どらきゅら-V
ルルーシュが村にやって来て三ヶ月が過ぎようとしていた。
十の幼い頃から一人で暮らしてきたスザクにとって、一緒に並んで帰る、ただいまという声におかえりと応えてくれる、そんな家族と呼べるような人間がいることは、溜め息が出るような幸せだった。照れくさいから言わないけれど、スザクはルルーシュが自分のところに来てくれたことを心から嬉しく思っている。あの日、渋るルルーシュを無理やり連れて帰ってよかった。ルルーシュは自分のことを吸血鬼だとはじめのうちこそ言って聞かなかったのだけれど、今はもう吸血鬼のきの字も口にしないし、言ったとして取り合うつもりがスザクにはなかった。
だってルルーシュは人間だ。村の人たちとも仲良くやっていて、子どもたちには優しい先生で、自分の前ではちょっぴりどじで意地っ張りで負けず嫌いで。この間、薪割り競争をしたときのことを思い出す。スザクがもう寒くなってきたからと、暖炉にくべる薪を斧で割っていたときのこと、ルルーシュがひょっこりと顔を出して自分にさせろと言ったのだ。
「斧、持てる?」
「むっ、馬鹿にするな!俺だって薪割りくらいはできるんだぞ。貸せ。」
なんだか妙に偉そうな態度で鉄の斧を奪ったルルーシュが、振り上げて、
「……大丈夫?あのさ、振り上げたら、振り下ろさないと。」
「わかっている!久しぶりだから手元が狂っただけだ!もう一回、……すざく、ちょっと、起こして……くそぅっ!」
どういうことかと云うと、ルルーシュがえい!と振り上げた腕が、斧の重みに耐え切れず後ろに反り返ったまま、斧は地面に突き刺さり、ルルーシュはあれだ、ブリッジ状態になってしまった。意地になって柄の部分を握り締めたままのルルーシュも問題だが、吹き出してしまったスザクもたぶん彼の癇に障ったのだろう。ルルーシュは小さく悪態を付いた後一人で拗ねてそっぽを向いてしまった。
「ふ、くくっ…ルルーシュー?ほら、僕が後ろから支えてあげるから一緒にやってみようか?」
「いやだ!力仕事は体力ばかのお前がやれ!」
「体力ばかって…ルルーシュがよわっち過ぎるんだと思うよ。あれっぽっちしか食べないで大丈夫なの?」
「大丈夫なの!」
間髪いれずに返った答えだったが、その後ルルーシュは物憂げに溜め息をついた。どこかに薔薇が咲いていないかなぁと独り言のような呟き。
「薔薇ねぇ…この辺りには咲かないからなぁ。」
気候が合わないのかそれとも土か、この村にもあたりを取り囲む森にも、薔薇は咲いていなかった。スザクもルルーシュの呟きは聞いていたから森に出た時には探してみたのだが野ばらの一本も見つからない。
「吸血鬼は薔薇の花を食べるって言うけど…」
鍛冶場で鉛を鋳型に流し込みながらスザクはしばらくの間黙々と手を動かした。熱され、とろりと流れ出す鈍い金属の輝き。村長から言われて拵えているものだ。ここのところ、森に狼が出没しているのだと言う。冬も近づき、食べるもののなくなった獣が村を襲う季節に入る。だがいつもよりも少し早いような気がするのだ。
「今年はそう寒さが早いわけでもないのにな。…っと、よし。」
ジュッと熱を取って出来上がる銃弾。ケースに入れて今日の仕事は終わりだ。教会にルルーシュを迎えに行こう。
スザクはルルーシュがバンパイアであるなどと、信じるつもりはなかった。それはスザクの願望でしかなかったのだが、村人に混じって暮らすと決めた以上人を装うことはルルーシュにとっても至上命題であって、上辺だけはこの二人の生活は矛盾なく穏やかに過ぎて行く。スザクに出会って戻りたいと切望していた人の世界を心に取り戻したルルーシュは、絶え間ない喉の渇きを押し殺してそれでも懐かしい毎日が繰り返される幸せを噛み締めていたし、スザクはある日突然に手に入れた友であり家族でもあるルルーシュに、深い好意を抱き始めていた。ずっと傍にいてほしいと思い始めていた。つまるところ彼は寂しがりやだったのだ。裏返しでスザクは人が好きだった。初めてルルーシュに出会った夜、初対面であるにも関わらずぴとりと抱きしめて一晩過ごしてしまったのは、ルルーシュにしてみれば相当奇異で警戒心に欠けることと映ったらしいが、スザクにとってはさほど不思議なことではない。彼は幼い日に両親を失くしてから、素朴であたたかい村人たちの優しさに包まれて生きてきた。基本的に人を疑うことを知らないのだ。だからルルーシュがそのことを指して呆れた顔をしながら注意を促すのも笑って聞いているだけで、この村で暮らしている以上話半分でよいだろうと、成長して少しは世界の広がった今でもそう思う。
だから、ルルーシュの「俺は吸血鬼なんだぞ」との言葉も、ルルーシュが本当に人間の血でも吸いださない限り取り合わないと決めていた。
だが始めのころより状況が変わった。
「薔薇かぁ。探してあげようかな。」
もう今の季節に咲くものでもないだろうが、薔薇は種類が多い。探せばもしかしたら一輪くらい。薔薇は吸血鬼が好む花だといわれているが、もし、ルルーシュが薔薇を、散らせたとして…
「ばら?どうして?」
少し森の奥に入れば何かいい花が見つかるかもしれないと、スザクが思案しながら歩いている時、少女の声がした。はっと声のしたほうを向けば、シャーリーがスザクを見上げていた。
「ああ、シャーリー。学校は終わったんだね。」
「うん!今日は白雪姫のお話を読んでもらったの。ね、スザクお兄ちゃん、ばら、どうして?」
子どもらしい舌足らずな口調でシャーリーが言った。この子はルルーシュにとてもよく懐いていた。子どもたちがよそ者のルルーシュに心を開き始めたのは、この子が真っ先に彼に笑いかけてくれたからだ。スザクはシャーリーの頭を撫でながらにっこりと笑って応える。
「ルルーシュが好きな花なんだ。似合うだろ?」
「先生が?うん、とっても!先生は白雪姫にも似ていると思うの。」
これは、今日教えてやったら赤くなるかそれとも怒るか、あるいは困るか。
スザクは無邪気なシャーリの言葉に、これから迎えに行こうとしているルルーシュの表情を思い浮かべてそっと笑みを深めた。
「 、スザクか。日が落ちるのが早くなったな。」
いつものように教会の入り口に凭れて帰り支度をするルルーシュを待つ。
(…やっぱり気づかないな。一つ一つの動作がひどく遅い。)
ルルーシュはゆっくりと本を棚に戻し、椅子を直すために屈んでは体を起こす、その動作のたびに頭を押さえて動きを止める。たまに喉元へ手をやりながらふらりふらりと仕事を片付けていた。
血が足りなのだろう。
毎日の食事量は確かに少ない。だがルルーシュの体型は出会った頃と変わった様子は見られないし、ただ肌が血色を失っていくだけなのだ。村人に被害は出ていない。バンプを見かけたという声も聞かない。ルルーシュは皆に手を出してはいない。それは彼が弱ってゆくことへ符合していると、スザクはさすがに認めずにはいられなくなっていた。
ギイと音を立てて教会の扉を閉める。ルルーシュがはっとしたようにスザクの方を見た。今気づいたように目を丸くしている。
「ルルーシュ、少し話があるんだ。」
「…話?ここでか?」
真っ直ぐ歩み寄ればルルーシュが怪訝そうな顔をスザクに向けた。僅かに警戒するような目。だが冷たいわけではない。ルルーシュはこの村の中で、スザクのことを一番に信頼してくれていることを、スザクは知っていた。
「うん。ここで。ルルーシュ、君は、本当にバンパイア?」
シンと、静謐であるはずの堂内が本来の姿を取り戻す。高価なステンドグラスが一枚、小さくはめ込まれた窓から赤い夕日が差し込んでくる。スザクは小型のナイフを取り出して指先で弄んだ。
「…俺を始末する気か?そんなもので殺せるわけがないと、世話になった礼に教えてやる。…?すざ…やめろッ!」
たらりとスザクの手首から一筋の血が流れた。ルルーシュが淡々とした表情を崩して止めにかかるのをあっさりかわして、スザクはナイフで自分の肌に傷をつけた。
「血が足りないんだろ?全部なんて上げられないけど、ちょっとならかまわない。ほら、」
「やめろッ!来るなッ!!」
もう放っておける状態ではないとスザクは踏んだのだ。ルルーシュの言葉を狂言だと笑い飛ばすことはもうできないくらい、彼は弱っていた。スザクだってルルーシュに栄養のあるものを摂らせようとしたしきつい労働などさせようとはしなかった。もしかしたらよくない病気なのかもしれないと疑ったこともあるが、それにしてはルルーシュの姿があまりにも変化に乏しい。やつれたと言うのは雰囲気のことであるし、変わったことと言えば貧血のような症状であるふらつきと血色の悪さだ。思い返せばあの嵐の夜からルルーシュは元気がなかった。もしかしたら彼は吸血を拒んで城を出てきたのかもしれない。だとしたら、ルルーシュを失いたくないスザクにできることは一つだった。吸血鬼は嫌いだ。でもルルーシュは大切な友達なのだ。
「ルルーシュ、」
「…やめろ、来るな…こないでくれ…」
大した量が出るほど深く切ってはいないのだ。大きな怪我はスザクだって困る。だから血がひとりでに止まってしまう前に飲んでほしいと思うのに、ルルーシュはなぜか怯えて後ずさりを始めた。きつく目を閉じて頭を振っている。
「どうして?必要なんだろ?同性の血は飲めないとか、決まりでもあるのか?」
「そうじゃないっ…そうじゃない……飲みたくない、来るな、スザク……俺はッ…おれは……」
ニンゲンデイタイ―――
スザクは立ち止まってルルーシュを凝視した。床に蹲って震えている。自分で自分を押さえ込むように腕を回して、ルルーシュは小さく小さく呟いた。
「ご、めん…ルルーシュ、僕は、」
「いままで、…今まで人の血を飲んで生きてきた。何十年もこの姿のまま、人の命を奪って生きてきたんだ。…嫌だった。恐ろしかった。吸血鬼だってもとは人間だ。化け物になっても人の心は残っている。俺はもう血を口にはしないと、誓って、城を…たのむ……おれは…」
あたたかい橙の光が堂内を満たしていた。縋るように顔を上げたルルーシュの瞳は夕日を受けて不思議な色に染まる。それは昔、昔スザクが目にした化け物とは似ても似つかない澄んだ色をしていた。