―今度会ったら、俺はお前を襲うから。
それでいいよ。このまま死ぬより、君の中で生き続けたほうがずっと幸せだ。
―…さよなら、スザク―
さよならルルーシュ。僕の、大切なひと―
どらきゅら-Ⅴ
かさりとかすかな音がした。触れていたぬくもりがそっと離れて、代わりに彼の体温を残した外套が僅かな衣擦れの音をたてて掛けられる。遠のくルルーシュの気配に気づかない振りをしながらスザクは体を丸めた。
「おはよう。はい、これおみやげ。」
川で顔を洗って焚き火をした場所に戻るとルルーシュがぷらんと兎をぶら下げていた。野生のりんごも渡される。
「燻製にでもしようか。明日も天気はいいだろうから、森を抜ける前に少し食糧の蓄えを作っておいた方がいいよな。」
石を積み重ねて即席の石釜を作っているルルーシュに何も答えないでいると、はぁと溜め息をついて顔を覗き込まれた。
「なに拗ねてるんだよ。」
「別に、拗ねてるわけじゃないさ。」
「あっそ。じゃあなんで俺の方見ないわけ。」
プイと作業に戻ってしまったルルーシュの隣にしゃがみこんでそれを手伝う。しばらくしてスザクは口を開いた。
「僕は隠し事はしないでほしいんだ。」
「俺がバンプだっていう以上に一体何を隠しているって言うんだよ。」
「夜、一人でどこに行っているんだ?」
「バンパイアは昼間よりも夜の方が体が軽いんだよ。これも夜寝ているところを捕まえて来たの。」
またぶらんと兎を持ち上げたルルーシュがスザクの顔を見ないで答えた。
「嘘だろ。動物はみんな君の言うことを聞く。かわいそうだけど、近寄ってきたところを仕留めただけだ。時間なんてかからないだろ。…ルルーシュ、君から血の匂いがする。」
「…。」
黙々と兎の皮を剥いで器用に肉を切り分けていくルルーシュの手元に視線を落としながらそう言えば、ルルーシュは顔色を変えずにただ口を閉ざした。
「ルルーシュ、血が足りないなら」
「足りてる。この兎、血抜きがしてあるだろ。」
指を指された、もう原型を留めていない兎からは一滴の血も滴ってはいない。それは。
「人間の血じゃないとだめなんだろ?」
「腹の足しにはなるんだよ。猫は相性がわるいんだけどな。狐や兎なんかは十分喉の渇きを抑えてくれる。」
スザクは手元に視線を落としたままのルルーシュの肩を掴んで自分の方を向かせた。首筋に手を伸ばせば何の音も聞えない、肌は冷たい。
「、省エネだ。」
「じゃあ夜もそれでいいよ。僕が凍えないように体温を上げてくれてるんだろ。」
「気にするな。人間は簡単に死ぬ生き物だからな。」
スザクの手を外しながらルルーシュが返す。肉を燻す煙った匂いが漂い始めた。
「君は人間に戻りたいと言った。なのに村を出てから僕と自分の間に壁を作っている。…僕は足手まといか?」
「そんなことはないさ。わかった、いいよ。全部話す。」
燻製が出来るまでの間、スザクはルルーシュが取ってきたりんごを齧りながら話を聞く事にした。
「俺は何十年も前に、C.C.というブリタニアの、血族をまとめる長の血でバンパイアになったんだ。」
「シーツー?」
「本当の名前は誰も知らない。彼女がこの世界で最初の吸血鬼だといわれている。美しい女のバンパイアだよ。姿は十七、八の少女に見える。普段は光の差さない部屋で眠っているんだが、気まぐれだろうな。瀕死でコーネリア姉上に連れてこられた俺に血を与えた。C.C.が仲間にした吸血鬼はもう一族の中には残っていなくてな、どのバンパイアの血をもらって血族に加わったかでそいつの格付けと云うものが決まる社会だから、俺は、まあ、ちょっと偉かったんだよ。」
「…ひょろひょろなのに?」
「ひょろひょろしているのは血を飲まないから。飲んだらどうなるかなんて知らないけどな。興味もない。ただ吸血鬼の血は濃いから大事にされていた。」
「その血の濃さって、何かに影響するの?コウモリになって空を飛べるとか、」
「あほか。年を取らないだけで、変身なんかできるわけじゃないんだぞ。何に現れるかと言えば仲間を作れるかどうかだ。」
脚を組みスイと指を立てて言うルルーシュにスザクは首を傾げた。作る…
「…打率十割とか、」
「?」
「子どもの…」
「…いや、吸血鬼に生殖能力はない。」
「ないの!?」
「そんなに驚かれると癪に障るな。まあ、ないんだ。だから人間を仲間にするんだろうが。」
なんの話かと思えば…。呆れながらの言葉に過剰な反応を返されて複雑そうな顔をしたルルーシュが、ツンとスザクの額をつついた。小突かれた場所を擦りながらじゃあ、と訊ねる。
「じゃあ、血を分けても人間を吸血鬼に出来ないバンパイアもいるわけ?」
「実際のところ、ほとんどのバンパイアがそうだぞ。高位のバンパイアから血を貰っても力のない仲間はたくさんいる。バンパニーズは九割がたそんな半端者ばかりなんだ。」
「ルルーシュは?できるの?」
「俺?うん。だから、ああそうか。百パーセントだよ、確かにな。俺の血をほしがる奴は多かった。一滴もやらなかったけどな。」
「けち。」
「ふん、言ってろ。お前には何があってもやらないからな。初めての人間の友だちをなくせるか。」
なんだか妙に偉そうにルルーシュが言う。嬉しかったが、残念だなとも、思う気持ちを隠してスザクは逸らしてしまった話をもとに戻した。
「それで、君は半端者のバンパニーズにとっては妬みの対象なわけ?」
「申し訳ないが、たぶんそうだ。あっちだって互角に戦える俺たちとむやみやたらに争うよりは、俺たちの目を盗んで人間を襲っていたほうが楽だろう?だから基本的に向こうから仕掛けてくることはないんだけど、やれると思ったらかかってくるんだろうな。だからちょっとこちらの居場所を掴みにくいように血をばら撒いておいた。村から出たことを知らせないといけなかったし…少しだけな、見つけた動物たちに運んでもらったりして。夜の間にしていることはそれだよ。心配することじゃない。」
そう言ってルルーシュはにこりと笑った。
そして、雪がちらちら舞い始めた頃。
「…あのさー、ルルーシュ。あれがバンパニーズ?」
「た、ぶん…目が赤いよな。」
スザクが引き攣りそうになる顔でルルーシュの方を振り返りながら言った。
「あはははははは!見つけたよルルーシュゥ!よくもまあ逃げ回ってくれちゃってぇ、さがしたんだよおぅ?」
「…たぶんって何だよ!偉いんでしょ?物知りなんでしょ?僕の五倍生きてるんでしょっ?」
「だって俺はインドア派だから!外になんて出たことなかったんだよ!」
「胸を張って言うことか!あんないっちゃってるやつどうしろって言うんだよ!」
スザクはとりあえずルルーシュの手を引いて走り始めた。はっきり言って出会ったバンパニーズは不気味だった。血のように濁った赤い瞳。奇声を上げる耳障りな声。べたつくような話方でルルーシュの名を呼ばれて背筋が冷えた。あんなやつにルルーシュを取られて堪るものか!
「逃げてもむだだよぉ。すぐに追いついちゃうんだからぁ。やぁっとお城の外に出てくれて嬉しいよぉ。るるーしゅぅ、C.C.の血を分けられた僕の兄弟…殺す!」
「なんでだ!?兄弟なら仲良くしなさい!!」
全速力のスザクに、引き摺られながらついてゆくのがやっとのルルーシュは何も言い返せない。元気に叫び返しているのはスザクだった。
「だってぇ、C.C.の仲間は僕だけで十分だもん。ルルーシュは邪魔なんだよ。だから殺す!」
「ルルーシュはもうお城に戻らないって言っているから見逃して!C.C.さんとやらには会わないって言っているから頼む、全力で見逃して!!」
「んん?会わない?うーん…」
しめた!
スザクは腕を組んで思案顔の―マオというらしいバンパニーズに向けて銃を構えた。いまだ!
パンッ―
「あ…?どこに消えたッ!?」
「ここだよぅ。お前むかつく。」
「スザクッ!」
確かに目の前にいたはずのマオが消えた。周囲にせわしなく視線を走らせたスザクを嘲うように背後で舐めるような不快な声がする。
ルルーシュが叫んで、瞬間咄嗟に頭を庇った腕に凄まじい衝撃を感じた。「ぐッ!!」
次いで背が地面にたたきつけられる鈍い痛みを感じたがすぐに反転して起き上がる。真っ直ぐ銃を構えなおしたスザクにマオがヒュウとおどけて手を叩いた。
「すごいねぇ君!ほんとに人間?ルルーシュにバンパイアにされちゃったんじゃないの?僕の蹴りをくらって気絶しないなんておっかしいよぉ。」
「スザクは体力馬鹿だから…」
「ちょっとルルーシュ、そこ律儀に返事しなくていいんだよ!」
「できれば和解を図ろうと思ってだな、」
あははと眉尻を下げて気弱な笑みを浮べながらルルーシュがスザクにだけ見えるようにある方向を指差した。スザクはちらりと視線をやってマオに顔を向けなおして言う。
「和解?無理だから!いきなり殺すとか言うやつに何を言っても無駄だから!」
「人が考え事をしている隙に飛び道具を取り出す君が言うことじゃないと思うよ。」
「それはそうかもしれない。謝るから考え直してくれないだろうか。」
「うーん、どうしよっかなぁ。城には一歩も立ち入らない?」
「ああ。迎えが来ても全力で逃げる。」
ルルーシュがこくんと頷く。
「そっかぁ…でもなぁ、僕、C.C.の血を持っているやつがいるってだけでむかつくんだよぉ。」
「それは困ったな。こればかりはどうしようもないから、」
「うん。だよね。だから殺ツッ!」
パンッと一発、するりするりと会話の間に移動していたルルーシュの影に隠れて、スザクは引き金を引いた。仕留めることはできなかったがマオは腕を押さえて蹲ってういる。
「逃げるぞ!」
走り出したルルーシュに追いつく頃には急流がゴウゴウと大きな音を立てて目の前を流れてりるのが見えた。
「待て!この卑怯者ぉ!!」
「どっちもどっちだろーが!飛び込むしかないッ?」
「覚悟を決めろ!行くぞ!」
ザバンッ―――
近づくマオの足音を背後に、二人は川に飛び込んだ。
「――…うッ いき、てる?」
ルルーシュは辿り着いたらしい岸辺で目を覚ました。体中が冷たい水と石に打たれた鈍い痛みを覚えている。頭を押さえながら起き上がり、はっとあたりを見回してスザクの姿を探す。
「スザク!どこだ!?スザクッ!……あれかッ?」
少し下ったところに茶色の頭が見えた。重い身体を引き摺って走り寄る。震える手で確めた呼吸は少し速いが、心臓の音も確かに聞える。ルルーシュはほっと胸を撫で下ろして川からスザクを引き摺り上げた。
「スザク、頼むから死なないでくれ…俺を一人にしないで…スザク…―」
火をおこして濡れた服を脱がせる。健康なはずの日に焼けた肌が寒さに色を失くしているのを見て取り、ルルーシュは躊躇わずに自分も着ていたものを脱ぎ捨ててスザクの体を抱きこんだ。人肌よりも高いくらいの体温を再現して祈るように抱えた体に熱を与える。
「スザク、お願いだから死なないで…一人は嫌だ、置いていかないでくれ…スザク…――」
―――…
「 ぅ…ここは…ぅわぁっ!?」
スザクは目を覚まして仰天した。嵐の夜の翌朝のことを思い出す。あの時も確かルルーシュの寝顔に心臓が止まりそうになって…
「今は寝顔くらいじゃどうってことないんだけど、これは…――」
川に飛び込んで、ルルーシュと離れないように必死で手を握り締めていたことは覚えている。だがその後はどうやら彼が自分を運んでくれたらしい。風邪をひかないようにとびしょぬれの服を乾かしてくれようとして、火を起こした後もあるし…
まずい…。
ルルーシュは当座可能な処置をしてくれただけなのだろうが、スザクはあらぬところに熱が集まるのを感じて顔を真っ赤にしていた。
「なんで、裸で…いや疚しいことなんて何もないはずなのに…」
ルルーシュ
と自分は一糸―いや、さすがに下着は身につけていたがしかし―纏わぬ姿で抱き合っていた。しかもルルーシュはきつく自分の体にしがみ付いていて抜け出そうにも抜け出せない。出会った夜は自分がこんな風にルルーシュを拘束していたのかとぼんやり思うが、今のこれは雪の舞い散る中で凍えずに済んでいるのはルルーシュがやむを得ず熱を分けてくれているためだとわかるが、そのためのこの心臓に悪い状況だということもわかるのだが、しかし。
「死に掛けるとって…本当だったんだ。どうしよう…」
スザクは触れている滑らかな肌や首筋に当るかすかな吐息に、一向に収まる様子を見せない自分の中心の熱を持て余して途方にくれていた。
「…ん…ぅ……」
「ルルーシュ起きたっ!?」
「…うー――すざく?ッスザク!よかった!生きてるなッ?よかった…ふぇ…」
思わず覚醒の気配に大きな声を上げてしまったスザクだったが、ルルーシュもがばりと飛び起きてよほど不安だったのだろうかくしゃと顔をゆがめてしまった。泣きそうな顔でスザクを見ている。
「さむくないか?」
「だ、だいじょぶっ!ありがとう、あの、その、ルルーシュは大丈夫?」
一晩中、自分の目が覚めるまで体温を維持し続けてくれたわけだからルルーシュだって消耗しているだろうと、あまりに嬉しそうな様子に毒気を抜かれてスザクは訊ねた。よかった、落ち着け僕。
「ああ。マオは捲いたな。また…他のやつらを連れて来るかもしれないけど、しばらくは行方がつかめないだろう。今のうちだよ。歩けそうなら、もう行こう。」
友だちともだち、ルルーシュは友だち。
自分に言い聞かせながら乾いた服を素早く身につける。抱いてしまった欲望に蓋をしながらスザクは深呼吸を繰り返した。
「今こんなことを考えている場合じゃないんだ。二人で、山の向こうに行けたら、それから…。」
「何か言ったか?」
「ううん、なにも。行こうかルルーシュ。」
にっこりと返して、絶対に越えてやると、もう目の前に迫った白い山を見据える。
だが―――
「スザク、」
「いいよ。ルルーシュだって寒いだろ。」
「俺は寒さは感じないんだ。ほんとだから。だからこれを着ろ。」
ルルーシュがぐいと押し付けてきた仕立てのよい―今はあちこち泥に汚れていたり破れてしまったりしているが―外套を渋々着込む。しばらくしてルルーシュの方を盗み見ると、確かにこの吹雪の中で堪えていない様子をしている。彼は本当に人間ではないのだなと思うと少しだけ悲しくなるが、それは同時に安堵でもあった。ルルーシュならこの雪山の寒さに凍えることはないだろう。ルルーシュ一人ならきっと峠を越えて生き延びることが…――足手まといなのは自分だ。スザクは俯いて、安堵から不甲斐なさに摩り替わった自分の気持ちと戦っていた。
夜、ルルーシュは雪を掘って当座の寝床―とも言える代物ではないが―を確保した後、いいと云うのにスザクに手を伸ばして抱きしめて眠る。そうしないと雪に囲まれた場所で眠るなど、人間には自殺行為だからだ。そうでなくとも山越えの装備もなしに吹雪の山に分け入るなど、二人ともどうかしていたのかもしれない。
「…なあ、ルルーシュ、」
「 ん? なに?」
ルルーシュの吐き出す息は白くはならない。今は自然体で、おそらく拍動も再現することなく歩いているのだろう。本当は夜だって温存していないと辛いはずなのだ。村を出て一月以上、動物の血だけで足りるはずもない。鈍い反応を返すルルーシュに唇を噛み締めてスザクは言った。
「もう、いいよ。僕のことは置いて一人で行って。」
「何を言ってるんだ。寝言は寝て言え。」
取り合わずに前を向いてしまったルルーシュの手を握り締めながら続ける。
「僕は君が人間だったらいいと思っていた。一緒に暮らせたらいいと。でも今は君がバンパイアでよかったと思っているよ。」
ルルーシュは何も言わずに黙々と歩き続けている。握り返された冷たい手だけが強い力でスザクの意識を引きとめようとしているような気がした。
「僕はこの山を越えられない。人間だもの。冬の寒さには耐え切れないよ。でも後悔はしていない。」
「…黙れ。」
「君と一緒に、過ごせてよかった。友達になれて」
「黙れと言っているッ」
「君は生きるんだ、ルルーシュ。優しいバンパイアもいるってこと、みんなに教えてあげなくちゃ。」
「バンパイアをこわがらない人間がいなきゃ、誰も信じちゃくれないだろう!」
とうとう立ち止まってルルーシュが叫んだ。スザクはにこりと笑ってルルーシュの頬を両手で包んだ。怯んだように顔をゆがめたルルーシュに言い聞かせるように。
「シャーリーはきっとルルーシュに感謝しているよ。マオの前から逃げたのは、僕がいたからだろう?本当はあの場で、君は奴を始末したかったはずなんだ。」
ルルーシュの肩がぴくりと揺れた。マオ―ルルーシュのためにと、薔薇を探していたシャーリーをおびき寄せて狼に襲わせたバンパニーズ。おそらくルルーシュを村から引き離すためにそうしたのだ。奴はルルーシュに対する個人的な恨みで動いている。スザクにはマオの気持ちが少しだけわかるような気がした。ルルーシュの血を持つ者がいたら、自分もきっとねたましく思っただろう。この美しい吸血鬼はその赤い血の一滴まで自分のものにしたい。
だが少しずつ育っていたそんな激しい衝動は、もう発露されることなくスザクの内で静かに響くだけだった。ルルーシュが自分と一緒に死んでしまうことの方がよほど悲しい、許せない。
「僕の、父さんは。バンパニーズに殺された。僕はその場にいたんだ。醜い化け物が、父さんの首に牙を立てて…」
「 、スザク?おい、しっかりしろッ!」
ひどく体が重かった。必死に瞼を持ち上げればルルーシュの泣きそうな顔が見える。ああ、なんて綺麗な人――
「 それで、父さんは死んでしまって…」
「もういい、話はあとだ!」
ルルーシュが自分を引きずって行くのを、いつもは自分の方だったのにとおかしく思いながらスザクはぼんやり真っ白な雪を見つめて目を閉じた。
君はあんな恐ろしい化け物じゃない。いつもふらふら頼りなくて、負けず嫌いで、どじで優しい吸血鬼――僕の友だち。大切な。父さんは僕を生かしてくれたから、今度は僕が、君を生かす番なんだって、…言おうとしたのに――――
ルルーシュは力を振り絞って冷たいスザクの体を温めようとしていた。泣きそうに顔を歪めながら名前を呼ぶ。
「スザク、スザクすざく…死なないでくれ、俺を一人にしないで…母さんたちのように置いて行かないで ッ、すざくっ……」
ルルーシュの母親は没落貴族の娘で、しがない男爵家に嫁いで程なく命を落とした。残された幼いルルーシュと妹のナナリーは後妻の手によって葬られようとしていたところを情の移った乳母に救われ、森の中に捨てられているところを一人暮らしの老婆に拾われた。たった一人で大きな屋敷に住んでいた老婆はルルーシュとナナリーをとても可愛がってくれた。母を覚えていないナナリーは彼女に懐き、二人の幼い兄妹は静かに穏やかな暮らしを送っていた。だがやがて老婆が亡くなり、病に伏した彼女を一度も見舞おうとしなかった息子がこれ幸いと屋敷を取り上げ、17歳と14歳になったばかりのルルーシュとナナリーを胡乱な目で見つめる。ルルーシュはナナリーを見る男の目にぞっとするものを感じて、二人なら生きていけると手を取り合って逃げ出した。しばらくは、見つけたどこか金持ちの屋敷で住み込みで働いたりしながら貧しくとも幸せに日々が過ぎていった。だがもともとからだの弱かった妹は病を患い伏せてしまった。母の命を奪った病と同じだった。自分がナナリーを連れ出さなければこんなことには…
ルルーシュはできることはなんでも、それこそ自分に望まれることなら拒むことをせず、高価な薬を手に入れようと身を粉にして働いた。妹が笑ってくれることだけを生きる糧にして休むことなく。やがて自分にも病魔の影が忍び寄っていることに気づいたが、妹が元気になってくれるのなら構わなかった。だが祈りも虚しくナナリーを失い、ルルーシュは糸の切れた人形のように―当然屋敷は追い出され、生きる気力を失った状態では働くことなど思いもせず―病に蝕まれながら死に行こうとしていたところを、コーネリアに拾われた。
C.C.の元へつれてゆかれ、もうほとんど像を結ばない目で見た吸血鬼の祖だという彼女の姿は美しかった。生きたいかと問われて―――自分はなんと答えたのだろうか。何度も生まれ変わったあの夜のことを思い出そうとしてルルーシュはもどかしい気持ちになったものだ。自分は生きたかったのだろうか。人の血を吸い変わらぬ姿で永遠の時間を生きる異形に身を変えてまで――――
「お前に会って…はじめて、生きていてよかったって思ったんだ。スザク、お前が俺を友だちだって、言ってくれたからっ…だからお願いだから…目を開けてくれ、スザク!」
ぽろりと涙が零れた。人のぬくもり以上の熱をたたえて、それはスザクの頬を濡らす。
「…ぅ」
「スザクッ?スザク、すざく!」
「るるー、しゅ、あれ、まだ生きてる…?」
「当たり前だばか!死ぬなんて許さないからな!俺を一人になんてしたら、死んだってこの世に引き摺ってきてやるんだから…………」
「、ルルーシュ?」
温められたせいでなんとか動くようになった腕を、様子のおかしいルルーシュに伸ばせば、パシッと音を立てて払われた。氷のように冷たい手だった。ルルーシュはスザクの方を見もせずに震えながら体を丸めている。ああ、そうか―――
「力を使いすぎちゃったんだね。僕はどうせ死ぬよ。だから、僕の血を飲んで。」
「嫌だ! ふ、く……」
鋭く叫んだルルーシュだが、すぐにまた自分を押さえ込むように小さく蹲る。一瞬見えた瞳は深紅に輝いて鮮やかに残像を残した。
「友だちだからだよ。」
「…なに、が ?」
「君が嫌がることを、言う理由。友だちだから君に死んでほしくない。」
「ともだち だから…おれは、お前の血を飲みたくないッ」
「なら、こうしよう。」
しっかりとしたスザクの声に、ルルーシュが怯えたように涙の浮いた瞳を向けた。ああ、なんてきれい。
「あの嵐の夜に戻ろう。僕は君の友だちじゃない。君は僕の知らない吸血鬼で、僕は吸血鬼を怖れるただの人間だ。」
「……取るに足らない、ちっぽけな、食べ物で、」
「そう。君は何も気にせずがぶりと噛み付けばいい。僕は君の中で生き続けるよ。」
「…ずっと、いっしょに?」
「ずっと一緒に。僕はずっと君のそばにいる。」
ルルーシュの目からまた一粒涙が零れた。透き通った紅玉から透明な雫がぽろりと頬を伝い落ちる。
「…約束した、山の向こうで、」
「薔薇を育てて暮らすんだ。」
ゆっくりとルルーシュが近づいてくる。最後のお別れだ。次に会うときは吸血鬼とただの人間。
「スザク、」
最後の力を振り絞ってぬくもりを乗せた、ルルーシュの唇を捉えてスザクは両腕を上げて細い体を抱きしめた。初めて触れたそれはやわらかく、吹き込まれたのは血の匂いではなく薔薇の香気を宿した甘い吐息だった。音も立てずに舌を絡めてそっと唇を離せばさよならと小さな呟き。いとしい吸血鬼が再び姿を見せるまで、スザクはこのあたたかさを覚えていようと目を閉じた―――
「――…次に会ったら、食うものと食われるもの。……ハッ、馬鹿馬鹿しい。スザクを食べられるわけないだろう。『ともだち』なんだから。」
ルルーシュはスザクの元を立ち去ってしばらく当てもなく歩きながら笑った。血が滲むのも構わず、木の根でも見つからないかと雪を掘る。
「…ないか。荒れた岩山だったしな。くそっ どうしたらスザクを ッ…―――あいつ、」
悪態をつきかけて、ルルーシュははっと目を鋭く光らせた。吹雪に混じってかすかに血の匂いがする。道を外れた吸血鬼の匂い。
神経を尖らせてあたりを探れば、一面白い世界で、崖の下にぽつりぽつりと人影が見えた。
「仲間を連れてきたのか…」
スザクが危ない。あの男の執念は一度も会ったことのない自分を、C.C.の血を受け継いだというそれだけの理由で憎悪していた。共にいてあまつさえ敵意を向けたスザクを見逃すとは思えない。
確かに、ルルーシュはスザクがいなければ逃げることよりもマオを倒すことを優先していた。血が足りずふらふらした状態で立ち向かっても結果は五分五分かそれ以下で、危険な賭けはできなかったから逃げただけ。シャーリーを傷付けたバンパニーズを許すわけにはいかなかった。そうでなくとも正統なバンパイアはバンパニーズと出会えば戦わなければならない掟がある。自らの血が為した過ちは自らの手で摘み取る。
「俺が、逃げちゃいけないよな。」
クッと喉の奥で不敵に笑ったルルーシュは、崖の上に自分を見とめてにやりと目を光らせたバンパニーズの群れを睥睨した。目が深紅に輝く。何かを察した敵の一人がびくりと身を竦ませるのが見えた。吹雪までもがシンと凪いで、月明かりがルルーシュの姿を浮かび上がらせた。
「始祖の血を受け継ぎし正統なるバンパイア、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが、お前たちを、裁く。」
静かな宣告が夜のしじまを引き裂いた。
そう、静かな王の声が、深く重く、異端の化け物たちに突き刺さる。