ったやり取りの必要などないのだけれど。
「…面白くないなとは、思ったんだ。ああもう…俺、なんであんな衣装選んでしかも手作りしちゃったんだろう…。ルルーシュも文句の一つや突っ込みの一つも入れればいいものを…」
 いや、ルルーシュは他人の気持ちを読むことのできる『いい子』なので、スザクが二日間徹夜してまで作ってくれた衣装に対して『スカートなんていやだ』とは言えなかっただけである。もちろん女の子の装いとして古今東西ほとんどの地域で認識されているものを着てしまうには、いくら十歳にも満たない子どもとはいえ抵抗があった。スザクの無言の迫力と自身の思うところによってきらきらんと着こなしてしまっただけなのである。だがスザクはそんなルルーシュの思惑など知る由もない。見事に責任転嫁して先ほど、いや、いわゆる魔女っ子のコスプレをルルーシュに選んでしまった時から、悶々と悩み捲くっていたのである。
 黒猫では、だめだと思った。主に自分の心臓が。
 なので咄嗟に代わりの衣装を目で探し、ふと視線の先に見つけてしまったとんがり帽子に黒のワンピース。反射だった、いや、天啓だった。黒猫はやばい、なら魔女っ子だ!
 思えば既にスザクは後戻りできない道に足を踏み入れてしまっていたのだ。
 似合うと思い着せたいと思った時点で、その思考を他に持っていくことが出来なかった時点で、彼は負けを認めるべきだった。だからこの二日間の彼の懊悩ははっきり言って徒労でしかなかったのだが、しかしスザクは悩み続けた。手だけはディスプレイを見た瞬間に全身を打った「ルルーシュには魔女っ子がよく似合う!」の確信のもと、最早彼の葛藤など知らぬげに布に針を糸を扱っていたのだが、頭脳は酷使され続けていた。無駄に頭がいいために枢木スザクはよく思考の度ツボにはまる。
 
 ※その一部始終をお見せしたいのですが既に尺を使いすぎてしまったので略します。没にした別ver.で些細なことにぐるぐる悩むスザク青年の一部描写がございますので、こちらで何となく雰囲気を察してやってください(書き手拝)

 まあとりあえず、禿げるほど悩んだ。彼の父親は少々頭頂部を生え際が怪しい今日この頃なので、スザクにとって髪は現実的な問題である。掻き毟りかけて、はっと気づいた。
「…ハロウィンだ。ハロウィンのせいで俺は…!」
 異界への扉が開く日だ。きっと自分にもよからぬ扉が開いているに違いない。疲弊しきった頭で思う。今日だけだ。今日だけ、異世界のおかしな感情に身を任せてしまって自分を許そう。
 寝不足で紅くなった緑の目が、(間違った)結論を出してほっとゆるんだ。   




 そして、夕方。
「…これ、なに?」
「先っぽの星はべっこう飴。」
 棒の先に金色の、砂糖で作った飴の星がついた代物。一応魔女の杖のつもりである。トリック・オア・トリート!と元気よく叫んだルルーシュにスザクが黙って差し出したものだ。
「…(ぺろ)、」
 お菓子、なんだろうな。そう思ったルルーシュは、どうしてかまた黙りこくってしまったスザクの視線を感じながら、ちらりと上目で窺ってしばらく悩んだあと、杖の先っぽを舐めてみた。あ、甘い。
「いいね。かわいいよ、ルルーシュ。」
「ほぇ?」
 普段は滅多に見ることのできないスザクの笑みに、ルルーシュは目を丸くして瞬いた。クシャリとその頭を撫でるスザクの手。目の下にはまだ薄っすらと隈が浮いている。睡眠不足でおかしくなってしまったのだろうかと首を傾げて、まあいいかと手を繋いで歩き出した。ルルーシュは杖で片手がふさがっているから、カブではなくかぼちゃで作ったジャック・オ・ランタンはスザクが持っている。ゆらりゆらりとオレンジ色の光が零れる。魔女には黒猫が付き物だと、ルルーシュの家で飼っている黒猫のアーサーを肩に乗せ(この猫はスザクには懐かないがルルーシュの言うことは実によくきく。)、時折ずり落ちてくるのを直してやりながら、スザクはナイスだルルーシュ!と心の中でサムズアップしていた。螺子は自分の部屋に抜いてきた。
「ナナリーちゃんはお母さんと一緒なの?」
「うん。押しかけてもいい家は決まっているし、うちは最後のほうだから少し早めに家を出てたよ。」
 ハロウィンの本場ではないから、このイベント自体を知らない見ず知らずのお宅におかしな格好をした子どもたちが押しかけるわけには行かない。学区内で協力してくれる家を、だいたいの住所で子どもたちに割り振っている。ルルーシュの家も、ハロウィンに参加する子どもが二人いるわけだから、完全に日が落ちる頃には保護者に伴われた子どもたちがわいわい訪れることだろう。ご苦労なことだと思いながら、スザクは襲撃した家々でルルーシュに向けられる感嘆の眼差しにえらく満足していた。
「トリック・オア・トリート!」
「まあルルーシュ君、なんてかわいらしいの!お母さんが作ってくれた?」
 軽く目を瞠り(それはそうだ、ルルーシュは女の子の格好をしている。)それでもイタさも違和感もなく似合っちゃったりなんてしているわけだから、年に一度のお祭りだしねと、気にする風でもなくお菓子を差し出してくれるご近所のおばさんは、いいえ、スザクが作ってくれたんです!のルルーシュの無邪気な返事に今度こそひくりと頬を引き攣らせる。それを見ていやぁつい凝ってしまってと爽やかに笑うスザクは、何かを吹っ切って眩しかった。 トリック・オア・トリーターの付き添いは別に手を繋ぐ必要はない。ましてルルーシュはもう小学校の4年生だ。そこまで過保護にするのは当人がむずがるものではないだろうか。しかし二人ともにこにこと仲よさそうに並んで歩く。
「…枢木さんとこのぼっちゃん、大丈夫かしら…。」

 通学路に沿って一通り回った後、次に目指すのは学校だ。4年生以上は夜に校庭で行われる仮装パーティーに参加することが出来る。ルルーシュとスザクがそれぞれ通う、幼稚舎から大学部までの一貫校私立アッシュフォード学園は、不気味だったりかわいらしかったりと様々な格好をした子どもたちの姿で埋め尽くされ、毎年テレビや新聞で報道される。スザクはさりげなくカメラの視線をチェックしていた。よし、ルルーシュが一番目立っている。
「スザク!あっちにも魔女の仮装をした子がいるよ。ねぇ、僕おかしくないかな?」
「まさか、ルルーシュ。君が一番似合っているよ。」
 きょろきょろと周りを見回したルルーシュが、少しだけ不安そうに聞いた。そしてにっこりと笑顔で返された返事にいつもと違うなと、心の中で思いながら安心したように頷く。よし、スザクもようやく。
 ルルーシュがはしゃぎながらスザクの腕を引っ張りまわして友達の仮装を見て回っていると、不意に女の声がした。
「あら、スザクじゃない?」
 ウルフマンの格好をしたリヴァルと、こちらも妙に似合っている黒猫の格好をしたミレイの二人に捕まっていた時だ。ルルーシュの知らないおそらく大学の同級生なのだろう女がスザクを見つけて駆け寄ってきた。妹か何かの付き添いだろう。本人は普通の洋服を着ている、美人だった。
「なあに、あなたも子どものお守り?私は近所の子に頼まれちゃって。親と一緒に参加するのが恥ずかしいって言うものだから。」
 肩を竦めながら近寄ってくる彼女へ、スザクが何か返事をする前にルルーシュはそっとその場を抜け出した。するりと人ごみに紛れてその場を離れる。そして声を掛けられた。
「お菓子をあげるからちょっと付き合ってくれないかな?」


「最近はちっとも大学に顔見せないじゃない。忙しいわけじゃないんでしょ?」
 女はさらりと髪をいじりながらスザクに言った。以前少しだけ付き合ったことのある女だった。
「僕は家の方がやりやすいから。出かけるの面倒だしね。」
「相変わらずの出不精ねぇ。じゃあ今日はなんだって子どものお遊びに付き合っているの?」
「それは…ん?ルルーシュ?」
 一度も鳴ったことのない、ルルーシュからの着信が耳に届いた。女の問いに答えかけたスザクはちょっと待ってと身振りで示してメールの受信画面を開いた。
 画像だけが添付された一通のメール。
「…ごめん、ちょっと用事ができたから。ああ、それと今日は遊びじゃなくて---」


「…いま、『デート』って言った…?」
 ぼそりと呟いてあっという間に駆け去ったスザクの背に、女の声が届いたかどうかはわからない。


「ルルーシュッ!無事か!?」
 送られてきた画像は学園の初等部クラブハウスの一角だった。スザクも学んだ学園施設であるからすぐにわかる。そしてぼやけているがフレームの隅に写った大人の影。
 メールを見て一瞬で過ぎった嫌な予感に、スザクは昔から速過ぎると言われていた足で現場に駆けつけた。そこではルルーシュが涙目でぺたんと地面に座り込んでいた。その前にはカメラを構えてじりりと近づく男。
「お前っ!何やってるんだよ!」
「すざく…」
 うるりと、アーサーを抱きしめながら見上げてきたルルーシュに頭の中で何かが切れた。すぐ近くには投げ出されたルルーシュの携帯電話。ふるふると震えながら名前を呼ぶルルーシュ。ああ、ようこそ異世界新世界。
「な、なんだ君はッゴブッ!!」
 拳を固めて迷わず一発。そして一言。


「俺のルルーシュに、手を出すな!!」




  After 8years